2011-01-01から1年間の記事一覧

ネアンデルタール人は、集団で大型草食獣の狩をしていた。 同じころのアフリカのホモ・サピエンスは家族的小集団で移動生活をしており、彼らの狩は、個人または少人数でウサギとか土豚などの小動物を捕まえるのがメインだった。そのかわり、川の魚の漁もすで…

日本中がネットワーク化して地域独自の文化が消えてゆくことがなぜ不幸であるかといえば、地域で暮らす人と人の関係が希薄になってゆくことにある。 暮らしが便利になっても、人と人がときめき合う関係が希薄になっていいというわけにはいかないだろう。 恋…

ひとまずこのあたりで自然人類学としてのネアンデルタール人の問題に戻ろうかと思っているのだが、現在の知識人たちがこぞって称揚している「ネットワーク社会」という概念が気になって、どうしても足踏みしてしまう。 5万年前のアフリカのホモ・サピエンス…

まあ行きがかり上、この問題にひとまずの決着をつけてしまいたいわけですよ。 ここでいう「サークル」は、「チーム」と言い換えてもよい。家族であろうと見ず知らずの集まりだろうと、プレゼンテーション(伝達)し合う「ネットワーク」の関係ではなく、たが…

アフリカのホモ・サピエンスの「ネットワーク」社会に対するヨーロッパのネアンデルタールの「サークル」社会、これは現代社会の問題でもある。 ネアンデルタール人のことを語っても、僕はいつだって「現在=今ここ」を意識している。 ネアンデルタール人は…

東浩紀氏の批評・思想の核心は、「ネットワークと郊外型社会と消費文化の基本的な肯定」にあるのだとか。 現在のこの国最先端の批評・思想家らしい人が、こんなカビの生えそうな概念をずらりと並べて悦に入っているのだとしたら、なんだか笑ってしまう。 ネ…

「ネットワーク」よりも「サークル」、ひとまずそう言っておくことにしよう。 「ネットワーク」の関係が新しい時代を切り拓くものだとは、僕はぜんぜん思わない。 「ネットワーク」を信奉することなんか、すでに限界が見えてきている。それはもう誰もが薄々…

人間の自然は、未来をイメージすることではない。それは、現代人のたんなる制度的な観念にすぎない。人間の自然、すなわち人間性の基礎は、あくまで「今ここ」に憑依してゆくことにある。 閉じてゆく「今ここ」の関係を持っていなければ、ネットワークだって…

アフリカの未開人はサバンナで自然そのものの暮らしをしている、と考えるのは正確ではない。彼らは、自然と調和などしていない。 サバンナの暮らしほど不自然な暮らしもないのである。だから現在でも、アフリカ系の人たちは、音楽では不自然で複雑なリズムや…

ネアンデルタール人の社会は、恋心=セックスアピールの文化を持っていたから、大きな集団をつくってゆくことができた。つくろうとしたのではない、自然に大きな集団になっていったのだ。 ネアンデルタールと同じころのアフリカのホモ・サピエンスは、大きな…

いろんな問題が錯綜して、このブログの書きざまもあっちに行ったりこっちに行ったりして読みづらいだろうが、どうか堪忍していただきたい。 まったく、この社会の常識は気に入らないことだらけだ。われわれはこんな愚痴を、共同体(国家)の発生以来何千年も…

ネアンデルタール=クロマニヨンが大きな集団を形成するようになっていったことの基礎には、おそらく「恋(=セックスアピール)」の文化が生まれ育っていったことがあるのだろう。 こういうことを、一般的には、「食糧生産」や「生き延びるため」などという…

まあ僕は、この社会のいろんな常識や通念が気にくわないですよ。 そんなの嘘だ、と言いたくて、このブログを書いているのかもしれない。 しかし、世間の壁は厚い。こんなこと言っても誰もうなずいてくれないだろうな、という思いはいつもある。だから、書き…

ネアンデルタールの社会においては、怪我をしたり疲労困憊していることこそ、もっとも豊かなセックスアピールだった。 だから彼らは、怪我をすることをいとわなかった。人類のセックスアピールの文化は、ここからはじまっている。 三島由紀夫の「金閣寺」と…

セックスアピールは、「空間性」である。「物性」ではない。 たとえば、グラマーな女にセックスアピールを感じるといっても、それはたんなる「立体画像=空間」であって、その触った感触をリアルにイメージできているわけではない。だからこそ触りたくなるし…

極寒の地で暮らしていたネアンデルタールは、おそらく、いつも抱きしめ合うということをしていた。恋心が発生するよりも先にその行為が日常化していたはずだ。 まずはじめは、恋心で抱きしめ合っていたのではない。寒かったからであり、意識が身体の物性に貼…

おそらく、人間的な正面から抱きしめ合うという行為は、ネアンデルタールとその祖先たちのところから本格化してきた。 人類の体毛が抜け落ちたのは、人類の700万年の歴史から見ると、つい最近のことらしい。現在のすべての人間の肌がつるっとしているので…

人は、どうして地震を怖がるのだろう。 そのときわれわれは、津波が襲ってくるとかビルが倒れるとか、そういうことをリアルに想像しているわけではない。意識は根源において、未来を予測しない。 ただもう「今ここ」の地面が揺れることそれ自体が怖いのだ。…

5万年前の人類の世界において、集団性は、北ヨーロッパのネアンデルタール人がもっとも進んでいた。 それは、もっともたくさん人が死んでゆく社会だったからだ。とくに、その極寒の環境のために、乳幼児の死亡率はきわめて高かった。発掘されるネアンデルタ…

他人と一緒に暮らすなんて、鬱陶しいことだ。人間ほどそのことを鬱陶しがる生き物もいないというのに、なぜか「家」という単位をつくって閉じてゆくということまでしている。 それは、「一緒にいる」ことによろこびを見出してゆく存在だからだというわけでは…

ネアンデルタール人は、早く成長するがそのぶん寿命も短いという体質だった。子供は、早く成長しなければ、その極寒の環境の下では生き残ることができない。彼らの平均寿命は30数年で、生まれた子供の半数以上は大人になる前に死んでいった。 しかも彼らは…

人と人の関係は、たがいの身体が「今ここ」で出会っている、ということが基本になる。 われわれの身体は、この社会において他者と「ともにある」のではなく、「出会う」のだ。 愛し合ったり、協力して何かしたりするとき、「身体が共鳴し合う」あるいは「運…

人間を生かしている根源的な心の動きとは何か。 いちばん知りたいのは、そのことかもしれない。 その手掛かりとして、いま僕は、原始人の心を問うている。 原始人の心の動きや行動を、現代人の人間観や世界観で裁量することはできない。しかし、そうは思いつ…

いい社会をつくろうとする善意ほど邪悪なたくらみもない、と僕は思っている。 たとえば、いい社会をつくろうとする「公共心」とか「公民意識」といった制度的な観念の持ち主は、邪魔者や弱い者を排除しないが、彼らを教育して邪魔者や弱い者ではない存在にし…

おさらいをしておきたいと思う。このことは何度でも言いたいのだ。 ホモ・サピエンスの遺伝子だけが世界中に拡散していったのであって、アフリカのホモ・サピエンス自身が世界中に旅して拡散していったのではない。 人類は、猿人の段階から、すでにまわりの…

現代のヨーロッパの言葉の基礎は、ネアンデルタール人によってつくられた。アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパにやってきてつくったのではない。そのころヨーロッパにやってきたアフリカ人などひとりもいない。 言葉が地域によって違うということは、そ…

人間はなりゆきにまかせてしまうところがある。 彼は自分の意思で会社に通っているが、彼が会社に通う身分になったのは、彼の人生のなりゆきだ。小さいころは野球選手になりたかったし、高校のころはロックスターに憧れていた。大学に入ってからは、何か楽し…

人間は、体を動かそうとして動かしている。物が自然の作用でただ動いているのとは違う。動こうとして動いているから人は、他人が何をしようとしているのかがわかる。つまり「予測」ということができる。 科学が、そんなことは分子の運動の結果にすぎないとい…

人間だって猿と同じ生き物だが、人間と猿は違う。人間と猿の違いは、人間と鳥との違いより重要だ。 人間の根源は猿にあるのではない。猿と違うことが人間の根源なのだ。 猿の群れには秩序があって、人間の群れは基本的には無秩序で、そのストレスの中で生き…

閑話休題・泣くという感情について

先日海江田経済産業省大臣が国会答弁中に落涙したとかで、そのことについて内田樹先生が、先験的な感情などというものはない、といっておられる。 泣くことを学習することによって悲しいという感情が生まれてくる、という。 じゃあ生まれたばかりの赤ん坊は…