縄文人と山という自然・「漂泊論B」46



つらい人生を生きている人に対して、あれこれ生き方や生活を組み替えるアドバイスはあるのかもしれない。そして呪術師あるいは超能力者とやらがその力を相談者という迷える子羊に授けてやる、というパターンも、いまだにいくらでもある。
しかし縄文人は、これ以外の生きようがないという生き方をしていた。つらくない快適な人生にするという方法論も選択肢もなかったし、現代人のような超能力を当てにする心模様もなかった。
アニミズムは、原始宗教でもなんでもなく、現代文明なのだ。
縄文社会に、人生相談なんかなかった。「人生」というイメージそのものがなかった。しんどくてもほかに生きる方法などなかったし、まあ彼らは「生きてあることを忘れてしまう」というカタルシスを豊かに汲み上げて暮らしていたから、ほかの生き方を欲しがるような意欲は希薄だった。
「人生」を持たないものが、人生相談をするはずがない。
おそらく原始人はみなそうだったのだ。
二本の足で立ち上がって猿よりも弱い猿としてしんどい人生を生きるほかないことを余儀なくされた原初の人類は、生きてあることも自分のこともすっかり忘れて世界や他者にときめいてゆくカタルシスを発見した。これが、原始人の生きる流儀だった。
そういう生き方の作法を文化的に洗練させていったのが、縄文時代の歴史だった。
それは、共同体(国家)の成立に向かう基礎をつくってゆくというムーブメントではなかった。向かったのなら、1万年も続くことなく、すぐにそれがつくられていたことだろう。縄文人にその能力がなかったわけではない。
明治以来の日本だって、世界が驚くくらい、あっという間にヨーロッパに追いついてしまった。
個人の生き方だって、べつに能力がどうのということではなく、人それぞれの生きる流儀がある。
縄文時代は、文化が未熟だったから共同体(国家)をつくれなかったのではなく、共同体(国家)をつくろうとしていない文化だったのだ。
そういう「作為性」の上に成り立った文化ではなかった。
オカルトなんて、ただの作為だ。彼らに、「死後の世界」とか「生まれ変わり」とか「霊魂」という言葉でこの生の謎を解き明かしたつもりでえらそうに語られると、むちゃくちゃむかつく。
この生は、謎と不思議に満ちている。
超能力とやらで解決されても、信じられない。おまえらそうやって解決したつもりになっているだけじゃないか、と思うばかりだ。彼らの作為的でえらそげなウンチクよりも、けんめいに問い続けている人の言葉のほうを僕は信じる。
謎を謎として生きるためには、生きてあることを忘れてしまうしかない。人間は、この生を解き明かすことなんかできない、と途方に暮れている存在なのだ。
その、「途方に暮れる」という官能が人間を生かしている。



原始神道を問うことは、つまるところ縄文人の死生観を問うことだろうか。
平和を生きる時代の死生観。それはきっと、戦争の時代の死生観とは違うはずである。
戦争の時代そのままの死生観で平和の時代を生きることはできない。現代社会がそこのところで何かとぎくしゃくしているのは、戦争の時代そのままの死生観で平和の時代を生きようとしているからだろうか。
縄文人は、平和の時代を生きる死生観を持っていた。
生き延びるための「マナ=超能力」を信仰していた、などといってはいけない。それは、現代人の信仰なのだ。
人間はほんらい、自然を支配しようとする存在でも自然に感謝している存在でもない。自然に対する無力性、すなわち自然に翻弄されて生きている存在なのだ。そして翻弄されながら、それでも自然の中に飛び込んでゆく。
自然を支配するも、自然に感謝するもない。
それは、生きてあることの実存の問題であり、官能の問題なのだ。平和の時代になると、そういう問題が浮かび上がってくる。
「命の尊厳」やら「自然に感謝しなさい」といってもせんないことだ。



縄文時代にも「マナ」という言葉はたしかにあったのかもしれない。しかしそれは「超能力」というような意味だったのではない。
「ま」は「まったり」の「ま」、「充足」「調和」の語義。あるいは「間」「真」の「ま」。ぴったりとはまりこんで安定している状態を「ま」という。つまり、よけいなことは忘れて心がひとつに定まっている状態のこと。「これしかない」という生き方・選択のこと。
「な」は「なじむ」「なれる」の「な」、「親愛」の語義。
とすれば「マナ」とは、迷いがないこと、何もかも忘れて夢中でその気になってゆくこと。
縄文人は、超能力を得て「生き延びる」ことが保証されているのを夢見たか?
そうじゃない。
生き延びることなど忘れて、山という自然の中に飛び込んでいったのだ。
氷河期が明けて、山での暮らしの歴史を持たない人々が山での暮らしの中に飛び込んでいったのが縄文時代である。そのとき彼らは「マナ=超能力」を信じ願ったのではない。何もかも忘れてやけくそで飛び込んでいったのだ。そういう行為と気持ちを「マナ」といったのかもしれない。
生き延びることが保証されていることを信じたのではなく、生きてあることを忘れてその自然の中に飛び込んでいったのだ。
縄文時代は気候が温暖になって暮らしやすくなった、などと歴史家はいうが、彼らにとっては、氷河期の平原で大型草食獣の狩をしている方がずっとよかったはずだ。なぜならそういう暮らしをしてきた何万年もの歴史と伝統を身につけていたからだ。
縄文人は、一から山の暮らしをはじめねばならなかった。
気候が温暖になったから暮らしやすくなった……などといっていられるような状況ではなかったのだ。海面が上昇して、それまで彼らが暮らしていた平原のほとんどが水没してしまった。そして気候が湿潤化して川が氾濫しやすくなったために、残った平原も湿地帯になってしまった。
そのような事態に遭遇して彼らは、泣く泣く山の中に入っていったのだ。



原始人や縄文人にとっての自然は、かならずしも生きさせてくれる対象ではなかった。自然から命を奪われる危険はつねに付きまとっていた。それでも、自然の中に飛び込んでいった。飛び込んでゆけば、生きてあることを忘れた。
超能力によって生きてあることが保証されている状態が「マナ」だったのではない。原始人は、そんな退屈な状態を欲しがる存在でも、それに感謝している存在でもなかった。
そんな安心が欲しいのなら、今ごろ人類は住みやすい温暖な地にひしめき合って、地球の隅々まで拡散してゆくというようなことは起きなかったにちがいない。
彼らの生存はつねに死と背中合わせで、その危険を克服するすべもなかった。ひたすら、危険そのものを生きた。人間とは、そういう生き物なのだ。
ネアンデルタールが「マナ=超能力」によって生まれた子供が寒さのためにすぐ死んでゆくという事態を克服することができたか。
縄文人が山の斜面から転落して骨折したり死んだりすることを克服することができたか。骨折して変形した骨を「マナ=超能力」で元に戻すことができたか。何もできなかったのだ。いいかげんあきらめるだろう。克服できないというそのことを受け入れるだろう。原始人にとっては、「克服する」よりも「受け入れる」ことの方がずっと切実な問題だったのだ。
「マナ=超能力」を信じて危険に飛び込んでいったのではない。そんなことを忘れて飛び込んでいったのだ。
生きてあることを忘れている状態が、「マナ」だった。何もかも忘れて夢中で自然の中に飛び込んでゆく心の状態を「マナ」といったのだ。
後世の人々はそれを「マナが宿っている」状態だといった。
まあ、変な自意識は捨てているときの方が火事場の馬鹿力が出るし、体はスムーズに動く。それは「超能力」でもなんでもないが、縄文人はひとまずそれを「マナ」といったのかもしれない。
「まな」という言葉=音声の語感に「呪術」とか「超能力」というようなおどろおどろしいニュアンスは感じられない。もっとやわらかい響きの言葉=音声だ。すなおで柔軟な心のことを「マナ」といっただけかもしれない。そしてその心を持つことこそ、山の暮らしの生命線だった。
自然の中に飛び込んでゆく思い切りの良さや無邪気さのことを「まな」といったのかもしれない。それもまあひとつの能力ではあるが、しかし、後世の人間が解釈する「超自然的な能力」というようなものではない。
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