「あさつゆの」「あまざかる」…「枕詞の起源」


誰にだって「人間とは何か?」という問いはある。そこに立って考えれば、既成の枕詞に対する通説など信用できないものばかりだ。
古代以前の枕詞は、ひとつの具体的な意味ではなく、その言葉の音声がまとう感慨のニュアンスを人々が感じてゆくことの上に成り立っていた。意味にこだわる現代人にはわけがわからない言葉でも、その当時の人々はなんとなくその枕詞に共有された感慨が込められていることを納得し合っていた。
やまとことばは、そういう機能ととともに洗練発達してきた。
枕詞の起源は原始神道の「祝詞」にあるという説もあるが、おそらくそうではない。
日本列島の「歌」の起源はそんなところにあるのではない。
神道祝詞など、歌の歴史からすれば、そう古いことではない。
まず男女のあいだで他愛なく歌が交わされる祭りがあった。神に対する信仰とかそういうことではなく、歌や踊りは、出会った男女が仲良くなってセックスすることに向けたあいさつの作法だった。
原初の祭りは、世界中どこでもそのように催されていたのであり、そこから「歌」が生まれてきた。
神に対する信仰(アニミズム)からではない。原始社会にそんな信仰などなかった。
そんなものはなかったが、仲良くなってセックスするための作法はあった。それはもう、鳥や犬猫でも持っている。
人間には人間的な作法があった。それが「歌」を交わすということだった。
それを「歌垣」という。そこで最初に発せられた言葉=音声が枕詞だ。別のいい方をすれば、その音声が洗練発達して枕詞になっていった。
日本列島の住民は、枕詞が生まれてくるような原始的な言葉の扱い方をする民族だった。それは、はじめに語ることの全体をイメージするのではなく、思いついたままの「なりゆき」でしゃべってゆくという習性からきている。
はじめに語りたいことの主題を枕詞として差し出し、それからあとは「なりゆき」で詠ってゆく。古代以前の人々は、そういう作法で詠っていた。
人類の「歌」は、そのようにして生まれてきた。
「歌」の起源については、一般的には、集団の結束を高めるために祭りの場から生まれてきた、という説が主流になっているが、おそらくそうではない。
日本列島の縄文時代にそのような「共同体」は存在しなかったが、それでも集団の祭りの場で歌が交わされるという習俗(=歌垣)はあった。
たとえば、沖縄に残っている原始的な祭りや歌は、集団の結束を止揚するため、という共同性が濃い。
しかし、初期の万葉集の和歌は、ほとんどが個人的な恋や生活の歌である。まれに役人による天皇をたたえる歌があっても、庶民の歌にはそんなものはない。万葉集の時代になってもまだ、共同性を止揚するという意識は庶民にはなかった。
共同性に対する意識は、沖縄より本土のほうが遅れていた。
つまり、日本列島本土の祭りや歌はおもに男女の戯れとして生まれ育ってきたのであって、共同体の結束を止揚するためのものではなかった、ということだ。
弥生時代になっても、祭りはむしろ集団のしがらみから解放されるためのものだった。
日本列島ではそのような状況から「歌」が生まれ育ってきたのであり、それは、男と女が相手に向かってみずからの「感慨」を表出してゆくもので、集団の共同性という意識はなかった。
古代以前の祭り、とくに縄文時代の祭りは、たんなる男女の戯れだった。子供も大人も、そうやってただ無邪気にはしゃいでいただけだった。
その場に立てば、いつもと違う感興が湧いてくる。まあ、非日常の「ハレ」の感興、ということだろうか。そこから知らず知らずこぼれ出てくる音声が「歌」になっていった。
その祭りは、「共同体の結束を止揚する」というようなことではなく、彼らの生命が解放されるような体験だったのだろう。だからその言葉は、あらかじめ考えられていたものではなく、その場の即興で生まれてくるものだった。
即興の言葉は、「意味の表出」ではなく「感慨のあやの表出」である。
人類の歌はそのようにはじまったのであり、共同体を持つことが大幅に遅れた日本列島では、そういう原始性を洗練させながら枕詞を生みだしていった。



現在の研究者は、枕詞を単純に「意味の表出」ということにして解釈し、「感慨のあやの表出」という言葉のもうひとつの側面(=原始性)のことはほとんど考えていない。
「朝露の」……この枕詞の意味は、現代人でもわかりきっている。誰も疑わない。そしてこれが、朝露のはかなさで「消ゆ=消える」や「命」にかかるということもかんたんに納得できる。
しかし、これがくせものかもしれない。
それはほんとうにそういう「意味」だけの枕詞だろうか。
万葉集の中からいくつか拾ってみよう。
・・・・・・・
■あさつゆの 消やすき我(あ)が身 ひと国に 過ぎてぬかも 親の目を欲(ほ)り……(こんな知らないよその土地で死んでしまいたくない、親に逢いたい)
■あさつゆの 消(け)やすき吾(あ)が身 老いぬとも また若(おち)返り 君をし待たむ……(年をとってもまた若返っていつまでもあなたを待っています)
■かにかくに ものは思はじ あさつゆの 吾(あ)が身ひとつは 君がまにまに……(こんなにも思いつめることもないでしょう、私ははもうあなたのものです)
■のちつひに 妹(いも)に逢はむと あさつゆの 命は生けり 恋はしげけど……(いつか恋しい人と一緒になりたいという思いをたぎらせながら息も絶え絶えに生きている)
・・・・・・・
朝露とははかなく消えてゆくものだ。では、これらの歌は命のはかなさをを受け入れて詠嘆しているかといえば、不思議とそうではなく、すべてやみがたい願望・執着を詠っている。
なぜだろう。
不思議ではないか。
はかない命ならそんなことはもう忘れてしまえよ、といいたくなるような歌ばかりである。
そんなあきらめの悪い人間が「朝露の命」と詠うなんて身のほど知らずではないのか。
いやたぶん、古代人の「あさつゆの」という音声に対する感慨のニュアンスは、われわれ現代人とは少し違っていたのだ。
「あさつゆの」の「あさ」は、とうぜん「朝」だろうが、「あさ」という「音声」を発する感慨はそれだけではすまない。
「あさ」の「あ」は、「あ、と気づく」の「あ」。「認識」の語義。
「さ」は「裂く」の「さ」。
闇の世界と光の世界が裂けてゆく時間帯のことを「朝(あさ)」という。
いちばん早い朝の時間のことを「暁(あかつき)」という。これは水平線や山の端が赤くなってくるからかといえば、そうではない。赤くなるのはそのあとの「曙(あけぼの)」という時間帯である。
「あかつき」は、あくまでまだ夜の真っ暗な時間のことである。それでも、その闇の世界のどこかに光の世界が張り付いてきている気配がある。たとえば空気がひんやりしてくるとか風がやむとか、そういうことでなんとなくわかる。
「あかつき」という言葉は、「あか+つき」という構造ではない。「あ+かつき」なのだ。「あ」は気づくこと。「かつき」は「担(かつ)ぎ」。「担ぐ」とは、離れているものをくっ付けること。そうやって肩に担ぐ。だから、嘘をほんとうのようにいうことを「かつぐ」という。
闇の世界に光の世界がくっ付いてくることを感じるから、「あ・かつき」という。
そして今度はその二つが裂けてゆくから、「あさ」という。
古代以前の人々は、そのように、「くっつく」とか「裂ける」という変化にとても敏感だった。それは、人と人の出会いと別れが豊かに起きている社会だったからであり、そのときめきとかなしみを豊かに汲み上げている人たちだったから敏感だったのだ。
彼らは「朝」に「裂ける」という気配を感じていた。それは、朝だけのことではない。人が生きている状況も、人の心も、裂けて変化してゆく。世界そのものがそのようにして移ろってゆく。
「つゆ」という言葉もまた、「変化」を表している。
「つ」は「つく」の「つ」、「到達」「達成」の語義。
「ゆ」は「揺れる」「ゆがむ」の「ゆ」、「変化」を表す。「湯」は、水が変化したもの。
「つゆ」とは、変化して到達すること、つまり水滴が蒸発して消えてゆくこと。「つゆ」という言葉は、「消えてゆく」というところまで表している。だから「はかない」ことの象徴になっている。そういうことを、日本語(やまとことば)を話す人たちの誰もが、じつは無意識のうちに感じ取っている。
「……とはつゆ知らず」とは、事態が変化してもとの事態がすでに消えてしまっていることに気づかなかったこと。
味噌汁をはじめとして「つゆ」とは飲んでしまうもののことで、そばのつゆはぜんぶ飲んでしまうのが作法だった。「つゆ」とは消えてなくなるものだということを、語感として誰もが感じ取っている。
朝露が「はかない命」を表していることは、朝露の「意味」ではなく、「語感」なのだ。
朝露そのものではなく、「あさつゆ」という音声がまとっているニュアンスがある。われわれ現代人はもう、「朝露」という言葉の意味だけを忖度して、「あさつゆ」という音声の響きのことはあまり考えない。しかし古代人は、その響きのニュアンスも意識しながら「あさつゆ」といっていた。その音声がまとっている感慨のニュアンスがある。
「あさつゆ」という言葉には、心や事態が「裂けて変化して消えてゆく」というニュアンスがある。
上の四つの和歌はすべて、「あさつゆ」という言葉に事態の変化(もとの事態が消えてしまうこと)を願う気持ちを託している。
「変化してもとの事態が消えてしまうことを願う」という主題を持っていない歌では「あさつゆの」という枕詞は使わなかったのだろう。
たしかに朝露は、命のはかなさの象徴である。これらの歌のその枕詞も、すべて「はかない命」という「衣装」をまとって機能している。しかしすべて、その衣装の下に「事態が変化して消えてしまうことを願うやみがたい気持ち」を隠し持っている。古代においては、「あさつゆの」と歌えばその下にそういう変化を願う気持ちが隠されていることをみんなが承知していた。
「あさつゆ」という音声は、そういう響きをまとっているのだ。
ただ変化するだけでなく、「朝=裂ける」ということ。裂けて反対の状況になることを祈っている。「あさ」は、闇の世界から光の世界へ、そして「つゆ」は水滴から気体へとまったく別のものへと変化し、もとの事態が消えてしまう。朝露という言葉の意味ではなく、音声の響きそのものにそういうニュアンスがあるのだ。
彼らは、たとえそれが朝露という自然を表している言葉だとわかっていても、同時にその音声の響きを感じながら発声していたし、誰もが感じながら聞いていた。
古代人にとって「あさつゆの」という枕詞は、ただ「はかない命」を表しているだけではなかった。ひとまず「はかない命」という衣装をまといながら、彼らはそこに「生々流転」というようなものを込めていたのであり、それが彼らの希望というか生きてあることのカタルシスだった。
「あさつゆの」といっても、そうそう単純でわかりやすい意味だけでもないのではないだろうか。



「天(あま)」という言葉がかぶさった枕詞はいくつかある。「天雲の」「天離(ざか)る」「天伝ふ」「天飛ぶや」「天彦の」「天降りつく」
古代人にとって「天(あま)」とはどんな語感のイメージだったのだろうか。これだけあれこれと枕詞に使われているということは、彼らの世界観や生命観と深くかかわっているプリミティブな言葉だったのだろう。
それは、ただ「天=空」だけを意味しているのではない。「あま」と発声する感慨があった。
「あま」の「あ」は気づくこと、「認識」の語義。あとに続く「ま」を「まったく……だなあ」というかたちで強調している。
「ま」という音声が問題だ。実質的なニュアンスはこちらにある。「まったり」の「ま」、穏やかに充足しているさま。そして、「まったく」の「ま」は、「確かさ」を表している。
「まあまあ」といえば、良くも悪くもない、というようなニュアンスだ。つまり「中間」。たぶん、この感覚から「間(ま=あいだ)」という意味でも使われるようになってきた。
「間(ま)」の中に充足があり確かなものがある、ということだろうか。
「ほどほど」ということ。日本列島に住民は、あまり白か黒かということをはっきりさせない傾向がある。正義(善)か悪かとか、ホントかウソかとか、そういうことを断定するのを避けようとする。
しかしそれは、ただ消極的ということでもない。
中間のグレーゾーンにこそ真実があり美がある、と思っている。それが「間(ま)」である。
「待(ま)つ」とは、会えない状態と会っている状態の「間(ま)」の状態である。
夜と朝の「間(ま)=裂け目」をのぞきこむ体験から「ま」という音声がこぼれ出てくる。そういう「間(ま)」に対して敏感だから「あかつき」とか「あけぼの」という言葉が生まれてくる。
共同体の制度性は「法=規範」によって、善か悪かウソかホントかをはっきりさせる。
しかし共同体が生まれる以前の人々は、白か黒かを決めないで、その「間(ま)」のグレーゾーンを豊かに感じながら生きていた。
良い心と悪い心があるのではない。その中間に無限の心のあやがある。そういう思いから枕詞が生まれてきた。
日本列島には、世界でもっともたくさんの「ねずみ色」の名称がある。「素鼠(すねずみ)」「黄鼠(きねず)」「茶鼠(ちゃねず)」「藍鼠(あいねず)」等々、江戸時代には「百種類ある」といわれていた。これは少々大げさで話半分としても、世界の標準からすれば、圧倒的に多い。それほどに「間(ま)」にこだわっていた。
「間(ま)」を眺める、というより、「のぞきこむ」という感性なのだ。そうしないと、百のねずみ色なんか気づかない。「のぞきこむ」ほどの「間(ま)」に対する感性を持っているから、朝と夜の「裂け目」に気づく。
井戸の中は、この世界の「間(ま)」である。
つまり古代以前の人々は、井戸をのぞきこむような感覚で「空=天(あま)」を見ていたのだろうか。ただの「間(ま)」ではない。深く心にしみるような「間(ま)」だから「あま」というのだ。
澄み切った青空や夜の星空はもう、深い井戸の底のようではないか。そこはこの世界の「間(ま)」である、と古代人は思った。
「間(ま)」をのぞきこむような感性というか、世界観・生命観がある。
人と人のあいだにも「間(ま)=すきま」がある。それを意識しつつ彼らは、別れのかなしみや逢えないさびしさを詠っていた。
この生は、生まれる前と死んだ後の「間(ま)」である。
西洋人は「われわれはどこから来てどこに行くのだろうか?」と問うそうだが、日本列島の古代人は、そんなことは眼中になく、生きてある「いまここ」の「間(ま)」をのぞき込んだ。それが、彼らの世界観であり生命観だった。
「あさつゆの」といっても、ただ「はかない命」というだけではすまない。その「はかない命」の中にも無限の「間(ま)」があり、無数の「裂け目」が横たわっている。そういうことは、生まれる前と死んだ後や何もかも白か黒かで決めてしまっている現代人にはよくわからない。
「あさつゆの」という言葉の豊かなニュアンスは、言葉をひとつの意味に押し込めてしまっている現代人にはわからない。
古代人が「あま」という音声を発するとき、深い井戸の底をのぞきこむような感慨で空を見つめている。彼らはそのとき、「ま」というだけではすまなくて「あ」という強調の音声をかぶせずにいられないほどの胸に溢れる感慨があった。
彼らにとって、この世でもっとも深く「間(ま)」を感じないではいられない対象が「天(あま)」だった。そこをのぞきこんで「あ」という音声をかぶせたのだ。
まあ万葉集を読めば、古代人はぼんやり空を眺めていたのではないんだなあ、ということがよくわかる。
「あま」とは、「間(ま)」をのぞきこむ感慨から発せられる音声である。



「天離(あまざか)る」という枕詞は、万葉集では二十以上出てくるが、みごとなくらいどれも「ひな」という言葉にかかっている。
「あまざかるひな」という言い方が定着していたらしい。
「ひな」とは、山の中などの「隠れ里」のこと。
では「ひな」を修飾するために「あまざかる」という枕詞が生まれてきたかといえば、そうとはいえない。これだけたくさん出てくるということは、古代人は「あまざかる」という言葉が好きだったのだろう。
この「天(あま)」という言葉は、一筋縄ではいかない。単純に「天=空」のことだといってしまうだけではすまない。ひとまず「天」という文字を当てているとしても、もしも文字などなかった時代から使われていた枕詞だとしたら、必ずしもそれだけの意味に限定されていたのではなかったかもしれない。
「あま」という音声がまとっている感慨がある。古代人はそれを知っていた。それは、「間(ま)」をのぞきこむような感慨から生まれてきた。その「間(ま)=さけめ」をのぞきこむような絶望やかなしみや恋心や退廃や、とにかくそのようにして胸に満ちてくる思いを「あま」といっていた。
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■あまざかる 夷(ひな)の荒野(あらの)に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
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離れ離れで生きた心地もしないと詠っている。
天から遠く離れていることは、都も「ひな」も同じである。この場合の「あま」はひとまず「天」とは関係ないのかもしれない。いつも天を仰ぎながらその遠さを想っているとしても、この場合の「あま」は、あくまで「君」との「関係」をのぞきこむ感慨なのだ。
なんといえばいいのか、とにかくこの「あま」という言葉は、井戸の底をのぞきこむような「間(ま)」に対する感慨を表している。この「あまざかる」は、「ひなの荒野」に対する感慨ではなく、「君」に対する感慨であり、「生けるともなし」という絶望を表出している。それは、ただ単純に「ひな」を修飾しているのではなく、この歌の通奏低音になっている。
あなたたちは、「あまざかる」は「ひな」の修飾語である、といってすませることができるのか。すまないだろう。「あまざかる」という音声がまとっている「隔絶感」のようなものがあるではないか。それは、「ひな」対する思いだけでも「天」に対する思いだけでもない。そういうこととは関係なく、それ自体独立した感慨として表出されている。
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■あまざかる ひなの長道(ぢ)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ
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この場合の「島」という言葉はたいした問題ではない。内陸でも「島」がつく地名はいくらでもある。「しま」とは、「間(ま)」の中の「固有の土地」というようなニュアンス。奈良盆地は山に囲まれた固有の土地だから「大和島」という。古代以前においては、海の中の島だけが「しま」だったのではない。まあ海からの眺めだから「島」といった方が似つかわしいということもある。
それよりも問題は、「ひなの長道」といっていることにある。これは、瀬戸内海の船旅の歌である。いろんな港町に立ち寄ってきて「ひなの長道」もないものだ。山の中を何度も迷いながら歩いてきたわけではない。まあ、大和からはるかに遠い土地から、のんびり船に揺られてきたのだ。
しかし、海だからこそ、井戸の底をのぞきこむように一心に大和をめざしてきた。それが「あまざかる」の感慨だ。
この「ひなの長道」の「ひな」は、「隠れ里」を意味しているのではない。井戸の底をのぞきこむような帰心で「恋ひ来た」ことを意味しているだけである。
もしかしたらほとんど寄港しなかったかもしれない。だからこそ「ひなの長道」なのだ。
「ひな」の「ひ」は「秘密」「ひっそり」の「ひ」。「な」は「親密」の語義。隠れているものに対する親しみのことを「ひな」という。「あまざかる」は、その遠い対象に対する親密さゆえの絶望を表し、「ひな」という言葉でそっと「みそぎ」を果たしている。
この歌は、ひたすら大和を恋いながらやってきた、といっているだけで、さびしい山道を歩いてきたわけではない。この場合の「ひなの長道」は、そういう井戸の底をのぞきこむような「あまざかる」の帰心を飾るために便宜的にいっているだけである。
早い話が「あま」とは、「あら、まあ」といって思わずのぞきこんでしまうような感慨の表出なのだ。その感慨が、深刻なときもあれば、お気楽なときもある。
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■あまざかる ひなに五年(いつとせ) 住まひつつ 都のてぶり 忘らへにけり
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「てぶり」とは、風俗・風習のこと。井戸の底をのぞきこむようにひなの暮らしになじんで都のことは忘れてしまった、と詠っている。まったくどうということもない歌だが、「あまざかる」という言葉が持つ「井戸の底をのぞきこむような絶望的な遠さ」の感触はちゃんと表している。
この歌に「都であくせくして暮らすばかりが能でもあるまい」という批判がこめられているのかどうかは知らないが、その「隔絶感」が胸にこみあげてくる感慨を「あまざかる」という。
もともと「ひな」を修飾する言葉として「あまざかる」という枕詞が生まれてきたのではない。最初に「あまざかる」という枕詞があり、それが寄り添う言葉として「ひな」が見い出されていったにすぎない。
「あまざかる」という音声がまとっている絶望=隔絶感には、「ひな」という音声の安堵のニュアンスが必要だった。
「ひな」という言葉はもともとその地やその地の人々と出会ったときの「親密さ」を表しているのであって、「あまざかる」のような絶望やさびしさを表している言葉ではない。
古代人にとって「あま」は、「天」だけを意味しているのではない。はるかなものや不思議なものに対するあこがれや畏れから「あま」という音声が口の端からこぼれ出る。
古代では「海人」と書いて「あま」と読んだ。それは、海のそばで暮らしているからではない。(井戸の底をのぞきこむように)海の底に潜ってゆく人たちだから、そう呼んでいた。今でも「海女(あま)」はいる。それは、「海の女」という意味ではない。「海の底に潜る女たち」だからだ。
古代人は、何も「天」のことだけを「あま」といっていたのではない。
彼らは、離ればなれで暮らすことに、絶望的な遠さ=裂け目をのぞき込んでいた。それは、それほどに「出会いのときめき」を豊かに体験し、「出会いのときめき」を切望している人々だったからだ。
「あまざかる」という枕詞は、天の遠さを形容しているのではない。人と人の関係の絶望的な遠さや人の心の移ろいやすさを表している。
これらの歌の「あまざかる」は、「ひな」を修飾しているというより、歌全体の通奏低音になっている。
「あま」とは、「間(ま)」をのぞきこむこと。
この「あま」の絶望的な遠さは、井戸の底をのぞきこむような遠さなのだ。たんなる距離の遠さではない。ただ「天」といってしまうわけにはいかない。古代人は、人と人のあいだにも、絶望的な遠さと他愛ないときめきの両方を感じていた。「あま」という言葉は、この両方を表している。
まあ、一緒に暮らしていても「この女は俺のものだ」と思えるような婚姻制度はまだなかったし。
たとえ「天」という字を当てても、「あま」という音声は、それだけのニュアンスではなかった。
男が女に対して「このアマ!」と突き放していうとき、いうことを聞かない女に対する絶望的な遠さと気味悪さを感じている。この「アマ」は、「女」という意味ではない。



というわけで、最後にもうひとつ問題が残っている。
この「天離る」という表記はおかしい。
「あま」という言葉だけでそういう隔絶感を表しているのだから、わざわざ「離れる」という必要はない。いえば蛇足である。
「天離(あまざか)る」の「ざかる」は、じつは「離れる」ではなく「盛(さか)る」、すなわちそういう隔絶感が胸に込み上げてくることを表しているのではないだろうか。
「ざかる」の「さ」は、「裂く」の「さ」、鮮やかに離れること。「か」は「刈る」「借りる」「貸す」「買う」「勝つ」「噛む」の「か」、すべて「強く関係する」ことを表している。つまり、古いものを置き去りにして新しいものに深く豊かに関係してゆくことを「さかる」という。
「あまざかる」とは、井戸の底を覗き込むようにはるかに遠いものを想いながら古いものを置き去りにして新しいものと深く豊かに関係してゆくこと。「あまざかる」がそういう事態を表しているとすれば、「朝露の」は、そういう事態が起こることに対する願い・祈りがこめられている。
まあ「天離(あまざか)る」という字を当てたくなる気持ちはわからなくもないが、「感慨」のニュアンスを「意味」に置き換えようとすると、どうしても無理があるし、もともとの感慨のニュアンスをそぎ落としてしまうことも多い。
語源的には、「あま」という感慨が「盛んになる」ことを「あまざかる」といったのだ。この「離れる」という字は、「天との距離」を表しているのではないし、「あま」は、「天」のことではない。気持ちが新しい局面をのぞきこんでしまう、その隔絶感を「あま」という。
食べ物の味が「あまい」というときだって、その味を「のぞきこんでいる」体験なのだ。昔は、「あまい」ということが「おいしい」ということだった。だから、おいしい酒のことを「甘露」といった。人に対する態度や気持ちが「あまい」というときも、相手だけをのぞきこんでしまってほかとの比較を忘れていることを意味している。
やまとことばは、今なお「感慨の表出」という原始的な機能を豊かに残している言葉であって「意味の説明」だけの機能として成り立っているのではない。
そのやまとことばに漢字という意味が主体の文字を当てようとすると、どうしてもそうしたまぎれが生まれてくる。
「あまざかる」の「あま」は「天」のことではないし、「ざかる」は「離れる」という意味ではない。「あまざかる」の語源的な姿は、井戸の底をのぞきこむような「間(ま)」に対する感慨にあった。
枕詞は、文字とともに、しだいに語源のニュアンスが変質してきた。
それでもまあ、日本列島の住民は、ひらがなを生みだしたりして「意味の説明」だけではすまない機能を守ろうとしてきたわけで、その根源的な「感慨の表出」という機能が現代でもなお消えてしまったわけではない。
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