命のやり取りをするということ・ネアンデルタール人論64

狩猟の起源、すなわち人類はいつごろから動物の体に突き刺すことができる先の尖った石器をつくることができるようになったかという問いの答えは諸説あって、50万年くらい前からだとも2,30万年前からだともいわれている。
 もしも50万年前からだとすれば、ネアンデルタール人の祖先が氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったときにはすでに狩猟をしていたことになる。
 まあ2.30万年前のネアンデルタール人の遺跡からは、動物の体を解体したり皮をはいだりすることができるナイフのような石器もたくさん出土している
 とにかく、脂肪の乗った動物の肉を食わなければ氷河期の極北の地で生きてゆくことはできないでしょう。
 そしてそれは、肉食獣と戦うことができるようにもなっていたことを意味する。
 50万年前の原始人が氷河期の極北の地で暮らすためには、洞窟という寝起きする場所はどうしても必要だったはずで、野宿なんかしていたら、たちまち凍え死んでしまう。大人だってそうなのだから、赤ん坊や子供を育てるためには、なおそこが必要になる。洞窟の奥は、温度が一定していて、夏は涼しく冬は暖かい。
おそらく彼らはまず、先住者であるハイエナややオオカミやクマなどの肉食獣から洞窟の住処を奪い取っていった。そのとき、石器に加えて火という武器もあったのかもしれないし、何より戦うことができたということは、大きな集団のチームワークを持っていたということでもある。アフリカのように、家族的小集団の暮らしで戦闘員の男は2,3人しかないという条件では戦えない。
 そのころの人類は、そういう生態を育てながら北へ北へと拡散していった。
 したがって50万年前にはすでに先の尖った石器をつくって狩猟をしていたと推測した方が妥当かもしれない。
 考古学者は、発掘証拠で起源の時期を決定しようとして、それが最終的な決定になりえないということをあまり考えたがらないところがある。そのために、新しい発掘証拠が出くるたびにその決定を変更するということを飽きずに繰り返している。
 先の尖った石器だって、この先もっと古いものが掘り出される可能性がないとはいえない。
 革新的な考古学者は、もっと古いものがあるはずだと思っている。人類の起源だって、つい数十年前までは、ジャワ原人とか北京原人とかの証拠によってせいぜい100万年くらい前だろうといわれていたが、新証拠の発見に次ぐ発見で、今や700万年前までさかのぼることができるようになった。
 考古学の発掘証拠はそれ自体としては確かなものだが、それが必ずしも起源の真実になるとはいえない。あくまで起源の真実に迫るための手掛かりにすぎない。その先はもう、思考力と想像力でたどってゆくしかない。
 おそらく氷河期の北ヨーロッパは草食獣以外に食べるものがなかっただろうし、草食獣の肉を食べなければ生きられなかった。人類が氷河期の北ヨーロッパまで拡散していったということは、そういうことが可能になる生態を育てていったということであり、その生態とともに先の尖った石器が生まれてきた。


 集団的置換説の論者によれば、50万年前の初期のネアンデルタール人は肉食獣の食べ残しとか冬場に行き倒れになった草食獣の死体とかの「死肉漁り」しかできなかった、という。だったら、そのとき必要なのは、先の尖った石器ではなく、死体を解体するためのナイフのような石器でしょう。
 しかしネアンデルタール人の石器の歴史は、はじめに先の尖った石器があった。はじめに戦闘的な狩りがあった。
 肉食獣の食べ残しだけなら、アフリカ人のような家族的小集団ならともかく、ネアンデルタール人のような大きな集団の食料はまかなえないでしょう。しかも肉食獣の少ない極北の地では、アフリカのサバンナほどたくさんのそれを見つけられるわけでもない。さらにその上、、草食獣の肉を食べなければ生きられないという事情も切実にあった。
 極北の地は、草食獣の数そのものが、アフリカのサバンナよりずっと少ない。それでも彼らは草食獣の肉がないと生きられなかった。飢えそうになったら植物の実や根で間に合わせるというわけにはいかない環境だった。
 だから、ネアンデルタール人が同時代のアフリカ人よりも狩りの能力で劣っていたということは考えられない。アフリカ人よりももっと積極的に狩りをしていたはずです。
 灼熱のサバンナでは、木陰でじっとしていたい。それに対して氷河期の極北の地では、動き回って体を温めようとする生態になってゆく。その延長でネアンデルタール人の祖先は大型草食獣の狩りを覚えていったのだろうし、その起源は、ただ「食料を得るため」というだけの動機で説明がつく行為ではなかった。
 食料を得ることが原始人の生のいとなみというか行動様式の第一義のことであったのなら、何もわざわざ氷河期の北ヨーロッパという不毛の地まで拡散してゆくということは起きなかったはずです。温暖な土地のほうが食料資源は豊富で、無理して大型草食獣の狩りをする必要もないし、また、そんな高カロリーのものを食べなくても生きてゆける。
 同時代のアフリカ人や中東人は、植物や魚など、ネアンデルタール人よりもはるかにバラエティに富んだ食事をしていた。アフリカでの狩りは、ツチブタなどの小型の草食獣の狩りが中心だった。大きな集団を持っていなかった彼らには大型草食獣の狩りは物理的に無理だったし、木陰でじっとしていたい熱帯の暮らしからそんな騒々しい狩りが発想されることもなかった。そんな高カロリーの肉を食べなくても生きてゆけた。
小型の草食獣なら、投げ槍の一撃だけで倒せる。だからアフリカでは、繊細なつくりの石器が発達した。それに対して大型草食獣が相手となれば、それだけでは倒せない。大勢で肉弾戦を挑んでいかなければならない。だからネアンデルタール人の石器は頑丈なつくりだったし、狩りで骨折したり死んだりすることも多かった。彼らは、どうしてそんな危険な狩りに熱中していったのか。それは、ただ「食料を得るため」という理由だけでは説明がつかない。食料になる小型の草食獣や魚などがいなかったわけではない。ただ「食料を得るため」だけだったらそんな狩りを中心に追及していった方が効率的だったはずです。彼らだって魚や小型の草食獣の肉も食べたが、それを主な食料資源にしようとはしなかった。彼らが大型草食獣の狩りに熱中していったのは、「食料を得るため」という以前に、狩りそのものに興奮し熱狂していたからでしょう。ネアンデルタール人の遺跡から発掘される男の骨は、骨折のあとがあったり湾曲していたりする例がじつに多い。彼らは、怪我や死と引き換えにしてでもそうした狩りがしたかった。そのような骨から「栄養状態が悪かった」と分析されているが、人類の食料になる植物資源などない不毛の地なのだから、栄養状態がいいはずがない。氷河期の極北の地では、木の実のなる広葉樹はほとんどなく、針葉樹ばかりだったことでしょう。
 彼らは、知能が劣っていたから頑丈な石器にこだわっていたのではない。そういう狩りの仕方をしていただけのことです。そしてそれは、たんなる食糧戦略だったのではない。その根底には、生きにくさを生きることによって心が華やぎときめいてゆくという人間性の本質・自然が息づいていた。それは生き延びるための生存戦略というよりも、死に対する親密さだった。
 人は、心が華やぎときめく体験がないと生きられない。それは、生き延びることによってではなく、「もう死んでもいい」と思い定める無意識の感慨とともに体験される。そういう死と生の境目に立った無意識の感慨は原始人であれ現代人であれ誰の中にも息づいており、そこにこそ人類史の文化の起源と発展の契機がある。


 原始人を狩りに向かわせたのは、何だったのか?
 脳が発達したために効率よくたくさんのカロリー補給をする必要が生まれてきたから、などと説明されることも多いが、それは結果論にすぎない。たくさんのカロリー補給をするためなら、たくさん食べればいいだけのことで、そのとき木の実が主食だったのならたくさんの木の実を食べるようになってゆくのが自然ななりゆきだし、それで間に合わないこともない。現在でもインド人のようなベジタリアンの民族もいるし、昔の日本人だってふだんは植物ばかり食べていた。植物ばかり食べて人間が生きられないわけではない。
 ネアンデルタール人には、動物や魚の肉しか食うものがなかった。だから、動物や魚の肉ばかり食っていた。基本的に原始人は、食うものなんかなんでもよかった。アフリカ人だろうとネアンデルタール人だろうと、誰もが目の前にある物を食っていた。それだけのことでしょう。
 狩りをするようになったのは、動物の肉を食う必要が生まれてきたからではない。まあ、チンパンジーだって狩りをして動物の肉を食ったりしている。人類の場合は、食うためというより、狩りそのものに熱中するようになっていったからでしょう。動物の肉を食うことができる体質を持った動物はみな、目の前に食うことができる動物がいれば狩りをして食うということをしている。しかし人類は、食うこと以上に、狩りそのものに熱中していった。その衝動は、いったい何だったのか。それは、「食うため」という目的論だけでは説明がつかない。
 人類の生態は、食うため、すなわち生き延びるため、という目的論だけでかたが付く問題ではない。
 マンモスをはじめとする大型草食獣に肉弾戦を挑んでいったネアンデルタール人の狩りは、「いつ死んでもいい」という感慨がなければ成り立たない行為だった。
 死と生の境目に立つこと、そこに人間的な生きてあることのカタルシスというか快楽がある。彼らは、そういう人間性の究極を生きていた。それが彼らの狩りの流儀だった。人類が石器を使って狩りをはじめた契機にも、そのような、未来に向かって生き延びようとすることよりも「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに「今ここ」の生きてあることのカタルシスを汲み上げようとする人間的な衝動がはたらいていたはずです。
 現代の文明人が肉屋で肉を買ってくることは「食うため」だけの行為だろうが、原始人は自分たちで狩りをして食っていた。それは「食うため」というだけではすまない。「食うため」だけだったら木の実でも間に合うし、もともと人類は、食えるなら何でもよかった。
 人類の文化の起源は、「食うため=生き延びるため」という問題設定だけでは説明がつかない。


 狩りとは、動物と命のやり取りをすることだろうか。それは動物という他者の死を前にすることであり、それによって、死のそばに立っているというカタルシスが体験される。人間的な狩りの起源もそこにあるのではないだろうか、と考えることができる。その歴史が、みずからの死をもいとわぬネアンデルタール人の肉弾戦の狩りへと発展していった。
 人間は、みずからの死を自覚し、死のそばに立って生きている。その死に対する親密な心模様とともに人間的な狩りが生まれ育ってきた。それは、既成の人類学のたんなる「食糧戦略」とか「生存戦略」などという言葉では説明がつかない。
 死に対する親密さから、人間的な狩りが生まれ育っていった。死に対する親密さは生き物の生の普遍的なかたちであり、それによって肉食獣が草食獣を殺して食うというライフサイクルも成り立っているのだろうが、人類の場合は死をより深く自覚的に意識しているから、どんどんエスカレートして、やがて人と人が殺し合う戦争にまで発展していった。
 命のやり取りをするということは、命を見つめようとすることであって、生き延びようとすることではない。命は大切なものだいう以前に、命とは何か、という問いがある。それが「命のやり取りをする」ということであり、人はそうやって戦争もすれば熱い恋もする。
 人間は、根源・自然において、命を大切にしようとする存在ではなく、命を見つめようとする存在なのではないでしょうか。「もう死んでもいい」という感慨が持てなくていったい何ができるというのか、とネアンデルタール人はいうかもしれない。われわれ現代人だって「命を懸ける」という言葉を持っているし、「必死に」などともいう。命を懸けてやることがあれば、「生き延びる」などといっていられない。命をすり減らしてでもやりたいことがある。そのことは、人間として不幸なことか?不自然なことか?そうとはいえないでしょう。そういう命がけのものを持てないものたちが「生活者の思想」などといって衣食住に耽溺している。そうやって今どきの「市民」という「生活者」たちは、衣食住どころではない命がけのものを持っているものを引きずりおろそうとする。
 衣食住どころではない恋や学問や芸術をして何が悪いというのか。生き延びようと衣食住に耽溺することがそんなに偉いのか。
人間は、何かのはずみで何かのことに「命懸け」になってしまう。それが人間性の自然だから。
 小さな子が夢中になって蟻の行列を眺めていることだって、それはそれで蟻と命のやり取りをしていることなのです。
そうして最近増えつつある何かのはずみで犯罪者になってしまう老人も、そういうかたちで「命懸け」になっているのかもしれない。人間は「命懸け」になって「命のやり取り」をする存在であり、生き延びようとする「自我」に執着して生きていても、何かのはずみでそういうかたちで人間性の自然に裏切られてしまう。普段は人格者ぶって生きていても、何かのはずみで「命懸け」で他人が生きてあることを許さなくなったりする。彼はもう、そういうかたちでしか「命懸け」になれない。つまり、子供が蟻の行列に見入ってしまうような「非日常」の世界に飛躍してゆくということ、そういう世界と命のやり取りをする視線を持っていない。「命懸け」というのは、生き延びることに執着する「生きがい」のことではない。「もう死んでもいい」というかたちでそういう執着から解き放たれることです。子供はそういうかたちでこの生から解き放たれるタッチを持っているし、生き延びることに執着する大人たちはこの生に閉じ込められている。そしてそれでも、人間性の自然として、何かのはずみで「命懸け」になって人殺しをしてしまったりする。平和で豊かな社会でどんなに「命の尊厳」などといって命に執着していても、命から解き放たれて「命懸け」になってしまう人間性の自然を封じ込めることはできない。自分の命に「尊厳」などというものはない。自分の命から解き放たれるのが人間性の自然なのです。人は、自分の命から解き放たれて自分の命を「見つめている」存在であって、自分の命に「しがみついている」存在であるのではない。人は、「もう死んでもいい」というかたちで自分の命を見つめている。まあ、ネアンデルタール人はそのような心模様で生きていたのであり、だから大型草食獣と命のやり取りをする狩りに熱中していった。
 今どきの市民主義とでもいうのだろうか、生き延びようと衣食住に耽溺・執着して、何を自慢することがあろうか。そこに人間性の自然や可能性があるのではない。


今どきの人類学は、人類の文化の起源を「生き延びるため」という問題設定でかたろうとする。そのうさん臭さをどうしてもいいたいわけです。それは、人間性の基礎の問題であり、われわれの中に息づいている人間としての普遍的な無意識について考えることでもあります。
 現代は、生命賛歌を合唱しながら「生き延びる」ことが称揚される社会になっているのだろうが、それを人間の本性とか自然だと決めつけてしまうと起源論は間違う。思考停止になってしまう。そしてこのすでに社会的な合意になってしまっている思考停止の壁は厚い。今さら現代人の生き方や思考を変えることは誰にもできない。彼らは、生き延びようとすることが人間性の自然であるということにしておかないと生きられないし、そういうことにしておいた方が上手に生きられる世の中になっている。そうして人類学では、原始人の生のいとなみは生き延びようとするいとなみだった、と決めてかかっている。つまり、人の生のいとなみの本質は衣食住を確保してゆくことにある、と決めてかかっている。
 しかしそれは違う。人間がそんな欲望を第一義にして生きている存在であるのなら、衣食住とは何の関係もないきらきら光る金銀宝石を一番の価値にするような存在にはならない。
 人類史の起源論を、衣食住の追求という問題設定で考えるべきではない。
 人間的な石器の起源の契機は、たとえば草肉食獣が食べ残した草食の骨を砕いて中の骨髄を食べるためだったとか、そういうことではない。その程度の石の使い方は、猿でもできる。そのレベルからさらに進んだ人間的な石器が生まれてきたのは、食ううためという目的を離れて石そのものに興味を抱いたからでしょう。
石と石をぶつけ合わせたら面白い音がした。それに興味を抱いて(ときめいて)、そんなことを繰り返しているうちに、片方の石の破片が欠け落ちた。そこから人間的な剥片石器が生まれてきて、やがて先の尖った狩りの石器になっていった。
衣食住(=生きること)を離れてというか、そこから飛躍して興味を抱いてゆくところに人間性がある。衣食住から離れて(飛躍して)石そのものに興味を抱いてゆくことは、猿にはできない。猿は、生き延びるための衣食住とか闘いとか、そういうこと以上の石に対する興味を持てない。
 人類は、石に対する興味が「生き延びるため」というレベルから飛躍していったからより高度な石器を生み出した。つまりその興味の根源には「死に対する親密さ」がはたらいている、ということです。人の心は、死という「非日常」の世界に向かって飛躍してゆく。
「死に対する親密さ」が人間的な発想の飛躍をもたらす。「生き延びるため」などという発想よりも、単純な石そのものに対する興味のほうが、ずっと高度な知性のはたらきなのです。
 ネアンデルタール人が大型草食獣との肉弾戦の狩りに熱中していったのも、人類学で当然のごとく合意されている「生存戦略」などということではなく、「もう死んでもいい」という人類普遍の無意識の感慨とともに「死=非日常」の世界への飛躍してゆく行為だった。それが結果的に彼らに生き延びるのに必要な栄養をもたらしたとしても、目的だったのではない。
 人類史の文化は、死と生の境目に立ったところから生まれてきた。それはもう言葉の起源だろうと埋葬の起源だろうと狩りの起源だろうと本質的には同じであり、そういう意味でネアンデルタール人こそ原始時代の文化の先頭ランナーであったはずです。彼らは、戦争はしなかったが、みずからの環境世界と命のやり取りをして生きていた。命をすり減らして生きていた。人類史の文化は、そこから生まれ育ってきた。
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