焚き火と語らいの場・ネアンデルタール人論7


 人間性のなんたるかを問おうとするなら、なんといっても人と人は語り合う存在であるということは考えないわけにゆきません。
 人類の「語り合う」という関係性は、ひとまずネアンデルタール人のところで確立された。彼らは、毎晩、焚き火を囲みながらみんなで語り合うということをしていた。冬の寒い夜は洞窟の中で、暖かい夏でも洞窟の前の広場で語り合うということをしなければ一日は終わらなかった。
 これが、人類の「キャンプ」の起源でしょう。
 眠りにつくということは、一日が終わったということであり、すなわち「世界の終わり」の場に立つということです。立てなければ、安らかな眠りはやってこない。
 われわれの生きるといういとなみは、眠りにつくところからはじまるともいえる。
 われわれにとって「世界の終わり」は、はじまりでもある。
 まあ朝目覚めたところがこの生のはじまりだというのが一般的な認識だが、ものは考えようで、必ずしもそうとはいえない。われわれが母親の胎内にある時間は、眠っている状態だともいえる。この生は、そこからはじまっている。そうして胎内から出てきて、目覚める。われわれの命のはたらきは、そういうサイクルのシステムになっているのかもしれない。
 眠りにつくことはこの生のはじまりで、目覚めるかどうかわからないが、何はともあれ人は、そこでこそもっとも深い安らぎを体験している。心が安らいでゆかなければ眠りにつくことはできない。
 心が安らいでゆかなければ、死んでゆくことができない。
 眠りにつくときの心が安らいでゆく状態は、とても大切な体験であるのかもしれない。
 ネアンデルタール人はいつ死ぬかわからない状態を生き、いつ死んでもいいと思いながら生きていた。そうして彼らは、厳しい寒さに耐えるために、心も体も日中はつねに熱っぽく興奮させていた。その興奮を鎮めなければ、安らかな眠りは訪れない。「いつ死んでもいい」と思いながら生きていた彼らにとって眠りにつくことこそもっとも深く豊かな快楽だったのに、もっとも眠りにつくことが困難な日中の暮らし方をしていた。そういう状況の切実さから、焚き火を囲んで語り合うという習俗が育っていった。そこにおいて人類の言葉の文化は、豊かに花開いていった。
 しかし彼らの世界では、朝になって目覚めるという保証はなかった。とくにそのまま目覚めることなく死んでゆく乳幼児はたくさんいた。彼らにとって眠りにつくことはまさに死に寄り添ってゆくことだったし、死は究極の安らぎだった。
 安らいでゆく体験をしなければ、「いつ死んでもいい」という心にはなれなかった。
 今どきの若者たちが「癒される」という体験に関心を寄せるのも、そうしたネアンデルタール人以来の「いつ死んでもいい」という心地になろうとする、人類普遍の歴史の無意識であるのかもしれない。
 いつの時代も、人はそのような体験を必要としている。
 この国には「寝るより楽はなかりけり」ということわざもある。そうして、この国の伝統としての「あはれ」とか「はかなし」とか「わび・さび」といった世界観や生命観や美意識にしても、そのような「世界の終わり」から生きはじめようとする作法にほかならない。心は、そこから華やいでゆく。能の世阿弥は、このことを「萎れたるこそ花なり」といった。

 

 人と人が語り合うことの基礎的な問題は、「伝達する」ということにあるのではない。人と人が親密な思いを交し合って「心が安らいでゆく」という体験にある。そうやって人類の言葉は完成されていった。ネアンデルタール人の生きるいとなみとともに。
 ここのところで、多くの言語学者や歴史家が、言語の起源と本質についての妙な勘違いをしている。
 人と人が語り合う場での言葉の機能の本質は、いうなればまあ、安らかな眠りを得るために生きてあることにどう始末をつけてゆくかということにある。
 人は、生きてあることの始末をつけながら生きている。生きてあることに始末をつけることが生きることです。人間の思考や行動は、生きてあることに始末をつける作法として機能している。そうやって人は、「世界の終わり」から生きはじめる。眠りにつくところから生きはじめる。
 言葉という音声を発することは、胸の中の思いを吐き出すことであり、そうやって心を体から引きはがすことです。それによって、安らかな心が残る。それは、生きてあることに始末をつける行為です。
 人と人が語り合うことの基礎的な体験は、語り合いながら心が安らかになってゆくことにある。
 べつに、伝達しあって盛り上がってゆくというようなことにあるのではない。現代人はそのように言葉を扱いながら生きてあることを称揚し、生きようとする政治経済活動の道具にしているわけだが、そこに言葉の本質があるわけではないし、言葉の起源の時代を生きた原始人はそのように言葉を扱っていたのではない。
 焚き火を囲んで語り合っていたネアンデルタール人は、この生に始末をつけて安らかな眠りを得るための道具として言葉を扱っていた。
 狩や日常生活の連絡のための道具であることが、彼らにとっての言葉の本質的な機能であるのではなかった。そんなことは身振り手振りでも間に合うことだし、そういう興奮した修羅場では身振り手振りのほうがずっと有効だった。
 彼らにとっての言葉の本質的な機能は、興奮を鎮めることにあり、そうやって焚き火を囲んでみんなで語り合っていた。そこでこそ言葉はもっとも豊かに機能し、彼らの心を安らかにさせていった。



 まあ、興奮して生きている人ほど口数が多い。おしゃべりのおばさんの胸の中には、たくさんの思いが詰まっている。彼女がそれほどに言葉と親しい関係を持っているからといって、知能指数が高いわけでもなんでもない。人類史において、知能が発達したから言葉が生まれてきたという理屈はぜんぜん成り立たない、ということを彼女が証明している。
 また、ネアンデルタール人は言葉を発することができる喉の構造をしていたかどうかというようなことが議論されることもあるが、言葉を発することくらいオウムや九官鳥にだってできることで、ネアンデルタール人にできないはずがないじゃないですか。人間はもともと、人間的なさまざまな音声を発する猿だったのです。それを「言葉」として完成させてゆくのは、喉の構造の問題でも知能の問題でもなく、どれだけ切実で豊かな語り合う場を持っていたかという問題です。その場が、ネアンデルタール人の暮らしにはあった。
 人類拡散のはじまりは、見知らぬ者どうしがときめき合ってゆくことにあった。それ以来、人と人がときめき合い親密になってゆくことが人類の基本的な生きるいとなみになってゆき、そこから言葉が生まれてきた。
 べつに食糧生産活動の道具として言葉が発達してきたのではない。
 生きのびるためではなく、生きてあることに始末をつける道具として言葉が発達してきたのです。
 ここまで拡散してきて、あなたと出会うときめきが体験できたのだからもう死んでもいい……そんな気分の歴史とともに言葉が育ってきたのです。
 焚き火を囲んだネアンデルタール人の語らいの場は、人類拡散のそういう気分が基層になって生成していたのです。
 なんといってもそういうことをしないと彼らの興奮した心は鎮まらず安らかな眠りがやってこなかったという現実的な契機があったのだが、人と人の語り合いの基本的なコンセプトは人と人が親密になって心が安らいでゆくことにあるのであって、生き延びようとする政治経済活動が基礎になっているのではない。
 語り合う文化というのは、世界中にある。ヨーロッパでは議論して相手を説得してゆくことが言葉の本質的な機能だと考えられているのかもしれないが、それはあくまで文明の発達とともに言葉の中心的な機能が変質してきたことの結果であり、それでもなお言葉の基礎的本質的な機能は、じつは人と人人が親密になって心が安らいでゆくための道具であり続けている。
 伝達以前に、言葉=音声を発するということそれ自体にカタルシスがあり、そのことが人に語るということをさせている。
 ヨーロッパの言葉はすでに意味伝達が機能の中心になっているが、日本語は原始的な構造を残していて、言葉=音声を発することそれ自体にカタルシスを体験できる機能を濃く残している。だから、意味もないことを際限なくくっちゃべるおばさんもたくさんいる世の中になっているのだが、それはまあ世界中そうなのかもしれない。けっきょく言葉は、今なお、じつは人と人がときめき合い心が安らいでゆくための道具として機能している。
 とにかくネアンデルタール人は言葉をそういう道具として扱っていたのであり、それが今なお人類の言葉の基礎的な機能になっている。



 ネアンデルタール人の語らい場には、焚き火の火も大切な役割を果たしていたのかもしれない。
 キャンプファイア、この習俗は現代にも引き継がれている。
 焚き火の火を眺めていると、心が安らぎ癒される。ヨーロッパには暖炉の文化があるし、日本列島だって囲炉裏を囲んでさまざまな民話が語り継がれてきた。
 また、ヨーロッパでもこの国でも、キャンドル=蝋燭の火はさまざまな生のいとなみにアクセントを与える道具として歴史的に機能してきたし、電気の灯りが全盛の現在でも、人の心を癒すものとして見直されたりしている。
 人は火に対して親密な感慨を持っている。猿もほかの動物も火を怖がるのに、人間だけが親密な感慨を持っている。それはもう原始時代からずっとそうで、だから火を使うことを覚えていった。それは、肉を焼いたり暖を取ったりするための道具として覚えていったのではない。ただもう火に対する親しみがあり、それを眺めることが好きだったからです。
 焚き火の火を眺めていると「もう死んでもいい」という感慨とともに心が安らいでゆく。おそらくそれが、人類のもっとも原初的な火との関係でもある。
 肉を焼いたり暖を取ったりすることは、火を使うようになったあとから覚えていったにすぎない。マルクスの下部構造決定論や労働史観なら肉を焼いたり暖を取ったりするために覚えていったということになるが、人類の歴史はその問題設定では説明がつかないのです。なのに多くの歴史家がそれに洗脳されてしまっているから、言葉の起源の問題だって「意味伝達のための道具として生まれてきた」などという倒錯的な認識が今なお当たり前のように流通している。
 たとえば火(ひ)のことを英語では「ファイア」という。語感が似ています。「fire」という綴りから類推すればもともとは「フィア」といっていたのだろうし、さらにそれ以前、すなわちネアンデルタール人のころはただ「フィ」といっていただけの可能性があります。そうなればもう、やまとことばの「ひ」と同じです。
 日本語には「F」の発音はない。それは、あまり口をあけないでも発音できます。寒い地方ではあまり口をあけたくない。おそらくネアンデルタール人の時代は今よりももっと「F」の発音を多用していたでしょう。ハ行の音はすべて「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」と発音していたかもしれない。とすればもう、やまとことばの「ひ」とネアンデルタール人の「フィ」は同じだといえる。まあ彼らは、寒さのためにあまり大きく口をあけて発音できないと制約はあったかもしれない。
 それとヨーロッパ人のしゃべり方がおそろしく早口なのも、きっと寒さのせいであり、それもまたネアンデルタール人以来の伝統であるのかもしれない。
 ともあれ原始人の言葉は、「意味の伝達」よりも「感慨の表出」の機能がまさっていたのであり、「ひ」と「ファイア」が似ていることは、そういうことを意味する。
 やまとことばの「ひ」は、心がひっそりとしみじみしてくるところからからこぼれ出てくる音韻です。だから「ひっそり」とか「ひとり」とか「ひみつ」というような言葉の頭に使われている。火は、そういう感慨にさせてくれる対象だから「ひ」といった。そしてその感慨はきっと、ネアンデルタール人だって同じだったはずです。それが、人類普遍の火に対する感慨なのでしょう。
 ネアンデルタール人の言葉は、現在のヨーロッパ語のような意味伝達至上主義の性格のものとは違っていたはずです。性格そのものは、やまとことば=日本語のほうが似ているのかもしれない。原始時代の言葉は、世界中が「意味の伝達」よりも「感慨の表出」の機能のほうがまさっていたのであり、やまとことば=日本語は、そういう原始的な性格を濃く残している言葉です。もちろんネアンデルタール人の言葉はやまとことばとは語彙も文法もずいぶん違っていただろうが、「感慨の表出」として言葉を扱うということにおいては同じだったはずです。
「ファイア」だけでなく、探せば現在のヨーロッパ語にも「感慨の表出」の原始的な言葉はたくさん残っているはずです。
 ネアンデルタール人は、寒すぎて余り口をあけたくない環境だったにもかかわらず、おそらくおしゃべりがとても好きな人々だった。おしゃべりをして心を鎮めることの必要が、世界のどこよりも切実だったからです。現在のヨーロッパ人の早口も、そのことを物語っている。口をあけていられないくせに、それでもおしゃべりをせずにいられなかった。
 集団のあいだの人の往来がさかんだったのも、おしゃべりが好きな人たちだったからかもしれない。
 


 では人類は火を怖がらなかったかというと、そういうことではない。触ったら火傷するし、山の木や草原を焼き尽くしてしまうこともある。火事は、現在でも世界中で起きている。人類はいまだに火を制御することができていない。火はそういう対象であり、怖がらないはずがない。
 火は、いろんな意味で世界の滅亡をもたらす。山火事のあとに行けば、いろんな動物の死骸と遭遇するし、もちろん木や草という命もすべて滅んでいる。まさに「世界の終わり」の景色です。
 そして人間は、それが「世界の終わり」をもたらすものだという、まさにそのことに畏れと親しみを抱いていった。人間はそういう心の動き方をする生き物だということ、それはもう、二本の足で立ち上がったときからそうだったはずです。そうやっていったん猿の世界が終わったのであり、猿として死んだのであり、そこから人間として生きはじめたのです。
 現代人にとっても最終的には火が制御不可能な対象なら、原始人ならなおさら怖いものであったはずです。しかしその怖さそのものが親密さでもあった。
 人間は「世界の終わり」から生きはじめる。
 現代人は、原発の火は制御不能だからつくってはいけない、という。まあ原発の是非はともかくとして、制御不能なものは怖いからつくってはいけないというのはたんなる近代人の自意識で、そんな自意識を持たない原始人は、その制御不能であることそれ自体に魅せられていったのです。そして現代人だってじつは、制御不能であることそれ自体に魅せられながら恋をしたりスポーツをしたりしているのです。サッカーなんか、無数のミスの上に成り立っているスポーツです。学問や芸術だって、まあそういう制御不能の不思議とかかわってゆくことで、わかればわかるほどわからないことが増えてゆく。いつだって「わからない」「できない」という「世界の終わり」の場に立ってはじめるしかないし、そこにこそ魅せられてゆく。
 まあ、何はともあれこの命そのものが制御不能の対象で、死にたくなくてもときが来れば死ななくてはならない。死を知ってしまった人間は、制御不能の事態を拒否したら、生きていられない。制御不能だからこそ人間を夢中にさせる。
 原始人は、火が制御不能の対象であるというそのことに誘惑されていったのです。
 人間は「死=世界の終わり」に魅せられている存在です。
「世界の終わり」に対する親密な感慨はそのまま死に対する親密な感慨であり、それはまた眠りにつことに対する親密な感慨でもあります。人間にとって「世界の終わり」は畏れであると同時に安らぎでもある。
 原始人は、現代人よりももっと「世界の終わり」に対する親密な感慨を持っていた。
 まあ、火を眺めていると生きようとする元気が湧いてくるとか、そんなことではない。逆に、自分の心も体も溶けて消えてゆくような心地になる。それが、人間にとっての安らぎになり、癒しになっている。それが「ひ」という感慨です。人間は、「世界の終わり」から生きはじめる。
 人間にとって深い安らぎは、「死=世界の終わり」とともにある。ネアンデルタール人は、その感慨を人類史上もっとも深く豊かに体験していた人々だったのであり、それが彼らの火に対する親しみだった。



 人と人が語り合うことの基本的な機能は、この生に始末をつけて心が安らいでゆくことにある。人類の言葉は、火とともに育ってきた。火は、人を「世界の終わり」の場に立たせる。それによって心は安らぎ、そして華やいでゆく。「世界の終わり」は怖いけど、その怖さを抱きすくめてゆくことによって、心は安らぎ華やいでゆく。それが、二本の足で立っている人類の自然な心模様であり、それがないと眠りにつくことができない。
 眠りにつくときの心の華やぎがある。人は、それを知らないと不眠症になるし、死ぬのが必要以上に怖くなってしまう。たぶん現代人は、それを知らない。電気が夜の街を明るくしてしまったからだろうか。
 火に対する親しみは、夜の闇とセットになっている。闇の中に浮かび上がる火のゆらめきが人の心を死に対する親密さへと誘ってくれる。心は、火のゆらめきとともに夜の闇に溶けてゆく。いや、体も一緒に溶けてゆく心地でしょうか。現代人は、そういう身体感覚を失っている。生きのびることが前提の未来に向かうスケジュールで頭の中をいっぱいにしていれば、心や体が解けて消えてゆく心地なんか怖くてしょうがなくなってしまう。
 だから現代人は、夜も明るくしようとするのだろうか。人類の無意識は、夜の闇に、すでに火のゆらめきを見ている。いや、じっさいに火のゆらめきが見えているのではなく、夜の闇を、火のゆらめきの向こうの闇として見ている、ということです。人類はもう、ネアンデルタール人以来、ずっと火のゆらめきの向こうに夜の闇を見てきた。火のゆらめきのない夜の闇なんかなかった。そうやって夜の闇が親密なものになっている。
 とすれば夜の闇が怖いのは、見えないからではなく、そこに何かを見てしまうからでしょう。たとえば幽霊とか。火のゆらめきがない夜の闇は、というか、夜の闇に対する親密さがないと幽霊が見えてしまう。
 夜の闇は、火のゆらめきとセットになっているものだから親密なものでありえている。
 人類の無意識には、火のゆらめきに対する親密さが刷り込まれている。それは、死に対する親密さでもある。
 人間には、深く親密になってゆく心の動きがある。それは自分が溶けて消えてゆく心地とともに体験される。すなわち、我を忘れてときめいてゆく。誰もがそういう死に対する親密さを、人類の歴史の無意識として持っている。
 ところが現代社会では、自分が生きのびる自意識が称揚されている。そうやって死が怖いものになり、眠れない人を増やしている。
 ネアンデルタール人はもっとも眠れない環境に置かれていたが、だからこそというべきか、ちゃんと安らかな眠りに堕ちてゆくことができる作法を持っていた。彼らの死に対する親密さが、そういう火を囲んでみんなで語り合うという習俗を育てていた。
 彼らは、意図してそうしていたのではない。自然にそのような生態になっていっただけのことです。「もう死んでもいい」という感慨の人々には、生きのびるためのどんな作為もない。ただ人間の自然にしたがっていただけであり、それこそがこの上ない生のいとなみのダイナミズムになるということを彼らが証明している。
 現代人は、過剰な自意識で作為的になりながら生きているから、それが思うようにならないと心はどんどん衰弱し停滞してゆく。しかし人間の自然としての心模様は、その「世界の終わり」から華やいでゆく。
 われわれ現代人がネアンデルタール人から学ぶことができるものがたくさんある。彼らは、われわれよりもはるかに人間として自然で本質的だったのです。
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