祝福の作法・「漂泊論B」39



縄文人は、集落ごと引っ越すということをわりと平気でしていた。個人の家も、建て替えるときは必ず元の場所から少しずらして建てた。
それは、土の「けがれ」を意識していたからだ。
彼らにとって、世界が「安定と秩序」を持ってくることは、ひとつの「けがれ」だった。この世界もこの生も、「なりゆき」とともに動いてゆくものだった。
まあ、幸せであろうと不幸であろうと、人間は動かないことに倦んでしまう。それは「安定と秩序」であり「けがれ」である。
生き物の体は動くようにできている。生き物は、本能的に「身動きとれない」という事態を嫌う。縄文人は、そういう生き物としての自然に忠実だった、ということだろうか。
人間は「本能が壊れている」生き物であるのではない。人間の行為にだって、つねに「自然」が作用している。行為それ自体が、自然の本能だ。
漂泊こそ人間の棲み家である。
縄文人はこの世界やこの生に「安定と秩序」をもたらす神とか霊魂という概念を持たなかったし、それこそが人間の自然なのだ。
縄文社会には、一夫一婦制の「安定と秩序」を持った家族制度はなかった。男たちは旅に出て、女子供だけの集落を訪ね歩くということをしていた。
彼らにとっての生きてあることは「いまここ」の「お祭り」であり、「安定と秩序」を求めることではなかった。
人間は、いつからそんな作為的な生き物になってしまったのだろうか。
「安定と秩序」は、「求める」という「作為性」によって得られる。
宗教とは神の作為による「安定と秩序」を求めてゆくことだとすれば、縄文人の世界観・生命観から生まれてきた原始神道は、すでに宗教というようなものではなかった。



神道で神に捧げる言葉を「祝詞(のりと)」という。神職にあるものが神にお願い事をする口上のことだと一般的にはいわれているのだが、それは後世のことで、原初的なかたちは、みんなの前で語ったり歌ったりして見せる、ひとつの芸能だった。
縄文人は「存在としての神」など意識していなかったのだから、神に向かって何かを語るということもなかった。もちろん神が何かをしてくれるとも思っていなかった。
何もしてくれないのが日本の「かみ」の伝統である。それは、「かみ」が「存在」ではなかった、ということだ。
「のり」は「のる」の体言で、「接着」「憑依」「関係」の語義。「狐の霊がのりうつる」などという
縄文人にとって「かみ」は存在ではなかったのだから、関係なんか結べないし、「何もしてくれない」対象だった。
祝詞(のりと)」の「のり」は「憑依」というようなニュアンスだが、縄文人は、語ることに憑依しても、「神」に憑依するということはなかった。
そのとき関係は、聴衆とのあいだにあった。「祝詞」は、聴衆に語るものだった。神に向かって言葉を捧げるというようなことは、縄文人はしなかった。
聴衆を祝福するのだ。
神道の根源的な機能は、「祝福」することにある。だから、結婚式は神社で、葬式はお寺で、ということが一般化していった。
神道は現世を祝福し、仏教は死後の世界へと導く。
神道には、「他界=死後の世界」などというものはない。「何もない」のが「他界=死後の世界」だった。そういう世界観・生命観から、死んだら何もない「黄泉の国」に行く、というイメージが生まれてきた。
縄文時代に「かみ」という感慨をあらわす言葉はあったとしても、存在としての神との関係などなかった。彼らは、神という存在も、神の国や死後の世界という「他界」も思い浮かべなかった。「何もない」のが「他界」だった。
やまとことばは、「感慨」を表出する言葉である。縄文人の「かみ」という言葉は、自然の森羅万象に対する驚きやときめきやおそれをあらわす言葉だった。そしてそういう感慨を体験する場として、やがて「神社」が生まれてきた。そういう感慨=感動から生まれてくる言葉を聴衆と共有し、聴衆を祝福してゆくのが、起源としての「祝詞」だった。



弥生時代卑弥呼が神に向かって「祝詞」を捧げ、みんなが後ろでそれを聞いている……というようなシーンは誰もが思い浮かべるのだろうが、たぶん卑弥呼はそんなことはしなかった。
みんなに向かって語ったり歌ったり踊ったりして見せたのだ。そしてそれによってみんなはカタルシスを体験し、結束したりがんばって働くエネルギーにしていった。縄文時代ならなおさらのことで、それは、そういう「お祭り=娯楽」だったのであって、宗教的な「信仰」ではなかった。
神のお告げを聞くことができるとか、そういう発想は大和朝廷ができてからあとのことだ。原始神道においては、「かみ」はお告げをするような「存在」ではなかった。
卑弥呼は、民衆を熱狂させる能力はあったかもしれないが、べつに神のお告げを聞く存在ではなかった。
それは、あくまで「祭り」だった。
神のお告げを聞く存在なんか、代わりはいくらでもいる。そういう「よく当たる」お告げなんか、練習すれば誰でも身につけることができる。「よく当たる」占い師なんか、この世にいくらでもいる。
しかし、みんなを熱狂させる「スター」あるいは「カリスマ」は、そうそうかんたんにはあらわれない。だから、卑弥呼の代わりがなかなか見つからなかったのだろう。
しかしやがて「トヨ」という天才子役があらわれた、ということだろうか。



この国が戦争に負けて、天皇は神の座から降りた。
人々のその虚脱感を埋めるように、美空ひばりという天才子役の歌手があらわれた。彼女は、神とコンタクトをとってみせたのではない。彼女が憑依してみせたのは、神ではなく、あくまで現世的な「言葉」であり「生の息づかい」だった。
「大衆的」という言葉は、ちょいとややこしい。神とコンタクトをとるファンタジーを持った大衆性と、あくまで現世的にこの生の息づかいとしての言葉に憑依してゆく大衆性とがある。
高度経済成長期以降のアイドルは、「ファンタジー」を持った存在になっていった。たとえば天地真理とかキャンディーズとかピンクレディーとか松田聖子とか、彼女らはみな神とコンタクトしている人間離れした存在だった。「人形みたい」といってしまうと語るに落ちるという感じだが、あのころのアイドルはみな人間離れしていた。
人々の衣食住がひとまず落ち着いて、誰もが神と取引できる存在になりたがっていたのかもしれない。
まあ「ファンタジー」にもいろいろあるが、基本的に神とコンタクトしているところから生まれてくる。
現在でも、スピリチュアルのブームとか原発反対の理想主義・人格主義・市民主義とか、すべては「ファンタジー」のムーブメントだといえる。
「ファンタジー」という制度性。人類は、共同体の発生以降、そういう表現や世界に目覚めていった。「ファンタジー」は、人間の自然から生まれてくるのではない。その世界に入ってゆきたいという作為性から生まれてくる。今や、そういう「作為性」があふれかえっている世の中だ。
神とコンタクトをとる「ファンタジー」にこそ人間らしさがある、と思っているのだろうか。彼らは、生きてあることの「なりゆき」に身をまかせることができない。
しかし戦後社会に登場した美空ひばりは、あくまでこの生の息づかいとしての言葉にみごとに憑依してしみせた。これは、縄文的な資質である。松田聖子キャンディーズのようにファンタジックな素敵な言葉の歌を歌ったのではない。
美空ひばりが「りんごの花びら」と歌えば、それはもう、ほかの歌手が歌う「りんごの花びら」とはイメージの喚起力がまったく違う。花びらの白さだけでなく、その白さに対するかなしみまで濃密に表現してしまう。彼女は、言葉の意味よりも、言葉の音声そのもののニュアンスに憑依していった。
やまとことばは、意味よりも、音声そのものに込められた感慨のニュアンスを表出する言葉である。それは、「意味という神」に対する意識が希薄だということだ。
「意味」は、この生の「他界」で発生する。「意味」は、神と取引(コンタクト)して、神から与えられる。
それに対して音声そのものに込められた感慨は、あくまで現世的なこの生の息づかいである。美空ひばりは、そこのところを表現してみせた。
美空ひばりは「死後の世界」も「神の世界」も、何も表現しなかった。縄文人の心性としての原始神道も、あくまで現世を祝福する装置だった。そして現世を祝福するとは、「死後の世界」など勘定に入れずに「いまここ」で消えてゆくことだ。
戦後の日本人は、戦時中の「死後の世界」を勘定に入れて生きたり死んだりしてゆく狂騒にうんざりしていた。
この生に「死後の世界」や「生まれ変わり」を加えて整合性を持たせれば、自殺しやすくなる。スピリチュアルとかのそういうオカルト話を吹きまくっている連中は、そのことをわかっているのだろうか。おまえらが、この国の自殺の多発の後押しをしているんだぞ。
縄文時代には、そんな「ファンタジー」などなかった。
戦後の人々だって、天皇が「他界」の「神」ではないことが、むしろありがたかったのだ。「神」ではないから愛することができた。
大和朝廷が成立する以前の天皇は、「神」でもなんでもなかった。「かみ」という感慨をあつく共有させてくれる、あくまで現世的なカリスマであっただけだ。そしてそういう存在として、美空ひばりが登場してきた。
日本列島の住民にとってのこの生は、現世において完結している。そういう「大衆性」と、共同体の制度性に浸されたところから生まれてくる「ファンタジー」の「大衆性」とがある。そこがやっかいでややこしい。



縄文人を生かしていたのは、この世界やこの生の「安定と秩序」ではなく、気持ちが高揚し充足する「祭り」の体験だった。
だから、男と女は一夫一婦制の「家族」という単位を持たなかったし、「安定と秩序」をそなえた大きな共同体もつくらなかった。
人間は、「安定と秩序」のためのお金や食い物よりも、まず「祭り」としての「娯楽」を必要としている。だから、一年中発情している生き物になった。
現在でも、後進国の住民や貧乏人ほど「安定と秩序」よりも「娯楽」を欲しがる。そうやって、南北の格差や貧富の階層化が進んでいる。
この国の戦後復興がはじまったエネルギー源は、売春や映画やプロ野球などの「娯楽」の充実にあった。
言い換えれば、娯楽が充実するような文化風土を持っていることが、この国の戦後復興を目覚ましいものにした。
何もかもきれいさっぱりと忘れて気持ちが高揚し充足してゆく「祭り」のカタルシスが体験される文化風土が、この国にはある。それは、原始的な心性であり、縄文時代以来のこの国の伝統なのだ。
人間の心は、この世界やこの生の「安定と秩序」だけでは生きられない。人間を根源において生かしているのは、「混沌=なりゆき」に身をまかせるカタルシス(浄化作用)なのだ。
原始神道は、「安定と秩序」を嫌うアンチ宗教だった。縄文人は「安定と秩序」を「けがれ」と自覚し、「安定と秩序」にまとわりつかれることを拒否して、家を移動させたり集団ごと引っ越ししたり、男女が離れ離れに暮らしながら出会いと別れを繰り返してゆくというような生き方をしていた。
彼らは、神に対するどんな願いもしなかった。そういう宗教儀式などなかった。ひたすら生きてあることを忘れようとした。忘れることの「祭り」が生きることであった。
生きることは何かにまとわりつかれることであり、その「けがれ」を引きはがして忘れてしまうことに生きてあることのカタルシスがあった。
日本的な心性の源流に、「死後の世界」のイメージも「生まれ変わり」のイメージもない。われわれは、そういうことを心底から信じることのできない民族である。
あなたたちがそれをどんなに信じ込み救われた気になっていようと、心の底のどこかで信じきれていない。信じきれていないから、線香を上げたりお経を上げたりしないといけない。信じているのなら、そんな作為的なことなど、何もする必要がないではないか。
この生やこの世界をどのように解釈したいか、ではない。自分が望むような、そんなつくりものの世界や生など、ぜんぶ嘘なのだ。
何もしないでも、われわれの胸に迫ってくる感慨があり、この世界この生の感触がある。真実は、そこにこそある。それは、この日本列島を覆っている歴史的無意識としての、「いまここ」の森羅万象がこの世界やこの生のすべてだという感慨である。そんな感慨に浸っていたらこの社会では生きにくくなってしまいもするのだが、しかしそれが、われわれの感性や知性がもっとも自由に豊かに羽ばたくことができる場にほかならない。
まあ縄文人はそのように生きていたし、原始神道は、そのように生きる作法の上に成り立っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ