内田樹という迷惑・雑感

大リーグマリナーズイチローが、100年ぶりに八年連続の200本安打を記録した。
すごい。誰も挑むことのできない天才だけの孤独な達成である、とスポーツ新聞に書いてあった。
たしかにそうなのだが、天才はわれわれ凡人とは違う、という感想だけではすまない。われわれは凡人なのに、なんとなくイチローの孤独がわかるような気がしてくる。
それは、なぜだろう。
つまりこのことが教えてくれているのは、そういう孤独な試行をじつは誰もがしている、ということではないだろうか。
自分が見ている目の前の街の風景は、ほかの人にも同じように見えているのだろうか。それは、わからない。ほかの人にはなれないのだから、けっしてわかることはできない。そう考えると、なんだかとても不安で落ち着かなくなってしまう。
「私」と「あなた」の関係は、この世にひとつだけの固有な関係である。「あなた」と「彼」との関係とは、けっして同じではありえない。
「あなた」の右のおっぱいの下のほうに小さな傷跡がある。それに対して「私」はどう反応すればいいのだろう。そのしるしに対する「私」の感じ方は、私だけのものだ。ほかの人がどう感じるかなどわかりようもない。「わたし」のこの感じ方を表現するすべは、誰にも教えてもらえない。自分で見つけるしかない。
自分と世界との関係は、自分と世界とのあいだだけにしかない。人と同じである保証は、どこにもない。
「そういうことじゃないんだけど・・・・・・」と口ごもってしまうことはよくある。説明しようがないし、説明しても伝わるはずがない。
われわれは、誰もが「途方に暮れる孤児」の部分を抱えている。
そんなとき社会の規範に身をあずけてしまえれば気は楽だが、それだけではすまない部分がどうしても残ってしまう。
そういうことじゃないんだけど・・・・・・とつぶやきながら、われわれは途方に暮れる。