神なんか知らない・「漂泊論B」59



前回、天皇制の起源を「舞の家」というテーマで書きました。
こんなことを書いても「トンデモ説」として多くの人に一蹴されることはわかっていたのだけれど、どうしても書きたくなってしまいました。
誰かひとりでも関心を持ってくれればいいや、という気分でした。そして、どうやら関心を持ってくれた人がいるらしいということがわかって、ひとまず胸をなでおろしています。
できれば書かないですませておくのが賢明な身の処し方だろうけど、このことを誰もが政治や宗教のパラダイムで語っている現在の状況というのは、やっぱり我慢がならないものがあります。
弥生時代奈良盆地に、政治も宗教も呪術もなかった。そこから天皇が祀り上げられていった。その前提に立てば、どうしても「舞の家」というようなかたちを想定するしかなかったのです。
べつに「舞の家」にこだわっているわけでも確信しているわけでもありません。たんなるアイデアであって、証拠があるわけではない。
しかし、その可能性がないとはいえないはずです。そのための傍証は、それなりに提出したつもりです。
まあ、政治や宗教や呪術というパラダイムでないのなら、べつの可能性でもぜんぜんかまわないと思っています。
そういうパラダイム天皇制の起源を語ることだけは、どうしても信じられない。
このブログの現在のテーマは、日本的な心性の源流に遡行する旅、ということです。



みなさん、古代以前の日本列島の住民が、現代人のような政治意識や市民の権利意識や欲望をたぎらせて生きていたと思いますか。
地方の豪族たちの政治的な駆け引きや取り引きから大和朝廷が生まれてきたとか、大陸から騎馬民族がやってきて大和朝廷を打ち立てたとか、何をくだらないことを、と思う。
日本的な心性の源流というものを本気になって考えたことがないのだろう。
彼らは、自分の政治意識や権利意識や薄汚い俗物根性をそのまま古代人に当てはめて大和朝廷の成立を語ろうとしている。
古事記日本書紀にどう書いてあるとかないとか、そんなものは、政治が生きがいになってしまった後世の日本人が、自分たちを正当化するために、勝手に政治や戦争で大和朝廷が出来上がったことにでっちあげている話にすぎない。
アマテラスだろうとイザナギイザナミだろうと、そんなものは後世のでっちあげであって、原始神道にそんな神などいなかった。
天皇家の祖先は、アマテラスじゃない、「舞の家」だ。
太陽信仰なんか、どうでもいい。そんなものは生きることに執着しはじめた後世の人間たちのたんなる欲望の産物にすぎない。
「いつ死んでもかまわない」と思い定めて生きていた古代以前の日本列島の住民にとっては、「山」こそが生きてあることの「形代(かたしろ)」だった。その思いの切実さを、われわれはもっと考えてみてもいいのではないだろうか。
縄文時代1万年の歴史は山とともにあったのだし。
縄文人の平均寿命は30数年で、彼らは明日も生きてあることを思わないで暮らしていた。彼らにとって山は、恵みをもたらす対象であると同時に、生きさせてくれない対象でもあった。そういう悲喜こもごもの思いを抱きながら、山の自然の中に飛び込んでいった。
人間が普遍的に生き延びようとする欲望をたぎらせている存在だと、いったい誰が決めたのか?
生きてあれば生きてあることに夢中になってしまうのが人間だ。それだけのことさ。そのことと生き延びようとする現代人のスケベ根性とは、なんの関係もない。
生きてあることを嘆きつつ、生きてあることに夢中になってしまうのが人間だ。
歴史を政治や戦争の話にしてしまえば面白いだろうし、おまえら俗物の想像力ではそこまでしか頭が廻らないのだろう。
でも、天皇は、おまえらみたいな俗物ではないし、なかったのだぞ。右翼だろうと左翼だろうと、おまえらのその薄汚い俗物根性を天皇に当てはめるなよ。
天皇は、おまえらみたいな俗物でもなければ神でもない。この世のもっとも弱くけがれのない人の「形代(かたしろ)」なのだ。なんというか、神であって神ではない、人間であって人間ではない、そういう存在の「形代」なのだ。日本列島の心性の源流の「形代」なのだ。
まあ現在の天皇だって、まだまだ日本的な心性の源流に遡行できる「形代」の存在たり得ている、とは僕も思っている。僕の天皇に対する関心は、それ以上でも以下でもない。国歌にも国旗にも、興味はない。



日本列島の天皇制の起源を、おまえらの薄っぺらな脳みそで語られても信用できない。
現在の天皇家には、公表されたことのない記紀以前の古文書がたくさん秘蔵されてあるらしい。
もしかしたらその中には、「われわれは舞の家だからむやみに政治とかかわることはつつしもう」というような家訓が記されていたりするかもしれないのですよ。ないとはいえないですよ。
舞の家であった可能性がないとはいえないですよ。
そしてそんなものを公表されたら、政治に熱心だった天智天皇天武天皇も困るでしょう。そういう時代に、たぶん何かを隠蔽するための物語として古事記日本書紀の編纂が発想されていった。
突拍子もない神の世界の話にしたのは、そういう後ろめたさがあったからでしょうか。そしてそういう「形代」をひとまずまるごと信じて受け入れてゆくのが、日本的な作法だった。
さもありなん、というようなもっともらしいリアルな話をでっちあげるのは、日本的な作法に反した。
「形代」の文化。
あんな突拍子もない話でもひとまず誰もがまるごと信じてゆくと合意されている風土があった。
なにしろ、もともと自分たちの風土に神という概念などなかったのに、ひとまずそれをまるごと信じて神社の祭神にアマテラスだのスサノオだのと祀り上げてゆく人々だったわけです。
「形代」を立てて祀り上げてゆく文化。そういう文化風土が、古事記日本書紀を登場させた。そうしてそれ以後人々は、まるごとそれを信じていった。
そこのところが、もっともらしい史書を残そうとする中国大陸とは作法が違うのでしょうね。
まあ、そういうことにしてこれからの国家建設を進めてゆこうというスローガンの書だったのでしょう。嘘八百なのは誰もがわかっているのに、それでも誰もがそれを信じてゆく風土があった。
そこが問題です。そこが問題なのに、その話の細部をつついて史実を引っ張り出そうなんてナンセンスです。



古事記には、どうしてあんなにも突拍子もない神が次々出てくるのだろう。
そこには、もともと神という概念を持たない民族がそれを輸入して信じてゆくことのくるおしさのようなものがこめられている。彼らにとって神を信じることは、嘘を承知でまるごと信じることだった。嘘っぽければ嘘っぽいほど、それがほんとうのように信じられてゆく、という心の動きがあった。
この世のあり得ないことこそ神の世界の真実だ、と信じられていた。これも「形代=祀り上げる」文化です。それは、ほんとうであって、ほんとうではない。
いずれにせよ、神という概念を持たない民族が神の話をつくるとあのようになる、という見本だと思います。
というわけで僕は、起源としての天皇が支配者であったという話も呪術師であったという話も信じられないのです。
政治も神も未来も思わない人々がどんな思いで弥生時代奈良盆地の山々を眺めていたかということにこそ天皇制の起源を解き明かす鍵がある、と考えているわけです。
近ごろでは、俗世間の政治や宗教のことを考えるのが何か人間として上等であるかのような自意識を持っておられる人が多いようだけど、そんなものは何も知らないのがこの国の伝統ではないでしょうか。
われわれは、政治も宗教も未来も知らないかたちで生まれてくる。これが、人間の基本的な生きてあるかたちで、そこに立ち戻る行為として「祝祭」がある。そしてそのような「祝祭」に生きていた人々がかつての日本列島にいた。
しかし、あるとき、政治や宗教や未来が大陸から持ち込まれ、人々はまるごとそれを信じ込んでいった。そうやってひとまず「祀り上げる」のが日本列島の作法だった。まあ、そういう受難の歴史を思いながら、新しい年を迎えることにします。
ハッピー・ニュー・イヤー、謹賀新年。たぶんまた明日も書くと思うけど、ひとまず。
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