2008-01-01から1年間の記事一覧

内田樹という迷惑・人間の「理想」と「願い」

この世の中はたとえば内田氏のように幸せで気楽に生きてゆける人たちのものだ、しんどい思いをしている不器用なものなど生まれてきてはいけなかったのだ……という思いが自分の中のどこかにいつもあります。 誰だって幸せで安楽に生きてゆきたいと望んでいるじ…

内田樹という迷惑・「ある」と「ない」

今日は、ちょいとややこしいことを書きます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 意識はひとつのストレスであり、違和感として発生する。 違和感だから、発生する必然性がある。 世界が何の違和もない対象であるなら、意識が発生する必要なんかない。 「……で…

内田樹という迷惑・信じる

「信じるまいとする」ことと「信じようとする」こと。 「信じるまいとする」のは、すでに信じてしまっているからである。 では、「信じようとする」のは信じてないからかといえば、そうではない。信じることができると信じているから、信じようとするのだ。 …

内田樹という迷惑・神の言葉

塩野七生氏の「キリストの弟」という短編小説は、キリストは子供のころから自分のことを「神の子」だと自覚していた、という話です。 しかしそれは、違うと思う。 小説だからべつにそんな風に書いてもいいし、それはそれで興味深い読み物だったのだが、そう…

内田樹という迷惑・「イエス・キリスト」という人

釈迦は、本格的な修行をして悟りを開いた人ということになっているが、キリストの場合は、そんな感じではない。 ある日ふらりと町に現れて、何人かのユダヤ教の指導者たちを次々にひざまずかせていった。そこから布教活動が始まったのではないのだろうか。い…

内田樹という迷惑・予知能力

あの人は予知能力を持っている、という。 「予言」というのは、その内容がどうのという問題ではない。 するか、しないか、の問題なのだ。 すれば、だいたい当たる。当たるような言い方をすればいいだけの話だ。していれば、そういう技術は自然に身についてゆ…

内田樹という迷惑・「悔い改めよ」という律法

内田氏はいつもこんな言い方ばかりしている。 「世の中の人はこんなふうに間違っている。だから、それを悔い改めなければならない」と。 自分以外の人間は、みんな間違っている…という思考回路を持っておられる。そうして「悔い改めよ」と世の中にも世の中の…

内田樹という迷惑・ユダヤ教とキリスト教

神は人間を救済しない。 古代人は、神に気づいたから神を崇めたのであって、神に何かをしてもらったからではない。 現代の俗物は、神が何かをしてくれると勝手に思っていろ。 そこのところは、はっきりさせておきたい。 内田さん、あなたのことですよ。 そし…

内田樹という迷惑・「抱きしめたい」という無意識

「半覚斎」氏は、 「思っている」と「思っていた」とは違う、 と言っておられた。 とても気になる言葉だ。 水彩絵具で、赤い色の上に赤い色を塗れば、下の赤い色は消えている。 しかし、別の色を塗り重ねた場合は、そうはならない。赤い色の上に黄色を塗れば…

内田樹という迷惑・「あそぶ」の語源

「あそぶ」ということばは、すでに古事記の中にも出てくる。 古代人は、どのような気分で「あそぶ」と言ったのだろうか。 「あそぶ」の体言が「あそび」。 「あそ・ぶ」。 「あ」は、「あっ」と気づく、の「あ」。「あなた(向こう)」の「あ」。「注目」・「…

内田樹という迷惑・抱きしめる

「メシア(救世主)」をやまとことばとして解釈すれば「劇的に出現する孤独な人」ということになる、といったら、じゃあ「飯(めし)屋」は「メシア」か、といわれた。 しかし、その通りなのです。あの硬くてごつごつした米粒が、ふたを開けた瞬間、ふっくら…

内田樹という迷惑・無意識の問題

仏教では、無意識のことを「末那(まな)識」というのだそうです。 人間が「まな」と発声する感慨に、インド人も中国人も日本人も、もしかしたらそう違いはないかもしれない。違うかもしれないけど、どこかに共通する感慨があるかもしれない。 インドの古い…

内田樹という迷惑・仏教

最近見つけた「M」氏と「H」氏のブログが、気になっています。 彼らは、仏教の原典と格闘し、「現在」という歴史と格闘している。 彼らは、「ああ、人間とはこんな生き物だったのか」と気づく体験として、仏教の原典や「現在」と格闘している。 学問とは、ほ…

内田樹という迷惑・戦後の風景

ほっとけばいいだけなのに、どうしてそんな風にくそまじめに反応してしまうのか、相手の思うつぼじゃないか、と人から言われました。 昨日寄せられた迷惑なコメントのことです。 まったく言われるとおりで、われながらいやになります。せっかく「神」と「遊…

内田樹という迷惑・「かみ」と「ことだま」

原始時代の男女は犬や猿みたいにくっ付きあっていただけで、現代人のような恋愛感情はほとんどなかった、と考えている人は多い。人類学者でさえ、たいていそう思っている。 それはたぶん、間違っている。 現代ほど、恋愛の成立しにくい時代もない。 相手の稼…

内田樹という迷惑・「自尊感情」について2

団塊世代をはじめとする戦後世代は、大人たちに甘やかされちやほやされて育った世代です。それは、敗戦の記憶や反省を引きずった大人たちに、自信がなかったからでしょう。彼らは、子供たちに対して、戦後の廃墟から子育てを始めることに、少なからず後ろめ…

内田樹という迷惑・自己意識と自他意識

「人間とは自己意識である」と内田氏はいう。 つまり、自分とは何かということをああだこうだとまさぐるのが人間の本性である、そうやってわれわれは自分にこだわりながら生きている、と言いたいらしい。 こんなもの、たんなる内田氏個人の観念的な傾向であ…

内田樹という迷惑・「自尊感情」について

内田さん、あなたはつねづねこう語っておられます。 「現代社会の喫繋の課題は、家族の絆を打ち固めることにある」、と。 社会をよくしたいのですね。けっこうなお志だこと。 しかし僕にとっては「どうすればよいのか」という問題はありません。人々はどうし…

内田樹という迷惑・ハードボイルド

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という小説は、ほんとにおもしろかった。僕も人並みに、ぐんぐん引き込まれて、一気に読んでしまった。 そこで思うのだけれど、この小説のタイトルに、村上春樹が「ハードボイルド」という言葉を使…

内田樹という迷惑・労働という概念の発生2

およそ50万年前の氷河期、原初の人類は、陸続きになったドーバー海峡を渡ってイングランド島という極北の地にたどり着いた。ここから先はもう、人間が住めない氷の世界だった。 50万年前から2万年前までのヨーロッパに生息していたというネアンデルタールの…

内田樹という迷惑・労働という概念の発生

700万年前に直立二足歩行をはじめた人類にとって、生きることはただの「遊び」だった。 生きるといういとなみをただの「遊び」に変えてしまったのが、直立二足歩行だった。どんなにつらくても、それは、ただの「遊び」だった。生きるいとなみとしての食うこ…

内田樹という迷惑・若衆宿の伝統

「あそぶ」とは解き放たれることであり、「労働」は閉じ込められることである、という言い方もできるかもしれない。 閉じ込められるから苦痛だとはかぎらない。 母親の胎内にあることのまどろみ。 お母さんに抱かれておっぱいを吸っていることの充実。 家の…

内田樹という迷惑・ルサンチマン

階層化社会は、「対立」から生まれてくる。 上の階層が下の階層を圧迫するからではない。下が上を突き放すのだ。 階層化社会は、下からつくられてゆく。 現在のこの国では、勉強のできないものが、勉強を拒否する。そんなことは、できるやつが勝手にやってく…

内田樹という迷惑・イギリスの高慢と偏見2

50万年前の氷河期、最初にイングランド島に住み着いていった人々は、誰もが群れからはじき出された「あぶれもの」だった。 しかし極寒の地では、群れをつくらないと生き延びることはできない。 「あぶれもの」どうしが、たぶんそのころでは人類でもっとも…

内田樹という迷惑・イギリスの高慢と偏見

人類が最初にイングランド島にやってきたのは、約50万年前の氷河期である。海面が低下して陸続きになったドーバー海峡を渡ってきたらしい。 氷河期になると、気温が低くなって雲がわいてこないから雨が降らなくなり、そのために気候が乾燥化して、海面が200…

内田樹という迷惑・五人に一人

内田氏はこういう。もしもロックスターやセレブな人種になりたければ、そうなったときのことを微に入り細に入り徹底的に妄想しつづけることだ。そうしたら、夢はかならずかなう、と。 現代を代表する思想家が、こんな低俗なことを本気で信じているのですから…

内田樹という迷惑・泣き女

葬式のときの「泣き女」をばかにしちゃあいけない。 人類の葬送儀礼は、たぶん、女が泣きわめくところからはじまっている。女が泣きわめいたから、「埋葬」するということをおぼえたのだ。 「死者の霊」という概念を持ったからとか、そういうことじゃない。 …

内田樹という迷惑・村上春樹とノーベル賞

内田氏が、「村上春樹は世界的に人気があるからえらい」とおっしゃっておられる。だから、村上春樹の文学は「普遍的」で、とうぜんノーベル賞をもらうべきだ、と。 村上春樹をどう評価するべきかは文学通でもない僕にはよくわかりません。しかしねえ、世界的…

内田樹という迷惑・階層社会

人間社会の「階層」というのは、どのようにして生まれてきたのだろうか。 最近この国でも「階層化社会」などということがさかんに言われてきているらしく、ひとまずこのことを考えてみます。 人間が共同体をつくって生きてゆくとき、階層間の緊張は、生きて…

内田樹という迷惑・あそびとなげき

「あそぶ」とは解き放たれることであり、「労働」は閉じ込められることである、という言い方もできるかもしれない。 閉じ込められるから苦痛だとはかぎらない。 母親の胎内にあることのまどろみ。 お母さんに抱かれておっっぱいを吸っていることの充実。 家…