もう内田樹先生のことなんか気にしないで原初の人類の歴史のことだけを考えていこうと思い立ってこの新しいテーマを書き始めたのだけれど、ちょっと今、足踏みしてしまっている。
「生き延びる」などという言葉を正義づらして振り回されると、ほんとにむかつく。
内田先生だけでなく、現代社会そのものが、このことばを当然の正義のように合意している。
リスクヘッジ(危機回避)」などともいうらしい。
原発事故があったから、首都圏の者も関西や九州に疎開してこい、と先生はいっているのだとか。そしたら、この国の一極集中のひずみが緩和される、と。それが、リスクヘッジというものなんだってさ。
で、それに対して、そんなことをしたら首都圏の経済が停滞してしまう、という愚かな反対意見ばかりが寄せられた、と先生はいう。
すごい問題のすり替えだ。
中にはそんな意見もあったかもしれないが、ほとんどの人は、首都圏はまだそんな段階ではないのだからよけいなことをいうな、と言っているだけだろう。変にパニックにならないで冷静に事態の推移を見守るのがさしあたって首都圏の住民の取るべき態度だ、とたいていの人が思っている。そしてフランス大統領のサルコジだって、日本人のその態度を尊重する、と言っている。
一極集中がどうのという話で先生を批判しているのではない。そうやって問題をすり替えながら他人を安く見積もるというのが、この先生の常套手段である。
われわれは、人間を人間とも思わないで、安直に「疎開してこい」というその傲慢さと思考の愚劣さを批判しているのだ。
疎開すれば、誰もが、住みなれた故郷や家を捨てて他人の厄介になりながら肩身の狭い思いをして暮らしていかなければならないんだぞ。できればそんなことはしたくないのが人情だろうが。そういう人情を踏みにじって、体育館などの施設を提供して面倒を見てやるからさっさと疎開してこいという、その鈍感な無神経さはいったい何なのだ。
人々は、その鈍感な無神経さを批判しているのであって、経済がどうのといっているのはほんのごく一部なのだ。それを、まるでみんながそういっているかのような言い方をしてさげすんできやがる。
こんなときに、都落ちした人間のルサンチマンをまる出しにして一極集中のことに難癖をつけてもみっともないだけだ。この国を背負って発言しているつもりであるのなら、まずは被災した人々の心に寄り添ってゆくようなメッセ−ジを送ってみせろよ。それが、人間としてのたしなみというものだ。それが、大人の常識というものだ。この国の制度がどうのという前に、まず被災者に対して「あなたたちとともに生きている」というその心映えを示してみせろよ。人格者を気取るなら、それくらいわかれよ。それが、人間に対する礼儀というものだろうが。
たしかに、こんなアホを相手にしてもしょうがないのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかしこんなアホが大手を振ってのさばっている世の中だ。たくさんの善男善女が、あっさりとたらしこまれている。というか、彼らも同じ人種だということだろうか。
こんなアホが存在してはならないというのではない。こんなアホが存在するのが人間の社会であり、それはもうしょうがないことだ。
しかし他人の心に寄り添ってゆくことのできないこんなアホが大手を振ってのさばっているのは何か変ではないか。人の心を置き去りにして「共同体が生き延びる」ことを第一義とする論理ばかり押し付けてこられたら、世の中がますますぎくしゃくしてしまうし、たがいの心に寄り添いあいながらひっそりとこの社会の片隅で生きている人々がますます追い詰められてゆかねばならない。
べつにこんな愚劣な人間がいてもいいけど、大手を振ってのさばられたら困るのだ。その愚劣さの分だけ少しはおとなしくしてもらわないと困る。
そのためには、この愚劣さを批判して対抗する動きが起こってこなければならない。しかし現在のところ、世に流通している知識人たちの内田批判は、どれもいまいち中途半端だ。
僕は、内田一派の対抗勢力として中島義道氏に期待していたのだけれど、それほどラディカルな対立は持っておられないということがこのごろ見えてきた。
決定的にラディカルに対立できる言説はまだ出てきていない。だからあの連中がいい気になってのさばっている。
僕をはじめとして心底うんざりしているのは、底辺の声なき声ばかりだ。
そりゃあね、誰よりもラディカルな内田批判を世に送り出したいという気はないでもないですよ。でも、悲しいかな、いまの僕にできることは、せいぜいこんなところでささやかに悪態をついているのが関の山、というわけ。みじめなものです。だからもうやめようと思ったのだけれど、こういうことになるとそうもいっていられなくなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みんなそのうち死んでしまうのだ。
なのに、生き延びることばかり考えて生きていたら、死ねなくなってしまうではないか。
この社会の病は、死ぬわけにいかない生を生きることによって起きている。
生きているということは、必ず死んでしまう、ということでもある。
この生を自覚することは、死を自覚することでもある。
われわれにとって未来とは、死の別名でもある。だから生きてあることを自覚する人間という存在は、未来のことは考えるまいとする意識もどこかにはたらいている。そうして、恋人どうしが明日もまた会えるとわかっているのにそれでも別れがたくて抱き合っているように、ひたすら今ここを生きようとする。
死を自覚しているがゆえに、人間ほど「今ここ」を切実に生きようとする生き物もいない。
「今ここ」に豊かに反応してしまうから、感動もすれば怖がりもするのだ。そういう「今ここ」に対する豊かな心の動きが、人間を人間たらしめているのであり、文化や文明はそこから生まれてきた。
「今ここ」を生きようとするから、人間は言葉を生み出した。言葉は、「今ここ」の手触りとして発せられる。「今ここ」に深く豊かに心が動いてしまうから、思わず音声がこぼれ出るのだ。「今ここ」のあなたに深く豊かに心が動いてしまうから、言葉を交わし合うようになってきたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
かんたんに「生き延びる」などといってもらっては困る。
「今ここ」に鈍感なやつほど、そんなスローガンを振りかざすのだ。
死を知ってしまった人間は、「生き延びる」ことをスローガンにして生きているのではない。死を覚悟して生きているのだ。
だから、「今ここ」に、切実に豊かに反応してゆく。その心の動きこそ、人間であることの根拠なのだ。
生き物としての身体能力を大幅に喪失している直立二足歩行は、生き延びることを放棄する姿勢である。そうやって人は、「今ここ」に深く豊かにときめきながら生きている。
つまり人間は、自分のことよりもまず他者に意識が向いてしまう存在なのだ、ということ。自分のことが気になるのなら、二本の足で立っていられない。猿のように、そんな危ない姿勢はさっさとやめてしまうさ。
人間は、自分のことなんかほったらかしにして世界や他者にときめいてしまう存在である。そうやって二本の足で立っているのだ。
われわれだって、被災地の人々が今どんな思いで暮らしているのかと気にせずにはいられないではないか。
内田先生、あなたが人間であるなら、何はさておいてもまずその心情を吐露してみせなさいよ。
そういうことに思いを巡らすことをほったらかしにして、えらそうに「共同体が生き延びること」を第一義の問題にして語ろうなんて、人間に対して失礼ではないか。それじゃあまるで、被災した人々は厄介者だといっているのと同じじゃないか。そういう厄介者を抱えてこの国はどう生き延びてゆくか、てか?ご立派なことだ。
そして、そういう愚劣な言説に同調していい気になっている連中だって、どうかしている。おまえら、それでも人間かよ。
復興の問題なんか、行き当たりばったりで右往左往しながらやってゆくしかないのだ。おまえらの描くちんけな青写真が大正解だとでも思っているのか。
正解なんかないんだよ。
先のことなんかほったらかしにして、目の前の問題に体ごと取り組んでゆけばいいだけなんだよ。そのダイナミズムこそが必要なのであり、人間はそういう歴史を歩み、進化してきたのだ。
一極集中がどうのとほざいているアホなんかほったらかしにして、今ここをけんめいに頑張ってみるしかないんだよ。
政府は、無能でも何でもいいから、とにかくここは死に物狂いで頑張れ。被災地の人々はどんなに嘆き悲しんでも嘆き悲しみすぎるということはないし、政府は死に物狂いで頑張れ。菅直人が無能だとかなんだとかいっても、おまえらみたいな外野のギャラリーよりはずっと有能なんだよ。今ここに菅直人という総理大臣がいるということも、われわれ日本人の運命なのだ。今はもう、その運命に殉じるしかないではないか。死に物狂いで頑張れば、何とかなるさ。何とかならなくても、死に物狂いで頑張ったのなら許すさ。
東電の幹部連中の姑息な経営態度もひとまず問わないから、今は、見栄も体裁もかなぐり捨ててこの事態を終息させてみせてくれ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。

人気ブログランキングへ
_________________________________
_________________________________
しばらくのあいだ、本の宣伝広告をさせていただきます。見苦しいかと思うけど、どうかご容赦を。
【 なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか 】 山本博通 
幻冬舎ルネッサンス新書 ¥880
わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

幻冬舎書籍詳細
http://www.gentosha-r.com/products/9784779060205/
Amazon商品詳細
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4779060206/