5万年前の人類の世界において、集団性は、北ヨーロッパネアンデルタール人がもっとも進んでいた。
それは、もっともたくさん人が死んでゆく社会だったからだ。とくに、その極寒の環境のために、乳幼児の死亡率はきわめて高かった。発掘されるネアンデルタール人の骨の半分は子供のものである。これは異常だ。子供の骨は、長い年月のあいだに溶けてしまいやすい。それでも半分は子供の骨が出てくる。
ネアンデルタール人の社会では、大人の死よりも子供の死の方がずっと多かった。それでも絶滅しなかったのは、死んだ子供の数以上に産み続けていったからだ。ネアンデルタールの女たちは多産だった。
ネアンデルタールにとって、仲間の死は日常茶飯の出来事だった。
人類の進化や文化は、そういう絶滅の危機を支払って生まれてきたのであり、集団的置換説の研究者が言うように、ただホモ・サピエンスであれば知能や文化が進んでいたとか、そんな単純なことではないはずである。
そういう文化が生まれてくる「状況」というものがある。そこのところを、現在の人類学の世界ではいい加減にしか考えていない。まあみんな考える能力がないのだから、しょうがないといえばしょうがないのだが。
現在の遺伝子学のデータなんか、いかようにも解釈できるし、まだきっちりと結論が出ているわけではない。
僕は今、アフリカのホモ・サピエンスの出アフリカはあったかなかったか、と問うている。その答えは、今はまだ遺伝子学のデータにはない。
であれば、今問われるべきは、ホモ・サピエンスがアフリカを出てゆくべき状況があったのかということであり、ネアンデルタールをはじめとする世界中の他の人類より知能や文化が進んでいるべき状況があったのかということだ。
そしてそんな状況は、何もなかったのだ。
3〜1万年前のヨーロッパのクロマニヨンの知能や文化が進んでいたとすれば、それは、彼らがネアンデルタールがそのまま進化した人たちだったからだ。そうでなければ、状況証拠のつじつまが合わない。
20〜1万年前にアフリカを出ていった純粋ホモ・サピエンスなどひとりもいない。
アフリカのホモ・サピエンスほど生まれ育った地域を離れたがらない人たちもいなかったし、彼らは、大きな集団をつくることのできる生態もメンタリティも持っていなかった。
その生態やメンタリティは、50万年前以降の氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったネアンデルタールとその祖先たちのもとにあった。
もしも人類の歴史が、ネアンデルタールが滅んだとか、アフリカのホモ・サピエンスに吸収されたとか、そういうことであったのなら、現在の人類がこんなにも大きく密集した群れをつくることはできなかっただろうし、クロマニヨンの文化も氷河期明けのヨーロッパの繁栄もなかったはずである。
人類はなぜかくも大きく密集した集団をつくるようになったのか。多くの人類学者は、「知能」という言葉で安直に片付けている。
それは、「知能」の問題ではない。そういう「状況」の歴史があったのだ。
知能が人類の大きな集団をつくったのではない。「状況」によって生まれてきただけなのだ。大きな集団をつくるなんて、鬱陶しいし愚かな行為である。それでもわれわれがそういう「状況」を持ってしまったのなら、それはもうしょうがないことだろう。
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ネアンデルタールは、たくさんの「他者の死」を見つめながら暮らしていた。
人間がなぜ一年中セックスしたがる生き物になったかとか恋をするようになったかということだって、「死」という概念を持ってしまったということが契機になっているのだろう。彼らは、他者の死を数多く体験したことを契機にして、人との別れに深くかなしむようになっていった。そしてそれはすなわち、出会いのときめきを豊かに体験するようにもなった、ということだ。
人と人の関係の根源的な体験は、「出会いと別れ」にある。「一緒にいる」ということではない。
生まれたばかりの赤ん坊は、胎内世界と「別れ」て、この世界やお母さんと「出会う」のであって、いきなり「一緒にいる」と認識するわけではない。そしてそのあともしばらくは、おっぱいとの出会いと別れを繰り返して生きてゆく。
では、おっぱいを飲んでいるときはおっぱいと「一緒にいる」と認識するかといえば、そうではない。そのときおっぱいの存在ばかり感じて、みずからの身体のことは、空腹が癒されるとともにどんどん忘れてゆく。おっぱいをしゃぶっているかぎり赤ん坊は、自分の身体のことは忘れている。ただもう、そこにおっぱいがある、と認識しているだけだ。それは、「一緒にいる」という意識ではなく、「出会っている」という意識である。
人間の体験として、「出会い」に気づくことと「別れ」を知ることとどちらが先かといえば、おそらく「出会い」が先だろう。生まれたばかりの赤ん坊は、世界との「出会い」に気づいたことによって、事後的に胎内世界との「別れ」を知らされるのだろう。
「出会い」を体験していなければ、「別れ」を知ることもできない。まさか体内の赤ん坊お母さんと「一緒にいる」と認識していたわけでもないだろう。そういう制度的な物語で考えたがる人も多いが、胎内にいてお母さんという存在を認識することなど不可能だ。彼はまだお母さんと出会っていないのである。
ともあれ、「出会い」を体験しなければ何もはじまらないのだ。
氷河期の北ヨーロッパにたどり着いた人々は、あちこちから人が寄り集まってくるのを体験していった。そこはとても寒いところだったし、行き止まりの地でもあったから、人が寄り集まってくるような「状況」があった。
そうやって「出会いのときめき」を数多く体験している人々が、しだいに「他者の死=別れ」を深くかなしむようになっていった。また、たくさん人が死んでゆく社会でもあった。
そういう「出会い」と「別れ」を深く豊かに体験してゆくことによって、人類社会における人と人の関係が濃密にもさまざまニュアンスを持つようにもなっていった。
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人と人の関係の根源的な体験は「出会い」と「別れ」にある。
直立二足歩行をはじめた原初の人類は、そこで、体と体をぶつけ合ってひしめき合っているという「一緒にいる」関係を解体して、二本の足で立ち上がった。それは、ぶつかり合っているたがいの身体を引き剥がし、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくる行為だった。そこから、人間の歴史がはじまった。そのとき人類は、その「空間=すきま」を挟んで他者と出会っていることにときめき、他者の身体と別れたことを知った。
その体験をもたらしたのは、「空間=すきま」である。このときから人類の人と人の関係に対する意識は、この「空間=すきま」に対する意識が基礎になっていった。
「関係意識」とは、「空間意識」である。
人間性の基礎は、空間意識にある。この「空間」に対する意識を洗練させてゆくことによって、人類は猿と分かたれた。
他者の身体とぶつかり合わないですむのなら、もうみずからの身体を物体として意識する必要はない。原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって、みずからの身体を物体として意識することから解放されたのだ。
そうなればもう、みずからの身体は、サイズとしての「輪郭」を把握しておくだけでよい。つまり身体すらも、たんなる「空間」として自覚されることの解放感を体験した、ということだ。
いや、すべての生き物は、みずからの身体を「物体」としてではなく、「空間の輪郭」として自覚しながら生きている。
魚は、みずからの身体がどんなかたちをしているかということは知らないはずなのに、その狭い岩のあいだをすり抜けることができるかどうかということをちゃんと把握している。そのとき魚にとってみずからの身体は、物体ではなく、たんなる「空間の輪郭」にほかならない。
原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって、生き物としての自然を獲得した。自然から逸脱したのではない。世の知識人が言うように「本能が壊れた」のでもない。本能を取り戻したのだ。
この世界を「空間」として把握してゆくこと、それが、意識のはたらきの根源的なかたちであるらしい。
目の前の石ころが、物質であるかどうかはわからない。中身は水であるかもしれないし、空っぽであるのかもしれない。意識の根源においては、たんなる「画像」として見ているだけである。
自分が歩いている道の下に土が詰まっていることなどわからない。表面のすぐ下は空洞になっているのかもしれない。しかしそれは、どうでもいいのだ。身体は物質ではなくたんなる「空間の輪郭」だから、足の下の地面だって物質である必要はない。
この世界の物性は、危機的な状況において知らされるだけである。人や物とぶつかりそうになったら、思わずよける。そうやって知らされているだけである。
この世界の物性を認識するのは、鬱陶しいことである。だから、それを客観化する「科学」という学問が生まれてきた。客観化するとはつまり、この世界の物性とのあいだに「空間=すきま」をつくる行為である。この世界の物性に覆いかぶさってこられたくないから、それを対象化する。科学者はこの世界の物性の原理を知ろうとしているのであって、この世界の物性と親密な関係を持とうとしているのではない。科学者だって、月や太陽は丸い板のように見えているのであって、その物性と親密な関係を結んで球体に見えるようになっているわけではなかろう。
科学者が月や太陽は球体だと教えてくれても、われわれの月や太陽の見え方が変わるわけではない。
意識は、この世界の物性と親密な関係を結んでいるのではない。
物理学とは、この世界の物性をただの数式にしてしまう学問であるのだろうか。科学者にとっては、物性そのものよりも数式の方が魅力的で美しいのだろう。もしかしたら物理学者こそ、この世界の物性からもっとも遠い人たちかもしれない。
この世界の物性は、鬱陶しいのだ。地震の怖さは、世界の物性に気づかされることにある。
身体の物性を感じるのは鬱陶しいことだし、その物性を感じるとは、死に強迫されていることと同義なのだ。
意識の根源においては、この世界はたんなる「画像」であり「空間」でしかない。われわれは、この世界の物性を忘れて生きている。
何はともあれ、この生が世界の物性を認識することの上に成り立っているという常識を僕は信じない。そんなことは、大嘘だ。
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身体の物性を前提にした「一緒にいる」という自覚が、心地よいはずがない。
意識の根源的な主観性においては、この世界を「空間」として認識している。ふだんわれわれはこの世界の物性のことを忘れているし、物性を感じることは、本質的にはストレスなのだ。
であれば、人と人の関係も「出会い」と「別れ」の「空間意識」として結ばれているはずである。人類の歴史は、そのニュアンスが豊かになって、人と人の関係が濃密になってきたのだ。そのとき出会っているという他者とのあいだのその空間が色付いてときめいているのであって、世界の物性に対してではない。その空間がなんとも親密な気配になってときめいているのだ。
人と人の関係が親密になるのは、たがいのあいだの「空間」が親密なものになることであり、そのとき人と人は「一緒にいる」のでははなく「出会っている」のだ。そしてそこに「空間」が生まれるということは、ひとつの「別れ」でもあり、だから恋をするとせつなくなる。その空間は「出会い」の空間であると同時に「別れ」の空間でもある。
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5万年前の地球上では、北ヨーロッパネアンデルタールこそ、もっとも豊かに「出会い」と「別れ」を体験していた。そこから、言葉が発達し、恋をしたり1年中セックスをしたがるというような濃密な人と人の関係が生まれてきた。
ネアンデルタールの社会は、世界中のどの地域よりも人と人の関係が濃密だった。
アフリカのホモ・サピエンスの方が恋をする感受性が豊かだったということなどあり得ないし、彼らが大集団でヨーロッパに移住していっていきなり恋に目覚めたということもあり得ない。
最初から顔見知りの大集団なら、恋なんか生まれてこない。寄り集まってくる、という「出会い」の体験が重なって、はじめてそういう感受性が育ってくる。
出会う、という空間性。人は、この世界の空間性と親密な関係を結んでいるのであって、大集団という物性が恋の感受性を育てるのではない。
共同体の制度性は集団の物性の上に成り立っているが、そんなものに憑依したからといって恋心が生まれてくるわけでもないだろう。世界の物性に憑依することは、ひとつのインポテンツの状態である。それはつまり、みずからの身体の物性にとらわれている状態である。たとえば相手の体を触りながら、触っている自分の手ばかり感じて、相手の体を感じていない。
痒いところを掻く。そのとき、痒い部分のことは忘れよう忘れようとしているから、掻いている手指に対して意識が集中してゆく。そうして、血が出るまで掻いてしまっていたりする。血が出るほどだったら痛いはずだが、忘れてしまっている。そのようなことだ。
みずからの身体に憑依している状態において、世界にときめいていない。
まあ、「自分」という意識が強すぎると、インポになりやすい。自分の存在感、という物性、そのことにこだわって人は「ときめき」を失ってゆく。
ネアンデルタールは、みずからの身体を「空間」として扱う心のタッチを持っていた。身体の物性を忘れてしまわなければ、寒さも忘れられない。それが、極寒の地で暮らす者の心のタッチだった。他者にときめくことも、みずからの身体の物性を忘れる体験だった。
身体の物性を忘れてゆくことが彼らの生きるいとなみであったし、それこそが人間性の根源的なかたちであり、生き物の根源でもある。
生き物は、この世界の空間性と親密な関係を結んで存在している。
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アフリカでは、家族的小集団どうしが移動の途中で出会うということはあっても、男と女が1対1で出会うという機会はあまりなかった。
それに対してネアンデルタールの社会では、みんなが洞窟に集まってくるという習慣があり、そのときは、誰もが個人という立場だった。夜になるとみんなが洞窟に寄り集まってきて、火を囲んで語り合う。
一緒にいる家族の中では恋なんか生まれてこないが、学校や会社やサークルに寄り集まってくれば、恋も自然に生まれてくる。まあ、そんなようなことだ。
ちなみに、サークル(円)の語源は、火を囲んで人が集まっている状態からきているのかもしれない。それは、ネアンデルタールの伝統だ。
ネアンデルタールは、歴史的にも、日常生活においても、人が寄り集まってくるという状況が色濃くあった。そうして、他者の死に悲しむということを深く豊かに体験していた。そういう状況から、恋する感受性が育ってくる。
人間は、「死」という概念を持ってしまった。多くの人間的な文化はそういう不安や怖れというストレスからから生まれてきたのであって、知能がどうのという問題ではない。
そのころ地球上で、ネアンデルタール以上に「死」を深くかみしめている人々はいなかった。そういう状況からヨーロッパの恋やセックスの文化が生まれてきたのであって、アフリカのホモ・サピエンスなんか関係ないのだ。
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社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
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