知能が文明を生み出したのではない。文明によって知能が生まれ育ってくるにすぎない。
人類社会に文明が生まれてきたのはそういう歴史のなりゆき(時代状況)があったからであって、知能によってではない。
たとえば猿の社会で育てられた人間の子供が、大人になれば人間の知能を持つようになるか。なるはずがない。猿のまんまなのだ。
人間的な知能は、人間社会の構造、すなわち文明からしか生まれ育ってこない。したがって、知能が文明をつくるのではない。
「知能」というパラダイムでは文明が生まれてくる契機は解き明かせない。
世界的権威だろうと東大教授だろうと、人類学の世界では、知能というパラダイムで文明の契機を語る習性が蔓延している。もう、あんな連中は当てにならない。それが知りたいのなら、われわれは、自分の手で掘り進むしかない。
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「集団的置換説」の人類学者たちが言うように、アフリカのホモ・サピエンスの「知能」が5万年前以降の人類の歴史をつくったのではない。
たとえば「人類がたどってきた道(NHKブックス)」の著者である海部陽介という東大教授は、この本の中で終始この論法を垂れ流して語っているのだが、まったくこんなアホどもはどうにかならないのかと思う。
そこに住み着く文化や知恵は人がそこに住み着いた「歴史=社会の構造」から生まれてくるのであって、知能さえあればよそ者がいきなりそこに行っても大丈夫だというようなものではない、少なくてもろくな文明もなかった原始時代においては。
近代のヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住して近代文明を武器に先住民を蹂躙しつくしたようなことが5万年前にも起こったと、当たり前のように信じていやがる。ほんとに、勝負してくれるのなら、いつでも徹底的にしてやるぞ。おまえらの考えることがいかに愚劣かということを、無限にえぐりだして差し上げる。
たとえば海部氏は、アフリカのホモ・サピエンスが獲得した文化能力の要素を、次のように列挙してくれる。
1・抽象思考を行う能力。
2・無限ともいえる発見発明の能力。
3・すぐれた与件・計画能力。
4・シンボルをもちいて知能伝達をする能力。
では、アフリカのホモ・サピエンスだけがこういう能力を持つにいたった契機を、おまえら説明できるものならしてみろ。ほかの人類には持てるはずかないという理由を、ちゃんと説明できるのか。
人類が二本の足で立ち上がった契機や、言葉を話すようになった契機や、火を使うようになった契機や、氷河期のヨーロッパで壁画を描くようになったりヴィーナス像をつくったりするようになった契機や、共同体が生まれてきた契機などを、海部氏やほかの集団的置換説の人類学者たちが僕よりも深く遠くまで考えているというのなら、その証拠を教えていただきたいものだ。
人類のそういう頭のはたらきは、長い歴史とともにその地に住み着いていゆき、そのための能力=文化を獲得していったことの結果としてもたらされるにすぎない。
アフリカにはアフリカの知能があるし、ヨーロッパにはヨーロッパ100万年の歴史の上に蓄積された知能がある。
現代の歴史の100年は、原始時代なら1000年か1万年くらいに相当することだろう。現代の1万年なら、10万年前なら10万年か100万年の歴史に違いない。
原始人がその地に住み着くということは、おまえらが考えるほどかんたんなことじゃないんだぞ。そんなオールマイティの知能などというものがあるものか。
アフリカ人がサバンナの地に住み着いたこともヨーロッパのネアンデルタール人北ヨーロッパに住み着いていったことも、何度も絶滅の危機をくぐりぬけてきたことの結果なのだ。人間は、直立二足歩行の開始以来、そういう危機に飛び込んでいってしまう習性を持っている。
そして、ネアンデルタールが氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったことの方が過酷であった分だけ、同じ時期のアフリカのホモ・サピエンスよりもむしろ知能が発達していたともいえる。
おまえら、アフリカのホモ・サピエンスの知能の方が発達していたと言いたいのなら、いくらでも言ってこい。いくらでも反論して差し上げる。
おまえらの言うことは順序が逆なのだ。人類は知能によって住みついていったのではなく、住み着いていったことの結果として知能が生まれてきたのだ。
「知能」などというものは、そこに住み着いていった長い長い歴史と社会の構造から生まれてくるのだ。知能から文明が生み出されるのではない。
まったく、アホばっかりじゃないか。
氷河期明け以前のいつの時代だろうと、アフリカを出ていったアフリカの純粋ホモ・サピエンスなどひとりもいない。
ただもう、その遺伝子が世界中の集落から集落へと手渡され広まっていっただけのこと。
人類700万年の歴史の流れというものがある。そういう流れの上に今日の文明が成り立っている。そういう歴史の流れというものを考える能力のない連中が、「ホモ・サピエンスの知能」などという安直なパラダイムですませて平気な顔をしている。まったく、その横着なアホづらはなんなのか
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2万3千年前から1万3千年前までの最終氷河期において、ヨーロッパのクロマニヨンという人種は、そのころの地球上でもっとも高度な文化・文明を花開かせていた。
であれば、氷河期明け以降の歴史において、人類最初の文明はヨーロッパから生まれてくるのが当然であろう。
しかしそれは、ヨーロッパよりももっと南のナイル・メソポタミア地方から生まれてきた。
氷河期が明けた時点では、おそらくヨーロッパの方が文化の水準は高かった。
しかし、ヨーロッパには、最終氷河期の激烈な寒さのために絶滅の危機に瀕したというダメージが残っていた。
ヨーロッパの方が人口が少なかったということでもない。北に行くほど女は多産系の体質をしていたはずである。何しろ氷河期には乳幼児の死亡率が高かったから、たくさん産まなければ人口が維持できなかった。氷河期が明けて気候が温暖になれば、女が多産系の体質であるヨーロッパの人口は爆発的に増えたに違いない。
それでも、人類最初の大きな共同体(国家)は、ナイル・メソポタミアから生まれ、ヨーロッパには出現しなかった。
氷河期明けのヨーロッパでは、たくさんの集落が集まって大きな共同体(国家)になってゆくというようなダイナミズムが生まれてこなかった。
彼らは、国家という共同体を目指すのではなく、いち早く自己完結できる規模のそう大きくない集団をつくっていった。
たとえば100人くらいの集落なら自己完結できないから、集落どうしの連携を持たなければならないし、ときには一緒にまとまってゆくこともする。しかし500人・1000人の集落なら、もうそれだけで自己完結できる。
彼らはすでに共同性社会性の意識を発達させていたから、そういう自己完結できる規模のそう大きくない共同体をいち早くつくってしまった。
氷河期のころからすでに、いくつかの集落が寄り集まるということをしていたのだろう。極寒の空の下では、広く動き回って集落どうし頻繁に連携してゆくということができないから、当然一か所に集まろうとする。そしてそれでも集団が縮小してゆくという不安をつねに抱えていた。
彼らの、自己完結できる集団であろうとする願いは切実だった。その願いで、氷河期明けには、国家以前の自己完結できる村や都市をそれぞれがいち早くつくっていった。
これが、ヨーロッパ的都市国家の原型になっていった。今でも小さな国がたくさんあるのは、そういう伝統の名残りだろう。
彼らは、共同性社会性が希薄だったから氷河期明けに大きな国家をつくれなかったのではない。氷河期にさんざん苦労をしてどこよりもそうした意識が発達していたからこそ、あまり大きくない集団の規模で完結していったのだ。
それに比べてナイルやメソポタミアでは、農耕の発達とともに無造作に際限なく人が集まっていった。そういう恵まれた穀倉地帯でもあったが、大きくなってしまってから、自己完結できる秩序を模索するようになり、国家というかたちになっていった。
メソポタミア国家の有名なハムラビ法典の「目には目を」というフレーズは、それほどに無秩序な集団だったことを意味する。氷河期のダメージを体験していない彼らには、ヨーロッパのような、集団として自己完結しようとする意識が希薄だった。しかし皮肉なことに、だからこそ大きな国家を形成することができた。
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そのとき文明や集団性のレベルでヨーロッパが劣っていたわけではないことは、その後のギリシア・ローマ文明の台頭によって証明されている。
そのとき彼らは、奴隷と市民が共存してゆくという社会をつくり上げていった。奴隷を奴隷として納得させるだけの高度な共同性を持っていて、優秀な奴隷だけ市民として取り込んでいった。氷河期にさんざん苦労した彼らは、自己完結できる集団であろうとする意識が切実で旺盛だった。だから、村や小都市のレベルの共同体で自己完結してしまった。そしてそういう高度なシステムが出来上がればもう、ある意味で市民でさえも共同性の奴隷だったともいえる。ここに、ヨーロッパ人の堅固な公共心の基礎がある。
ともあれ、それほどに最終氷河期の傷は深かったのであり、彼らこそが人類で最初に集団の共同性を確立した人々だった。彼らのその共同性から学んでナイル・メソポタミアの国家文明が生まれてきたにすぎない。人がたくさんいればそりゃあピラミッドなどの大きなモニュメントもつくれるだろう。しかし集団の共同性においてヨーロッパよりも進んでいたわけではなく、むしろヨーロッパから学んだのだ。
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2万3千年前から1万3千年前までの氷河期のころ、ヨーロッパのネアンデルタール=クロマニヨンは、その激烈な寒さのために絶滅の危機に瀕していた。彼らは、寒さに閉じ込められ、近くの集落どうしが身を寄せ合うようにして暮らしていた。人口が減ってしまって狩のメンバーがそろわないとか、限定された顔見知りばかりで男女の関係が停滞してゆくとか、そのようにして生活が成り立たなくなった集落どうしが一か所に合流して暮らすという工夫もなされたに違いない。
そのようにして、逆にかつてない大きな規模の集団になってゆき、それがおそらく氷河期明けの小都市や村に発展していった。
言いかえれば、彼らはすでにそのとき、地域共同体というものの原型を実験していたのだ。それまでは小さな集団がばらばらに暮らしていたのが、一か所にかたまってゆくようになり、そのための家屋などもこのころからもつくられるようになっていった。彼らはその激烈な寒さの中で狭い地域の集落どうしが寄り添ってゆくということの切実さと醍醐味を味わいつくし、ひとつの「共同性」をすでに持ってしまっていたからこそ、氷河期明けに野放図に大きな共同体(国家)をつくってゆくというダイナミズムが生まれなかったのだ。
集落どうしが寄り集まってひとつの共同体をつくるという人類の共同性は、氷河期の北ヨーロッパのそういう絶滅の危機というダメージを支払って見出されていった。そしてその共同性の文化がナイル・メソポタミア地方に伝播してゆき、やがて人類最初の文明国家が生まれてくることになった。
おそらく、ナイル・メソポタミア地方に人類初の原始国家が生まれてきた契機は、ヨーロッパの共同性の文化からもたらされたのだ。彼らは、無秩序な無数の部族集団がひとつにまとまるということを、ヨーロッパから伝播してきた共同性の文化から学んだ。彼らがもともと共同性の意識の高い民族であるのなら、その後の歴史においてヨーロッパから蹂躙されやがて無数の部族へと散り散りになってゆくという歴史は歩まなかったはずである。
言いかえれば、ヨーロッパはもともとそれほどに高い共同性の意識をそなえているのであり、その基礎は、激烈な寒さにあえいでいた最終氷河期のクロマニヨン=ネアンデルタールがつくった。
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人間がなぜ国家という不自然で大きな集団を持つことができたかといえば、基本的にそれが自己完結できない小さな集団の集合だからだろう。誰もが自己完結できないで連携してゆこうとするから、その集団が大きくなってゆくのだ。
ヨーロッパの小都市のように自己完結してしまったら、もうそれ以上は大きくならない。
古代ギリシアは、都市国家が分立して、ついに大きな共同体にはなれなかった。それは、最終氷河期に絶滅の危機に瀕した傷がまだ癒えていなかったからだと言えるし、いまだにヨーロッパはその傷を引きずっているのかもしれない。
古代のナイルやメソポタミアは、都市や村が自己完結できる能力を持っていなかったから、国家という単位にまで大きくなっていった。そこまで膨れ上がって収拾がつかなくなり、はじめて集団として自己完結しようとする意識が切実になっていった。
そしていったんその意識に目覚めてしまえば、そこからまたより完結した集団へと細分化されてゆくことになり、内乱を繰り返すようになっていった。そうして近代に入れば、さらに小さな部族単位で分立し、ヨーロッパの国家にいいように蹂躙されることになった。
古代のナイルやメソポタミアが世界最初の国家文明発祥の地であったとしても、共同性の意識においてそのころのヨーロッパよりも進んでいたわけではないということは、その後の歴史が証明している。そのような意識(知能)が彼らの固有の歴史の上に蓄積されて育ってきたものであれば、その後も発展して世界をリードし続けてもいいはずであるが、そうはならなかったのは、それが借り物の共同性であり、ヨーロッパほどの共同性の意識がひとりひとりになかったことを意味する。
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なんのかのといっても、そのころすでに北ヨーロッパの人々の共同性の意識がもっとも高かったのだ。
北ヨーロッパが氷河期明けの歴史において強大な国家をつくることに立ち遅れたのは、すでに共同性の意識が高すぎて、いち早く小都市や村という単位で自己完結してしまったからだ。
そして彼らが保守的で今なお伝統的な習慣や街並みや残しているのは、それほどに氷河期の傷が深く、今なおそれを引きずっているからではないだろうか。彼らは、けっして自分たちの原則を変えようとしない。それは、氷河時代からずっと守り継いできた原則なのだ。つまり、自分たちの集団が、集団として完結してあるということを決して手放さない。集団の完結性が危機に瀕したことの氷河期以来の記憶のトラウマをずっと引きずっているから、彼らは保守的なのだ。
古代ギリシアのそれぞれの都市国家は、ほかの都市と一緒になるくらいなら戦争していた方がましだ、という主義だった。ナイルやメソポタミアのように、それぞれが自己完結性を持てないまま無際限に大きな集団になってゆくということはなかった。それは、ナイルやメソポタミアより集団=共同性の意識が高かったからであり、それほどに深刻な集団の絶滅の危機をすでに氷河期に体験していたからだ。
それは、絶滅したという記憶ではない。絶滅の危機を生きた、という記憶である。絶滅したのなら、絶滅するまいという意識など持たない。そんな意識など持っても絶滅するときはするという記憶があるのなら、持つことはできない。しかし彼らは、けんめいに絶滅の危機を生きたのだ。ヨーロッパ人には、そういう苦労を生き抜いてきたことの意地と頑固さがある。クロマニヨン時代だけじゃない、ネアンデルタールのときからずっとそうやって生きてきたのだ。
いや人間は、直立二足歩行をはじめたとき以来、ずっと絶滅の危機を生きてきたのだ。
人間は、集団の自己完結性をつくろうとはしない。集団の自己完結性を前提として、そこから生きようとするのだ。北ヨーロッパの人々は、50万年前にそこに住み着いて以来、そういう意識が特化するような歴史を歩んできた。彼らは、人類で最初に集団の自己完結性(=共同性)を自覚した人々だった。
近代における北ヨーロッパの逆襲は、歴史の必然だったのだ。
置換説の人類学者たちが言うように、知能が高ければそれだけで高度な文明を築くとはいえない。知能が高かったはずのヨーロッパが、人類史における国家文明の発生に立ち遅れたのだ。
そして古代から中世にかけての北ヨーロッパがローマをはじめとする南ヨーロッパの文明から立ち遅れていたのは、知能が劣っていたからではなく、大きな集団の国家をつくれなかっただけのこと。
まあ、大きな集団であれば、大きなモニュメントをつくることも戦争に勝つこともできる。それだけのこと。おまえらの言う「知能」の問題ではない。
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