処女の恥じらい?・「漂泊論B」50



旅をする縄文の男たちの集団が女子供ばかりの集落に訪ねてくれば、まず、歌垣という祭りがはじまる。まあ、いまでいう「合コン」のようなものである。たがいに即興の歌を交わし合いながら、パートナーが決まってゆく。
いきなりやってきてすぐに親しくなれるわけもないから、いつの間にか自然にそういう場が生まれてきたのだろう。
知り合いどうしなら語り合いからはじまるが、この場合は語り合う以前の段階である。
歌い、踊る、それは、山という自然に抱かれてゆく作法である。
彼らが共有しているのは山という自然だけだったし、山という自然が彼らを結び付けていた。
「いまここ」の山という自然に溶けてゆくには、語り合うよりも、われを忘れて歌い踊る方がよりスムーズにダイナミックに実現される。またそうなれば、自我を主張し合って変なトラブルになることも少ない。
歌垣は、彼らの恋愛の大切な手続きであり作法だった。
そしてそれは、即興であればあるほど盛り上がってゆく。
われを忘れていれば、相手が誰であらねばないというこだわりも消えてゆく。しかしなんとなく歌と踊りの波長が合うものどうしの組み合わせにおさまってゆく。それはもう、「なりゆき」だった。
姿かたちや性格がどうのという以前の、体ごとの親密な関係が生まれてくる。山という自然が、そういう関係にさせてくれる。山という自然に飛び込んでゆかなければ、そういう関係になれない。



それは、どんな歌や踊りだったのか。
アフリカでは、自然から飛び立つようにリズミカルに激しく歌い踊る。アフリカのサバンナでは、灼熱の太陽や肉食獣などの自然から逃れるように身を潜めて暮らしている。まあ、くそ暑いからじっとしていたいということもある。だから、歌と踊りで、そうした自然やふだんの停滞した暮らしから離脱し飛び立ってゆく。
しかし縄文人は山という自然に溶けてゆくことをしていたのだから、そういうかたちの歌や踊りになるはずがない。体が空間に溶けてゆくような歌や踊り。
歌は、たとえば皇室の歌会始で和歌を詠むように、一音一音を丁寧に発声しながら空間に溶け込ませてゆく。踊りもまた、空間に溶けてゆくように、ゆっくりしなやかに手を動かしたり体をくねらせたりしてゆく。
アフリカでは歌い踊りながらトランス状態に入ってゆくが、縄文人の場合は、ただもうまわりの空間に対する親密さが胸に満ちてくるだけである。能舞や日本舞踊から、その原型を想像することは、そんなに難しいことではない。
一般的には、原始人はかんたんにトランス状態に入ってしまうというイメージがどうしても付きまとうが、縄文人はきっとそういう祝祭をやっていたのではない。アフリカのサバンナとは気候風土が違う。
カラオケのおじさんおばさんたちが石原裕次郎美空ひばりになりきったり、自分の声に酔いしれたりしてゆくのは、まわりから浮いてしまった一種のトランス状態だろうが、それが日本列島の伝統だとはいえない。
あくまで「いまここ」のまわりの空間に親密になってゆくのが縄文以来の伝統なのだ。
まあ縄文人は、歌や踊りを神に捧げることはしなかったが、まわりの自然に捧げるということはしていたにちがいない。
トランス状態になるとは、自然から逸脱して神との一対一の関係を結んでゆくことである。西洋のキリスト教ユダヤ教は、思考自体がそのようになっている。キリスト教は砂漠の荒野から生まれてきた。だから、自然から逸脱して神との一対一の関係を結んでゆく。
それに対して縄文神道の祝祭性は、自分を忘れてまわりの空間に馴染んでゆくことにある。神との関係なんか結んでいないし、トランス状態にも入ってゆかない。
恐山のイタコ信仰などは、原始神道というより、真言密教などの影響から生まれてきたのだろう。三途の川を渡るなんて、仏教そのものの発想である。平安時代はそんな宗教行為がおおはやりだったのだが、おそらく縄文人はそんなことはしていなかった。
日本列島の伝統的な歌や踊りは、トランス状態に入れるようなかたちになっていない。
トランス状態に入ることは、自然から逸脱してゆくことなのだ。縄文以来の日本列島の住民の山に対する親密さは、そういうこととはむしろ正反対の心の動きである。
山や森に対する親密さが、この国の伝統的な文化や心性の基礎になっている。
弥生時代になって人々が山を下りて本格的に農業をはじめたときも、まず山に抱かれてあるような盆地に住みついていった。
まあ「邪馬台国」とか「やまと」というくらいで、それは、山に囲まれた土地、という意味である。平たく言えば、山が戸になっているから「やまと」という。しかしそれはあとからのこじつけで、実際には、そのとき人々はたおやかな姿をした山に抱かれながら「もうここで死んでもいい」という感慨に浸っていったのであり、その感慨の表出として生まれてきた地名なのだ。
「やま」とは「遠いあこがれ」から生まれてくる音声、「と」は「気持ちにおさまりがつくこと」の表出、彼らにとってその言葉=音声にはそういう感慨がこめられている響きがあったのだ。
「意味」ではなく、まず「感慨」をこめて言葉=音声を発してゆく。これもまた縄文以来の「即興」の文化である。
意味を伝えようとして言葉を発するのではなく、世界に対する「反応」として思わず言葉=音声が口からこぼれ出る。意味は、あとから気づく。やまとことばは、そういう構造になっている。



原始人は、神が世界(自然)をつくったなどとは思っていなかった。だから、神との関係を結んでトランス状態になることもなかった。あくまで、世界(自然)との直接的な親密な関係を結んでいった。
トランス状態といっても、ピンからキリまでのグラデーションがある。呪術師の憑依状態だけに決めつけると間違う。われわれの日常生活の態度や表情そのものに、その傾向の濃淡は記されている。つまりそれは、現代的な文明や制度の病なのだ。
たとえば、いい気になって自慢話をすることだって、ひとつのトランス状態だ。日本列島の住民は、そういうプレゼンテーションの下手な民族である。
プレゼンテーションは神との関係を結ぶ行為であり、カラオケおじさんが石原裕次郎になりきることも同じようなトランス状態に浸っているのだといえる。
トランス状態は、ひとつの文明であり、肥大化した自我の発動である。文字どおりの文明国ではそれを自己主張や支配欲の満足や金銭への執着・憑依等々のかたちでその肥大化した自我を発動しているわけだが、それはもうまぎれもなくトランス状態なのだ。
若いお母さんたちが子供の教育問題を飽きることなく語り合っている光景だって、みごとに神との関係を結んでいるトランス状態ではないか。
そして未開地の原住民の社会でも、それは、神や精霊との関係を結んで人間を支配する装置として機能している。そこでは、たいていの場合、支配者は呪術師でもある。
地球的な共同幻想というのか、現在の地球はそういう文明現象に覆われている。未開人だって文明人なのだ。
しかし日本列島の縄文以来の伝統としては、そのように神との関係を結んでトランス状態に入ることなくことなく、世界(自然)との直接的な親密な関係を結んでゆくのが生きる作法になっている。
外国人がちょっと不思議とも魅力的とも思う日本人特有のしぐさとか表情とかしゃべり方というのはあるわけで、それは、神との関係を結んでいない(=トランス状態にならない)心の動きにほかならない。
大陸の文明人はみな、神との関係を結んでいる。日本人だけが、それをうまくできないではにかんでいる。
自分を忘れて夢中になる、といっても、それは必ずしもトランス状態になることではない。日本人は日本人なりに、自分を忘れて世界(自然)との直接的な親密な関係を結んでいる。日本人のそういう態度の方がもっと無邪気に夢中になっている、といえる場合もある。
日本人は穏やかで激昂しないというが、だからといって冷静でしたたかであるのでもない。ある意味で外国人の方がずっと冷静でしたたかだろう。われわれはじつに他愛なく「なりゆき」に流されてしまったりする。それほどにわれわれは、自我を捨てて世界との親密な関係を結んでいる。
「自分を忘れる=自我を捨てる」ということは、トランス状態になることではない。トランス状態になることはむしろ、自分=自我を手放さないことなのだ。
詐欺師がかわいそうな人間になりきって見せたからといって、自分を忘れているわけではないだろう。そのとき、誰よりも、かわいそうな人間になっている自分に憑依している。



原始神道の巫女は、神社の社殿で歌ったり踊ったりして見せるのが仕事だったのだろうが、そのとき後ろの山や森の自然の精霊(神)に憑依するように激しく体を震わせたり床を踏み鳴らしたりしたかといえば、おそらくそんなことはしなかった。日本列島の歌や踊りにそんな伝統はない。あくまで自然に溶けてゆくようにゆっくりと体を動かしていっただけであるのなら、それでは精霊に憑依して精霊になりきることはできない。
それは、精霊(神)になりきるための踊りではなかった。精霊(神)になりきることと、自分を消して自然に溶けてゆくこととは違う。
自分を消すことは、神や精霊に憑依してゆくことではない。ひたすらイノセントになってゆくことだ。だから巫女は、自我の未発達な処女が選ばれた。
処女は体が汚れていないというのは後世につくられたたんなるたてまえで、自分を消して踊りそのものの中に入り込んでゆく能力を持っていたからだろう。
体操の女子選手だって、「女」になると、恐怖心=自我が芽生えて進歩が止まってしまう。
処女の娘の、自分を忘れて自然に溶けてゆく気配というのは、何か特別のものがあったのだ。それは、技術の熟練によっても神に憑依してゆくことによっても表現できない。何か処女だけが持っているイノセントな精神世界があるわけで、また処女であれば誰もがそれを表現できるというものでもない。
処女というのは漢語で、やまとことばでは「おとめ(乙女・未通女)」という。
「おと」とは「世界の現象に気づいてはたと立ち止まること」で、「深く気づく」感慨をあらわす。だから「音(おと)」ともいう。「め」は「女」。
やまとことばの「おとめ」に、「処女」という意味はない。「深く気づく女」とか「敏感な女」というニュアンスが込められているだけである。
だがそれは、自然にとり憑くのではない。あくまで「反応」として「深く気づく」のだ。
ただ、古代以前の人々にとっての「世界」は「自然」だったが、大和朝廷成立以後は「社会=共同体」が「世界」になってきたために、そういう共同体の制度性に気づきなじんでゆく存在として「男(おとこ)」という言葉が生まれてきた。
「おとめ」の「おと」は、神や精霊に憑く能力ではなく、自然そのもの、さらにいえば「死」に対する親密さの精神世界ということだろうか。「おとめ」は、しばしばかんたんに自殺してしまう。しかしそういうものを持っていないと、鮮やかに自分を消して自然に気づいてゆくことはできない。



肥大化した自我が神や精霊に憑依し、トランス状態に入ってゆく。それは、原始神道の踊りではない。
つねにいつ死ぬかもわからない状況に置かれていた原始人や縄文人にとって、自然や死に対する直接的な親密さこそもっとも切実なテーマだったし、彼らにとっては自分を消す以外にどんな方法もなかった。また自分を消してゆくことの深いカタルシスがあった。そしてそういう体験の名手として、処女が巫女として選ばれていた。
まあ、男とやったことがあるかないかなんて、そうかんたんにはわからない。とくに古代以前は、むやみな貞操観念もなかった。やったかやらないかではなく、自然に対する敏感な感性を持った少女のことを「おとめ」といっただけかもしれない。だから、後世の巫女は、敏感であれば「女」でも「人妻」でもいい、というようになっていった。
そのへんはまあ「なりゆき」でどうにでもなってゆくのが日本文化である。
人間とは、死に対する親密さを生きる存在なのだ。文明人はそれを「死後の世界」や「生まれ変わり」や「霊魂」という概念とともに「永遠の生=超自然」に置き替えることによって解決しようとしているが、原始人や縄文人はもっと直接的に自然や死との親密さを生きていた。だからネアンデルタールは氷河期の極北の地に住み着いていったのだし、縄文人は山の中に入っていったのだ。
日本列島の伝統的な踊りや歌は、神や精霊に憑依してトランス状態に入ってゆくようなかたちにはなっていない。
神道祝詞だって、わけのわからない呪文を早口でまくしたてることとはまったく正反対の作法であり、まわりの自然に対する「反応」として、自分の中から生まれてくる感慨を即興で一音一音自然に溶けてゆくように奏上していったのだ。そういうことは、自我を消して自然に溶けてゆく心地にならないとうまくできない。
トランス状態になってしまったらもう、世界=自然に対する直接的な「反応」はない。
日本列島の伝統は、自我を消してゆくという、死に対する親密さの作法にある。
死にたいする親密さは、世界=自然に対する直接的な親密さでもある。
日本列島の住民は、神との関係を結ぶというトランス状態に入れない民族なのだ。そういうはにかみが、日本的な表情やしぐさになっているのだろうか。
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