やれやれ、生きてるなんて疲れることだ・ネアンデルタール人論254

人類にとっての音楽は、もっともプリミティブな感動体験をもたらすもののひとつかもしれない。
音楽をつくる能力は男のほうがすぐれていて、音楽に感動する感性は女のほうが豊かにそなえている。なんだか、セックスの関係に似ている。男は勃起したペニスを差し出し、女はそれを受け入れる。
原初の音楽は、男女のセックスの関係を盛り上げる道具として生まれ育ってきたのかもしれない。
『歌うネアンデルタール(スティーヴン・ミズン著)』でもそういうことをいっていて、それはまあそうだろうし、僕だってそう思っていたからその本を買って読んでみようという気になったのだが、読んでみると、<原初の音楽が言葉になってゆくためには「象徴化の知能」が必要だった>という。そしてネアンデルタール人は、そのプリミティブな音楽性だけで社会をいとなんでおり、それを「言語」にまで発展させてゆく「象徴化の知能」がなかった、と。
やれやれなんだかなあ、という感じ。そんなことをいわれると、僕の読書意欲はがっくりと萎える。
ネアンデルタール人は発語のための喉の構造をちゃんとそなえていたし、豊かに助け合う社会の構造にもなっていたのだが、その機能をたとえばハミングとかスキャットのような音楽的な発声を交し合うだけで賄っており、ついに本格的な「言語」を持つことはできなかった、と彼はいう。
つまり、ネアンデルタール人の脳のはたらきは、右側頭部の「音楽脳」ばかり発達して左側頭部の「言語脳」のはたらきは無きに等しいくらい脆弱だった、といいたいらしい。
そしてこのことを語る前ふりとして彼は、「言語脳」に損傷または先天的な障害を負った知恵おくれの人が驚くほど豊かな音楽の才能を発揮する例を挙げているのだが、そんな人でもやがては別の部分の脳のはたらきで補いながら少しずつ言葉を発することができるようになってゆくということもいっているわけで、その例が言語を生み出すことができないことの証明になるとはいえない。それはむしろ、音楽的な能力が発達すれば言語を持つことができるようになることの証明になっているのではないだろうか。そんな理由で、音楽的な能力を発達させていたネアンデルタール人の社会に言葉が生まれてくる契機が存在しなかったとはいえない。だいいちネアンデルタール人は、べつに言語脳に損傷または障害を負っていたわけではないのだ。

ともあれこの著者は、<人類史に言語が生まれてくるには、音楽的発声を言語的発声に変換する「象徴化」すなわち「認知的流動性」の知能はたらきが必要だった>といっていて、それが、ホモ・サピエンスにはあってネアンデルタール人にはなかった、ということらしい。
まあなんでもいいけど、この「ホモ・サピエンスにあってネアンデルタール人にはなかった」というのが、集団的置換説の論者たちの常套句なのだ。
同じ人間で同じだけ脳の発達があって、どうしてそんなことがいえるのだろう。脳頭蓋のかたちが違っていたといっても、同じジュースを四角いグラスに注ぐか丸いグラスに注ぐかの違いだけだろう。
もしもアフリカのホモ・サピエンスの文化のほうが圧倒的に発達していようと、同じ地域で混血してしまうような関係で暮らせば、ネアンデルタール人だってたちまち追いついてしまうに違いない。
アフリカの黒人奴隷がアメリカで白人と一緒に暮らせば、わずか数百年で、今や黒人の政治家や大学教授はいくらでもいるようになった。それと同じことだ。同じ人間なのだもの、脳の構造や能力そのものにそれほど大きな違いはない。
この著者は、「3万年前のネアンデルタール人クロマニヨン人と同じ石器を持っていたこと(=シャテルペロン文化)は、ネアンデルタール人がその意味など何も分からないままただ無目的に真似しただけだ」などといっているのだが、意味がわからないでどうして真似することができるというのか。真似しようとする欲求すら湧いてこないだろう。そのとき同じ石器を持っていたということは、同じ知能レベルに達していたということだ。現在のアメリカの黒人が大学教授になるのと同じこと、同じ人間の脳で、基礎的な組成や能力に差があったとは思えない。身体骨格の違いがそのまま知能の差になるわけでもあるまい。そんなことをいうのなら、すらりとした高身長のアフリカのマサイ族の脳は、人類でもっとも優秀なのか。
5〜3万年前のアフリカ人とヨーロッパ人に、知能そのものの格差なんかなかった。
まあ僕の考えでは、べつにアフリカ人がヨーロッパに移住していったのではなくネアンデルタール人クロマニヨン人になっていっただけだけだから、その新しい石器の出現はネアンデルタール人の時代からすでにはじまっていたということを意味していることになる。知能というか脳の組成はそのままで、クロマニヨン人の骨格に変わっていっただけなのだ。現在でも、ネアンデルタール人のようなずんぐりした体型の人はいくらでもいるし、東大生にそういう体型の人が多いという話もある。

人類の脳が大きくなりはじめたのは300万年前ころで、それまではチンパンジーなどの猿とほとんど変わりなかった。直立二足歩行をはじめたのが700万年前だとしたら、この空白の400万年は、どのように考えたらいいのだろう。少なくとも、一般的にいわれているような直立二足歩行することのアドバンテージなど何もなかったということになる。
二本の足で立ち上がることによって手に物を持つことができるようになったとか、まあいろいろ言われているが、アドバンテージどころか、おそらくチンパンジーよりももっとひ弱な猿になってしまったのだ。そのことは何度もここに書いてきたことだから、とりあえず今は省略するが、ようするに400万年かけてようやくチンパンジーなどの猿のレベルに追いついたということ、そのあいだにそれらの猿に追われてじわじわアフリカ中央部から拡散していっただけのこと。その結果として身に付いた習性を携え、300万年前ころから本格的に拡散がはじまり、とうとう200万年前にはアフリカの外まで出ていった。
人類は、拡散する猿だった。
しかし拡散してゆくことは、より住みにくい土地より住みにくい土地へと移住してゆくことであり、けっしてかんたんなことではなかった。大げさにいえば、「もう死んでもいい」という覚悟がなければできることではなかった。
チンパンジーはその覚悟がないからいまだにアフリカ中央部にとどまっているし、人類は逆に、拡散を繰り返しながらその覚悟の生態やメンタリティをますます色濃くしていったわけで、おそらくそれが脳の発達の契機になった。

新しい土地にやってくれば、新しい土地の新しい情報を収集してゆかなければならない。
もう、それまでのように、既存の情報の上に成り立った予定調和のルーティンワークで生きてゆくことなんかできない。
拡散しない猿は、ルーティンワークで生きている。ルーティンワークの能力は、人間よりも猿のほうがすぐれている。
たとえば、チンパンジーと人間を対象に、テレビ画面に次々と数字とか絵を映し出してゆき、それをいくつまで覚えているかという実験をしたところ、人間よりもチンパンジーのほうがずっとたくさん覚えていたという結果になったのだとか。
これを「作業記憶能力」というらしいのだが、現代社会の仕事のほとんどは、このルーティンワークの能力の上に成り立っている。そしてこの能力を知能であるかのように思っている人も多いのだろうが、こんな単純な記憶力は自閉症の人がいちばん優れている。彼らはときに、超人的な記憶力の持ち主だったりする。
しかし原初の人類は、そうした予定調和のルーティンワークの生態から逃れ出て「ヒト」という種になったのであり、そこから爆発的に脳を発達させていった。それは、「生きられなさを生きる」生態であり、「今ここ」の「新しいものとの出会いに驚きときめいてゆく」メンタリティから生まれてきた。そういうメンタリティが豊かな人ほど、あんがいルーティンワークとしての作業記憶能力に疎かったりする。そりゃあそうさ、何もかも忘れて「今ここ」に体ごと反応しときめいてゆくのだもの。
脳が発達するとは、ようするにたくさんの感慨を抱き、たくさんのことを考えるようにな
っていった、ということだろう。ルーティンワークとしての生きることが上手になっていったということではない。人類は、ひたすら四苦八苦して生きながら、それと引き換えに豊かなときめきや感動や思考を獲得していったのだ。
この本の著者たちは、なにかというと「象徴化の知能」とか「計画性」というようなことをいいだして、生きることが上手になることが脳の発達であるかのように考えているらしいが、ルーティンワークで上手に生きても脳は発達しないのだ。
象徴化の知能くらい、猿でも持っている。バナナの絵が描いてあれば、ちゃんとバナナだとわかる。テレビ画面を見ながら、そこに現実世界をシュミレーションしてゆくことができる。人が動いている画面を見れば、人が動いている画面だとわかる。人の表情を見て、怒っているのか笑っているのか、自分に親密な相手かそうでないのかということをちゃんと察する。表情が心模様を「象徴」しているということ、それがわかるのは、象徴化の知能だろう。道具くらい、猿でも持っている。
知能の中身なんか、まあ、なんでもいい。とにかく、たくさんのことを感じ、たくさんことを考えるようになっていったのが、人類史における脳の発達だったのだ。
300万年前以降の人類は、より住みにくい土地より住みにくい土地へと拡散してゆき、死に絶えそうになりながら、そこでたくさんのことを感じたくさんのことを考えるようになっていった。何を感じ何を考えたかということは、たいして重要な問題ではない。とにかく、たくさん感じたくさん考えたのであり、たくさんのことにときめき、たくさんのことを問うていった。それによって脳の構造が複雑化しボリュームアップしていった。

リチャード・ドーキンスは、人類の脳の発達のことを「自促型共進化」といっている。
「自促型」とは加速度的に発達すること。そのとき人類は、拡散の歴史とともに「生きられなさ生きる」生態が極まり、その「生きられなさ」にせかされながら新しい発見をし、その発見がさらに新しい問いを生み出していった。彼らはもう、避けがたく「生きられなさ」の中に身を置いてしまう脳になっていたのであり、発見するたびに、さらに「何だろう?」という新しい問いを立てて身もだえせずにいられなかった。そうやって、脳の進化発展がどんどんスパイラル化していった。
人類拡散とは、「問い」と「発見」のスパイラル化の現象だった。そうやって脳がどんどん膨らんでゆき、その遺伝子は人類全体のものになっていった。人類の血は、いつの間にか世界中で混じり合ってしまう。そうやって現在の人類はすべてがホモ・サピエンスだといわれているのであって、べつに数万年前のアフリカ人がアフリカを旅立って世界中を覆い尽くしていったというようなことではない。
人類の脳が爆発的に進化発展していったのは、生きるのが上手になってゆく歴史だったのではない。ますます「生きられなさ」が募っていったのだ。その「生きられなさ」にせかされていったからこそ進化発展がスパイラル化したのであって、生きることが上手になればなるほど成長は停滞してゆくのだ。
そして「共進化」とは、共に進化すること。人と人が豊かにときめき合い感じ合い脳の進化発展を刺激し合う関係になっていったということで、それはつまり、人類全体で「種」として脳を膨らませていったということだろう。
ライオンの走力が進化すれば、シマウマの走力だってそれに対抗するように進化してゆく。これをドーキンスは「共進化」といっているわけだが、人の世だって、同じレベルの知能がなければなかなか話は合わない。同じ地域の人間は同じ文化を共有してゆく。これだってまあそういうことで、世界や他者との関係が進化をうながすという部分もある。
そのときアフリカ人もヨーロッパ人も、人間特有の「生きられなさを生きる」生態が特化していった。ネアンデルタール人ホモ・サピエンスもない。どちらの脳も複雑化しボリュームアップしていったのであり、知能や脳の構造の質的な格差なんかなかった。どちらも同じ「ヒト」という「種」の「脳」だったのだ。

人と人がときめき合い感じ合っていったから、音楽や言語が生まれてきたのだ。べつにこの本の著者がいうような、「上手に生きるためのコミュニケーションのツール」として生まれてきたというようなことではない。ただもう一方的で豊かな「ときめき」を共有していっただけのこと。その「一方的なときめき」の表出として音楽や言葉が生まれてきたのであって、まあ伝達の意図などなかった。ただもう表出せずにいられなかっただけだが、それが相手に受け止められ、その関係が広がってゆくことによって集団の音楽や言葉になっていった。
音楽は、基本的にはみずからの「ときめき」を表出してゆく行為であって、他者に伝達するとかということは二次的ことであり、そんな「目的」などなくても音楽は成り立つ。もっとも原初的でもっとも高度な音楽は、ただもう表出せずにいられない「ときめき」の上に成り立っているのであって、コミュニケーションの目的など、さしあたってどうでもいいのだ。
音楽の発生だろうと言葉の発生だろうと、人類自身が「コミュニケーションのツール」として意図的作為的にデザインしたことではなく、人類史の自然の「なりゆき」として生まれてきたにすぎない。まあ「進化」とはそういうことに違いないわけで、それは、神がデザインしたことでも人間自身がデザインしたのでもなく、ダーウィンドーキンスがいうように、あくまで「自然淘汰」の「結果」なのだ。
つまり、気がついたらいつの間にか音楽や言葉が生まれていた、というだけのことで、その契機はただもうたくさんのことを感じたくさんのことを考えるようになっていったからだ。
それは、「象徴化の知能」がどうとかというような問題ではない。どれだけ深く豊かにときめいてゆくかという問題なのだ。なにはともあれその体験がなければ、音楽も言葉も生まれてこないし、学問や恋愛やセックスだって成り立たない。人として生きるいとなみそのものが成り立たない。