原初の生命観・「漂泊論B」20


   1・人は母子関係から生きはじめる
哲学者の中島義道氏は「子供のころは死ぬのが怖くてたまらなかったから死のことばかり考えていた」といっておられるのだが、子供が死ぬことを怖がるというのはよくわからない心の動きだ。
中島氏にとっては、死ぬのが怖くなるほど生きてあることが安定して充足したものだったのだろうか。そんな心地になれるのは、家族あるいは母子関係に潜り込んでいるからだろうか。
社会の共同性や制度性に守られているという安心を持つのは、子供にはまだ無理だろう。
家族あるいは母子関係に潜り込んでゆくということには、親が嫌いだということと親が好きだということとの二種類の心の動きがある。どちらでも、その関係に潜り込んでいるか閉じ込められるかしている状態である。
好きといっても嫌いといっても、その関係に閉じ込められている。彼は、そういう愛憎の激しい人だろうか。
まあ普通は、幼児期を過ぎれば、親は好きでも嫌いでもない対象になる。
幼児期を過ぎれば、心が親の囲い込みから出てゆく。
ネアンデルタールには、子供だけの社会というのがあって、幼児期を通過すれば自然にその社会に参加してゆくような仕組みになっていた。
ネアンデルタールの母親は30数年の生涯で10人近くの子供を産んでいたから、いつまでも育った子供にかまっていられなかった。
だから現在の西洋人の母親は、幼児期を過ぎた子供にはあまりかまおうとはせず、夫との関係の方にこだわりが強い。これは、いつまでも子供にかまって夫との関係が希薄なりがちな現在のこの国の母親とは、少し違う。
人間の自然として、子供はいつまでも母子関係の中に潜り込んではいない。そしてそういう囲い込みの外で、孤立したひとりの人間としての世界観や生命観を紡いでゆく。
人間の身体は、生き物として生きてあることが困難な「無力性」と「受苦性」を負っている。そのような生きることの不可能性を負って生まれ育ってきた人間の子供は生きることの不可能性の自覚が骨身にしみているわけで、それでもそこで「ひとり」になって、そうした人間であることの与件を受け入れてゆこうとする。
子供から大人へと成長してゆくことは、この世界に放り出されたひとりの人間として、そうした与件を受け入れてゆくいとなみにほかならない。


     2・母子関係からの旅立ち
人間は、人生において二度「誕生」を体験する。母子関係から旅立って、はじめて本格的に人間として生きはじめる。それは、人間であることの「無力性」や「受苦性」と和解してゆくいとなみである。
子供から若者になってゆくことは、社会の制度性に潜り込んでゆく安心安定を紡いでゆく期間であるのではない。そんなことは、大人になって社会に出てから覚えてゆくことだ。
子供はまず、どうしてこの世界に生まれてきてしまったのだ、という問いから生きはじめる。産んでくれと頼んだわけでも生まれてきたかったわけでもないのに。
まず、この生まれてきてしまったという事実と和解して受け入れてゆかねばならない。それは、じつは大事業なのだ。一生かかっても納得できない。納得できない方が自然なのだ。納得できない嘆きがあるから、この世界や他者にときめいてゆくことができる。納得できない嘆きこそが人を生かし、「何・なぜ?」と問う知性や驚きときめく感性を育てる。
納得していないのが子供や若者で、納得しているのが大人だ、ということだろうか。
ネアンデルタールの社会では、誰も納得していなかった。だから、いつ死んでもいいという気分で生きていたし、その社会に「大人」という存在はいなかった。いつ死んでもいいという覚悟がなければ、ろくな文明を持たない原始人が氷河期の極北の地に住み着いてゆけるはずがない。実際そこは、どんどん人が死んでゆく環境だったのだ。生まれた子供の半分以上は大人になる前に死んでいった。
もともと人間は「死ぬのが怖い」などといっている存在ではなかったから、そうやって住みにくいはずの北へ北へと拡散してゆき、とうとう地球の隅々まで住みついていってしまった。
人間は、根源において、自分がこの世界に生まれ出てしまったことと和解していない。だから、「死ぬのが怖い」という心の動きは人間の本性とはいえない。
人間が死を知ってしまった存在であるということは、根源というか人間の自然においては、「死にたいする親密な心を持ってしまった」ということを意味する。そうやって原初の人類は地球の隅々まで拡散していった。
文明が発達してから、その文明によって地球の隅々まで拡散していったのではない。50万年前には、すでにそういう生息域になっていた。ろくな文明を持たないまま、「死にたいする親密な心」だけで氷河期の極北の地に住み着いていったのだ。


     3・この生と和解するか、それとも死と親密になるか
身体の「無力性」と「受苦性」を負って存在している人間は、死ぬまで自分が生まれてきてしまったという事実と和解できない。そして、和解できないことに人間が生きることの自然がある。和解できないことが、人間を生かしている。和解できない嘆きから、人間的な知性や感性が生まれ育ってくる。
人間の自然においては、生きてあることは幸せなことでもなんでもない。しかしその「嘆き」こそが人間を生かし、人間的な知性や感性を育てている。
だから、子供や若者が「死にたい」とか「もう死んでもいい」と思うことはわかる。そういう思いとともに知性や感性が育ってゆくのだ。それを表立って意識しなくても、子供や若者は、そういう思いを胸の底に疼かせながら生きている存在なのだ。
自分が生まれてきてしまったという事実と和解できないことを受け入れてゆく。すなわち、和解できない嘆きから生きてあることのカタルシス(快楽)を汲み上げてゆく……それが、子供や若者の生きるいとなみであり、人間の普遍的な生きてあるかたちなのではないだろうか。
子供は、成長とともにしだいにそのタッチを身につけてゆく。ここでいう「成長」とは、しだいに体が動くようになってきて体のはたらきも安定してくる、ということで、そのことが何をもたらすかといえば、生きてあることと和解できないことが生きる作法になってゆく、ということだ。
身体が動くことのカタルシスは、「身体が消えてゆく」感覚にある。体のはたらきが安定すれば、「体のことを忘れる=身体が消えてゆく」感覚をもたらす。
身体に対する「嘆き」、すなわち生まれてきてしまったことと和解できない心の動きがあるからこそ、「身体が消えてゆく」とか「われを忘れて何かに熱中してゆく」カタルシスが体験される。そういうカタルシスを汲み上げながら子供や若者は、生まれてきてしまったという事実と和解できない、という人間であることの与件を受け入れてゆく。
身体の「無力性」や「受苦性」を深く負って生まれてくる人間という存在は、自分がこの世界に生まれてきてしまったことと和解できないまま、「身体が消えてゆく」感覚にカタルシスを覚える。そうやって人類は、死を発見し、「死にたいする親密さ」を抱く存在になっていった。
子供が、我を忘れながら自分がおもちゃになりきっておもちゃと話をしているとき、自分がこの世に存在している事実と和解できないことを受け入れている。和解していないからこそ、おもちゃになりきってしまえるのだ。
大人たちは、おもちゃになりきらないで「自分」を確保していることを何か人間的な完成のように思っているが、それは、われを忘れておもちゃになりきるカタルシスを喪失している、ということでもある。
そうやって「自分」を確保しているから死が怖いのであり、おもちゃになりきることができるのならそう怖いということもない。
アルキメデスは、大人になっても、アルキメデスの原理を発見したときにはわれを忘れて裸で街に飛び出していった。そうして、ふと思いついた数式を地面に書き記しているときに軍隊が通りかかってそれを踏み消されそうになり、「消さないでくれ」と叫んだためにその場で切り殺されてしまった。
そのとき彼は、「いまここ」でその真理を確かめることに夢中で、死ぬかもしれないということは全く眼中になかった。この数式を確かめることができるのならもう死んでもかまわない、という気持ちがあった。
「いまここ」に夢中になってしまえば、死ぬことなどどうでもよくなってしまう。
誰もが胸の奥のどこかしらで「死にたい」とか「もう死んでもかまわない」という気持ちを疼かせて生きている。だからこそ「いまここ」に夢中になれるのであり、「いまここ」に夢中になるとは「いまここ」に消えてゆくということだ。そういうタッチを持っていないと人は生きられないし、うまく死んでゆくこともできない。
「朝(あした)に道を問わば夕べに死すとも可なり」と中国の誰かがいったが、アルキメデスはまさにそのように生きて死んでいった。そしてそれは、「大人の悟り」などというものではなく、子供じみてイノセントな熱情であり、カタルシスの問題なのだ。
言い換えれば、大人だって子供や若者のようなそういう存在でありたいと願っている、ということだ。
「もう死んでもかまわない」というのが、人間の基本的な生きてあるかたちなのだ。そういう人間の自然(普遍)は、子供の方が豊かにそなえている。
まあ、子供の方が、生きることと和解できないで、生きることにせっぱつまっている。
とすれば、中島氏のように「死ぬのが怖い」とおびえきっているのが子供の普遍的な心の動きであると同時に人間の自然だということは、なんだかとても疑わしい。


     4・この世界の現実を他者と共有する、という制度性
子供は、死ぬのが怖くなるほど生きてあることと和解していない。
たぶん中島氏の子供時代は、母子関係や家族関係にとらわれ閉じ込められて、普通の子供のような、たったひとりでこの世界に放り出された存在ではなかったのだ。なんのかのといっても、家族関係に閉じ込められて生きてあることが安定していたのだろう。その安定にいらだち、そのいらだちが死の恐怖を引き寄せた。僕はそういう生の安定感と死の恐怖を30歳のころに体験したが、彼はすでに子供時代に体験していたのだからたいしたものだともいえる。
生の安定感が、死の恐怖を引き寄せる。
原始人や子供はそのような安定した生の中に置かれていないから、死の恐怖もそれほど濃密には自覚していない。
普通の子供は、自分が生きてあることと和解していないから、大人ほどには死を怖がっていない。まあいまどきは、そういう「普通の子供」が少なくなっている世の中かもしれないが。
普通、人間なら誰だって「たったひとりでこの世界に放り出されている」という思いは心の底のどこかしらで抱いている。人と人は、その思いを共有しながら関係し合っているのではないだろうか。
人間は、みずからの生と和解していないから、この世界が存在するということも疑っている。自分にとってのこの世界(現実)が、他者にとってのそれと同じであることに信憑が持てない。
もしも幸せであれば、自分が世界で一番幸せであるような気分になるし、不幸であれば、この世に自分ほど不幸な人間はいないと思ってしまう。人間の意識は、つねにそういう「孤立性」を帯びている。
それは、われわれが、根源においてこの生と和解していないからであり、自分が出会っている現実の普遍性(=他者と共有していること)が信じられないからだ。
われわれは、この世界(現実)を他者と共有しているのではない。われわれは「たったひとりでこの世界に放り出されている」存在であり、われわれは、共有していないという「孤立性の嘆き」を共有しているのだ。
なのに、この社会の共同性=制度性は、「いまここにおいて他者と世界(現実)を共有している」という意識にさせる機能を持っている。
いまここの世界(現実)を仲間と共有しながら外部の第三者を排除してゆく、という制度性。人は、そういう制度的な意識の基礎を、幼児期の母子関係に潜り込んでゆくという体験とともにつくってゆく。自分がそれを望むにせよ望まないにせよ、われわれは、そうやって母子関係や家族という世界(現実)に囲い込まれたところから生きはじめなければならない。
そうして家族の外に出れば、共同体の制度性に囲い込まれる。
われわれは、他者とこの世界(現実)を共有しているという信憑とともに、この生と和解してゆく。
で、「命の尊厳」などというスローガンを合唱してゆく。そんなことばかりやっていたら、ますます死が怖いものになってしまう。
誰だって死が怖いさ、しかしそれは精神の病理であって、この生と和解していないものは死など怖がっていないし、人間性の基礎は、じつはそこにこそある。
子供のくせに死が怖かったなどということを自慢するなよ、という話である。中島氏は、子供時代のどこかで、他者とこの世界の現実を共有しながらこの生と和解してしまった。だから、死が怖くなってしまった。
子供や原始人が死を怖がらないのは、この生と和解していないからだ。
誰だって心の底には、この生と和解できない孤立性が息づいている。
人間なんて、歯が痛くなっただけで、自分がこの世界でいちばんダメな人間であるかのような気分に浸されてしまう生き物なのだ。


     5・この社会はあなたたちのものなのだけれど……
誰の中にも「この世のもっとも弱いもの」の心は息づいている。人はそうやって、この世界にたったったひとりで放り出された存在として途方に暮れながら生きている。
「この世のもっとも弱いもの」は、この生と和解できない人間としての与件を受け入れてゆく。それが原始人の生きる作法だったのであり、いつの時代も子供はそのように生きている。
この生やこの世界と和解していないから、「何・なぜ?」と問う知性や驚きときめく感性が育ってゆく。
いまどきの、この生やこの世界と和解しながら知識をコピペしてゆくだけの能力は知性とも感性ともいわないし、しかし人間なら誰だって心の奥のどこかしらにこの生と和解できないものが疼いている。
この生と和解して生き延びようとするのが健康な心のはたらきであるのではない。それはむしろ、制度的な病理なのだ。
そして、そんな物差しで縄文時代や原始時代を推量しても、何も見えてこない。
原始時代や子供や若者を問うことは、人間の普遍・自然を問うことであって、彼らを人間未満の状態とさげすんでみずからの大人であることを正当化し安心するためのいとなみであるのではない。
現代社会の大人であることの病理がある。原始時代や子供や若者を問えば、そのことに気づかされる。大人になってこの生と和解してゆくことは、人間としての普遍・自然を喪失することであり、人は、歳をとってこの生と和解してゆけばゆくほど死ぬのが怖くなってゆく。
人は、人生の最後で死を前にしたとき、この生との和解を解体してゆくことを迫られる。しかし、もの心ついたときから「命の尊厳」などというお題目に踊らされながら生き延びようとあくせく生きてくれば、いまさらその習性から逃れることはできない。
で、じたばた悪あがきする。最後の最後に悪あがきするならまだしも、じつは、大人になった瞬間からその悪あがきがはじまっているのだ。そうして子供や若者から「なんて醜い生き物なのだ」とうんざりして眺められなければならない。
大人になることがこの生と和解して生き延びようとすることであるのなら、大人になんかならない方がいい。そんなふうに思うようになってゆくことが大人になることであるのなら、人間の寿命なんか伸びない方がいい。
現代社会において、最初から最後までこの生と和解することなく生き切るのはとても困難なことだ。よほど能力があってこの社会を置き去りにするか、能力がないために置き去りにされてしまうか、そのどちらかのかたちでしかそういう生き方はできないのかもしれない。
この社会は、この生と和解しているものたちのものだ。とびきりの能力があるものも、生き延びる能力がなくて落ちこぼれるものも、けっきょくはこの社会から養ってもらっている存在でしかない。養っているのは、生き延びようとあくせくして生きている連中だ。彼らは、自分たちがこの社会をつくっている、と思っている。だから、最後にこの社会から置き去りにされる死を自覚したときにじたばたしなければならない。まあ、じたばたしてこの社会をつくる一員になっているのだ。
生き延びようとする習性で生きてきたものが最後にじたばたしないですむはずがないし、生き延びようとすること自体すでにじたばたしてしまっているのだ、ともいえる。
じたばたして生きている現代人が、原始人も生き延びようとじたばたして生きていたという前提で歴史を考えている。この社会は彼らのものだからそうした倒錯的な歴史認識が定着してしまうことはしょうがないのだけれど、それでもわれわれは、そんなことあるものか、といわずにいられない。
そんなはずがないのだもの。
原始人にとっての生はいつ死んでもかまない「お祭り」だったのであり、子供だって本質的にはそのような気分で生きている。
いや、人間を根源において生かしているのは、そういう「お祭り=遊び」のカタルシスなのだ。
この生と和解できない心で生き切ることができないのなら、人間の寿命なんか伸びなくてもいい。
醜い大人や老人がのさばって子供や若者の知性や感性を奪ってしまってもいいというわけにはいかないだろう。
何度でもいう。人間の歴史は、生き延びるためのいとなみだったのではない。
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