肉食の起源・ネアンデルタール人論65

(承前)
おそらく狩りに使われたであろう先の尖った石器は、北ヨーロッパの50万年前の地層から発見されている。それに対して置換説の研究者たちが「もっとも知能が発達していた」と合唱しているアフリカでは、20〜30万年くらい前の地層からしか出土していない。
 そしてヨーロッパでは、歴史の推移ともに石器のかたちが繊細で精巧になったり頑丈で無骨になったりということを繰り返してきた。これは、地球気候が数万年ごとに推移する寒冷期には大きな集団のチームワークで狩りをするから石器も繊細で精巧なかたちになってゆくが、そのあとの温暖期には少人数でのより激しい肉弾戦になりがちだから一見退化したような頑丈で無骨なつくりに戻ってゆく、ということではないでしょうか。つまりヨーロッパの考古学では、石器のつくりが繊細で精巧になってゆくからといって必ずしも進化とはいえない、という状況になっているのです。
 アフリカでは一貫して少人数での小型の草食獣の狩りだったから、石器はどんどん繊細で精巧なかたちになっていった。しかしヨーロッパでは肉食獣との戦いや大型草食獣の狩りをしていたから、ただ繊細で精巧になってゆくというだけではすまなかった。
 肉食獣との戦いをヨーロッパとアフリカのどちらが先にはじめたかといえば、ヨーロッパの方でしょう。サバンナには肉食獣がたくさんいすぎてそんな余裕はなかったし、森の中に逃げ込んで暮らすことができた。しかしヨーロッパのネアンデルタール人は洞窟の住処を肉食獣から守らねばならなかったし、肉食獣が少なかったから戦おうという気にもなれた。いったんその相手を打ち倒せば、しばらくは平穏を保つことができる。しかしアフリカでは、倒しても倒してもきりがなく、つぎつぎに襲ってくる。そんな環境に置かれて戦おうとするメンタリティが生まれてくるはずがない。もう、大型肉食獣のいない森の中に住み着いてゆくしかなかった。それに、暑ければ涼しい木陰でじっとしていたくなる。一方極寒の地のネアンデルタール人は、寒さを忘れて動き回っていたかった。氷河期の冬の原野でじっとしていたら、凍え死んでしまう。またネアンデルタール人は、戦うことのできるチームワークを持っていた。アフリカ人が肉食獣との戦いができるようになったのは弓矢や投げ槍が発達した10万年前以降のことでしょう。
 いろんな意味で、北ヨーロッパのほうが肉食獣との戦いがはじまる条件がそろっていた。そして、もしかしたらそれが人類の狩りの起源かもしれない。


 チンパンジーはコロブスという小型の猿を殺して食うという生態を持っているが、地上に下りてきて二本の足で立ち上がった原初の人類にはもう、木に登ってそんな狩りができる能力はなかったし、そんな狩りをしようとするメンタリティも失っていた。
 人類が本格的に肉食をはじめたのは、意外に新しいことかもしれない。
 サバンナに出てきたといっても、サバンナの中の点在する森に住んでいただけであり、700万年前の人類の起源のときからすでにそんな森を住処としていたともいえる。
 人類はずっと木の実などの植物を常食にしていた。だから、今でも世界にはたくさんのベジタリアンがいるし、ベジタリアンとして生きることができる体の機能を残している。また、ベジタリアンであることがもっとも進化した食習慣だという思想だってある。
 どの民族も、主食はパンやコメやイモなどの植物です。それがないと食事にならない生態を残している。肉なんかついでに食っているだけだともいえる。
 原初の人類にとっても主食はあくまで木の実などの植物であり、肉はあくまで祝祭の食べ物だったのではないでしょうか。美味かったからではない。それを食うことによってお祭り気分になれた。すなわち非日常の気分、そうやって「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに心が華やいでいった。そういう契機なしに肉食が生まれてくることは考えられない。
 おそらく人類の本格的な肉食は、人類学者が考えているよりもずっと新しい。考古学の確実な証拠を踏まえても、先の尖った石器を生み出した50万年前以上にさかのぼって考えることは難しい。したがってその契機は、今どきの人類学の通説になっている、サバンナに出てきたからというようなことではない、と考えるほかない。
また、「飢えたから」ということも契機にならない。人類がいまだに植物の主食を持っているということは、体も心も肉食だけですむ仕組みになっていないことを意味する。おそらく最初期の人類は、飢えたらそのまま死んでいった。肉食をするようになったから飢えたら肉を食うようになっていったのであって、飢えたから肉食をするようになったのではない。チンパンジーが飢えたらコロブスの肉ばかり狙うようになるかといえば、そんなふうにはならない。生きものは「もう死んでもいい」という無意識の感慨を持っているから、飢えたまま死んでゆくことができる。そして人類はそういうことに自覚的になっていっそう心が華やいでゆく存在だから、なおのこと飢えたまま死んでゆくことができる。
 人類が雑食になっていったのは、飢えたからではなく、食うものなら何でもよかったからであり、そういう意味で、最初からいつでも肉を食うことができるメンタリティを持っていたともいえる。しかし「飢えたから」というのは契機にならない。木の実がなくなったら、草や木の根を食っていただけです。原初の人類の一部のグループは硬いものばかり食っていて頭蓋骨や歯が変形していた、という考古学の証拠がある。つまり、飢えても肉食に移行することはなかった、ということです。
 肉を常食にすることは、ネアンデルタール人の時代になってはじめてあらわれてきた。
 肉食が人類の脳の発達をうながしたなどとよくいうが、そこにどんな科学的な根拠があるのだろう。肉ばかり食っている動物はみな脳が発達するのか。植物ばかり食っていたら脳は発達しないのか。
 ネアンデルタール人が肉ばかり食っていたのは、食うものがそれしかなかったからでしょう。それに、肉を食うような祝祭性、すなわち非日常の世界に飛躍してゆくときめきを豊かに持っていたからでしょう。
 原始人にとって肉を食うことは、非日常の祝祭だった。ネアンデルタール人はもう、お祭り気分で生きていた。お祭り気分にならないと生きられない環境だった。
 人類の行動や生態にイノベーションを起こすのはお祭り気分であって、生き延びようとする欲望ではない。そんな欲望は、知性や感性のたんなる停滞でしかない。人の心は、お祭り気分になって死の世界まで飛躍してゆく。そうやってイノベーションが起こる。
 われわれだって、毎日がお祭り気分で遊んで暮らせたらどんなにいいことかと思う。


 草食獣の肉を食うことの祝祭性、人類の肉食の起源について考えるなら、そこのところを問うてゆく必要がある。
 現在でも、祭りのときにみんなで草食獣の肉を食う習俗は、世界のいたるところに残っている。
 草食獣の肉を食うことの祝祭性というのは、どんなところにあるのだろうか。それはめでたい食い物であり、人類は普遍的に草食獣に対する親密な感慨を抱いている。
 原初の人類においては、ともに肉食獣を天敵にしているというか、ともに死と背中合わせの存在の仕方をしているというそこはかとない連帯感があるのでしょうか。
「めでたいもの」とは「死の世界への通行手形になるもの」ということであり、そうやって人は祭りをしている。死に対して親密になってゆくのが祝祭です。死の世界への通行手形を持っていないと人は生きられない。結婚するということは、死の世界への通行手形を得たということです。つまり「もう死んでもいい」というカタルシスのことを「めでたい」という。めでたいものは死の世界とつながっている。めでたいとはきらきら輝いているということだが、人は、きらきら輝きながら消えてゆきたいと願っている。心が華やいで世界が輝いて見えるとき、自分のことを忘れているというか、自分が消えている。この生の輝きは、死の世界への通行手形になる。生命賛歌は死の賛歌でもある。そういうことを「めでたい」という。
 人は、草食獣を前にするとき、命のかたちを見つめている。まあよくわからないが、ネアンデルタール人は大型草食獣に対する親密な感慨を抱いていて、それが狩りの契機になっていた。それは、めでたい動物だった。クロマニヨンの洞窟壁画だって、馬や鹿や牛ばかり描いている。それは、「狩りの成功」を祈って描かれたのではない。ただもうそれらの動物が好きだった、それだけのことだし、それがあってはじめて描こうという気になれるし、上手に描くことができる。
 ネアンデルタール人の草食獣に対する親密さは、死に対する親密さでもあった。それがあって、はじめて狩りに向かうことができる。彼らにとって狩りは、お祭りだった。
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