2013-01-01から1年間の記事一覧

「羞恥心」と「恥の意識」

1 羞恥心は、世界中の人間が持っている。 そしてそれが大人のたしなみだと思うと間違う。羞恥心は、子供や原始人の方が豊かに持っている。 なぜならそれは、弱い生き物の特性だからだ。それは、弱い生き物として生きるほかない乳幼児期に芽生えてくる。そし…

「羞恥心」の歴史

1 二本の足で立っている猿である人間は、みずからの身体と環境世界との関係に「とまどい」を持っている。そこから「羞恥心」が生まれてくる。 一歳を過ぎて歩いたりしゃべったりするようになってきた幼児は、羞恥心が芽生えてくる。それをよくお母さんとの…

「羞恥心」の水源

1 幕末のころにやってきた西洋の宣教師が「日本人はおそろしく怠惰な民族だ、明日のことを何も考えていないし公共心もない」と本国に報告したらしい。 おそらくそれは当たっている。それほどに原始的幼児的な民族だったのだ。意識が、時間的に空間的にも広…

「羞恥心」について

1 人間の普遍性としての「羞恥心」について考えている。 文明人の自尊心に上に成り立った「恥」の意識とは違う、原初的な「はずかし」の意識である。 それは、人間存在の身体と世界との関係の問題でもある。 原始人は世界(自然)と一体化して生きていたと…

つれづれ

休業中の備忘録というか、雑記帳をときどき書いておくことにします。 ある人とのメールの交換で、「視覚の焦点を結ぶ」という問題について考えさせられることがあり、これはとても大きな問題だと思ったが、うまく考えることができないままで終わってしまい、…

蛇足

ほんとに心を入れ替えてひとまずこのブログを中断しないといけない状況があるのだけれど、なんだかぐずぐずしていて、もうひとつだけ書いておきます。 これまでのこのブログを書く醍醐味は、書きながら「あ、そうか」と気づく体験があったことにあります。そ…

枕詞論のまとめ(下)

ひとまずこれで、しばらく中断します。 これは、中断することとは直接関係ないことなのだが、このところずっとしつこい嫌がらせのコメントが続いています。それだけならまあ我慢するしかないのだが、どうやらパソコン内の情報を盗まれ、おまけに住んでいる街…

枕詞論のまとめ(上)

なんかこの終わり方では気持ち悪いので、枕詞論のまとめを最後に入れておきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 青い空を見上げながら、枕詞のことを考えた。 いまどきの愚劣なこじつけの解釈に閉じ込められてしまった「あおによし」とい…

私信

パソコンが壊れてしまったので、しばらく休業します。 これはネットカフェで書いています。 パソコンだけでなく、いろいろ崩壊の危機に瀕していることがあって、心がけを改めないといけなくなりました。 あれやこれや、わっと押し寄せてきた、というか。 何…

「たくつのの」・起源としての枕詞 16

<はじめに> 御訪問、ありがとうございます。 僕は、ふつうに社会人生活をしていれば、定年を迎えてひと仕事すませた気分になれるような年まで生きてきてしまいました。それなのに、どこをどう間違ったのか、自他ともに人並みと認められるような生活とは、…

「たまきはる」・枕詞の起源 15

1 現代人がいちばん「たま=霊魂」という連想をしやすいのが、「たまきはる」という枕詞である。 「たまきはる」とは、「きはる心」ということ。「たま」はべつにつけなくても「きはる」だけでそれを表しているのだが、ひとまず枕詞の「姿」を整えるために…

「たま」・起源としての枕詞14

1 今や、古代以前の人々の暮らしをアニミズム(霊魂信仰)で語るのは世界中の通説になっている。この倒錯した合意の壁は厚い。 とくに欧米などのキリスト教圏の人々は、人間の歴史を信仰の歴史に回収して考えたがる傾向がある。 だが、そういうことではない…

「たまかづら」など・起源としての枕詞 13

1 起源としての枕詞は、「感慨の表出」の言葉である。 「たまかづら」という枕詞は、蔦などのつる草のことだとか、あるいは玉をつないだ髪飾りだともいわれている。しかしそれらの名称は、おそらくこの枕詞にちなんであとからつけられたのであって、枕詞よ…

もういちど『初期歌謡論』から・起源としての枕詞 12

1 吉本隆明氏の『初期歌謡論』における次の文章は、僕にとってはとても気味悪い文章である。 これは、彼の個性だろうか。それともこれが、一般的に合意されている歴史認識なのだろうか。 なぜ<歌>は直裁に<心>の表現で始まり<心>の表現で終るところに…

「さねさし」・起源としての枕詞 11

1 この枕詞論は、こんなにも書き続けるつもりはなかった。 最初は、ちょっとした気分転換として、「あおによし」はいままでいわれているような姿の枕詞ではないのだということ、それだけをいうつもりだった。 しかし、調べてみると、世の研究者はほんとにい…

「ぬばたまの」・起源としての枕詞 10

1 枕詞の語源は、「感慨の表出」にある。やまとことばは、そのように生まれ育ってきた。そして古代人は、それをちゃんとわきまえながら枕詞を使っていた。。 「ぬばたまの」という枕詞も、万葉集にはたくさん出てくる。辞典には「ヒオウギの実」のことだと…

たまのをの・起源としての枕詞9

1 このシリーズのこのあとはもう、ぐだぐだと「霊魂」の問題が続きます。われながらしつこいなあと思うのだけれど、どうしても気になる。もともと霊魂などというものを深く考える人間でもなかったのに、気になってしょうがない。もちろん、霊魂という問題意…

ふゆごもり・枕詞の起源8

<はじめに> 御訪問、ありがとうございます。 僕は、ふつうに社会人生活をしていれば、定年を迎えてひと仕事すませた気分になれるような年まで生きてきてしまいました。それなのに、どこをどう間違ったのか、自他ともに人並みと認められるような生活とは、…

「やまぶきの」―中西進氏の場合―

<はじめに> 御訪問、ありがとうございます。 僕は、ふつうに社会人生活をしていれば、定年を迎えてひと仕事すませた気分になれるような年まで生きてきてしまいました。それなのに、どこをどう間違ったのか、自他ともに人並みと認められるような生活とは、…

「玉床(たまどこ)」―折口信夫の場合―

1 枕詞の問題を考えるとき、現代の研究者たちは、折口信夫の影響が強すぎるのではないかと思える。 折口信夫を無視して枕詞の問題は考えられない、と思っているらしい。 あんないい加減で百害あって一利なしの言説をありがたがっているなんて、ほんとに愚か…

「たまかつま」「たまゆら」など・枕詞の起源

1 枕詞にいちばん多く使われているのは「たま」という言葉だろう。 古代以前の人々はこの言葉をとても多種多彩に使っていて、もっともなじみ深い言葉のひとつだったらしい。 「たまかつま」「たまかづら」「たまきはる」「たまくしげ」「たまくしろ」「たま…

「あさつゆの」「あまざかる」…「枕詞の起源」

1 誰にだって「人間とは何か?」という問いはある。そこに立って考えれば、既成の枕詞に対する通説など信用できないものばかりだ。 古代以前の枕詞は、ひとつの具体的な意味ではなく、その言葉の音声がまとう感慨のニュアンスを人々が感じてゆくことの上に…

「あじさはふ」「つぎねふや」など・枕詞の起源

1 「あぢさはふ」「いめたてて」「うちひさす」「しなざかる」「つぎねふや」等々の語義がよく知られていない枕詞について考えてみたい。 それらは現在、こじつけでおかしな解釈がなされている枕詞である。 まず「あじさはふ」。「目」にかかる。 辞典の説…

歌垣と枕詞の起源

1 「きゃりーぱみゅぱみゅ」という言葉に、なんの意味もない。そんなことは、みんな承知している。承知しているが、女の子の名前だといわれれば、ああそうか、と納得する。 なんの意味もないから、その女の子がどんな性格でどんな体型でどんな暮らしをして…

ひさかたの・「天皇の起源」75

1 枕詞をひとつひとつ検証していたらきりがない。なにしろ千以上もあるというのだから。 ともあれここではいま、既成の枕詞に対する認識を根底的なところで問い直したいと思っている。 枕詞は、あとにかかる言葉を修飾しているだけの機能として用いられてき…

あしひきの・「天皇の起源」74

1 もう少し枕詞を具体的に検証してみよう。 「あしひき」は「山」にかかる。 「あし」の「あ」は、「あ」と気づき「ああ」と嘆く感慨。「あ」は、脳において最初に発生する意識である。われわれの意識の運動は、「あ」と「気づく」ところからはじまる。「あ…

あおによし・「天皇の起源」73

1 枕詞について考えてみる。 古代人はなぜ枕詞が好きだったのかということをちゃんと問われているだろうか。 そして枕詞のほんとうの機能は解き明かされているだろうか。 一般的にはあってもなくてもよい飾り言葉のようにいわれたりもするのだが、何かそれ…

水田耕作の文化・「天皇の起源」72

1 まあ、よかれあしかれ、日本列島は水田耕作の文化なのだ。 天皇家も稲つくりの文化との関係は深く、稲に関する儀式がたくさん残っている。 しかしそれは、稲がどこから伝わってきたかとか、天皇家の御先祖がどこからやってきたかというような問題ではない…

姿と禊の文化・「天皇の起源」71

1 日本列島の「姿」の文化は、縄文以来の「みそぎ」を願うメンタリティから生まれてきた。 「みそぎ」とは、身体をからっぽのまっさらなかたちに戻すこと。生き物の生のいとなみは、身体を「非存在」の「空間の輪郭」として扱ってゆくことにある。そのよう…

あなたがあなたであればそれでいい・「天皇の起源」70

1 弥生時代の奈良盆地を大きな都市集落にしていったのは、政治制度が発達していたからでも生産性が高かったからでもなく、おそらく民衆自身の祭りと交易のダイナミズムにあったからだ。 つまり、どこよりも人の動きが活発な場所だった。 その祭りの中心に、…