最近、人類発祥の地はアフリカではなくアジアである、という説を唱えている研究者がいるらしい。
真偽はともかく、いきなりこういうことをいわれると、はっとしてしまう。
僕などは、人類がアフリカで生まれたことは当たり前のように思って疑うことをしなかった。それが思考の怠惰である場合も多い。4万年前のアフリカ人の大集団がはるばる旅をしてヨーロッパに上陸していったということにしても、本来なら当たり前のようにして信じられることではないはずである。
まあ人類学の世界では、発掘された骨の骨格によってあれこれ妙な分類の仕方をしているから、どうしても話がややこしくなって部外者にはわかりづらい。
原初の直立二足歩行をはじめた人類はアフリカで発生したことは、今のところ疑いようがない。そういう古い骨は、アフリカからしか出てきていない。
しかし人類がアフリカを出て世界中に拡散していった時期ははっきりしているわけではない。今のところ中央アジアのドマニシ共和国で発掘された185万年前のものがアフリカ以外で見つかったいちばん古い骨で、冒頭に紹介した研究者の説は、この骨はこの地域で独自に進化したものであってアフリカからやってきたものではない、ということらしいのだが、それ以前の古い骨がアフリカ以外のところで見つかっているわけではない。
だったら、アフリカを出て拡散しはじめたのがそれよりもずっと早かった、というだけの話かもしれない。
そして現在の研究者たちのあいだでいちばん大きな対立になっているのは、このおよそ200万年前ころに世界中に拡散していった人類がそれぞれの地域で独自に進化したという説(多地域進化説)と、7〜3万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスが世界中を覆い尽くして先住民と入れ替わったという説(集団的置換説)とが争っていることにある。
僕は、後者のこのマンガみたいな説を当然のように信じている人がこの世にたくさんいるということが不思議でならないのだ。
そんなことがあるはずないじゃないか、あなたたちは「人間とは何か」ということの考察が薄っぺらすぎるんだよ、と何度も言ってきた。この「集団的置換説」の先導者であるイギリスのストリンガー教授なんてどうしようもないアホだと思うし、その説に賛同しているすべての人類学フリークだって違う人種であるはずもない。文句があるならいくらでも言ってきていただきたい、と繰り返し言ってきたのだが、今のところ全く反応がない。弱小ブログはさびしいものである。おまえらみんなアホだ、と言っているのに、誰も反応してくれない。
世間では、一時期遺伝子学者たちの加勢もあって集団的置換説が大いに優勢だったのだが、このところ多地域進化説も巻き返してきている。そのひとつとして、冒頭のようなことを言い出す研究者もあらわれてきた。
「集団的置換説」だなんて、人類の歴史がそんなマンガみたいなストーリーで決着つくはずがないし、それを人々が疑うことなく当たり前のように信じてしまっている時代の状況というのも、ちょっと怖いものがある。上から下まで、思考停止が蔓延している。
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われわれはなぜ思考停止に陥るのか。自分の頭で考えることをしないで先導者(研究者)に追随することばかりしているからだろう。
「すでに知っている」という場に立てば、不安はない。先導者は、そこに立たせてくれる。いつもそこに立っていたいのだろう。そういうスタンスに立っていなければテストでいい点が取れない。子供たちは、知らず知らずのうちにそういうスタンスに立つように「先導者=教師=大人」から仕向けられ、育ってゆく。そうして「何も知らない」というまっさらな状態で問題と向き合うことを忘れてしまう。
「すでに知っている」という場に立たないと生きてゆけない社会の構造になっているのだろうか。誰もが「すでに知っている」という顔をして生きている。
研究者の唱える集団的置換説をそのまま信じこめば、あなたも「すでに知っている」人間のひとりだ。われわれはもう、条件反射的にそういうスタンスに立ってしまう習性が身にしみているらしい。
それを疑えば、ひとまず「何も知らない」という場に立って自分の頭で考えなければならない。それは、「この世のもっとも弱いもの」になる、ということだ。それを避けて、あれこれ本を読み漁っている人たちがいる。一種の強迫観念だろうか。
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ストリンガーなんて、どうしようもないアホじゃないか。王様は裸、なのですよ。
4〜3万年前にヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。
文化というのは、そこに長く住み着いたものたちの歴史の上に築かれている。クロマニヨンの文化は、50万年前からその地に住み着いてきたものたちの歴史の上に花開いていったのだ。文化とは、そういうものだ。それは、歴史が生み出すものであって、人類学者のいうような「知能」とか「象徴思考」などという頭のはたらきから生まれてきたのではない。アフリカにはアフリカの文化があったし、ヨーロッパにはヨーロッパの歴史の上に育ってきた文化があった。地域性というものがある。それとは無縁に文化など生まれてこない。
だから人は「故郷」という意識を持つ。そしてあのころ、アフリカ人ほど生まれ育った故郷を離れたがらない人たちもいなかったし、その文化は、ヨーロッパのそれとはまったく異質だった。
重ねて言う。4〜3万年前にヨーロッパに上陸していったアフリカ人などひとりもいない。
クロマニヨンとの連続性は、アフリカのホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタールとのあいだにある。
このブログでは、そういうことをここまでに書いてきた。
ほんとに、アフリカのホモ・サピエンスが世界中に旅立っていったなんて、何をくだらない寝言を言っているのだろうと思う。それこそが、どうしようもない「トンデモ説」である。
僕は、人類学の常識といわれている説は、ひとまず疑って白紙から考えることにしている。
疑わしいことばかりである。
こんなくだらない「トンデモ説」を疑うこともなく、みなさんよくもまあ平気で振り回していられるものだ。
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7万年前以降の氷河期突入以来、ヨーロッパから西アジア北アフリカあたりまでネアンデルタールの文化圏になっていた。
そして氷河期明け以降、このあたりからいち早く人口が密集した都市国家が生まれ、ナイル・メソポタミアインダス文明へと発展していった。つまり、コーカソイドと呼ばれる人種の文化圏である。
ネアンデルタールがクロマニヨンになり、やがてコーカソイドになった。
それらの地でなぜいち早く文明が発達したかといえば、それまでの人類史では考えられないような人口が密集した都市が生まれていったからだ。
8千年前ころには、メソポタミアの北西の地域で、すでに1万人近い都市集落が現れている。
アジアの果ての日本列島でそれほどの規模の都市集落が出現したのは、2千年前の弥生時代後期になってからである。
氷河期明け以降のコーカソイドは、ネアンデルタール以来の歴史と伝統として、世界に先駆けて大きく密集した集団をいとなむことのできる能力を持っていた。
それは、人類が氷河期の北の地に住み着いたことによって初めて獲得した能力だった。この実験的な歴史体験がなければ、おそらく氷河期明け以降の都市国家の出現もなかった。
いいか悪いかはともかく、人類が国家という限度を超えて大きく密集した集団をいとなむようになったことの契機は、ネアンデルタールが氷河期の北の地に住み着いたことにあるのだ。
そしてその集団性の基礎は、「この世のもっとも弱いもの」を生かそうとする衝動が特化していったことにある。彼らは、その環境条件により、そのころの人類でもっとも平均寿命の短い集団だった。彼らの平均寿命は30数歳で、20代の若者が中心の社会だった。その若者特有の「この世のもっとも弱いもの」を生かそうとする衝動とともに限度を超えて大きく密集した集団がいとなまれていた。
彼らは、そのころの人類でもっとも大きく密集した集団をいとなむものたちでもあった。
「この世のもっとも弱いもの」とは、具体的に言えば、すなわち赤ん坊のことだ。彼らほど赤ん坊を育てることに苦労したものたちもいない。何しろ氷河期の極寒の地なのだから、半分以上の赤ん坊が生まれてすぐに死んでいった。それでも女たちは産み続けた。だから、集団は存続することができた。早産の赤ん坊はみんな死んでいった。月遅れで生まれてくる大きな赤ん坊だけが生き残る可能性を持っていた。そんな赤ん坊ばかり産んでいたから、女たちの胎盤は変形していった。
産みの苦しみも、育てる困難さも、並大抵ではなかった。しかし彼らは、「この世のもっとも弱いもの」を生かそうとする衝動も、深く豊かにそなえていた。その衝動がなければ、産み続けることなんかできないし、育てようとすることもできない。
ネアンデルタールの社会は、この衝動を基礎にして成り立っていた。この衝動を基礎にして、言葉がはぐくまれ、埋葬という儀礼も生まれてきた。
弱いものを生かそうとする衝動がなければ、人間的な限度を超えて大きく密集した集団の中にいることには耐えられない。
氷河期明けの人類は、彼らのその衝動を引き継ぎながら国家という共同体を生み出したのであり、われわれ現代人もまたこの衝動を携えてスタジアムや祭りのイベントなどの大集団の中に潜り込んでゆく。
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人間の集団性の本質であり特異なところでもあるのは、「限度を超えて密集している」ということにある。この状況を維持するためには、弱いものを生かそうとする衝動がなければ成り立たない。
弱いものを生かそうとする衝動は、みずからが弱いものでなければ原理的に生まれてきようがない。みずからが生きることそれ自体が弱いものを生かす行為だから、そういう衝動が生まれてくる。そしてこのもっとも純粋なかたちは、幼い子が縁日のひよこを買ってきたり子猫を拾ってきたりして育てようとすることにあらわれている。
ネアンデルタールの社会は、弱いものを生かそうとする衝動の上に成り立っていた。
人類の文明や文化は、何はともあれこの衝動を基礎にして発展してきた。
僕が、氷河期明け以降の人類の歴史の基礎はネアンデルタールによって築かれた、というのは、まさにこのことである。
現代人は、できるだけ安楽に生きようとする。自動車も飛行機も冷暖房も医療行為も、文明とは、まあそのようなコンセプトの上に成り立っている。安楽に生きようとすることは、すなわち弱いものを生かそうとすることでもある。新幹線に乗れば、歩けないものでも3時間で東京から大阪に行けるのだ。冷暖房が完備されてあれば、暑さ寒さに耐えられない弱い体でも生きてゆける。現代の医療行為にたよれば未熟児だって生き残れるし、病弱な人間が80年生きることもできる。
そのようにして「弱いものを生かそうとする」のが、文明の根源的なコンセプトなのだ。そういう意味で、現代文明もまた、ネアンデルタールの遺産なのである。50万年前の人類が氷河期の北ヨーロッパに住み着いてけんめいに生き残ってきたという、その50万年の歴史の伝統がなければ、おそらく現代文明など存在していないのだ。その歴史の伝統は、南方種であるアフリカ人がいきなりヨーロッパ大陸に乗り込んでいってたちまちつくり上げることができるような、そんなかんたんなものではないのだ。
「歴史」が文明をつくり上げるのだ。この意味、わかってもらえるだろうか。
それは、人類学者のいうような「知能の発達」だの「象徴化の思考」などというところから生まれてくるのではない。そんなことは文明によってもたらされた「結果」であって、文明が生まれてくる「契機」ではない。
「契機」は、ネアンデルタールとその祖先たちがけんめいに氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったその歴史と伝統にあるのだ。
人間の文明の根源的なコンセプトは、「弱いものを生かそうとする」ことにある。
氷河期の原始人が50万年かけてはぐくんできたこの生のかたちを、いきなりやってきたよそ者があっさりと塗り替えてしまったことの上に現代文明が築かれているのだと、あなたたちはほんとに思うのですか。人間の歴史が、そんなにも安直で薄っぺらなものだと思うのですか。
反論のある人は、どうかいくらでも言ってきていただきたい。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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