津波に流されて死んでいった人の命と、避難して生き残った人の命とどちらが重いかといえば、生き残った者たちに多くのかなしみをもたらしたという意味で、死んでいった人たちの命の方が重いというほかない。あえてどちらかというなら、そうとしかいえない。
生き残るべき大切な命と死んでしまってもかまわない命があったわけではない。なのに死んでゆかねばならなかった命は、死んでゆかねばならなかったという分だけ重い。みんな生き残ってもいいはずなのに、彼らは死んでゆかねばならなかった。その分だけ彼らの命は重い。
生き残った者は賢明で、死んでいったものは愚かだったというわけでもないだろう。賢い人がたくさん死んでいったし、愚かなのに生き残った者たちもいる。すべては運命のめぐり合わせだ。
僕はべつに、生き残ったことが価値あることだとは思わない。それは、死んでゆかねばならなかった人たちに対して失礼だ。
死んでいった人たちの命の方がずっと重い。生きている者にとって死んでいった人の命は重い。
生き残った者たちは、そういう重さを背負ってこれから生きてゆかねばならない。
生き残った人たちは素晴らしい、というのは、外野の意見にすぎない。当事者にとっては、死んでいった人の命の方がずっと重い。生き残ることに価値があるのなら、喜べばいいだけのこと。しかし、当事者は、それだけではすまない。死んでいった命を、なおいっそう重く切なく受け止めなければならない。
誰だって生き残りたいが、生き残れない者も生み出してしまうのが、この地球の生命現象の事実だ。誰も生き残れない。みんなそのうち死んでゆく。
死んでゆくという事実の重さと確かさに比べれば、生きてあるという事実はいかにもあいまいだ。夢のようにあいまいだ。
被災地の当事者たちは、このあいまいさに身もだえしなければない。
このあいまいさの嘆きを、彼らは共有している。人間的な連携は、この「嘆き」を共有するところから生まれてくる。
生きてあることの価値を共有している平和な地域のわれわれが、生きてあることの嘆きを共有している被災地の人々よりも深く豊かな連携をつくれるということはあり得ない。
僕は、生き残った人々の「嘆き」をささやかながらでも追体験してみたいと願って、ひとまずこの記事を書いている。
生き残ることが素晴らしいとなんかいえない。彼らのこれからの生には、物理的にも精神的にもさまざまな困難が立ちはだかっている。いつまでも消えない恐怖、死んでいった家族や友人たちへの思い……しかし人は、そういう「嘆き」を共有してゆくところでこそ、もっとも豊かに連携している。
直立二足歩行する人間は、根源的には弱い猿であり、怖がる生き物である。被災地の人々は今、そういう人間の真実を思い知らされている。何はさておいても、彼らのその「恐怖」や「嘆き」が癒されなければならない。人類は、その「恐怖」や「嘆き」を共有し連携してゆくこととによってそれを癒してゆくという歴史を歩んできた。そのようにして文明や文化が生まれてきた。われわれだって今、そういう体験をしているのだ。
そうした「恐怖」や「嘆き」を体験してしまった被災地の人々には今、たとえばうららかな春の日がさす窓辺にもたれてまどろんでゆくような時間こそが必要なのであって、復興の経済がどうのというような生臭い話ばかりして追い詰めてもしょうがない。まあそういう話は、おりこうな人たちでやってくれ。
おまえら、人間が正しく社会を運営してゆくことができるとでも思っているのか。その思い上がりは何なのか。そうやって他人を裁いたり見下したりしてうれしいか。人間なんか、行き当たりばったりで右往左往しながら生きているだけじゃないか。その卑小さを思い知ったら、生きている人間の命なんか薄っぺらなものさ。
立派な人間なんぞに、何ほど値打があるというのか。人間なんか、春の窓辺でまどろむことができればいいだけさ。そのことの方が、はるかに値打のあることだ。おまえらみたいな立派な人間はそのことがわからないからくだらないのだ。
今ここに生きてあることがどんなに狂おしく悩ましいことか、人生を技術(ビジネスマインド)だけで生きているおまえらにはわからない。おまえらは、生きてあることのほんの一部しか味わっていないんだぞ。それは、おまえらが、死んでいった人の命の重さを知らないからだ。それに比べたら自分の命なんか夢のようにあいまいで軽いということを思い知っていないからだ。
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