「漂泊論」・10・別離

   1・原始人は、猿のような熾烈なテリトリー争いはしなかった
親しい人との別れは、つらい。
なぜつらいのだろう。
猿はたぶん、人間ほどつらいとは思っていない。なぜなら、余分な個体を群れから追い出す習性を持っているから、そういう心の動きが深化すればそれがあだになってしまう。また、他の個体を追い落として群れの中の順位を上げてゆくのが彼らの生きる流儀だろう。別れのつらさよりも、追い払おうとする衝動を維持していなければ生きられない。
とすれば、人間が別れのつらさを抱く生き物であるということは、根源的には「追い払う」という衝動を持っていないことを意味する。
われわれの祖先は、追い払うという衝動を捨てて二本の足で立ち上がったのだ。
原始時代は、人間の世界よりも猿の世界の方がずっと他の群れを追い払おうとする争いは熾烈だったはずである。
人間は、追い払おうとする衝動を捨てて、猿よりも高度に連携し結束してゆく群れをつくり、猿よりも高度な文化や文明を獲得していった。
原始人は猿に近い存在だから猿のような熾烈な争いをしていたと考えるのは早計である。猿であることを捨てて人間になったのだ。
原始時代はおそらく群れどうしの戦争などなかった。そうやって親しい人との別れをかなしむ心を深化させ、たとえば「死者を埋葬する」という文化を生みだした。
そういう心の動きが「死者を埋葬する」という文化を生み出したのであって、人類学者のいうように、象徴化の知能が発達して「あの世」というイメージを発見したとか、そういうことではない。
死者との別れを深くかなしんで、埋葬するという習俗が生まれてきたのだ。
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   2・三角関係
二本の足で立っていることは、他者と向き合う関係を保っていないととても不安になってしまう。
それは、他者という遮蔽物=壁を失って胸・腹・性器等の急所を世界中にさらしてしまうことである。また、他者と向き合っていることによって、その姿勢の不安定さが緩和されている。
親しい人との別れは、荒野の中ひとり置き去りにされたような不安を引き起こす。
人間は、二本の足で立ち上がったことによって、他者を追い払うという猿としての衝動を失った。
と同時に、他者と向き合うという、より親密な関係を持ったことによって、その関係をさらに親密なものにしようとして、第三者を排除しようとする衝動も生まれてきた。
猿には、あまり三角関係はない。人間の、他者と向き合うという関係の切実さからその関係が生まれてくる。
この国の人類学者の多くは、4万年前のヨーロッパでアフリカからやってきたホモ・サピエンスが原住民であるネアンデルタールを追い払った、とずっといっているが、もしもアフリカから侵略者がやってくれば、ネアンデルタールどうしが結束して2対1の関係になり、追い払ってしまうはずである。これが、人間の習性なのだ。
1対1であるかぎり、人間はけっして追い払おうとしない。どちらも、追い払おうとしない。
そのころ、ヨーロッパ大陸に上陸していったアフリカ人などひとりもいない。ネアンデルタールホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアに変わっていっただけである。その遺伝子は、わざわざアフリカ人が出かけて行かなくても、集落から集落へと手渡されて、いずれはヨーロッパ中に広がってしまう。
ヨーロッパのネアンデルタールは、アフリカのホモ・サピエンスよりもはるかに広範囲な遺伝子や文化の伝播が実現する関係を持っていたのだ。
アフリカのホモ・サピエンスには、遺伝子や文化を広範囲に伝播させる関係を持っていなかった。そのために現在のアフリカ、地域ごとに身体の形質も言葉の文化も、大きく違ってしまっている。
ヨーロッパには、高身長のマサイ族と低身長のピグミーと尻の大きなホッテントットほどの身体的な差異はない。
アフリカには、部族どうしも個人のあいだにも、あまり親密な関係はない。つまり、別れのかなしみの文化は、ヨーロッパのネアンデルタールの方がずっと発達していた。そしてそれは、結束して異民族を追い払おうとする三角関係の衝動も強かった、ということだ。
4万年前に、アフリカの黒人とヨーロッパの白人がヨーロッパ大陸で出会ったということなんか、あるはずがない。
アフリカのホモ・サピエンスには、よそ者や異人種と関係しようとする衝動などなかったし、だからこそよそ者や異人種を追い払おうとする結束力も希薄だった。だから、近代における欧米人の奴隷狩りの餌食になってしまった。
そしてヨーロッパのネアンデルタールは、異人種が侵略してくれば、ヨーロッパ中が結束してでも追い払おうとする民族だった。現在の「ユーロ」圏という結束も、そういう伝統なのだろう。
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   3・旅に出たくなる
旅の文化は、「別れのかなしみ」の文化とともにある。そういう文化は、ヨーロッパのネアンデルタールにはあったが、アフリカのホモ・サピエンスには希薄だった。
アフリカには、旅をする伝統は希薄である。もともと、旅をしないものたちがアフリカに残ったのだ。旅をしないことが、アフリカ文化の伝統である。だから、マサイ族やピグミーやホッテントットのように分かれていった。
アフリカでは、部族どうしも個人どうしも、必要以上に親密な関係をつくらない。だから彼らは、別れにもあんがいドライである。部族内でも、家族的小集団ごとに分かれてそれぞれが勝手に移動生活をしていた。別れにドライにならなければ、そういう移動生活はできない。
サバンナには、人間が大集団をつくって定住できるような大きな森はなかった。彼らは。追い払おうとする衝動も親密になろうとする衝動も希薄である。それが、サバンナで生きる流儀だった。
親密な関係をつくってしまうから、別れがつらくなる。親密な関係をつくってしまうから、第三者を追い払おうとする。人は、追い払われるようにして旅に出る。人と人が親密な関係になる集団内には、いたるところで第三者を追い払おうとする衝動がはたらいている。つまり、人が旅に出たくなる集団だということ。実際に追い払われなくても、その集団の中にいる気分として、なんだかじっとしていられなくなり、旅に出たくなる。
親密な集団だから、旅に出たくなる。
4万年前のアフリカには、人を旅に駆り立てるような集団の構造はなかった。
旅の文化は、人と人が親密な関係性を持った集団から生まれてくる。このような関係性は、アフリカから遠くなればなるほど濃密になっていった。
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   4・集団を解体する
数百万年前のアフリカのサバンナの中の森で生まれた原初の人類の旅は、サバンナを横切る、というかたちではじまった。
二本の足で立ち上がった原初の人類は、サバンナを横切るということを繰り返しながら、遠距離移動の歩行能力を身につけていった。
地球気候は、十万年くらいの周期で寒冷乾燥化(氷河期)と温暖湿潤化を繰り返してきた。寒冷乾燥化の時期には、サバンナの中の森は縮小し、いくつもの小さな森に分かれる。そこで人類は、サバンナを横切って小さな森から森へと移動してゆく暮らしを身につけていった。
サバンナを横切るとき、大きな集団では肉食獣の餌食になりやすい。肉食獣に追われたら、たちまち集団は散り散りになる。
直立二足歩行する人類の群れは、追われて逃げるときに、みなが同じ方向に逃げるということはしない。固まって同じ方向に走っていたらたちまち将棋倒しになってしまうのが直立二足歩行である。
放射状に広がって逃げる。そうして群れは四分五裂してしまう。
地球気候が温暖湿潤化して森が大きくなると、集団は大きく密集してくる。寒冷乾燥化して森が小さくなってくると、それとともに小さな集団に四分五裂してゆく。このような繰り返しの中から、「旅をする」という習性が育っていったのだろう。
ともあれ、アフリカに残ったものたちは、この繰り返しの歴史を歩んできた。それは、集団の中でもより環境に適合したいわば選ばれた強いものたちだった。弱いものはこの繰り返しの歴史からはじき出されて、とうとうアフリカの外まで拡散していった。たとえば、ハンマー投げの選手がぐるぐる回りながらハンマーを遠くへ飛ばすように。
ブッシュマンやマサイ族などのアフリカ人は、それぞれが家族的小集団で森から森へと移動してゆく暮らしをしながらも、ひとつの部族を構成している。それは、温暖湿潤化して森が大きくなったときに一緒に暮らしていたものたちだったのだろう。アフリカにとどまったものたちは、この繰り返しの歴史を歩んできたものたちであり、遠くまで旅をする習性を持っていない。
この繰り返しの歴史からはじき出された弱いものたちによって、人類の旅の文化が育っていった。
人類は、集団を解体する習性と集団をつくってゆく習性との両方を持っている。この繰り返しの果てに地球の隅々まで拡散していったのが、人類の歴史だった。
そうして、集団を解体して旅に出る。
であれば、4万年前のアフリカの大集団が旅をしてヨーロッパに上陸していったということなどはあり得ないのだ。それは、人類の習性と矛盾している。歴史の法則に合っていない。
人が旅をしてゆくことは、本質的に、集団からはじき出されることである。たとえみずから進んで旅に出るときだって、集団を解体するという人類の習性が、われわれの中の歴史的無意識としてはたらいている。
旅に出ることは、人と別れるかなしみである。そして、人と出会うときめきである。旅とはそういう反復運動であり、われわれはそういう反復運動を歴史的な無意識として持っている。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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