そうだよなあ、生きてあることに価値なんかない。
津波に流されていった人たちのことを思えば、そんな厚かましいことはいえない。
そして、生きてあることに価値がないからといって、自分で死ぬということも、なんだかみすぼらしい行為のように思えてくる。
人類の運命をまるごと背負って大津波に流されてゆく死に方に比べたら、自分で死ぬなんて、死それ自体になんの必然性も確かさもなく、恥ずかしくて死ねなくなってしまう。
たとえば、古事記オトタチバナヒメが嵐の海に飛び込んでいったような、そんな自死の方法というのは現代にもあるのだろうか。
人間は、危機を生きようとする生き物である。だから、みずから死を選ぶときもまた、危機の中に飛び込んでゆくようなかたちであらねばならない。
津波に流されて死んでいった人のことを思えば、もう自分で死ぬことはできなくなってしまう。その気持ちはなんとなくわかる……と僕のようなのうてんきな人間がいったら生意気だろうか。
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自分の気持ちなんか誰もわかってくれない。誰も他人の気持ちなんかわからない。
でも、人は、他人のその気持ちを信じることができる。他人のその気持ちに憑依して、追体験してゆくことはできる。そうやって、もらい泣きをする。そうやってわれわれは、被災地の人びとの嘆きの映像を前にしてもらい泣きしてしまっている。
あなたがもし「死にたい」というのなら、その気持ちはひとまず信じますよ。僕のようなのうてんきな人間はその気持ちの正味なんかまるでわからないけど、あなたの中にその気持ちが付きまとって離れないでいることはもう、疑うことなく信じていますよ。
人は、他者の気持ちがわかるのではなく、他者の気持ちを信じてしまう生き物なのだ。
この「信じる」という心の動きが、人間を人間たらしめている。
こんなことを言ったら人が気を悪くする(傷つく)、ということがわからない人がいる。それは、基本的に人を「信じる」ことができていないからだ。
他人を説得するというか、他人を丸めこむ能力は、現代社会を生きるための重要な才能のひとつになっているが、それは、基本的に人を信じていないからできることである。丸めこまれるものは、それによって自分の信じる世界を一つ失うのであり、そういう不幸に思いをいたすことがないから、丸めこむことに邁進することができる。
そういう不幸に思いをいたすものはつい言い淀んでしまうし、気にしないものは、かさにかかって丸めこみにかかる。前者は他者との距離(空間)を意識しているが、後者にはその距離感・空間感覚がない。前者は他者に対する怖れがあるが、後者にはない。後者には、他者の心に対する信憑がない。他者の心が傷つく、ということがわからない。
なぜ他者との距離感・空間感覚が薄いかといえば、対等の関係で人と向き合ったことがないからだろう。こちらが支配するか、されるか、優越感を抱くか、劣等感を抱くか、庇護するか、されるか、横柄であるか、卑屈か……そんな「距離(空間)」のない関係でばかりで生きてきたからだろう。
現代人の中には、「距離(空間)」を保った対等の関係をつくれない人たちがいる。
説得するのは、猿の関係である。猿は、説得して順位関係をつくってゆく。
説得するものたちは、相手の気持ちがわかるつもりでいる。相手が泣いていれば、悲しんでいることがわかる。しかし、自分も一緒になって悲しむことはできない。そのとき彼らは、喜々として慰めるものになる。しかしこれは、猿の関係である。そうやって慰めるものと慰められるものという順位関係をつくっている。
人間は、根源において、説得しないし、されもしない。たがいの距離(空間)を保ちながら、ひたすら相手を信じてゆく。つまり、相手の存在に憑依してゆく。そうやって「もらい泣き」が生まれてくる。これが、根源的な人間の関係である。
このへんは、ややこしい。離れているから「信じる」という関係が成り立つ。離れているから、信じなければ関係が成り立たない。
くっついていれば、信じる必要もない。先験的に決められている関係がある。その関係にしたがって、まどろめばいいし、いいように丸めこめばいいし、支配すればいい。猿のように。
二本の足で立ち上がって他者とのあいだに離れた「空間=すきま」をつくりあっている人と人の関係は、「発生する」のであって、先験的つくられているのではない。人間には、まどろむことのできるような先験的な関係はない。離ればなれで存在しているのだ。そうして、そのつど信じてときめき合いながら、「今ここ」において関係が発生し続けているだけである。
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そりゃあねえ、この世の俗物どもにやいのやいのと責められながら説得(洗脳)されないで生きてゆくのはしんどいですよ。ときどき悲鳴を上げながら怒ってしまったりもしますよ。
怒りたいことは、きりがないほどありますよ。
僕みたいに愚かでだめな人間は、やいのやいのといつも責められていますからね。
なつかない僕が悪いのですかね。たぶん、そうでしょう。
たとえば、内田樹先生のいうことに納得なんかできないですよ。あんな「猿の関係」の論理を押しつけられたら、そりゃあむかつきますよ。
たとえば、今回の津波放射能の災害のことでいま一番考えなければならないことは「どうしたらこの災害を避けることができたか」ということなのだとか。
冗談じゃないよ、まったく。災害は起きてしまったんだよ。だったら、今考えるべきことは、その災害にどう対処すべきかということだろうが。
人間性の根拠は、危機を回避することにあるのではない。危機をどう生きるかにある。
そして被災者を全国に分散して疎開させればいいんだってさ。町の復興は国が決めて、住民はそれに従えばいいんだってさ。まったく、他人なんか、将棋の駒くらいにしか思っていない。そうして、いま、その疎開論が現実的な議論になってきていないことにブツブツ文句を言ってやがる。被災した人々がそれでも現地で身を寄せ合って生きていることに対する感慨やそのことの意味に対する思考など、この先生にはまったくないらしい。
先生、あなたの思考は薄っぺらで、レベルが低すぎるんですよ。
この先生は、人々が災害に遭ったことは承知しているらしいが、人々がどんなに恐怖し悲しんだかということや、いま故郷に対してどんな想いを抱いているのかということにはまるで関心がないらしい。前述したように、他人の心の動きを追体験してゆくことができないのだ。つまり、他者の存在に対する信憑とかときめきというものがまったくないのだ。この先生にとって他者は、支配する対象でしかなく、将棋の駒のように動かせばいいだけで、大事なことは「共同体が生き延びること」なんだってさ。
現在のこの社会をおかしくしてしまっているのは、まさしくこの「共同体が生き延びること」を第一義とする思想なのだ。そうやってあれこれの商品の偽装問題が起き、情け容赦のない派遣切りが起き、個人を置き去りにしてしまっているのではないか。
今回の東電幹部の姑息な経営態度だって、まさしくこの「共同体が生き延びること」を第一義とする思想の上にまかり通ってきたのではないのか。
僕は、先生のように自慢たらしく平然と「共同体が生き延びること」を第一義として語ることのできる人間が気味悪いし、怖いとも思う。そして、おまえの脳みそは猿並みだな、とも思う。たしかに猿は、そうやって群れの秩序と存続を第一義として生きている。
しかし人間は、猿ではない。猿であって、猿ではない。
何はともあれ、今となってはもう、人々の「今ここ」の心に寄り添いながら復興策を模索してゆくしかないではないか。おまえが勝手に決めるなよ。いい気になってそんなことを語って、何がうれしいのか。
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今回の東北大震災では、日本中がもらい泣きした。僕は、そのことの意味を考えたい。それは、人間はなぜ直立二足歩行をはじめたか、という問題なのだ。
この国を背負ったつもりのしゃらくさい議論なんか、僕の柄ではない。しかし、そうした議論をするにしても、人間とは何かという問題をもう一度深く問い直すという態度の多少は持っていてもいいのではないだろうか。
他者の心の動きを追体験できないやつがしゃらくさいことをいっても、ろくなことにはならない。
今のわれわれにとって第一義的に大切なことは、「共同体が生き延びること」ではなく、被災した人々がどのようにして立ち直ってゆくことができるかということであり、彼らの「今ここ」にどれだけ思いをいたすことができるか、ということではないだろうか。
被災地の感慨こそが優先されるべきだと、僕は思う。
津波に流されていった人のことを思えば、この生も共同体も、生き延びることなんかなんの価値でもないのだということ、さらには、人類の運命をまるごと背負って死んでいった彼らに比べれば、あなたが、みずから死を選ぶ行為にどうしようもなくみすぼらしいものを感じてしまうのだとしたら、それはなんとなくわからなくもない、と僕はいいたいのだ。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
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