何はともあれ、類人猿が直立二足歩行を常態化してそれが長く習性化するということは、地球の歴史でたった一回だけ起きたのであり、それは地球気候の変動にともなう環境の変化と連動した、まさに偶然の出来事だった。
そのとき当事者の類人猿は、限度を超えて密集した群れの状態を受け入れた。こんなことは類人猿は絶対しないはずだが、彼らはその絶対しないという類人猿の習性(本能)を喪失していた。群れ全体がそうした習性の本能を持っていないということは、さまざまな偶然が一致しなければ起きない。
断っておくが、ここで僕は、人間は本能から逸脱した存在であり、人間はそれほど特別な存在だといいたいのではない。本能などというものは根源的でもなんでもないあいまいなものであり、たんなる成り行きでそういう習性になっているだけのことをわれわれは「本能」と呼んでいるだけのこと。
根源的なものではなかったから、人類はそれを失ったのだ。
そのころのアフリカの平地の森は、類人猿にとっては史上もっとも豊かな森であった。しかもそれは、ひとつの群れだけの孤立した森で、余分な個体を追い出したり自分たちが出ていったりすることもできなければ、ほかの群れがよそからやってくるということもなかった。
言い換えれば、限度を超えて密集した群れの状態でも受け入れてゆくのが、そのときの彼らの本能だった。人間の歴史は、ここからはじまっている。
人間は、先験的に限度を超えて密集した群れの状態と和解してゆく心の動きを持っている。
だからわれわれは、スタジアムに10万人がひしめき合って歓声を上げるというような文化を生み出した。
類人猿がこんな状況に置かれれば、たちまち全員が発狂してしまうだろう。
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群れをつくる生き物にも、それぞれ限度がある。その限度を超えたら、それぞれの個体はヒステリーを起こし、群れは崩壊する。
その限度とはおそらく、どこまで増えればたがいの身体をぶつけ合わないでも行動できるかというレベルのことだろう。
生き物の基本は、身体が動くことにある。身体が動くためには、身体のまわりに「空間」が確保されていなければならない。それぞれの個体が身体のまわりの空間を確保できる限界、この範囲で群れの個体数の限界が決まる。
現代のチンパンジーの群れの限界は100個体くらいらしいが、人類が直立二足歩行をはじめた700万年前は、もっと少ない個体数で限界に達していたかもしれないし、あるいは同じだったのかもしれない。そこのところはわからない。
とにかく原初の人類がチンパンジーと同じような猿だったとして、その限界を超えた個体数の中に置かれたことによって「直立二足歩行の常態化」という事態が生まれてきた。
それはきっと気が狂いそうな状況だったことだろうが、ひとまずその閉塞状況を誰もが受け入れていった。
受け入れたらもう、二本の足で立ち上がってゆくしかなかった。そうやって彼らは、それぞれの身体が占めるスペースを狭くして「空間」を確保し合っていった。
そのとき彼らは、類人猿として、余分な個体を追い出そうとする衝動も、逃げ出そうとする衝動も忘れていた。
忘れさせる奇跡的な状況があった。忘れてしまった時点で、すでに類人猿ではなかったのかもしれない。
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人間は住み着こうとする生き物である。どんな苛酷な環境でもけんめいに住み着こうとする習性を持っている。だから地球の隅々まで拡散していったのであり、基本的には、余分な個体を追い出そうとする衝動も、新天地を夢見て逃げ出そうとする衝動も持っていない。
ただ、限度をを超えて密集した群れをつくる習性を持っているから、どうしてもそこからはみ出してしまう個体が生まれてくる、ということも避けられない。
また、限度を超えて密集した群れの中に置かれてつねにそのストレスを抱えている存在だから、群れから離れるとどうしても「解放感」を覚えてしまう。これが、「旅」のはじまりである。
このことはその後の人類の歴史に大きくかかわっていると思えるのだが、今はまだ言及するまい。
とにかく、みんなが二本の足で立ち上がれば、それぞれ他者の身体とのあいだに「空間=すきま」をつくることができる。これが、人間的な直立二足姿勢の常態化につながる最初の体験だったのだ。
まず立ち上がったのだ。
そして、みんな一緒に立ち上がったのだ。
このことが説明できなければ、直立二足姿勢の常態化の起源に迫ったとはいえない。
なぜならそれは、早く走ることも、俊敏に動くこともできなくなり、さらには立ち上がることによって、簡単にこけてしまうし、相手に胸・腹・性器等の急所をさらし、戦うこともできなくなってしまう事態だったからだ。
天敵がいたら、絶対こんなことはできない。これは、逃げる能力を放棄する姿勢なのだ。
そして、群れの中の仲間と順位争いをして戦うことも、他のテリトリーの同じ猿と戦うこともできなくなってしまう姿勢でもある。
こんな姿勢をとっていたら、ボスはたちまちその座から引きずり下ろされてしまう。
二本の足で立ち上がることは、いちばん弱い存在になる、ということなのだ。
したがってそれは、みんな一緒に立ち上がる、ということでなければ実現しない。
言い換えれば、その起源のころは、逃げるときや戦うときだけは四足姿勢になっていた、ということだ。したがって、二本の足で立ち上がることによって逃げる能力や戦う能力を強化したという仮説は、全部無効なのだ。
立ち上がって相手を威嚇した、などというが、すでに順位の決着が付いている相手に対する「かかってこられるものならかかってきやがれ」というデモンストレーションにはなるが、これから決着つけようとしている相手には絶対にそんな隙だらけの姿勢はとらない。必ず、手を着いて低く身構える。
戦うためとか食料を得るためとか、そんな経済的な利益を求めて立ち上がったのではない。
食うものなんかいくらでもあったし、戦うことを放棄しなければその姿勢は実現しなかった。
すでにいわれているような、実利的というか現代的というか男根主義的というか、そういう通俗的な論理ではこの問題の説明はつかないのである。
誰かがそれをはじめて何かアドバンテージを獲得し、やがてみんなが真似していったとか、そういう姿勢ではないのだ。
そんなアドバンテージは何もなかった。むしろ、アドバンテージを放棄(喪失)する姿勢なのだ。みんながいっせいに放棄しなければ、その事態は出現しなかった。
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背骨がかるくS字型のカーブを描いていないとその姿勢は保てないし歩き続けることもできない、といわれている。
しかしそれは、そういう姿勢になれば背骨もそういうかたちになる、というだけのことらしい。ちゃんと調教を積んで一キロや二キロは平気で立ったまま歩けるようになった日光猿軍団の猿は、すでにそういう背骨の姿勢で立っているのだとか。
猿にとってその姿勢はそれなりの不安をともなうから、どうしてもその姿勢になろうとしない。無意識のうちに膝が曲がり、やや背を丸めて警戒する姿勢になってしまう。そういう背骨になっているのではなく、そういう意識を持ってしまっているのだ。そういう骨格なのではなく、そういう習性なのだ。
猿だって、背骨はいかようにも曲がるようになっていなければ運動はできない。
猿だって、いつでも直立二足歩行を常態化できるだけの骨格はそなえている。
けっしてそのようになろうとはしないだけだ。
原初の人類も同じ猿だったのだから、そのようになろうとしたのではないはずだ。その姿勢になるには、大きな不安をともなう。
それでもその姿勢になっていったのは、その姿勢になろうとしたのではなく、限度を超えて密集した群れで体をぶつけ合いながら、他者の身体から押されるように立ち上がっていったのだ。ぶつかるまいとすれば、自然に背骨はS字型になって、まっすぐ立ってゆく。膝も伸びてゆく。
それにそのとき彼らは、類人猿ならとうぜんそういう態度を示すであろう「邪魔だ、あっちにいけ」と要求する心の動きを失っていた。
誰もが、その限度を超えた密集状態を受け入れていた。この心の動きがあったから、まっすぐ立っていったのだ。
誰か一人でも四本足のままだったら、その者がボスになれたのである。それでも、みんなで立ち上がっていった。
そして、そうやって立ち上がることくらい、じつは子供でもできる簡単なことだったのだ。
そういう条件さえ整えば、日光猿軍団ニホンザルだってできる。
誰もが、自然にまっすぐ立ち上がっていった。
それはべつに、身体的な「進化」によって得た能力ではない。
限度を超えて密集した群れの状態と和解してゆくという、心の動きの問題なのだ。
それは、サバンナに囲まれた孤立した森のそういう状況から生まれてきた。
そしてそういう森が700万年前のアフリカにはいくつもあったのか、ひとつだけだったのか、それは今のところなんともいえない。
もう少し考えてみる必要がある。
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