類人猿における直立二足歩行の常態化という事態は、豊かな孤立した森から生まれてきた。
700万年前の骨の化石には、すでに直立二足歩行を常態化させていた痕跡が見られるのだとか。
そのときすでに常態化させていたとすれば、そこではじまったということではないのだから、もしかしたらそれは1000万年くらい前までさかのぼることができるかもしれない。
類人猿にとって直立二足歩行の常態化という行為ははそれほど難しいことでもなく、とくに身体的な進化を必要としない。ただ、それは身体にとても負荷のかかる姿勢だから、とうぜん骨格も変わってくる。
また、群れの骨格の変化は数百年で簡単に変わるから、700万年前のそこではじまったともいえる(日本人の平均身長は、この150年で15センチくらい伸びている)。
しかしまた、その骨格が現在のようになるまでにはさらに500万年から600万年かかっているのだから、やっぱり少しずつ変わってきたともいえる。
何はともあれそれは、身体的には猿でもできることなのだ。
その姿勢を常態化させたのは、骨格ではなく、メンタリティである。そしてそのメンタリティにしても、遺伝子の作用ではなく、後天的にあらわれたたんなる気質の問題なのだ。
だから僕は「何かのはずみ」だといいたいのだ。
気質などというものは、後天的に引き継がれてゆくのだ。遺伝子の問題じゃない。
遺伝子の問題にしてしまえば話は簡単だけど、そうはいかない。
僕はあくまで「心」の問題として掘り進んでゆくつもりだ。
近ごろこの問題を「遺伝子」だの「突然変異」だのというタームで語りたがる研究者が多いことに、うんざりしているのだ。
人類学者が分子生物学者の提灯持ちをして何がうれしいのか。人類学者が提出した仮説を分子生物学のデータが補強してゆくというのが、ほんらいの連携のかたちであるはずだ。
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原初の森で直立二足歩行の常態化が起きたいちばんの要因は、あるとき限度を超えて密集した群れが生まれ、しかもそのとき誰も余分な個体を追い出そうとせず、逃げ出そうともせずに、気が狂いそうになりながらもその閉塞状態を受け入れていったことにある。
これによって、原初の類人猿は、「ヒト」になった。ここから人間の歴史がはじまっている。
われわれは、知能によって大きな群れを形成しているのではないし、大きな群れを形成できる遺伝子を持っているのでもない。遺伝子なんか、チンパンジーとたいして変わりないのだ。
ただ、その限度を超えて密集してあることのうっとうしさに耐えるトレーニングを、直立二足歩行の開始以来ずっと繰り返してきたわけで、そのように先祖代々手渡されてきた「歴史の無意識」を誰もが後天的に獲得してゆくような社会の仕組みになっているだけのこと。
それは、生き物にとってほんらい耐え難いことである。その耐え難さ(ストレス)に耐える機能として、直立二足歩行生まれてきた。
われわれは、今でもそのストレスに耐えてこの社会をいとなんでいる。人間は、根源においてそういうストレスを抱えて存在している。
そしてそのストレスから生きてあることの醍醐味としてカタルシスを汲み上げてゆく存在でもあり、そこから文化や文明が生まれてきた。
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人類史における直立二足歩行の開始は、生物学的にはほとんど意味のないことで、そういう身体的な進化があったわけではないし、何か食い物の事情があったのでも外敵との争いがあったのでもない。
ただもう観念的に、「これ以上生きていられない」という切迫した群れの状況があっただけのこと。
現在のわれわれだって、全身毛むくじゃらであれば、チンパンジーと変わらない生き物に見えるだろう。
ひとまず人間がチンパンジーから分化したと仮定して、原初、人間とチンパンジーを分けたものは、身体や知能ではなく、その生態にあった。そしてこの生態こそ決定的的な隔たりだったのであり、おそらく直立二足歩行する原初の人類の群れとチンパンジーの群れが交配することはなかったはずだ。
動物のテリトリーは、群れどうしの緊張関係・力関係の上に成り立っている。とすれば、二本の足で立ち上がって弱い猿になってしまった原初の人類の群れが隣り合っても、追い払われるだけである。
彼らは、同じチンパンジーなのに、チンパンジーのいない森で生きてゆくしかなかった。
幸いそのころ、アフリカのサバンナには、たくさんの孤立した森があった。今でも、その名残として、たくさんの小さな茂み(ブッシュ)が点在している。
その茂み(ブッシュ)が、数百万年前は、それぞれ豊かな森だった。
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たとえばチンパンジーは、群れどうしのあいだで、たがいのテリトリーの境界に「オーバーラップ・ゾーン」というどちらのテリトリーでもある部分を持っている。
この地域はどちらもあまり近づかないし、この地域で殺し合いのいさかいが起きたりもする。
彼らは、個体どうしにおいても群れどうしにおいても、その関係は「緊張関係=力関係」の上に成り立っている。
しかし原初の人類はそういう「緊張関係=力関係」をいったん解体して二本の足で立ち上がり、その関係が発生しない身体間の「空間=すきま」を見出していった。それは、彼らの群れがもともとサバンナという「空白地帯」に囲まれていたからかもしれない。
いや、彼らの孤立した森そのものが、サバンナの「空白地帯」だったともいえる。
人間は、根源的にそういう「孤立性」を持っている。
チンパンジーが「オーバーラップ・ゾーン」で「緊張関係=力関係」をつくっているとすれば、人間は「空白地帯」を設けてたがいの「孤立性」を守ろうとしている。たとえば、永世中立国であるスイスは、ヨーロッパにおけるいわば「空白地帯」の役割を担っている。
原初の直立二足歩行は、たったひとつの森のたったひとつの群れから始まっている。
そしてこの豊かな森は、地球気候のゆるやかな寒冷・乾燥化とともに、やがてさらに疎林化してサバンナに吸収されてゆく運命にあった。
つまり、この豊かな森は、サバンナとの関係によって孤立してあることが保証されていたわけで、人間はその歴史のはじめからサバンナ(=空間)を意識していたのであり、その豊かな森がさらに疎林化してゆくとともに、さらにサバンナとの関係を深くしていった。
300万年前にいきなりサバンナに出て行ったとか、そういうことではない。人間は、その歴史のはじめからサバンナとの関係に置かれていたし、サバンナという「空間」をつねに意識していたのだ。人間は、根源的にそういう「空間」を意識する生き物である。
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最初の孤立した豊かな森で個体数が際限なく増えてゆけば、とうぜんやがて分裂する。いくら密集した群れをいとなむ能力があったとはいえ、類人猿とそれほど変わりない初期の段階では、無限にひとつの群れでいることはできない。
いいかえれば人間は、無限にひとつの群れでいられないくらい際限なく群れの個体数を増やしていってしまう、ともいえる。
個体数の上限を守れば、無限にひとつの群れでいられる。しかし人間はその上限を守らない。だから、いつか必ず分裂してしまう。
そしてこの二つに分裂した群れのテリトリーの境界をどこに置くかといえば、さらに疎林化してサバンナのようになってしまった地域だろう。こういう地域にはあまり行かなくなってその内側ばかりで暮らすようになって、さらに群れの密集の息苦しさが募り、とうとうその地域の向こうがわにいって暮らすグループが生まれてきた、ということかもしれない。
このサバンナのようになってしまった地域は二つの群れの緩衝地帯になって、いさかいも起きなかった。
しかし同時に人間は、「サバンナを横切ってゆく」という習性をそのときから身につけていった。
類人猿のメスは、ほかの群れに入り込んでゆくということをよくする。ボスの庇護が受けられなくなったメスや、すでに成人しているのにまだまだボスに相手にされないでいるメスとか、まあそのようなメスたちであるが、またそういう若いメスは、すでにボスの庇護を受けているメスたちから追い払われるということもあるのかもしれない。
そして、他の群れのオスにしても、知らないメスには興味が湧く。そのあたりは、人間だろうと猿だろうと同じである。
「サバンナを横切ってゆく」ということは、直立二足歩行している人間だからできることであり、その気になることである。
まあそのように、人間の住む孤立した森があちこちにできていったのだろう。
そのころ、地球気候の寒冷・乾燥化とともにそうした孤立した森そのものがいくつもできていったのであり、それらの森には必ずチンパンジーやゴリラが暮らしていたわけではないから、そういう安全な森に弱い猿である人間が住み着いていったのだろう。
人間の群れはチンパンジーからすぐ追い払われたが、サバンナを横切ってゆくことのできる直立二足歩行を持っていた。
チンパンジーの群れは「オーバーラップ・ゾーン」をつくるから、人間の群れのテリトリーに必ず食い込んでくる。しかし人間の群れは「空白地帯」がほしいからさらに退却するしかない。そのようにして、けっきょく森から追い払われる。チンパンジーより強ければ相手を退却させることもで切るし、チンパンジーを立ち上がらせて人間にしてしまうこともできるが、チンパンジーより弱いのだから、そんなことができるはずがない。
けっきょくチンパンジーと人間は、たとえ同じ猿であったとしても、けっして交配しなかった。
人間のほうが強かったら、今ごろチンパンジーは地球上に存在しない。
いいかえれば人間は、チンパンジーに追い払われながら直立二足歩行を磨いていったのかもしれない。
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猿が二本の足で立ち上がることは、猿としての身体能力を喪失することである。
そういう弱い猿である人間がなぜ生きのびてきたかといえば、そのころのアフリカには孤立した豊かな森がたくさんあったからであり、長く歩き続けることができる直立二足歩行によってサバンナを横切り、そうした森に移り住んでゆくことができたからだ。
人類の誕生と発展は、アフリカの混沌とした熱帯雨林が地球気候のゆるやかな乾燥・寒冷化によって、木の実などの食糧が豊富に実る豊かな森林に変わり、やがてさらに疎林化してサバンナに吸収されてゆく過程の中で起きたことだった。
その孤立した森が豊かな森であることができなくなったら、そこで暮らし続けることはできない。しかし人間は、ほかの猿のように、そこで個体数を減らしながら滅びるときを待つというようなことはしなかった。直立二足歩行して、別の森に移ってゆくことができた。
そうして、森の縮小とともに、つねに森から森へと移動しながら暮らしてゆくという生態が生まれてきた。 
それが、700万年前に直立二足歩行をはじめて400万年後くらいのことであり、今でもアフリカには、ブッシュマンなどと称されるそんな部族がいる。
人類は300万年前にサバンナに出て行って大型草食獣の死肉漁りをはじめた、などという俗説は、おそらく大嘘なのだ。
人類学の世界では、どうしてこんないい加減な説が大手を振って今なおまかり通っているのだろう。こんなことくらい、考古学のデータなんかなくても、ちょっと考えればわかることじゃないか。
石器も持たず、火の使用もまだ知らず、チンパンジーよりも弱い猿であった人類が、いったいどうやってハイエナなどの襲撃から身を守りながらそんなことができるというのか。
そんなことができるようになったのは、人間がいくぶんかは他の動物に脅威を与えることができるようになったつい最近のことで、どう長く見積もっても、30万年前くらいからのことだろう。そのころには、火の使用はもちろん、石器で武器なども作られるようになっていた。そして本格的に肉食を始めたこのころから、人間の脳は爆発的に発達していった。
サバンナに出ていったのではない。森から森へとサバンナを横切っていったのだ。それはもう人類誕生のころからはじまっていたことであり、近くの離れた森においしい木の実がなっていることを知ったら、サバンナを横切ってその実を食べにいったりもしていたかもしれない。つまり、ひとつの森そのものの中にサバンナのような空き地が点在していたわけで、そんな「小さなサバンナ=空き地」を横切ることは日常的な習性だったのだろう。
死肉漁りをはじめたことなんか、つい最近なのだ。
人間は、サバンナで暮らしたことなんか一度もない。サバンナを横切ってゆくことを覚えただけだ。
人間は、現在までずっと、サバンナの中の茂みに身をひそめて暮らしてきただけだ。
孤立した豊かな森はやがて小さな茂みになってゆき、茂みから茂みへと移動して暮らすものたちが生まれてきた。それが、およそ2、3百万年前ころのことであり、この習性が、ついにアフリカの外まで人類が拡散してゆく契機になった。
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