愚かで弱いもの・ネアンデルタール人論255

承前

『歌うネアンデルタール』の著者は、「ネアンデルタール人は、アフリカのホモ・サピエンスが豊かにそなえていた<象徴化の知能>がなかったから、ハミングやスキャットのような音楽的な音声を発することでコミュニケーションするだけで、ついに言語を生み出すことができなかった」という。
ずいぶんネアンデルタール人をバカにしてくれるじゃないか。たとえこの人が善人の人格者だろうと、この人の心の底にうごめいているそのグロテスクな差別意識はいったいなんなのかと思ってしまう。
「象徴化の知能」って、なんなのさ。
僕は、「象徴化の知能」などという言葉は嫌いだし、何がいいたいのかさっぱりわからない。
ようするに僕は、この本の著者は世界的に高名な研究者かもしれないが、おまえこそただのアホじゃないか、としか思えない。
どうしてこんな愚劣な思考が世の中にはびこるのだろう。まったく、いやになってしまう。
「空は青い」と認識し、海を見て「空のような色だ」と思う。空の青と海の青を同じ色だと認識することくらい赤ん坊でも猿でもできる。それは「象徴化の知能」ではないのか。「象徴化の知能」を持たない知能なんかあるのか。
「象徴化の知能」の最たるもののひとつに「神」や「天国」をイメージすることがあり、この著者も5万年前のアフリカのホモ・サピエンスはすでにそんなアニミズムを持っていてそこから言語が生まれてきたといっているわけだが、しかしそんな心理機制というか観念のはたらきに人類の「知能」の本質があるのではないし、そんなところから言語が生まれてきたのでもなかろう。
言語の起源は、もっとピュアでシンプルな心とともにあったはずだ。
何はともあれ心がときめき高揚したから音楽が生まれてきたのであり、その延長として人間的なさまざまなニュアンスの音声を発するようになっていったのが言語の起源だろう。
人類史における脳の発達とは、ようするにたくさんのことを感じたくさんのことを考えるようになっていったということで、そのひとつとしての「象徴化の知能」くらいネアンデルタール人だって持っていたさ。ただ、生存環境の違いによってその使い道が少々違っていただろうが、5〜3万年前のアフリカ人が言葉を持っていたのなら、同じころのネアンデルタール人だって持っていたに決まっている。しかも、現在のブッシュマンやマサイ族のようにサバンナを移動しながら家族的小集団で暮らしていたアフリカ人よりも、洞窟の中で100人も200人も寄り集まって暮らしていたネアンデルタール人のほうがもっと発達していた可能性が高い。

象徴化の知能の表出としての「首飾り」くらいネアンデルタール人だって持っていたという考古学の証拠はある。ただ、小集団主義のアフリカ人がそうやって自分を見せびらかすことに熱心なミーイズムが強かったとしたら、大集団というか大家族を形成していたネアンデルタール人にはそんな意欲は薄かったに違いなく、まあそんなことばかりしていたら集団の調和は保てない。大きなな集団なら、集団からはぐれ出てゆくものはどうしても生まれてくるし、彼らは、「別れのかなしみ」を知っていた。そこから死者との「別れ」を果たす「埋葬」という習性が生まれてきた。
人は、「別れのかなしみ」を知っている存在だから、利他的なというか他者に献身してゆく行為や心を持っている。であればネアンデルタール人の社会では男が女に何かをプレゼントする習性がおそらくあったはずで、これは「象徴化の知能」ではないのか。相手に対する「ときめき」の「象徴」としてそれを差し出す。ネアンデルタール人の首飾りは、そのようにして生まれてきたのかもしれない。
たとえば現在のイヌイットは、「狩りの当事者としてその獲物の肉を切り分けたものはいちばん最後に残った肉を食べる」といわれている。これだってまさにそのような「プレゼント=献身」のメンタリティに違いなく、極寒の厳しい環境で寄り集まって暮らしていれば自然にそうなってゆくのだ。
「自分=身体」のことを気にしていたらますます寒くなるばかりで、そこでは生きられない。寒さに耐えるもっとも有効な方法は、「自分=身体」を忘れてしまうことにある。「自分=身体」を忘れてしまう流儀で生きているものが、獲物を独り占めするとかいちばんはじめに食うとか、そんな発想をするはずがない。愛がどうとかということ以前に、彼らは不用意で無防備なのだ。愚かなのだ。まあ、そういう愚かさこそ愛の本質であるともいえるわけだが、そういう個人としての「生きられなさ」が集団の存続を成り立たせている。人類の集団は、そのようにして猿としての限界の規模を超えていった。そのとき人類は、大きな集団をつくろうとしたのではない。気がついたらいつの間にか大きな集団になっていただけのこと。
「もう死んでもいい」という勢いでプレゼントしてゆく。「自分を忘れる」ということ、そのときリチャード・ドーキンス流にいえば、「個体」としての目論見などに関係なく「遺伝子」による「自然淘汰」が起きていたのだ。
人類史のイノベーションは、作為的にそういう未来を構想したのではなく、いつだって「気がついたらいつの間にかそうなっていた」というかたちで起きてきたのだ。

人類の脳は、たくさんのことを感じたり考えたりしながら、ことごとくそれらを打ち消しながら進化してきた。それは、狂おしく「何だろう?」と問い、「ああそうか」と気づいてゆく体験であり、狂おしく問うたびに脳神経が複雑化し、「ああそうか」と気づくたびに複雑なまま整備統合されていった。
寒い寒いと凍えている最中に誰かと出合い、我を忘れてときめいてゆく。それだって、狂おしく問い、「ああそうか」と気づいてゆく体験のひとつなのだ。この生のいたたまれなさに身を置きながら「非日常」の世界に超出してゆく体験、そうやって狂おしく問い、そうやって「ああそうか」と気づいてゆく、それによって人類の脳が爆発的に進化していった。そのようにして人類は、たくさんのことを感じ、たくさんのことを考える存在になっていった。
人類の脳や知能の発達は、集団的置換説の研究者たちがいうような、象徴化の知能がどうとか、石器づくりが発達したとか、生き延びる能力が増大したとか、そういう問題ではない。
300万年前以降の人類の脳=心は、拡散の生態とともに、より深く絶望し、より豊かにときめいてゆくようになっていった。それが脳の発達を促した。そのときめき合う場から音楽や言葉が生まれてきた。人類拡散は、その新しい土地にどこからともなく集まってきたものたちが「もう死んでもいい」という勢いで他愛なく豊かにときめき合う「祭り」の場が生まれる体験だったのであり、けっして生き延びるためのより恵まれた衣食住を獲得してゆく体験だったのではない。つまり、その勢いのままに「ときめき=気分の高揚」を表出してゆくことによって音楽や言葉が生まれてきたのであって、この本の著者がいうような「より効率よく生きるためのコミュニケーションのツール」として生まれてきたのではない。何をくだらないことをいっているのか、アホじゃないのか、と思う。
人類の脳は、上手に生きることによって発達してきたのではない。
人類であれ他の生きものであれ、「進化」は「生きられなさを生きる」ことによって起きるのであり、それによって命のはたらきが活性化してゆくことを「進化」という。生きものは、生き延びるための衣食住を超えて「進化」してゆく。
キリンの首が長くなっていたのは草を食うことをやめていったからだし、そのとき木の葉が体の健康に良かったかというとそうではなく、むしろそれは毒だったのであり、その毒性を消す消化器官をつくりながら首が長くなっていった。そうやって「生きられなさ」を生きながら「ゆっくり」と進化してきたのだ。

コミュニケーションなんか、言葉や音楽がなくてもなんとでもなる。人類は「余剰」のものを持たない流儀で歴史を歩んできた。つねに生きるか死ぬかのぎりぎりのところで歴史を歩んできたのであり、そうやって地球の隅々まで拡散していったのだし、その「生きられなさ」の中でたくさんのことを感じたり考えたりしながら脳を発達させてきた。つまり、その「不便さ=生きられなさ」をやりくりしながら知能や文化を進化発展させてきたということ。
まあ人類史は、そのはじめから二本の足で立ち上がることの「不便さ=生きられなさ」というものがあったのだ。
人と人は、猿よりももっと相手のことを感じ合い想い合うことができる。だからコミュニケーションなんか、言葉や音楽などなくても成り立つ。感じ合い想い合いながら、言葉や音楽を使わないでもコミュニケーションができる能力を持ったから、言葉や音楽が生まれてきたのだ。つまり、猿のように「音声コミュニケーション」を使わないでも気持ちが通じ合える関係になっていったからこそ、その「ときめき=カタルシス」の表現として言葉や音楽が生まれてきたのだ。
この本では、「アフリカのホモ・サピエンスは言葉を持っていたから石器作りが発達した」という。ほんとにもうバカも休み休みにいえという話で、集団的置換説の提唱者の考えることなんかこの程度なのだ。
石器作りなんか、なにも言葉によるコミュニケーションにたよらなくても、見よう見まねで継承されてゆく。教える(=伝達する)ことをしなくても、人はみずから学んでゆくことができる。心は、世界の輝きに気づき反応する。その反応することの豊かさが、脳の爆発的進化をもたらした。「伝える」のではなく「反応する=ときめく」ということ、その結果として、人間的な音楽表現や言語表現が生まれてきた。
「反応する」とは、世界の輝きに気づきときめいてゆくこと。「ときめく」とは、自分を忘れて世界の輝きに反応してゆくこと。人の心は、「自分=この生=この身体」を忘れてしまう契機を持っている。この生はいたたまれないということ、それが契機になっている。その「嘆き」が脳の爆発的進化をもたらしたのであり、その「嘆き」を共有しながら音楽や言語が生まれ育っていった。

起源としての音楽や言語は、自分を忘れてときめいてゆく体験から生まれてきた。思わずさまざまなニュアンスの音声を発してしまう、いつの間にか体が揺れてきてリズムをとっている。そのとき「自分を忘れている」のであるから、「自分=人間自身」が意図的作為的に構想して生み出したという論理は成り立たない。それはもう「気がついたらいつの間にか生まれていた」ことであり、それが起源としての音楽体験であり、言語体験だ。
だからこそ、赤ん坊が言葉や歌を覚えることができる。彼らは「生き延びるためのツール」としてそれらを覚えるのではない。何かに「ときめく」という体験とともに、「気がついたらいつの間にか」話したり歌ったりしているだけだろう。生き延びようとする自意識の強い赤ん坊から順番に言葉や覚えてゆくという統計があるのなら、出していただきたいものだ。そういう自閉的な傾向のある赤ん坊ほど言葉を覚えるのが遅い、という話なら聞いたことがあるが。
人間の赤ん坊は苦労人だ。「自分を忘れる」契機はこの生に対する「嘆き」にこそあるのであって、その「ときめき」は、自分が生きてあることに満足し執着しながら思考停止している自己愛から生まれてくるはずがない。そんな生き延びようとする目的で、生き延びるためのツールとして音楽や言語が生まれてきたのではない。ただもう、「気がついたらいつの間にか生まれていた」だけなのだ。
人類は、「気がついたらいつの間にか」さまざまなニュアンスの音声を発する猿になっていた。そこから現在のようなかたちの「言葉」になるまでには気が遠くなるような長い年月を要したのかもしれないが、そのときすでにいつか「言葉」が生まれてくることが約束されていたのであり、その段階を「言語の起源」ということもできるに違いない。そしてそれは、「音楽の起源」でもあった。
音楽も言語も、世界の輝きに対する「ときめき」の表出として生まれてきた。人がさまざまなことを感じ考える存在になってゆくことによって、音楽や言語が生まれてきた。
他愛なく人にときめいたり青い空を見上げて深く豊かに感動する心が、上手に石器をつくることができる知恵よりも下等だとどうしていえよう。「生きられなさ」を生きていたネアンデルタール人は、他者に対してもまわりの環境世界に対しても、さまざまな感慨を抱いていた。「象徴化の知能」なんか、どうでもいい。とにかく「さまざまな感慨」が音楽や言語を生み出したのであり、人の深く豊かな感慨は、「生きられなさを生きる」ところで生成している。そしてそれは、「愚かで弱いもの」による「他愛ないときめき」でもある。「象徴化の知能」などという小賢しさから音楽や言語が生まれてきたのではない。
人は、「愚かで弱いもの」なのだ。だから「賢く強いもの」になろうとする、というのではない。「愚かで弱いもの」として生きることそれ自体に人が人であることの証しも可能性もある。それはもう親鸞がみずからのことを「愚禿」と名乗ったのも、ニーチェが「超人」といったのも、ようするにそういうことで、歴史上さんざんいわれてきたことでもある。
「生きられなさを生きる」なんて、「超人」的なことだろう。しかしそこにこそ、人間性の自然・本質がある。「生きられない」から世界や他者に対して警戒したり緊張したりしながら「生き延びる能力」を確立してゆくというのではなく、それでも他愛なくときめいてゆくその愚かさと弱さにこそ、人の人たる証しと可能性がある。そしてそれは、生きものの生きものたることの証しと進化の可能性でもある。