日本中がネットワーク化して地域独自の文化が消えてゆくことがなぜ不幸であるかといえば、地域で暮らす人と人の関係が希薄になってゆくことにある。
暮らしが便利になっても、人と人がときめき合う関係が希薄になっていいというわけにはいかないだろう。
恋が生まれない町になってもいいというわけにはいかないだろう。
いや、それでも若者たちはいつの時代も恋をしているわけだが、町全体の空気として、やはり時代によって微妙な濃淡はある。
戦後、地方の人口がどんどん都会に流れ込んでいった。つまり、それによって若者たちの恋が引き裂かれていった。だったらもう、恋は都会に出ていってからした方がよい。都会の方が素敵な出会いがありそうだ。そういう空気が生まれてくれば、地方での恋のボルテージは、とうぜん下がってくる。ボルテージが下がってくれば、都会に出て行きたくなってしまう。若者たちはもう、いつ別れてもいいような恋しかしなくなる。
そのようにして、戦後は、地方での恋の文化が衰退していった時代ではなかっただろうか。
それはつまり、全体として人と人の関係が希薄になっていったということでもあるだろう。
テレビが普及して、東京の情報が日常的に入ってくるようになれば、町も人々の暮らしも、少しずつ東京風になってゆき、町が文化を自給自足しようとするエネルギーを失ってゆく。そうして、人と人のあいだの連帯感というか、ときめき合う心もしぼんでゆく。
人々の心はもう、半分は東京や新しい暮らしに向いていった。町の文化を共有しているという連帯感よりも、東京や新しい暮らしの情報を交換し合う関係になっていった。いぜんとして人々は仲良く暮らしていたが、つながり方が昔とはもう、どこか違っていた。
戦後とは、町や村の「サークル」の文化が、中央集権的な「ネットワーク」の文化に浸食されていった時代だったのかもしれない。
だから今、町や村独自の文化を復活させようとするムーブメントが起きてきている。しかしそれは、建物や名産品などのハードの文化だけではだめで、若者たちの恋も活発になってこないといけない。人と人がときめき合う関係になってきているかが、町おこし・村おこしの試金石になる。
それはつまり、人々の心が、外からの情報ではなく、今ここの目の前の人や景色にときめいているかどうか、ということだ。
人々が目の前の人や景色に全身で反応してゆくところから、町や村の「サークル」の文化が生まれてくる。
べつに、町や村の特産品なんかなくてもいい、人々の心が目の前の人や景色にときめいてゆくところからはじまる。何はともあれ、その心を失ったところから、町や村の文化も衰退していったのだ。
町や村の経済を豊かにすることだけが町おこし・村おこしというわけでもないだろう。それはともかくとして、人と人がときめきあって生きてゆける社会とは、どんな社会なのか。何はともあれ人間存在の根源は、その体験の上に成り立っているのではないだろうか。
集団の鬱陶しさを引き受けつつ、この鬱陶しさ(嘆き)を共有しながらときめきあってゆく……これが、直立二足歩行の発生以来繰り返されてきた人間のいとなみではないだろうか。人間は、そのようなかたちで存在しているのではないだろうか。
人間であるかぎり、生きていればしんどいこと(嘆き)はついてまわるし、だからこそときめき合いもする。とすれば、ときめき合う体験が希薄になったということは、「嘆き」を共有してゆく、という関係が希薄になったからかもしれない。
共同体のシステム(ネットワーク)が、「嘆き」の対象ではなく、心地よいものになっていった。そしてそれが心地よいものになったということは、それに浸食されていったということでもある。
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江戸時代の農民は、「みんなで貧乏しよう」というコンセプトでつながり合っていた。貧乏なんかつらいだけに決まっているが、何はともあれ「嘆き」を共有していこうとする文化風土があった。そういう人間の自然が、人々の無意識にはたらいていた。なんのかのといいながら人と人は、「嘆き」を共有しながらときめき合っている存在なのだ。そのようにして集団が閉じてゆく(結束してゆく)。
生きてあることに「嘆き」がなければ、ときめく心なんか起きてこない。
そしてときめき合うから、人間的な連携プレーが生まれてくる。江戸時代の農民社会は連携プレーがなければやっていけなかったから、自然に「嘆き」を共有しながらときめき合うという無意識がはたらいたのかもしれない。
とすれば、戦後の町や村は連携プレーを必要としなくなっていったから、人と人がときめき合う関係も希薄になっていったのかもしれない。だから今、町おこし・村おこしの共同作業を活発にさせたり、祭りなどの行事を復活させようとしている。
しかしそうした試みも、人と人がときめき合うという内実がともなっていなければ空疎なものになってしまう。そして、町(村)おこしをしようというスローガンを共有してゆけばときめき合えるかといえば、そういうものでもないだろう。
ときめき合うという関係は、「嘆き」を共有してゆくところから生まれてくる。戦後の町や村は、この関係を失っていった。いや、日本全体が、というべきかもしれない。
だからわれわれは、人間賛歌や生命賛歌などしてもしょうがない、と言いたいのだ。そういうスローガンで「仲良くする」という形式はひとまずつくることはできるが、「ときめき合う」という内実が生まれてくるわけではない。
人は、「仲良くする」という形式だけで生きていけるわけではない。「ときめく」という心の動きがなければ生きていられない。
「仲良くする」という形式だけで生きてゆくためには、自己満足こそいちばん大切だという主義にならないといけない。「自我の充足」というのだろうか、戦後は、その追求が生きる作法になってきた。そうして、ときめき合うという関係をどんどん失っていった。
「自我の充足」のためには、人間賛歌や生命賛歌は有効だ。しかし、そこからは「ときめき合う」関係は生まれてこない。「仲良くする」という形式が機能しているだけである。
ときめき合わないと、連携プレーは生まれてこない。そのようにして戦後の町や村が崩壊していった。嘆きを共有していないと、ときめき合う関係は生まれてこない。だから江戸時代の農民は「みんなで貧乏しよう」と言った。
貧乏という言葉はあくまで方便で、彼らは「嘆き」を共有してゆこうという無意識を持っていた。
「嘆き」は、人間が生きてあることそれ自体の実質である。それを自覚してゆくことの上のこの国の文化の伝統が成り立っていた。それを、戦後のこの国は、かなぐり捨てていった。
人間賛歌や生命賛歌で町おこしや村おこしをしたってだめに決まっている。「みんなで貧乏しよう」というコンセプトの方がずっと有効だと僕は思う。恋が生まれる町にならなきゃあ、若者だってそこでは暮らせない。人間賛歌や生命賛歌で、恋は生まれない。
東浩紀氏や上野千鶴子氏が「ネットワーク社会の肯定」というスローガンを合唱していることだって、つまり、戦後はまだ清算されていないということであり、そんなものは戦後社会そのままの論理にすぎない。
では、どうすればいいのか。
そんなことは僕にはわからない。
それでも人々は恋をし、ときめき合って生きている。ただ、その底ではたらいている無意識は、人間賛歌や生命賛歌を共有してゆくことではなく、「嘆き」を共有してゆくことにある。
何を嘆くかという問題など存在しない。人間はすでにこの生に対する嘆きの上に存在している。すでに嘆きを共有して存在しているから、恋が生まれてくる。
いつの時代も、誰であれ、存在の仕方が間違っているということはない。社会も人も、なるようになってゆく。どんな社会をつくればいいかとか、どんなふうに生きればいいかとか、そんな計画を立てるから間違うのだろう。
計画さえ立てなければ、人は人間の自然に沿って生きてゆくのだろうし、恋をしたりときめいたりしてゆくのだろう。
何もするな、ということではない。人間の自然に沿って「せずにいられないこと」はあるにちがいない。
戦後という時代は、ひとまずそのように流れてきた。さてこのあと、どうなってゆくのやら。
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