僕は人類学フリークではないし、ましてやヨーロッパ人でもない。だからネアンデルタール人のことにことさらこだわる必要はないともいえる。
ただ、人間ほんらいの自然というか普遍性のようなことが知りたいだけだ。その手掛かりとして、ネアンデルタールのことを考えている。
僕は、世の人類学者のように、ネアンデルタール人がすでに滅びた人種だとは考えていない。現在の地球上に生息する人類の、アフリカの純粋ホモ・サピエンス以外はみな、ネアンデルタールの子孫なのだと思っている。
7万年前、アフリカの出口まで拡散していたネアンデルタールがそこでホモ・サピエンスの遺伝子を拾ってしまい、その血が集落から集落へと手渡されながら世界中に拡散していっただけのこと。
ホモ・サピエンスの遺伝子が世界中に拡散しはじめたその時点で、人類はすでにユーラシア大陸を覆い尽くして生息していた。つまり、ひとつの有利な遺伝子が集落から集落へと手渡されながら世界中に拡散してゆく条件がすでに整っていた、ということだ。
現在の人類がすべてホモ・サピエンスであること、それ自体が誰もがネアンデルタールの子孫であることを証明しているのであり、人間の遺伝子は集落から集落へと手渡されて世界中に広まってしまうことの証明でもある。
人類は、500万年前の猿人の段階からすでに、集落どうしが女を交換するということを盛んにやっていた。その人間であることの基本的な習性が、世界中にホモ、サピエンスの遺伝子を広めたのだ。
アフリカのホモ・サピエンスの大集団が世界中に旅して世界中に住み着いていっただなんて、そんなマンガみたいなことばかり言うなよ。おまえらの脳みそは、そんなにも程度低いのか。世界的権威だろうと、この国の大学教授だろうと、一般の人類学フリークだろうと、文句があるのなら言ってこいよ。いくらでも相手になってやる。
じつは僕は、いくつかのブログに「そんなの変だ、議論しようじゃないか」とコメントしていったあげくに、いつも「おまえとなんか話したくない」と拒否されてきた。べつにどこかの誰かさんみたいに管理人の人格攻撃なんかしていない。ただ、書かれてあることに「そんなことあるものか」と抗議しただけなのに。
しかも、人類学のことじゃなく相手の土俵に上がっていっても、それでもやっぱり「お前とは話したくない」といわれる。
たとえばこの前は、丸山健二という作家のツイッターの書きざまを絶賛しているブログがあったから、「こんなアホの言うことのどこが素晴らしいのですか」と、それなりにそう思うわけを言葉を尽くしてコメントしたけど、やっぱり「お前とは話したくない」と言われてしまった。しかも、いかにも「俺はおまえより知的レベルが上なんだ」と言いたげな口ぶりで。だったら、この土俵に上がって文句を言ってこいよ、と言いたいところだけど、まあそこまでの能力を相手に求めてもしょうがないということだろうか。
言っちゃなんだけど、人格攻撃はさんざんされてきたけど、僕自身の主張が否定されたという経験はまだしていない。
僕は自分の人格を売り物にしてこのブログを書いているわけではないから、そんなものを否定されても納得はできない。自分がしょうもない人間だということくらい身にしみてわかっているつもりだ。
しょせんは、学歴も金も地位も人格すらもないブログですよ。
ただ、人間であることの真実とか普遍性が知りたいだけです。
人格攻撃をするつもりはありません。ただ、ネアンデルタールは滅びただの、アフリカのホモ・サピエンスが大挙して世界中に旅して住み着いていっただのという空々しいことを言われると、どうしても「お前らみんなアホだよ」と言いたくなってしまう。たとえ世界的な権威の学者に対してだろうと、そう言わずにいられない。
それは、それくらいそれはあり得ないことなのだ。
ホモ・サピエンスの遺伝子は「長生きする」という決定的に有利な条件を持っているから、一度その遺伝子を取り込んでしまえば、世代を重ねるごとにホモ・サピエンスの濃度が高くなってゆく。現在のアフリカ以外の人類の血の中のネアンデルタールの割合は4〜10パーセントくらいだといわれているが、まあそんなものだろう。しかしもとはといえば、ヨーロッパのネアンデルタールだったりアジアのホモ・エレクトスだった人たちの血の中に、アフリカ北部にいたネアンデルタールが拾ってしまったホモ・サピエンスの血が伝播して混じっていっただけのこと。
一般的にクロマニヨンとネアンデルタールの混血というと、アフリカのホモ・サピエンスネアンデルタールの交雑がヨーロッパで起こったことのようになっているが、そんなのはあり得ないことで、ホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアになってしまったネアンデルタールがトルコ半島あたりからたぶん数人ヨーロッパの入口にやってきただけのこと。
つまり、隣の集落と女を交換するということ以上の事件なんか何もなかったのだ。
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現在のヨーロッパ人は、肌の色や目の色や髪の色は、ネアンデルタールからそのまま引き継いでいる。アフリカの黒人がヨーロッパに行って1万年もたてばそんなふうに変わるということはあり得ないし、今のヨーロッパ人はアフリカ人的な形質の人の方が多いということはさらにない。
ヨーロッパ人の白い肌とか青い目とか金色の髪は、極寒の北ヨーロッパに何十万年も住み着いた結果としてつくられてきたものだ。
アフリカの黒人が1万年か2万年ですっかりヨーロッパの白人に変わってしまうことができるという証拠を出せるものなら出してみろ。おまえらのその低級な脳みそが勝手にそういうことにしてしまっているだけじゃないか。
現在のアフリカ人だけが持っている風土病に対する免疫遺伝子というのがあるらしい。われわれがみな彼らの子孫であるのなら、われわれだって持っているはずである。そういう風土病をヨーロッパにまき散らしてネアンデルタールを絶滅させたという説も語られたりするが、だったら現代のヨーロッパ人がなぜその免疫を持っていないのか。
まあいい、とにかくヨーロッパ人は数十万年数百万年かけて現在のヨーロッパ人になっていったのだし、アジア人は数十万年数百万年かけて現在のアジア人になったのだ。
身体的な形質であろうと文化的な色合いだろうと、そこに数十万年数百万年住み着いてつくられてきた結果なのだ。
ヨーロッパ人がヨーロッパ人になることも、アジア人がアジア人になることも、おまえらが考えるほどかんたんなことじゃないのだ。みんな同じホモ・サピエンスなのにどうしてこんなにも身体的な形質も文化も違うのかということを、おまえらもちゃんと考えてみろよ。
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集団的置換説を標榜する海部陽介という人類学者が提出している、「5万年前のアフリカのホモ・サピエンス特有の知能の要素」とやらをいまいちど検証しておきたい。
こういう能力を、アフリカのホモ・サピエンスだけが持っていて、ヨーロッパ・アジアのほかの民族は持っていなかったんだってさ。現在の世界中の人類が言葉を話したり共同体を持ったりしているのは、みんながホモ・サピエンスの子孫だからなんだってさ。アホくさ。だったら、アフリカの純粋ホモ・サピエンスがいかに共同体をつくる能力に優れていたかということを、現在のアフリカの状況に照らし合わせて説明してみせてくれよ。
とにかく海部氏は、「アフリカのホモ・サピエンス特有の知能の要素」として、次の4つを上げている。
1・抽象思考を行う能力。
2・無限ともいえる発見発明の能力。
3・すぐれた予見・計画能力。
4・シンボルをもちいて知能伝達をする能力。
「抽象思考」とはどんな思考のことか、僕にはよくわからない。おまえらの薄っぺらな脳みそが持っているものだとでも言いたいのか。
ものを一つ二つ三つ……と数えることはある種の抽象思考だろうか。であれば、家族的小集団のアフリカのホモ・サピエンスより、たくさんの人数の集団で暮らしていたネアンデルタール方が発達していたことだろう。
人の心を推測することも、ひとつの抽象思考だろうか。だったら、大勢でワイワイ暮らしていたネアンデルタールこそそういう心の動きは盛んだったはずだ。そういうことを考えないと人間関係をうまくやっていけないし、いやでも考えさせられる環境であったに違いない。
いやもう、意識そのものが抽象的なはたらきだと言えなくもない。とすれば、「抽象思考」などといってそれがあたかも特別な知能であるかのように言うこと自体が、何か差別的な意図を感じさせる。
抽象思考くらい誰だってしている。べつに特別な知能でもなんでもない。そんな思考をしたからといって原始時代のアフリカ人がいきなり極寒の北ヨーロッパに行って暮らせるわけではない。
そして「発見・発明の能力」とか「予見・計画の能力」といっても、「記憶」というものがなければ生まれてこないことは現代の脳科学の常識だろう。つまり、そこに住み着いた民族の記憶からそうして創造性が生まれてくる、ということだ。
たとえば、いきなりその地にやってきたよそ者が、津波が来そうだから防波堤をつくろうという発想をするか。するはずがない。何度も津波に押し流された歴史の記憶を持っている人たちによってはじめて発想されるのだ。
ネアンデルタールが、草食動物の群れをみんなで窪地に追い込んでまとめて仕留めるという狩を覚えるまでにどれだけの歴史の年月があったかということを、あなたたちは考えたことがあるか。知能が発達していればすぐ思いつくとか、そういうものではない。彼らなりの長い年月の草食動物とのかかわりの記憶があってはじめて見出されてきたのだ。言いかえれば、そんな能力だって、ちゃんとネアンデルタールも持っていたということ。あんまり人間をなめたようなことを言うもんじゃない。
「シンボルをもちいて知能伝達をする能力」とは、ようするに「言葉」を話す能力のことを言いたいのだろう。
しかし、ネアンデルタールだってそういう能力を持ってそういう喉の構造をしていたことは、今や考古学の常識になりつつある。
クロマニヨンの方がすぐれていたといっても、ネアンデルタールがクロマニヨンになったのだもの、あたりまえさ。
だいいち、言葉が「知能伝達」の機能として生まれてきたということ自体、言葉の発生について何も考えていない証拠である。知ったかぶりの中学生が調子に乗って吹聴しているのと何ら変わりのないレベルの考察である。
言葉の発生と根源的な機能については、このブログで一冊の本になるくらい書いてきたから、かえって短い言葉では語りにくい。
それは「知能伝達」などという機能として生まれてきたのではない。まずはじめに、いろんなニュアンスの音声を発するようになってきた、という段階があった。そういうさまざまな音声が発せられるような人間的な心の動き、すなわち吉本隆明流にいえば「意識のさわり」があったということだ。それは、伝達しようとしたのではない。ただもうそういう音声を発せずにいられない感慨があったというだけのこと。しかしそれが音声であれば、ほかの者も聞くことになるし、自分自身もそれを聞いて、そのときその音声を発した自分の感慨に気づいてゆく。まわりのみんなも気づいてゆく。そうしてその音声が共有されてゆく。それは、「話す=伝達」の能力ではない。「聞く」ことによってその音声のニュアンスに気づいてゆく能力なのだ。その音声を発したものも聞いたものも、みんなして「聞く=気づく」という体験を共有した。まあ、これが、言葉の発生の現場であり、言葉の根源的な機能なのだ。
そしてそういう体験は、ネアンデルタールのようにたくさんの人数の集団から生まれてくるということ。人類の言葉が本格化したのは、そういう大きな集団を持ったことが契機になっているのであって、知能が発達したからとか、そういう問題ではないのだ。
アフリカのホモ・サピエンスよりネアンデルタールの方が、はるかに言葉が生まれ育ってくる契機を持っていたのである。
いろんな音声が生まれてくるくらい世界や他者にときめき、その音声を聞くことにときめき、その音声を共有してゆくことにときめく、そういう「ときめき」の上に言葉が成り立っているのだ。
おまえらみたいな知ったかぶりにはわかるまいが、いちおうそう言っておく。
なにが、ホモ・サピエンスの知能か。笑わせてくれる。
その地に住み着く能力は、その地に住み着いた歴史の記憶としてもたらされるのだ。
あなたがいま誰を好きになるかは、あなたが生きてきた人生の記憶から生まれてくる心的現象であって、あなたの知能の問題でもないだろう。まあ、そんなようなこと。
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何はともあれ、10〜3万年前にアフリカから旅立っていったアフリカの純粋ホモ・サピエンスなどひとりもいない。
ヨーロッパでホモ・サピエンスネアンデルタールが交雑したということも、一切ない。ネアンデルタールがアフリカのの出口で勝手にホモ・サピエンスの遺伝子を拾ってしまい、その遺伝子がネアンデルタールからネアンデルタールへと広まっていっただけのこと。ネアンデルタール人がそのままクロマニヨン人になっただけのこと。
アフリカには純粋ホモ・サピエンスの子孫が今なおたくさんいるのに、ユーラシア大陸にはひとりもいない。そのことが何を意味するのか。
原始人は、旅なんかしなかった。旅ができるような道などなかったのだぞ。そんな道なき道を女子供を連れた大集団で移動することなんかできるはずないじゃないか。
それでも人間は、隣の集落と女を交換するということは何百万年も前からずっと繰り返してきた。そういう習性が、遺伝子の世界拡散という現象をもたらしたのだ。
人類学では、そういうアフリカからの旅立ちのことを「出アフリカ(アウト・オブ・アフリカ)」というらしい。どいつもこいつもよろこび勇んでこの言葉を使いたがる、バカのひとつ覚えみたいにさ。そんなにかっこいい言葉かねえ。くだらない。
アフリカの純粋ホモ・サピエンスの「出アフリカ」なんて、一切なかったのだ。
それでもその遺伝子は世界中に旅していった。人間というのは連携し合う生き物だなあ、という感動がおまえらにはないのか。ただアフリカのホモ・サピエンスがわがもの顔で世界中を席巻していったというマンガみたいなお話にすれば、それでうれしいのか。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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