直立二足歩行の起源

衣装の起源は、「おしゃれ」をすることにあった。 人間は、そういう「遊び」をする生き物である。「遊び」が、原初の人類の歴史をつくってきた。 二本の足で立ち上がったのも、言葉を話すようになったのも、石器を生み出したのも、衣装を着るようになったの…

直立二足歩行の起源を問うことは、人間の根源的な習性とは何かと問うことでもある。しかし、それを問えば社会に役立つとか、そんなことは僕の知ったことではない。僕は、それが知りたいだけだ。 われわれはきっと誰もがその根源的な習性を抱えて生きているが…

直立二足歩行と衣装の起源についてはもう、30年前くらいから考えているのだが、基本的には今もそのときと変わってはいない。 衣装は、二本の足で立っていることの居心地の悪さをなだめる機能として発生してきた……これが30年前の最初に考えたことでした。…

津波に流されて死んでいった人の命と、避難して生き残った人の命とどちらが重いかといえば、生き残った者たちに多くのかなしみをもたらしたという意味で、死んでいった人たちの命の方が重いというほかない。あえてどちらかというなら、そうとしかいえない。 …

もう内田樹先生のことなんか気にしないで原初の人類の歴史のことだけを考えていこうと思い立ってこの新しいテーマを書き始めたのだけれど、ちょっと今、足踏みしてしまっている。 「生き延びる」などという言葉を正義づらして振り回されると、ほんとにむかつ…

そうだよなあ、生きてあることに価値なんかない。 津波に流されていった人たちのことを思えば、そんな厚かましいことはいえない。 そして、生きてあることに価値がないからといって、自分で死ぬということも、なんだかみすぼらしい行為のように思えてくる。 …

原初の人類の歴史を粛々と書いてゆくつもりだったのだけれど、大震災以後、このところちょっと変則的な書きざまになってしまっている。 僕がもし、内田樹先生のような人気作家であったなら、きっと毎日被災地の人々に発信し続けるだろうと思う。内田先生が発…

悪いけど僕は、正義なんて、ぜんぜん興味がないですよ。 正しい生き方、というのも、幸せな人生、というのも知ったこっちゃないです。 愚かな生き方をしたらなぜいけないのかということも、よくわかりません。 それぞれの人生にそれぞれの味わいがあるはずで…

原初の人類は、二本の足で歩いたのではない、まず二本の足で立ち上がったのだ。それによって、人間になった。 なぜ二本の足で立ち上がったのか、と問われなければならない 二本の足で歩くことくらい、猿でもできる。しかし猿は、そのまま遠くまで歩いてゆく…

今回の被災地の復興の希望を、60年前の敗戦からの復興と重ね合わせて語る言説は多い。 何が、復興のダイナミズムの源泉になるのだろうか。 内田樹先生は、理性的で賢明になって社会をきちんと制度設計しなおすことだ、という。たとえば東京への一極集中を…

とはいえ、政府はやっぱり無策なのでしょうね。かといって自民党ならちゃんとやるというわけでもないだろうし、とりあえず今の政府に頑張ってもらうしかない。 お任せします。 何をどうすればいいというようなことをいう趣味も能力もありません。 この国はあ…

いまやもう、日本の未来がどうのといってられる場合じゃないでしょう。 日本なんか、滅びてしまってもいいですよ。 だからさ、マスコミも、いいかげん政府批判ばかりするのはやめようよ。あなたたちはそういって自己満足に浸れるのかもしれないけど、こんな…

「核アレルギー」などという。 人間は、どうしてこんなにも放射能を怖がってしまうのだろうか。 われわれはもう、際限なく怖がってしまう。 そして、どうして人は被爆した人を差別的な視線で見てしまうのだろうか。 われわれは、被爆することがなんだか人間…

生きてゆくのに必要なのは、食い物だけではない。食い物もその一部にすぎない。 ようするに、生きてあることの居心地の悪さをどう処理してゆくかということ。空腹であることもそのひとつにすぎない。われわれは一日中食っているわけではないし、食えば空腹の…

直立二足歩行の起源を問うことは、人間の根源にある「弱さ」について考えることでもある。 弱い生き物は、自分のまわりの世界に対して敏感でなければ生きられない。 強い生き物なら、多少は鈍感でも生きられる。 直立二足歩行する人間は弱い生き物だから、世…

生き物は、どのように危機を回避しているのか。 原始人にとって氷河期の極北の地を生きることは、毎日が命の危機だったはずだ。もともと南方種である人類がどうしてそんな苛酷な環境の中を生きることかができたのか、ほとんで奇跡的だといえる。何を好きこの…

僕も地震のことを書くことにしよう。 ちょっとね、それ以外の話をしたらいけないような雰囲気になってしまっているじゃないですか。良くも悪くも、われわれはそういう民族なんだよね。 それはともかく、 人間というのは怖がる生き物だなあ、と思った。 震源…

原初の人類が直立二足歩行をはじめた700万年前ころ、チンパンジーやゴリラなどの霊長類の猿は、南ヨーロッパからアフリカ全域まで棲息していた。 しかし地球気候は徐々に寒冷乾燥化してきて、200万年前ころには、ほとんどの霊長類がアフリカの赤道直下…

二本の足で歩いていれば、「自分=身体(足)」のことを忘れて、「今ここ」のまわりの景色や考えていることに夢中になってしまう。 人間の心は、自分を忘れてしまうようにできている。 逆に、けっして自分を見失わない人間は、「今ここ」を見ないで、いつも…

原初の人類が直立二足歩行をはじめた契機として、「生きのびるため」というようなパラダイムで語るべきではない。そういう未来に対する意識を断念して今ここに憑依してゆく、ある切実な状況があったのだ。 生き物は、今あるものでやりくりしようとするのであ…

「人類の未来」などという。 そういう未来を予測したり、あるべき未来のかたちを提出したりする言説が巷にあふれているが、それはそんなにも大切で尊いことなのだろうか。 僕は、未来なんかなるようになってゆくだけのことだと思うし、そんなことに興味もあ…

人類が直立二足歩行をはじめたのは700万年前だといわれている。 しかし、そこからすぐに進化をはじめたのではない。最初の3、4百万年は、猿と同じ脳みそしか持っていなかったし、体の大きさも、今のチンパンジーとそう変わりはなかった。 この空白の数百…

人類が生まれたのが孤立した豊かな森だったとしたら、四方を海に囲まれた縄文時代の日本列島もまた、いわば孤立した豊かな森だった。 縄文人はそのころ世界でもっとも進んだ石器を使っていたが、ことばも含めたそういう文化を、もっともプリミティブなメンタ…

みんなとはいわないが、一部の分子生物学者が提出する人類学の仮説がいかにくだらないかということの象徴的な例が「ミトコンドリア・イブ」という説だ。 現在のアフリカ以外の地域の人間のすべて遺伝子は15万年前にアフリカを出た一人のアフリカ人女性の遺…

アフリカで誕生した人類がアフリカの外まで拡散していったのは、200万年くらい前からのことらしい。 最初の人類は、中央アフリカのサバンナの中に点在する森のひとつから生まれた。 ひとまずそれを、700万年前としよう。 そのころ森は、木の実などの食…

類人猿における直立二足歩行の常態化という事態は、豊かな孤立した森から生まれてきた。 700万年前の骨の化石には、すでに直立二足歩行を常態化させていた痕跡が見られるのだとか。 そのときすでに常態化させていたとすれば、そこではじまったということ…

何はともあれ、類人猿が直立二足歩行を常態化してそれが長く習性化するということは、地球の歴史でたった一回だけ起きたのであり、それは地球気候の変動にともなう環境の変化と連動した、まさに偶然の出来事だった。 そのとき当事者の類人猿は、限度を超えて…

類人猿が地球上に現れたのは、2500万年くらい前のことだろうといわれている。 そのころ地球気候が乾燥化して、アフリカにはサバンナ(草原)が広がり、森の動物とサバンナの動物の棲み分けが起きてきた。 そういう環境のもとで、森の動物である猿の仲間…

猿にとって直立二足歩行を常態化することはけっしてむずかしい技術ではないが、絶対にそうしようとしない。 この世にたくさんの猿がいる中で、人間だけがそうしてしまった。だから研究者たちは、そうしようとする「欲望=目的」があったとか、それが可能な技…

今日からこのような古人類学のモチーフで書いてゆこうと決めました。 そして、ネアンデルタールを経て1万3千年前の氷河期明けまでたどり着きたいと思っているのだけれど、どうなることやら。 いつもの調子の見切り発車で、行き当たりばったりの成り行きで…