ネアンデルタールが滅んだことにしてしまえば話はかんたんさ。しかし、人間とは何かということを考えたら、それだけで納得できるものではないだろう。人間とは何かというブラックボックスに分け入ってゆく思考力も想像力もない連中が、そういう安直な結論に飛びつくのだ。
その結論が自分の感性にしっくりくる、てか?おまえの感性が、そんなに偉いのか。こっちは、自分の感性なんか振り捨てて「人間とは何か」ということの普遍=真実を求めて格闘しているのだ。
反論があるなら、いつでも言ってきていただきたい。
「集団的置換説」を唱えている研究者なんて、ストリンガーだろうと赤澤威氏だろうと海部陽介氏だろうと、思考力も想像力もないただのあほだと思っている。
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ネアンデルタールがつくった集団こそ、共同体(国家)が生まれてくる契機となった人類最初の本格的な集団だった。
そのころ氷河期の北ヨーロッパは、北極並みの寒さで、ろくな文明を持たない原始人が生きていられるようなところではなく、じっさい生まれた子供の半分以上が大人になる前に死んでいった。それでも彼らは、その絶滅の危機をくぐりぬけて生き残っていった。彼らをしてその過酷な環境を生き延びさせたのは、たくさんの人間が寄り集まって結束し、チームプレーを磨いていったことにある。この習性が、その後の共同体(国家)が生まれてくる基礎になっていったのだ。
いっぽう同じころのアフリカでは、家族的小集団でひとつの地域を移動巡回しながら暮らしていた。これは、今でもアフリカにはピグミーやブッシュマンなどのようにそういう暮らしをしている民がいることを思えば、容易に想像がつくはずだ。
アフリカには、ヨーロッパとの関係を持っていた地中海沿岸地域をのぞいて、大きな集団をつくって暮らすという歴史がない。彼らが国家という集団をつくったのはつい最近のことで、それだってヨーロッパからの外圧で無理やりつくらされたようなものだろう。
断わっておくが、アフリカ北部の地中海沿岸地域の人々はネアンデルタールホモ・サピエンスの混血であって、それよりも南の地域の人々が純粋なホモ・サピエンスの子孫である。それは、遺伝子学のデータでも証明されている。たとえばエジプト人やモロッコ人は、アフリカの黒人という顔はしていない。人種的には、西アジアコーカソイドである。
アフリカには、アマゾンと同じような見渡す限りの広大な森の地域がある。しかも、アマゾンほど気候が湿潤ではないから、それほど鬱蒼としたジャングルというわけでもない。ピグミーは、そういうところで森の中を移動しながら、生涯森を出るということがない。だから、他の部族との交流がいっさいないまま長い歴史を歩んできた。そのように孤立した島や森に閉じ込められていると、人間の体はだんだん小さくなってくる。人類学では、これを、「島嶼(とうしょ)化現象」というらしい。
日本列島の住民だって、江戸時代まではずいぶん体が小さかった。これも一種の島嶼化現象だったのだろう。
アフリカの人々は、基本的に森の住民である。人類は森を出てサバンナで暮らすようになった、といっても、ブッシュマンのように、サバンナを横切って小さな森から森へと移動していただけである。
酷暑のアフリカでは、日陰のないところでなんか暮らせない。彼らはつねに日陰を求めて移動していった。それに、大型肉食獣がうようよいるサバンナを原始人がうろつきまわることなどできるはずがない。彼らは、「森の人」であると同時に、「隠れる人」でもあった。彼らは、焼けつく日差しからもサバンナの肉食獣からも、隠れながら暮らしていた。したがって、どうしても生活区域が限られてきて、他の区域の人間との交流がなくなってゆく。
アフリカには、たくさんの言葉の違う部族がいる。現在の国家建設が遅々として進まないのも、そういうことにも一因がある。言葉の違う100も200もの部族が一体感を持って結束してゆくということは、けっしてかんたんなことではない。彼らはもともと「隠れる人」だから、気質的に結束することが苦手なのだ。
アフリカには、大きな集団をつくる伝統がない。したがって、人類学者たちがいうように、そんな彼らが10〜5万年前に大きな集団をつくって世界中に旅していったということなどあり得ないのだ。
そのころ彼らは、誰もアフリカの地を出ていっていない。出てゆくはずがないのだ。
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原初の人類の直立二足歩行は、限度を超えて密集した集団から生まれてきた。それは、その密集してあることと和解し鬱陶しさを克服する姿勢だった。したがって人間は、密集した群れを生きようとする本能を持っている。
彼らは、密集しすぎた群れの中で、体をぶつけ合って行動していた。そのための小競り合いがつねに起きてきて、群れは崩壊寸前だった。しかしそこはサバンナの中の孤立した森だったから、余分な個体を追い出すことも逃げてゆくこともできなかった。そういう進退きわまった八方ふさがりの鬱陶しさの圧力から追い立てられるようにして彼らは立ち上がっていった。二本の足で立ち上がれば、身体の占めるスペースが最小になって、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」が生まれた。
彼らはそこで、大きな解放感(カタルシス)を体験した。この解放感(カタルシス)こそ、生き物の進化をうながす根源的なエネルギーにほかならない。ベルグソンはこの解放感のカタルシスのことを、「エランヴィタール」といっている。
人間は、密集してあることがうれしいからそうした群れをつくってしまうのではない。密集した中にいて二本の足で立ち上がれば、その鬱陶しさから解放されてゆくカタルシスが体験されるからだ。
鬱陶しさの中にいなければ、解放感も体験できない。だから人間は、密集してあることを拒まない。現代人は、10万人のスタジアムに潜り込んで、解放感のカタルシスを体験している。それほどに密集しているからこそ、解放感もより深く豊かに体験される。
人類は、二本の足で立ち上がったときから、すでに限度を超えて密集した群れとしての共同体(国家)をつくることを宿命づけられていたのかもしれない。
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700万年前の最初の人類は、チンパンジーのような猿だったのだろう。
そこから3,400万年は、ずっと森の中で暮らしていたから、身体の大きさも知能もそれほど進化していない。ただ、二本の足で立ってかなり密集した群れで暮らしている風変わりな猿というだけだった。
そのあと気候の乾燥化が進んで森が減少してゆき、サバンナを横切って小さな森から森へと移動してゆくような生活に変わってゆき、肉食が習慣化したことなどもあって、しだいに体の大きさも脳も進化してきた。
そしてそのような新しい環境に適応していったものたちは、いったん密集した群れを解体して家族的小集団で移動生活をするようになっていった。
適応できないでいぜんとして密集した群れをいとなんでいる進化の遅れたグループは、外へ外へと追いやられ、とうとうアフリカの外に出てゆくことになった。これが、およそ200万年前ころである。
他者の身体とのあいだの「空間=すきま」を持つことの解放感を止揚してゆく人間は、そのために猿よりも群れどうしの間隔を広くとる習性がある。で、人口が増えれば、猿よりもずっと広く拡散してゆく。
つまり、拡散していったものたちは、小集団でサバンナを横切る暮らしに適応できずに密集した群れの中でしか暮らせないものたちだった。そしてそういう暮らしが可能な森は、むしろアフリカの外に広がっていた。
とはいえ彼らのところにも、アフリカ中央部のサバンナで進化したものたちの遺伝子や文化はやがて伝わってきて、体も大きくなり狩も覚えてくる。
しかも、狩の場としては、アフリカの外の方が適していた。炎天下のアフリカではあまり体を動かしたくないが、寒いところなら、むしろ体を動かしていた方が体が暖まってよい。それに、アフリカよりも大型肉食獣が少なかったし、彼らは密集した群れで暮らしていたから、チームプレーで体の大きな草食獣を仕留めることを覚えていった。
アフリカでは、物陰に潜んだところから小型の草食獣を投げ槍の一撃で仕留めるとか、そういう静かな個人プレーの狩が発達した。また、家族的小集団で暮らしているのであれば、そうした獲物だけで集団の食事を賄うことができたし、あまり体を動かさない暮らしをしているのであればたくさん食う必要もなかった。
それに対して北のネアンデルタールは、大型草食獣の群れを窪地に追い込み肉弾戦を挑んでまとめて倒す、という狩をしていた。そういう狩をしないと彼らの大きな集団の食事は賄えなかったし、寒さの中では脂肪分のあるものをたくさん食わなければ生き残れなかった。
狩の技術は、北にいくほどダイナミックになっていった。
そのようにして人類は、50万年前の氷河期には北ヨーロッパまで拡散していた。
彼らは、密集した群れの中で暮らすことを手放さなかったものたちだったのであり、それが、極寒の北ヨーロッパでの暮らしを可能にしていた。
もしも彼らがアフリカ中央部のサバンナでの暮らしにいったん適応し、そういう家族的小集団で暮らす習性を身につけてしまったものたちの末裔であったのなら、けっしてそんな過酷な環境の地に住み着くことはできなかっただろうし、住み着こうとはしなかっただろう。
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二本の足で立っている人間は、先験的に密集した群れの中に置かれて存在している。それは、密集した群れの中に置かれてあることによってはじめて成り立つ姿勢である。われわれは、二本の足で立っているかぎり、ひとりでいてもすでに密集した群れの中に置かれて存在している。それは、他者との関係の上に成り立っている姿勢であり、われわれは先験的に他者を意識して存在している。
人間は、望まないのに密集した群れをつくってしまう。存在そのものの根源において、密集した群れをつくってしまうようにできている。生き物なら、その身体感覚において、密集した群れなんかうっとうしいに決まっている。しかしその鬱陶しさから解放されるカタルシスこそ、人間を生かしている。鬱陶しさの中に身を置かなければ、カタルシスも体験できない。だから、引き寄せられるようにその鬱陶しさの中に潜り込んでいってしまう。
文化人類学者たちは、たとえばアフリカやアマゾンの未開の地の民族を調べて、人間が密集した群れをつくろうとすることの根源的な衝動を突き止めようとしている。しかし彼らは、猿とそう変りない規模の集団しかつくっていない。いや、ピグミーやブッシュマンの家族的集団は、チンパンジーの群れよりも小さい。だったら、彼らはなぜその程度の規模の集団しかつくれないかと問うべきだろう。
人間は密集した群れを嫌う生き物だという証拠がそこにある。密集した群れを嫌っているから、その程度の群れでも暮らすことができる。
しかし、嫌っているからこそ、そこから解放されカタルシスもより深く豊かに体験できる。そのカタルシスを知ってしまっているために、いつの間にか勝手に密集しすぎた大きな群れができてしまう。人間が大きく密集した群れをつくってしまうことの契機は、そういう逆説として成り立っている。そしてそのカタルシスが人間を生かし、そのカタルシスによって人類の文化文明が進化してきた。
結果的に、その後の歴史においてなぜアフリカが世界の文明から取り残されていったかといえば、大きな集団をつくれなかったからだろう。
であれば、5万年前のアフリカのホモ・サピエンス北ヨーロッパネアンデルタールのどちらの文化が進んでいたかといえば、大きな集団をつくっていたネアンデルタールの文化が家族的小集団で暮らしていたホモ・サピエンスのそれよりも遅れていたということはあり得ない。そうしてその後に出現した北ヨーロッパのクロマニヨンがそのころの地球上でもっとも高度な文化を持っていた民族だったとすれば、それはとうぜんネアンデルタールとの連続性において考えるしかない歴史の現象であるはずだ。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
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