アフリカで誕生した人類がアフリカの外まで拡散していったのは、200万年くらい前からのことらしい。
最初の人類は、中央アフリカのサバンナの中に点在する森のひとつから生まれた。
ひとまずそれを、700万年前としよう。
そのころ森は、木の実などの食料が豊かだった。
しかし、地球気候はゆるやかに寒冷・乾燥化に向かっており、それぞれの森は、しだいに縮小していった。そうするともう、一つの森だけで暮らしてゆくことができなくなり、サバンナを横切りながら森から森へと移動してゆく暮らしが生まれてきた。
また、直立二足歩行する人類は弱い猿であったうえに、その生態が根源的に異質でほかの猿との緊張関係の中で共存してゆくことができなかったから、つねにライバルのいない貧弱な森に逃げ込むしかない宿命を負っていた。
しかし、エネルギーのロスが少なく遠くまで歩いてゆくことのできる直立二足歩行は、そういう生態を可能にした。
人類の歯は、直立二足歩行をはじめてすぐに、犬歯が後退し、臼歯が発達してきた。それは、仲間どうしの順位争いで戦うということがなくなり、ほかの猿よりももっと広範に植物を食べるようになっていったからだろう。
貧弱な森ばかりで暮らしていたものたちは、木の根までかじるようになっていったのだとか。
300万年前ころには、比較的豊かな森で暮らしていたものたちは高身長のすらりとした体型になってゆき、貧弱な森で木の根までかじっていたものたちは小柄で頑丈な体型になっていった。
そしてこの二つの種族のどちらがアフリカを出て行ったかといえば、とうぜん厳しい暮らしを強いられていた小柄で頑丈な体型をしたものたちだった。
現在、アフリカ以外で出土したもっとも古い人類の化石は、中央アジアのドマニシというところで見つかっている。それは、200万年くらい前のもので、小柄で頑丈な体型をしている。人類学の常識では、この種族は200万年前に滅んだとされていたのだが、アフリカを出てちゃんと生きていたのだ。
また、アフリカに残った者たちも、一部は華奢な体型の者たちと交じり合っていったに違いない。同じ場所から両方の化石がでてくる、というケースもあるのだから、そう考えるのが順当だろう。
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チンパンジーは、2500万年前からアフリカ中央部のコンゴ川流域に生息していた。そのあたりから人類が生まれ、やがて、何ものかに追われるようにしてアフリカの東側に生息域を移していった。
そうして北上しながら、ナイル川下流域から西アジアへと拡散していったらしい。
また、そのころ紅海が湖でアラビア半島の南端とつながっていたのなら、そこから拡散していったことも考えられる。
いずれにせよ、200万年前ころに中央アジアのドマニシにたどり着いたのだ。
人類誕生から500万年以上たったこの頃にはもう、弱い猿なりに生きのびる方法を身につけていたはずである。ひとつは直立二足歩行で遠くまで歩いてゆけること。そして、大きな群れをつくって連携してゆけたし、なんでも食べる雑食性もそなえていた。
たぶん、まだ石器で狩をする能力はなかったが、大型草食獣の死肉漁りくらいはしていたらしい。
それでもこのあとどんどん地球上に拡散していったのは、草原を横切りながら森伝いに棲息域を移してゆき、ほかの動物のようにひとつの森で個体数を減らしながら滅んでゆくということがなかったからだろう。
戦争がないかぎり、人間はそう簡単には滅びない習性を持っている。
よく「出アフリカ」などといわれる。
なんだか旅をして出ていったような言い方だが、あくまで生物学的に生息域が広がっていっただけだ。
人類が「旅」をはじめたのは、1万3千年前の氷河期明け以降のことであって、それ以前にそんな能力を持った集団などどこにもいなかった。
これは大事なことだ。
人間は住み着こうとする生き物である。
どんなに住みにくいところでもけんめいに住み着いていった。そうやって生息域が拡散していったのであって、旅をしたのではない。
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200万年前ころから150万年前ころは、人類史で最初に人口爆発が起きた時期だといわれている。その勢いで拡散していったのだろう。
150万年前ころにには、東アジアにも西ヨーロッパにも住み着いていた。
遺伝子学によれば、5万年前のヨーロッパネアンデルタールとアフリカのホモサピエンスは50万年前に分岐した、といわれている。
ということは、そのネアンデルタールは、50万年前にアフリカを出た人間の子孫かといえば、それは違う。
五十万年前までのヨーロッパの人間とアフリカの人間はつねに血が交じり合っていた、ということだ。
たぶんそのころまではまだ人間は、南ヨーロッパにしか分布していなかったのだろう。
それくらいなら、すべての集落が隣の集落と女を交換するということをしていれば、あっという間に全域の血が交じり合ってしまう。
しかし人類がはじめてドーバー海峡を渡っていったのが50万年前で、そうなればもういくらすべての集落で隣同士地を交換していても、南方種と北方種の色分けはできてくる。
南方種の血が北に伝わっていっても生きのびることができないから、自然に淘汰されてしまう。
同様に、早く成熟して早く老いてゆく体質の北方種の血が南下していっても、途中で消えてしまったことだろう。
そうやって、北と南の血が交じり合うことはなくなっていった。中間ではつねに交じり合っていたはずだが。
つまり、北で5万年前まで生きのびていたネアンデルタールは、50万年前にアフリカを出た人間の子孫でもなんでもなく、あくまで200万年前にアフリカを出ていった集団の子孫にすぎない。700万年前に直立二足歩行をはじめた人類の子孫であることに違いない。
もう人類の生息域が広がりすぎていちばん北といちばん南では、どんなにすべての群れで女を交換し合っていても血が交じり合うことはなかった、というだけのこと。べつに50万年前にアフリカを出た人間がネアンデルタールになったのではない。
そのころ、旅をしていた集団などなかった。すべての集落の一部の女が隣の集落に身を寄せてゆくということをしていただけのこと。それだけは、人類の歴史のはじめから現在まで、ずっと繰り返されてきたことだ。
大きくなりすぎた群れの一部が近くの森に移住してゆく。近在の群れのすべてでそんなことが起きれば、その森にもひとつの群れができてゆく。そんなことが無限に繰り返されて、とうとう北ヨーロッパまで生息域が拡散していったのだ。
ただ、草原を横切って近くの森まで移動してゆくことは厭わなかった、というだけのこと。しかしそれだけのことでも、直立二足歩行しないチンパンジーとは決定的に異質の生態だった。
チンパンジーには、草原を横切って行くことはできない。彼らは、けっして森から出ようとはしない。それは、「何もない空間」と和解してゆく心の動きを持っていないからだ。
それができる人間の心のもとを正せば、他者の身体とのあいだの「空間=すきま」を祝福してゆくというかたちで直立二足歩行がはじまっているからだ。この心の動きが人間性の基礎となって歴史が動いてきた。
チンパンジーの群れは、互いのテリトリーが重なっているオーバーラップ・ゾーンをつくって、敵対しながら共存している。それに対して人間は、たがいのテリトリーのあいだに「空間=空白地帯」をつくってゆく。だから、けっしてチンパンジーの群れとはひとつの森で共存することはできず、貧弱な森へと追われ追われしながら生きのびてきた。
チンパンジーは、敵対する緊張関係を保ちながら共存してゆく。
人間は、無関係になる「空間」を保ちながら連携し共存してゆく。
この決定的な習性の違いを把握しておかないと、人類が地球の隅々まで拡散していった契機に迫ることはできない。
俗物の人類学者とか小説家などがよく「ユートピアを目指して旅していった」などというが、やめてくれよという話である。
4万年前にアフリカから北ヨーロッパまで旅していった人間などひとりもいない。北ヨーロッパネアンデルタールとアフリカのホモ・サピエンスが交雑していたということなんか、あるはずがない。アフリカから北ヨーロッパまでのすべての隣り合った群れどうしで血=女を交換して連携していただけである。このことは、何度でもいう。
文句がある人は、どうかいってきていただきたい。おまえらみんなアホだ、ということも、何度でもいう。
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