ネアンデルタール人の社会は、恋心=セックスアピールの文化を持っていたから、大きな集団をつくってゆくことができた。つくろうとしたのではない、自然に大きな集団になっていったのだ。
ネアンデルタールと同じころのアフリカのホモ・サピエンスは、大きな集団をつくることができなかった。外敵のたくさんいるサバンナで移動生活してゆくには、大きな集団をつくることは不可能だった。彼らは、家族的小集団の一夫多妻制の文化を育てていった。
こういう社会では、恋心(セックスアピール)の文化は生まれにくい。
家族的小集団どうしがサバンナの途中ですれ違うだけだから、恋なんか生まれてくる暇もない。さっさと女を交換するだけだ。
現代の家族でも同じだが、こういう小集団は、ひとりのリーダーに率いられ、順位制が自然にできてゆく。まあ、猿の社会と似ている。現代の家族でも、夫と妻、親と子、兄弟姉妹、それぞれで自然に順位がつくられている。
ホモ・サピエンスの家族的小集団でも、男がリーダーになっていた。男たちは、小集団どうしのネットワークで女を交換していた。能力のある男は、何人もの女を所有することができた。
能力のない男は、小集団を組むことも女を持つこともできなかった。それが、サバンナの暮らしの厳しさだった。能力のない男が勝手に女とくっついてしまい、誰も助けてくれない二人だけの状況に置かれたら、けっきょく共倒れになるだけだ。だから、女には恋をすることやセックスの衝動を持つことが許されなかった。そのために、後世のアフリカでは、幼いうちにクリトリスを切り取るという「割礼」の風習も生まれてきたりした。
原始時代のアフリカでは、恋心=セックスアピールの文化も大きな集団も生まれなかった。
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恋心=セックスアピールの文化は、女が主導権を持っている社会で生まれてくる。
女は、男を選ぶ。
男は、女をたくさん所有しようとする。
まあ猿の時代から、オスとメスとしてのそういう傾向がある。べつに人間にも生き物にも優秀な子孫を残そうとする目的などあるはずもないが、セックスアピールを感じる感受性は女の方が豊かに持っているし、それは優秀な子孫を残したいという衝動でもない。
つまらなくひ弱な男でもセックスアピールを感じさせる場合はいくらでもある。
草食系男子にはセックスアピールがないだなんて、社会の常識に冒された大人たちのただの偏見にすぎない。「生き物には優秀な子孫を残そうとする衝動がある」という動物学の常識だって同じで、何を頭の悪いことを言っているのだろうと思う。
生き物は子孫を残そうとする意識でセックスしているわけではないし、生まれた赤ん坊なんか、人間だろうと猫だろうと鳥だろうとみんなひ弱で、「優秀」とか「強い」ということからはもっとも遠い存在すぎない。この世のもっとも弱い存在を愛し助けようとする思いがなければ、人間だって鳥だって赤ん坊なんか育てられない。そういう存在の生き物が、どうして優秀で強い子孫が欲しいとなんか思うだろう。優秀で強いことに対する望みよりも、何もわからず弱い存在に対する愛惜の方が、生き物の生にとってはずっと大切なのだ。生き物の生が引き継がれていっているということは、そういう心の動きの上に成り立っているのだ。
「優秀な子孫を残そうとする」なんて、現代社会のただの制度的な観念にすぎない。生き物の生の根源が、そんな手垢にまみれた「成功物語」に対する信仰の上に成り立っているはずがないじゃないか。猿や鳥や原始人にとっては、そんな「成功物語」なんかどうでもいいんだよ。
彼らは、ひたすらこの世のもっとも弱い存在に対する愛惜の上にそれぞれの生をいとなみ、引き継いでいっている。
動物学者だろうと人類学者だろうと、この世の大人という常識人たちだろうと、おまえらのとんまな「常識」には、ほんとにうんざりさせられる。
すなわち、ネアンデルタールの女たちが感じていた恋心=セックスアピールは、現代人の「優秀な子孫を残そうとする衝動」とは何の関係もない。
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女はもともと性欲を持っていないが、男は女を前にして性欲を起こす(勃起する)。だから、性欲を持っていない女が男を選ぶ。女が選ぶことによって、セックスが成り立つ。これが、自然なオスとメスの関係だろう。
男は、女が女であれば欲情する。女は性欲がないからこそ、セックスアピールで男を選ぶ。性欲がなくても、猿のメスは性器が充血していたたまれなくなっているから、しないわけにはいかない。
人間の女の性器がどうなっているのかは僕にはよくわからないが、まあ女の方が相手のセックスアピールに対する感受性は豊かだ。
だから、女が主導権を持っている社会でなければ、恋心(セックスアピール)の文化は生まれてこない。
人類の恋心=セックスアピールの文化は、女が男を選ぶことによって生まれてきた。男は、女であれば誰でもよかった。節操がなかったとかセンスがなかったとか、そういうことではない。女であるということそれ自体に深くときめいていたからだ。それが、「勃起する」という男の性だった。
そして女には、男であれば誰でもいいというような「性欲」がなかったから、男をセックスアピールで選ぶようになっていった。ネアンデルタール人の社会では、寒かったから、性欲がなくても女だってセックスをしたがった。抱きしめ合わないと生きていられなかった。
一年中発情しているという人類の性は、彼らの時代に開花した。だから現在でも西洋人の夫婦は、毎晩のようにセックスするということが習慣化している。それは、ネアンデルタール以来の伝統なのだ。
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ネアンデルタールの社会では、女の方が主導権を持っていた。そこが、アフリカの、ホモ・サピエンスの社会と決定的に違うところだった。
ネアンデルタールの男と女の関係がなぜことさら女が男を選ぶという仕組みになっていったのかという理由は、女には性欲がないということのほかにもいろいろあると思う。
たとえば、女の方が皮下脂肪が多いから、寒さに対する耐久力があった。だから、女の方が弱音を吐かなかった。
そして、女の方が定住することに対する順応性があった。こういうときに、一般的には、女は「産む性」だから、という説明で片付けられることが多いが、それではちょっと物足りない。
もちろん、妊娠中の歩いての移動は困難だということはある。しかし、それだけではあるまい。
女は、体質的に体温の上下動が激しいし、思春期を過ぎれば毎月のさわりと付き合ってゆかねばならない。そのようにして身体の物性の鬱陶しさに耐えるトレーニングをたくさん積んでいる。だから、精神的に、寒さに対する耐久力も定住することの鬱陶しさに耐える能力もある。
男の心は、すぐに飽きたり耐えられなくなったりしてしまう。
というわけで、定住すれば、自然に女が主導権を握る社会になってゆく。ネアンデルタールの極寒の地での定住は、女によって支えられていた。
男は狩りをして食料を調達していたから男に主導権があったなんて、そんな単純なことではないのだ。原始社会の構造は、そんな安っぽい経済原理では説明がつかない。
そして定住することの鬱陶しさ(嘆き)を受け入れてゆけば、自然に人は寄り集まってくる。
その上極寒の地に置かれたネアンデルタールは、抱きしめ合いセックスするという行為が日常化していた。そういう状況から、恋心=セックスアピールの文化が生まれてきた。
女が主導権を持っていたということは、女が選ぶことによって男女の関係が成り立っていた、ということだ。
女の本性としての「選ぶ」という心の動きによって、人類史における恋心=セックスアピールの文化が生まれ育ってきた。
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