内田樹という迷惑・「所有」するということ

アメリカ人は、野球が好きだ。
僕も、野球少年だった。
この国の野球というスポーツが戦後になって急速に広く普及していった原動力は、じつは団塊世代の少年たちが担っていた。
あのころは、今のように大人たちが指導をする少年野球のクラブなどほとんどなく、みんな子供たちだけでやっていた。
野球というスポーツは、守備のポジションとか打順など、個人個人の役割が明確に別れていて、しかもルールが煩雑だし、ストライク・ボール、セーフ・アウトの判定もしなければならない。そんなややこしいゲームを子供たちだけで遂行してゆくのは、けっしてかんたんなことではない。
団塊世代以前は、年長の子供がリードしてやっていた。しかし人数の多い団塊世代の子供たちは、同じ世代の子供どうしで、しかも小学校のニ、三年のころからもうそのゲームを成立させていた。
今の小学校ニ、三年じゃ、ぜったいできない。すぐいざこざが起きてゲームが壊れてしまう。
自分の個性を主張しつつ、しかも集団のためにルールに対しては神の命令として忠実に守ってゆく。野球というゲームは、そういう精神の上に成り立っている。それはたぶん、近代合理主義の精神だった。
団塊世代の子供たちは、それほどに占領軍であるアメリカから教えられた「個人主義」と「合理主義」をしっかりと身につけていた。アメリカの教えを最初に摂取していったのは、団塊世代の子供たちだったのです。
そうして野球というスポーツが、急速に国民の生活に浸透していった。
戦後の日本人が近代合理主義にどっぷりと浸かって高度経済成長に邁進していった原動力は、とにもかくにも団塊世代が担っていたのだ。
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欧米人の「個人主義」と「合理主義」は、どこから生まれてきたのか。
その起源はおそらく、「所有」という概念の発生にある。個人主義とは、個人の「所有」を明確にすることだ。
日本列島の歴史は、もともと「所有」という概念があいまいだった。それはたぶん、合理的ではない。
たとえば江戸時代の農村の田や畑は村の共有のもので、一人一人はその「使用権」を持っているだけだった。それはもう、弥生時代以来の伝統です。
田や畑を「所有」している農民なんか一人もいなかった、と言ってもいいくらいです。
大陸では、土地は無限に広がっている。だから、一定部分を個人個人が所有して管理していかないと、管理しきれない。しかし日本列島のような狭いところで個人個人が所有していったら、たちまち混乱やいさかいが起きてくる。
家は、いくつかの部屋で仕切られる。便所と台所と寝室の区別がないのも困る、しかしそのひとつの部屋をさらに仕切るのは、窮屈になるだけであまり賢いことではない。そんなようなことです。
日本家屋の部屋は、ほとんどが襖で仕切られていて、結婚や通夜などの冠婚葬祭のときは、襖を取っ払って大広間にしてしまう。それは、ただ家が小さいからというだけではなく、「所有」とか「プライバシー」というような意識が希薄な民族の発想であろうと思えます。
また、大陸の農民と違って、相互扶助のために村中のものが寄り合うという機会も多かった。しかもその寄り合いは、たいていの場合、各家の持ち回りになっていた。
とくに田んぼで稲を育てるということは、水の管理や害虫の駆除や田植えや収穫の日を決めるとか、つねに村中で話し合い連絡し合っていかないと成り立たないことだった。
水田は、個人の所有になりにくい土地だ。所有という意識の希薄な民族だったから、水田の文化が発達したのかもしれない。
田んぼが本格的に個人の所有になったのは、明治維新以降のことだ。そこではじめて、西洋の「所有」という概念が取り入れられた。で、その結果、田んぼの売買が盛んになって、大地主や小作民という階級が生まれてきた。
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人間が「所有」という意識に目覚めたのは、氷河期明けの1万年前ころから一夫一婦制になり、それまで集団で育てていた子供も各家庭で育てるようになったからでしょう。その結果として、農場や家畜がそれぞれの家庭に割り振られていった。「所有」の歴史は、おそらくそうやって始まった。
もともとは乱婚社会であったのだから、子供も農作物も家畜もみんなで育てていたはずです。そのときには「所有」という意識などなかった。
しかし、一夫一婦制の家族に別れて暮らすようになると、みんなで労働するという必然性がなくなる。怠けるものの分まで働く必要はない。
原始時代は、土地が有り余っていた。だから、土地を奪い合って戦争をするということはおそらくなかった。足りないのは、「労働力」だった。怠け者の分まで働いていたら、いつまでたっても農地も家畜も増やせない。だから、家族ごとに分配し、それぞれの責任・権利において「所有」していった。
人間は、「所有」しようとする衝動に目覚めたから、「所有」の制度をつくり出したのではない。そうやってそれぞれが「所有」してゆくかたちの社会形態が生まれたから、「所有」という欲望に目覚めていったのだ。
だから、そういう社会形態があいまいだった日本列島では、「所有」という意識も「個人主義」という意識も、なかなか育たなかった。
ヨーロッパ人が急速に「所有」という意識に目覚めていったのと同じころの日本列島の住民は、縄文時代というまったくのどかな社会形態にまどろんでいた。彼らには、「所有」するべき家族も土地も共同体もなかった。
ヨーロッパや中東では、歴史の早い段階からすでに奴隷を「所有」していた。「所有」という意識が発達していなかったら、人を奴隷として見たり扱ったりすることはできない。
ヨーロッパ近代の幕開けとなった大航海時代も、植民地を「所有」しようとする衝動の上に繰り広げられていった歴史であったはずです。そういう衝動がなければ、略奪も虐殺もできるはずがない。
そして日本列島における明治以降の近代は、欧米からそうした「所有」の意識と方法を学んでゆく時代であった。
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誰かが言っていた。今の仕事は楽しくやりがいもあるが、金をもらえないのならやらない、と。
労働とは、何かを「所有」しようとする行為だ。いちばんは金で、内田氏のいうように「他者の役に立っている喜び」のためだろうと、それはそれでそういう自己のアイデンティティを「所有」しようとする行為であろう。
自己のアイデンティティ・・・・・・個人主義の欧米人の大好きな言葉だ。それは「所有」という概念に染められた意識から生まれてくる。
野球の守備位置は、九人すべてにそれぞれ違うかたちで割り当てられている。つまり、それぞれがみずからのポジションを「所有」している。いかにも所有欲の強いアメリカ人の好きそうなスポーツだ。打順だってちゃんと決められていて、サッカーのようにひとりだけたくさん蹴ったり、いつ誰に蹴る機会がめぐってくるかわからないようなスポーツではない。誰もがバッターボックスに立つ権利を確実に「所有」している。野球は、「所有」の権利とアイデンティティが約束されているスポーツなのだ。
戦後世相における団塊世代の少年たちは、野球を通じて、大人たちよりも先に「所有」と「アイデンティティ」を学習していった。それは「労働」する意識を身につけてゆくトレーニングでもあった。そうして彼らは、「猛烈サラリーマン」とも「エコノミック・アニマル」ともいわれる存在になり、のちの「バブル景気」を先導していった。
団塊世代の「所有欲」はなみなみならぬものがある。彼らほど圧倒的な「生産=労働」と「消費」の意欲を持った世代は、もう二度と現れないのかもしれない。
内田氏は、いわば団塊世代の残党のひとりなのだ。彼がお題目のように飽きずに唱えている「生き延びる能力」ということだって、団塊世代ならではの競争意識からきているのだろう。団塊世代は、生きることそれじたいを「労働」として生きてきた世代なのだ。彼らは、戦後において、いち早くもっとも確かに近代合理主義を血肉化していった世代である。彼らの自己意識と所有欲は、一級品である。
そうして、奴隷狩りも虐殺も戦争も植民地競争も、すべて、みずからのアイデンティティをかけて何かを「所有」していこうとする「労働」にほかならない。内田氏のいうように人間の本性が「労働」することにあるのなら、そうした行為もまた「本性」のリストから外すことはできない。