2008-01-01から1年間の記事一覧

内田樹という迷惑・女にとって出産は労働であるのか

現在のこのブログにおける内田批判の肝は、内田氏のいう、 「人間の本性は<労働=献身>することにある」とか、 「<成熟>することが<人間になる>ということである」 などという主張をしっかりと突き崩すことにあります。 それができなければ、ここまで…

内田樹という迷惑・むすぶ

古事記によれば、この世界のはじまりは、天に「むすびのかみ」が現れたことにあるのだとか。 「むすび」だなんて、変な言葉づかいです。 相撲の最後の取り組みのことを「むすびの一番」という。式の最後は「むすびの言葉」で締めくくられる。 「むすび」とは…

内田樹という迷惑・「なげき」についての雑感

「嘆き」は、手離さないほうがいいと思う。 「嘆き」を携えているから、世界は輝いて見えるのであり、心がときめくのだ。 それじたいとして輝いている世界などない。 山は動かない。しかし、山が動いて見えることはある。そのとき、「あ、あの山は神だ」と古…

内田樹という迷惑・「かみ」の名について

やまとことばは、まぎらわしい。 「端(はし)」と「橋(はし)」と「箸(はし)」・・・・・・言葉が伝えるための道具であるなら、こんなまぎらわしいことはあってはならない。だがこの三つの言葉の音韻は、いずれも「二つのものがつながってゆく契機としての危う…

内田樹という迷惑・文学の起源

中沢新一氏は、日本列島の文学の起源は、旅芸人の語る「なぞなぞ」の話にある、というようなことを言っています。 くだらないと思う。学者という人種は、どうしてこんなのうてんきでていどの低い発想しかできないのだろう。 ギリシア悲劇に、スフィンクスの…

内田樹という迷惑・わかれうた

ネアンデルタールは、どうやら「たれ目」だったらしい。 発掘された彼らの頭蓋骨の写真を見ていると、どうしてもそう思えてくる。 目の部分の空洞が、まさしくそんなかたちになっている。 そりゃあそうだろう。極寒の地で50万年も泣き暮らして生きてくれば、…

内田樹という迷惑・迷信

古代人が「かみ」という言葉を生み出した体験は、宗教体験ではない。宗教が生まれてくる「契機」となる体験だったのだ。 「輪廻転生」がどうだとか「生まれ変わり」がどうだとか、そんな現代人のごときまがまがしい宗教体験とは違う。 それは、「かみ」とい…

内田樹という迷惑・かみ

「神(かみ)」という言葉の語源について考えてみます。 日本で最初に「かみ」と表記した「古事記」の編者太安万侶は、中国大陸の「神」という文字をそのまま使うことを避けて、「迦微(かみ)」と書いた。 中国の「神」という言葉は絶対的な尊厳や力の意味…

内田樹という迷惑・命のはたらきと遊び心

命のはたらきとは「一生懸命」のことである、と誰かが言っていた。あほらしい、われわれはもう、そんな低俗で制度的な物語にはだまされない。 命のはたらきは、「労働」ではないのだ。 命のはたらきのことを、「ホメオスタシス」というらしい。 体の中に異物…

内田樹という迷惑・遊び人と遊び心

「遊び人」というと、われわれ古い人間は、金持ちの若旦那の芸者遊びなんかをイメージしてしまう。 もちろん僕は、そんな遊びなどしたことがない。 芸者遊びは、金を捨てに行くことだ。捨ててしまう気持ちがなければ、あんな贅沢な遊びはできない。車や家を…

真夜中の道端でやんきいの若者の男女が座り込み、しんみりと語り合っていた。 二人は、まるでこの世で最も不幸なものどうしのようにして何ごとかをなげきあっていた。 男は顔を伏せて泣いていた。 その向かいがわの女は、男の肩に手を置いたり頭を撫でたりし…

内田樹という迷惑・「所有」するということ

アメリカ人は、野球が好きだ。 僕も、野球少年だった。 この国の野球というスポーツが戦後になって急速に広く普及していった原動力は、じつは団塊世代の少年たちが担っていた。 あのころは、今のように大人たちが指導をする少年野球のクラブなどほとんどなく…

内田樹という迷惑・「美しい」という感慨

内田さん、生きることは「生き延びる」という「労働」なのですか。 われわれは、そうは思わない。 生きることは、生きることを「味わい尽くす」ことだと思っている。 ハリウッド映画は、生きることをすべて「労働」にしてしまう。生き延びるための労働として…

内田樹という迷惑・品格のない女性論

内田氏は、上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」という本が、あまりお好きでないらしい。 ひとりで死んでゆくという覚悟を決めた彼女は、もはや死んでしまった人間にセンチな未練など示さない。子を持つこともすでに断念している。妊娠した女が「産もう」と…

内田樹という迷惑・「やまと」の語源

「やまと」の「や」は「やさしさ」の「や」、「ま」は「まこと」「ま」、「と」は「ともに生きる」の「と」、などといっている宗教評論家がいる。無意味でくだらない言葉遊びだ。 「やまと」ということばの語源は「山の人(やまびと)」ということにある、と…

内田樹という迷惑・「生まれてきてしまった」ということ

内田氏のように、大人が、子供たちに向かって「成熟せよ」などというあつかましいことをいっていいのだろうか。 大人になるとは、死ぬのが怖くなることです。 だから、死からできるだけ遠去かって未来のスケジュールに身を浸しながら生きてゆこうとする。あ…

どんな行為にも、遊びの部分と労働の部分がある。 人生を労働としてつくり上げてゆく人もいれば、遊びのように成り行きまかせで生きている人もいる。 現代人のようにものごとをあくせく分析したり知識を収集したりすることは労働だが、無邪気にただ味わい尽…

40歳前後の年代のことを、アラ・フォー(アラウンド・ザ・フォーティ)というらしい。 そろそろ人生の秋風が吹き始めるころである。 自分の人生のかたちが、だいたい見えてくる。そこで、自分の人生はこれでよかったのだ、と思いたがるのはたいてい男で、多…

内田樹という迷惑・ヨーロッパとアフリカ

現在、ホモ・サピエンスの遺伝子が地球のすみずみまで覆いつくしているのは、人類が旅をしたからではない、遺伝子が旅をしただけだ、と僕は考えています。 地球上のほとんどすべての集落がまわりの集落と血の交換(たとえば婚姻)をしていれば、ひとつの遺伝…

内田樹という迷惑・雑感

大リーグマリナーズのイチローが、100年ぶりに八年連続の200本安打を記録した。 すごい。誰も挑むことのできない天才だけの孤独な達成である、とスポーツ新聞に書いてあった。 たしかにそうなのだが、天才はわれわれ凡人とは違う、という感想だけでは…

内田樹という迷惑・やまとことばの「くま」

先日、有名な登山家が、奥多摩の登山道で熊に襲われたそうです。 重傷だとか。 熊にどんな意図があるのかしらないが、熊は怖い動物だ。 怖いから「くま」という。 怖いことを、「くま」という。それが、やまとことばです。 だから、畏れの対象としての神も「…

内田樹という迷惑・なげき

このごろ、内田批判の態度を変えていかなきゃ、と思い始めています。 今までは内田氏の言説に対する悲鳴のような自分の反応を中心に書いてきただけだったが、これからはもっと鮮明に内田氏とは違う自分の思想の態度を表現することを試みてゆかないといけない…

内田樹という迷惑・滅びてしまえ

「人間など滅びてしまえ」というコメントと出会うと、どきっとしてしまう。 うん、たしかにそうかもしれないよね・・・・・・とどこかで自分がうなずいてしまっている。 そのコメントのような気分がかけらもない幸せな人やご立派な人は、われわれからすると、うら…

内田樹という迷惑・まつる

正月をはじめとする神道のお祭りは、神と出会う行事です。 「奉(たてまつ)る」とは、神に対する態度のことです。 着物の裾を縫うことを「まつる」という。それによって、着物が完成する。つまり、世界が完結する。 古代の大和朝廷は、朝廷に服しない東北の…

内田樹という迷惑・返信とネアンデルタールのこと

ビヨークはネアンデルタールの末裔であるだなんて、言われてみれば、まったくそうだなあと思ってしまいます。 氷河期の北ヨーロッパを生きたネアンデルタールの女は、たぶんあんな顔をしていたはずです。 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画のビヨー…

内田樹という迷惑・一所懸命

「一生懸命」じゃなく、ほんとうは「一所懸命」と書くのだよ、と誰かが言っていた。 たしか吉行淳之介も、エッセイの中でそんなことを言っていた。 鎌倉武士が、戦功の褒賞として主君から「土地」を賜る。その土地を命がけで守ってゆく。都なんか関係ない、…

内田樹という迷惑・小さな死

人と別れる体験は大切だと思う。 森山直太朗が最新の曲で「生きてることがつらいなら、いっそ小さく死ねばいい」と歌っているが、「小さな死」とは人と別れることだ、と、ある哲学者が言っている。 生きてゆくことは人と別れたり物をなくしたりお金を使って…

内田樹という迷惑・神という「遊び」

ばかでぐうたらで、本人も混乱し、まわりにもさんざん迷惑をかけているニートや引きこもりを、僕は肯定する。そんな彼らの中に、人間としての根源的な衝動が疼いていると思う。 僕は、ニートや引きこもりを理想化し、現実を知らないんだってさ。 知らないさ…

内田樹という迷惑・「神」の起源

神がいるから、「神」という言葉が生まれてきたのではない。人間は、「神」という言葉が生まれてくるような心の動きを持っているからだ。 「いまここ」の「外」に気づくこと、その「外」が「神」である。その「外」に気づきながら、しだいに「神」という概念…

内田樹という迷惑・夕焼けと最後の一日

若者は社会適合者になれるか。適合できるものもいれば、できないものもいる。適合者にならなければと空を仰いでいる若者もいれば、なれなくなってしまった若者もいる。 黙って働け、と言ったって、彼らが明日も生きてあることを誰が保証してやれるというのか…