やっぱりこの記事を書いているかぎり、「集団的置換説」などというマンガみたいな説を当たり前のように信じこんでいるなんて、大学教授だろうと一般の人類学フリークだろうとアホばかりだ、ということは言い続けていかないといけないと思います。それくらい、そんなことはあり得ないと思えます。それは、無知な上に人間存在を愚弄した考え方だと思います。おまえら、そういう安直なパズルゲームみたいに歴史を決めつけて何がうれしいのか、と言いたいです。
ここに書かれたテーマに対する反論がいただけるなら歓迎します。
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約50万年前から1万3千年前までの北ヨーロッパに住み着いた人々が、とくに氷河期のあいだの厳しい寒さを耐えしのぐために何が必要だったか。
最初は猿のような体毛があったはずである。そのころよりも、20万年前以降の体毛をなくしてしまったネアンデルタールのころの方がもっとつらく切実だったに違いない。寒さとの厳しい関係はこのころから本格化したともいえる。
それは、ただ単に衣食住だけの問題ではない。生きてあることそのものの心模様が、すでに寒さとの関係によって染め上げられていた。
すなわち彼らがどんな人間関係をつくっていたかとか、どんな子育てをしていたかとか、どんな死に方をして死者をどのように扱ったか(埋葬をしていた)という生きざまの問題でもあった。
最終氷河期は、2万3千年前ころからやってきた。
そのころクロマニヨンと呼ばれている人種になったネアンデルタールの子孫たちは、すでにアフリカのホモ・サピエンスの遺伝子を体に取り込んでしまっていた。それは、誰もがアフリカのホモ・サピエンスと交配したからではない。ヨーロッパには、アフリカのホモ・サピエンスと出会ったネアンデルタールなんかひとりもいなかった。そのころアフリカ北部(ナイル下流域)まで拡散していたネアンデルタールの集落にアフリカ人のホモ・サピエンスの遺伝子がまぎれこんでしまっただけである。しかしこの遺伝子のキャリアは、ゆっくり成長して長生きするという性格を持っていて、しばらくすると集落中がこの遺伝子のキャリアになってしまう。そういう性格の遺伝子が、温暖期に集落から集落へと手渡されながら、ついにはヨーロッパ中を覆ってしまった。
つまり、ヨーロッパ中のネアンデルタールホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアになってしまった。
しかしこの遺伝子のキャリアは、寒さには弱い。なかなか成長しない赤ん坊は、たちまち死んでしまう。以前の純粋ネアンデルタールの赤ん坊なら、一カ月近く長く胎内にいて、しかも生まれてから急激に成長してゆくという性質を持っていたが、そういう赤ん坊がどんどん少なくなり、普通に生まれてゆっくり成長してゆく赤ん坊ばかりになっていった。彼らは、そういう虚弱な赤ん坊を、それまで北の地で培って文化や文明とともに、けんめいに育てていこうとした。
しかしもう、死亡率の増加は避けられるはずもなかった。
だから女たちは、それ以上に次々と赤ん坊を産み続けていった。それは、狂気と紙一重であったに違いない。彼女らにヒステリーの傾向が強くなるのも、女上位の社会になってゆくのも、歴史の必然であった。女のヒステリーやレディファーストの習慣は、今でもヨーロッパに残っている。
最終氷河期を迎えたヨーロッパのネアンデルタール=クロマニヨンは、絶滅の危機に瀕していた。半分はネアンデルタールの遺伝子を持っているからかろうじて生き延びることができても、もはや人口の減少は免れなかった。
そのころの人類においては、文化的にも大きく密集した集団をいとなむことのできる潜在能力においても北ヨーロッパがいちばん発達していたはずだが、氷河期明けの文明の発達においては、北アフリカから西アジアのナイル・メソポタミア文明に一歩後れを取った。それは、最終氷河期のダメージがあまりにも大きすぎたからだろう。しかし潜在能力においてはすでにまさっていたのだから、やがてギリシア・ローマ文明を花開かせ、それらの地域を凌駕していった。そうして近代に入ると、そのギリシア・ローマ文明圏を、イギリス・フランス・ドイツなどの北ヨーロッパ文明圏が凌駕してゆくことになる。それは、北ヨーロッパが、ネアンデルタール以来の伝統としてもっとも高度な潜在能力を持っていたことの証しであろう。
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ともあれ、2万3千年前以降の最終氷河期を迎えたネアンデルタール=クロマニヨンは、絶滅の危機に瀕していた。
そこで生まれてきたのが、クロマニヨンのヴィーナスといわれる女性をかたどった小さな彫刻をつくることがヨーロッパ中に流行してゆくという現象だった。
それらはおおむね、豊満な妊婦のかたちをしている。安産のお守りとしてつくられたのだろうか。
いかに彼らが子供を産んだり育てたりすることに苦労をしていたかということがよくわかる。
とくにロシアやドイツ・オーストリアなどの氷床近くの北の地ほど熱心につくられていたらしい。
ネアンデルタール人とは誰か』(朝日選書)の著者であるクリストファー・ストリンガーとクライヴ・ギャンブルは、これを、集落どうしの同盟関係を象徴するものとしてつくられた、と説明している。
どうしてこんな俗っぽく低劣なものの見方をするのだろうか。
「同盟関係」を象徴しているのなら、ヨーロッパ中に広がりはしない。それぞれの地域で別々のものをつくってほかの地域とは違うということを確かめ合おうとするだろう。数百キロ四方の地域の集落が一か所に集まって会合を開いていたんだってさ。くだらない。
たとえば、静岡・山梨・群馬・茨城の人々が東京に集まって会合をしていた、と彼らは言いたいのだ。電車もバスも、道すらない時代にである。原始時代に、いったんそんなところへ行ってしまったら、もう元の場所に戻れるかどうかわからないのだぞ。
ストリンガーたちからしたら、アフリカからヨーロッパにやってくることができたものにとってはそんなことくらいただの散歩みたいなものだ、と思いたいのだろうが、まったくガキみたいな空想をして喜んでいやがる。
そのころヨーロッパにやってきたアフリカ人などひとりもいないし、そんなことができる時代でも、氷河期の極寒の空の下で人々がそんな遠征を企てるような時代でもなかったのだ。もともとアフリカ人は、彼らの歴史と伝統において、生まれ育った故郷を離れようとするような文化など持っていなかったのである。
ストリンガーたちは、たとえば東京でしか取れない特別なものが数百キロ離れた静岡の遺跡からでも見つかっているからそういう同盟関係があったはずだ、と言っているのだが、あほらしい、べつに東京に行って買ってきたわけではない。集落から集落へと手渡されていっただけであろう。すべての集落が隣り合った集落との関係を持っていたから、そのヴィーナス像をつくるという習慣がヨーロッパ中に広まっていったのだ。
何が「同盟関係」か、アホらしい。
すべての集落が、隣り合った集落と女や狩の獲物の情報などを交換するなどの親しい関係を持っていた、というだけのことさ。
ヴィーナス像が、その同盟関係の「象徴」なんだってさ。脳みそが薄っぺらなやつにかぎって、かっこつけてそんな言葉を使いたがる。
そんなことはどうでもいい、彼らがそれほどに子を産み育てるということに切実だった、ということを見落として、そんな空々しいことばかりほざいていい気になっているなんて、いったいどんな思考力をしているのか。インテリジェンスのかけらもない人たちだな。
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まあ、こんなふうに書いているのだ。
<引用>
それでは例としてヴィーナス像を用いれば、様式が社会的同盟関係にどのように役立てられるのだろうか。言うまでもなく、芸術は目に見えるかたちの意思伝達形態である。遠くに離れた親類や見知らぬ人たちも、個人も集団も、共通の、それと認知できる象徴化を共有することを通じてたがいに一体感を確認できるので、様式は社会的な意志伝達と協力関係に役立つのである。氷河期のヨーロッパのような人口希薄なステップツンドラであれば、集団間の大切な会合もめったに開けず、しかもいつ開けるかも予測もつかなかっただろう。しかしこうした会合は、長期的な生存の鍵となったのだ。共有し合う物質文化の保持は、時たま開かれるそうした会合を成功に導く一助となっただろう。
<引用終わり>
会合を開くといっても、みんな何日もかけて歩いてくるのである。あの時代にカレンダーでもあったというのだろうか。
そうして、ロゴマーク入りのTシャツやワッペンやキーホルダーみたいにしてヴィーナス像を共有していったとでも言いたいのだろうか。
クロマニヨンのヴィーナス像とは、今の時代で言えば「せんとくん」とか「ひこにゃん」みたいなもののことか。けっこうな想像力・思考力だこと。「集団的置換説」を唱えている研究者や人類学フリークの脳みそなんて、この程度なんだよね。
「言うまでもなく」などというが、芸術が「目に見えるかたちの意思伝達形態」だなんて、誰も思ってないぞ。
何はともあれ芸術は、自分の心をなだめる機能として生まれてくるのであり、それを受け取る側もまた、なだめられたり癒されたりうっとりさせられたり元気づけられたりしているだけのこと。べつに政治家のアジ演説ではないのだ。われわれは作家の「意思」によって癒されているのではなく、「表現されたもの」から癒されているだけなのだ。
おまえらに芸術のなにがわかるというのか。「言うまでもなく」なんて、しゃらくさいこと言うな。
すなわち、このヴィーナス像は何を表現しているのかということ。
べつに同盟関係を結び強化しようとする「意思」なんかではあるまい。
それを手にして眺めていると、何か癒されるものがあったのだろう。ともすれば子を産み育てるということから逃げ出したくなっている不安が、たとえば「大丈夫、女は昔からずっとそういうことをやってきたのだから」といわれているような心地になっていったのだろう。
あえて効用というなら、それは、女が、子を産み育てるということと向き合うことのできる対象として生み出されていったのであり、それほどに子を産み育てるということがつらくて困難な時代だったのだ。
それは、彼らの集団が絶滅の危機に瀕していたことを物語っている。
そしてそういう危機を抱えていたからこそ、そこから洞窟壁画やヴィーナス像などの芸術文化が花開いていった。それほどに彼らの心は、この生や世界に対して深く豊かに反応していた。
芸術はべつに、「同盟関係」をつくるための道具ではない。お願いだからそんなくだらないことばかり言わないでくれ。
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何はともあれそのころ、絶滅の危機に瀕していた北ヨーロッパこそ、世界でもっとも高度な文化をそなえていたのだ。
しかしそのダメージの深さゆえに、氷河期明けに彼らがほんらいの力を取り戻して世界をリードする時代を迎えるためには、さらに1万年を経過しなければならなかった。
それほどに、最終氷河期のダメージは大きく深かった。
一般的には、この時代を何かクロマニヨンが栄耀栄華を極めた時代のようにいわれているが、むしろ彼らが北ヨーロッパに住み着いた50万年の歴史の中でもっとも危機にあえいでいた時代だったのだ。
この時期、彼らの身長はだんだん小さくなっていった。一時は男の平均身長が180センチを超えていたのに、もとのネアンデルタールの160センチ台までになっていった。それは、寒さと、そのために行動範囲がどんどん縮小していったことを意味する。
ストリンガーは、ネアンデルタールの行動半径が数十キロレベルだったのに対してクロマニヨンのそれは数百キロに及んでいたというが、そんなことは大嘘なのだ。
そんな激烈な寒さの中で、そうそう広い範囲を動き回れるはずがないではないか。ただもう、まわりの集落と助け合い、ときには身を寄せ合って生きていただけである。そういう身近で切実な連携によって、ヨーロッパ中にヴィーナス像が広まっていただけのこと。そうやって行動範囲が狭くじっとしていたからこそ、よそからやって来た客や遠来の文化に深くときめいていった。そういう心の動きが、ヨーロッパ中にヴィーナス像を広めたのであって、彼らの行動半径が広かったのではない。
このことを、ストリンガーもすべての人類学フリークも、何もわかっていない。
文句があるなら、どうか言ってきていただきたい。
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しかし何度もそう言っているのに、どうして「集団的置換説」の人たちが反論してきてくれないのだろう。
俺たちは俺たちのコミュニティで楽しくやっているのだから、よけいなことを言うな、ということだろうか。
あなたたちは、楽しければそれでいいのか。人間の真実とは何かということなど、さしあたってどうでもいいのか。とりあえず自分もいっちょ前のインテリだ、というような気分になれればそれでいい、ということか。
あなたたちには、どこに人間の真実があるのかということを議論して確かめていこうというような思いはないのか。
大学教授は、それで給料をもらって楽しくやっていられるのならそれでいい、ということか。
そして一般の人類学フリークは、そんな知識人のお説を拝領して自分も何かを知っているような気分になれればそれでいいということだろうか。
この世の中にはそういうコミュニティがあって、その外で僕は「そんなことあるものか」とか「それでいいのか」とか、やいのやいのと空騒ぎしている。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
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自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
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