一般的な人類学の通説では、7万年前からはじまった氷河期において北のヨーロッパにはネアンデルタールと呼ばれる人々が暮らし、南のアフリカにはホモ・サピエンスが住んでいて彼らが4万年前ころにヨーロッパに移住していってネアンデルタールと入れ替わった、といわれている。つまり、ホモ・サピエンスの方が圧倒的多数の大集団だったから、ネアンデルタールはそこに吸収されたか追い払われるかした、と。
で、人類学者はこうも言っている。そのときホモ・サピエンスネアンデルタールよりもずっと知能が進んでいて、北の暮らしに対する適応力も勝っていた、と。
あんまりではないか。
50万年前からずっと北の地に住み着いて何度も氷河期をくぐりぬけてきた人々よりも、そんな凍てつく寒さを一度も体験したことのないアフリカ人の方が寒さに対する適応力があっただなんて、よくそんなことがいえるものだ。
知能というのは、そんなオールマイティのものなのか。僕はべつにアフリカのホモ・サピエンスの知能の方が高かったとはぜんぜん思っていないが、知能だけですべての問題が解決すると思っている、その底の浅い現代的な知能というか制度的な思考が気に食わないのだ。
人間が生きるということはそれだけではすまないだろう。知能が進んでいようといまいと、数万年前の原始時代に、その死と背中合わせのような寒さを克服するどれほどの文明があったというのか。
氷河期の北ヨーロッパは、現代の北極のようなところだった。そんな地に50万年間けんめいに住み着いてきた人々の育てた文化や歴史は、熱帯のアフリカ人が身につけた知能とやらの前ではなんの意味もなかったというのか。
ネアンデルタールとその祖先たちが50万年かけて育ててきた北の文化を、熱帯のアフリカ人がそうかんたんに凌駕できるはずないじゃないか。それが歴史というものではないのか。
知能という現代人の物差しで原始時代を語ろうとする彼らの、その思考の底の浅さにはうんざりさせられる。よそ者がその地に行って覇者として君臨するとか、原始時代にそんな今風の物語などなかったのだ。原始時代には、そういう「覇者の論理」が通用するような文明などなかったのだ。あなたたちの考えることは、そういう論理から一歩も抜け出ることができていない。そんな貧弱な思考力想像力では、原始時代の歴史には迫れない。
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彼ら人類学者によれば、その「知能=文化」とは、「未来を見通す計画性」なのだとか。およそ5万年前ころ、この観念のはたらきを持ったことによって人類の文化は爆発的に進化をはじめた、すなわち、この知能=文化によってアフリカのホモ・サピエンスネアンデルタールを凌駕していった、と彼らはいう。
まあ現代社会はそんな観念のはたらきでひとまず動いているのかもしれないが、それが文化というものの根源的なかたちであるのではない。たとえ現代社会だろうと、文化というのはそんなところで成り立っているのではない。そこのところを、あなたたちはなんにもわかっていない。
たとえば、女にもてるいい男とは、女を口説くテクニックにたけている男のことか。これが、知能こそオールマイティだという人類学者たちの論理である。これこそが人間の「文化」の本質であると彼らは言っているのだ。
そうではないだろう。もっといい男は、自分が口説かなくても女の方が勝手にときめいてしまう。そしてそれは、容姿のことだけではなく、着るものとか会話とか心映えとか、いろんないい男のセンスというものがあるだろう。そういうものを「文化」というのではないのか。人と人の関係が、そのようにして口説き合うのではなく、ときめき合ってゆくかたちにしているものを「文化」というのではないのか。
女を口説くテクニック=知能なんか、「文明」といっても、「文化」とはいわない。
そして原始時代は、ほとんど「文明」といえるものなどなかったのである。原始時代に、女子供を連れた大集団で道なき道の原野を旅することのできる、いったいどんな「文明」があったというのか。氷河期の北ヨーロッパの、その北極並みの寒さをしのぐどんな「文明」があったというのか。
そのころ、ヨーロッパに上陸していったアフリカ人などひとりもいない。よくそんな幼稚で愚劣な物語が信じられるものだ。それを信じるためには、中学生レベルの思考力が必要になる。あなたたちの脳みそは、その程度のものなのか。文句があるなら、誰でも言ってきていただきたい。
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人間の文化を育ててきたのは、「未来を見通す計画性」か?そんな観念のはたらきが、人間を人間たらしめているのか?ああ、くだらない。この程度の分析で人間の真実に届いているつもりのあなたたちの、その底の浅い思考はなんなのか。
何はともあれ多くの人類学者は、この知能を携えてアフリカのホモ・サピエンスは4万年前の氷河期のヨーロッパに上陸してゆき、この知能によって、その過酷な寒さに対する適応力でもネアンデルタールを凌駕していった、といっておられる。
熱帯のアフリカに暮らせば、実際に北の大地に住み着いている人々よりももっとも高度な寒さに対する適応力が身につくというのか。そんな論理で話のつじつまが合うと思っているのか。
ネアンデルタール人の首飾り」の著者であるフアン・ルイス・ アルスアガも、「ネアンデルタール人とは誰か」のクリストファー・ストリンガーも、「ネアンデルタールミッション」の赤澤威氏も、「人類がたどってきた道」の海部陽介氏も、世界中の「集団的置換説」の人類学者は口をそろえてそう言っておられる。まったく、おまえらあほか、と思う。あなたたちは、「文化」ということの考察においても、「人間とは何か」と問うことにおいても、程度が低すぎるのだ。
北の地に対する適応力は、北の地で暮らしてきたものたちがいちばんたしかに備えている。そんなことは、いうまでもない当たり前のことだろう。また、原始人にとっての氷河期の北ヨーロッパは、そういうものたちでなければ生きていけないほどの過酷な環境だったのであり、熱帯のアフリカ人がいきなり行って住みつけるほどお気楽な場所であったのではない。
身体的な形質であれ、文化であれ、そこに行く前からそこに適応できる能力を用意できるということは、自然の法則としてあり得ないのだ。それは、そこに住み着いて、滅亡の危機という試練をくぐりぬけることによってはじめて生まれてくる。
なんだってそうさ。生きることなんか、生きてみなければわからないだろう。最初からわかっているなら、だれが生きようとするものか。まあ、そんなようなこと。どんな生き物も、死と背中合わせで生きて存在している。明日も生きてあると保証されている生き物など、人間といえども存在しないのだ。
何が「未来を見通す計画性」か、くだらない。
ネアンデルタールであれクロマニヨンであれ、彼らはその環境にうまく適応して悠々と住み着いていたのではない。彼らはつねに絶滅寸前の危機の中に生きていたのであり、しかしだからこそ、そこから洞窟壁画などの新しい文化が育っていったのだ。
人類の新しい文化は、直立二足歩行の開始という新しい文化にはじまっていらい、つねに絶滅の危機を支払って生まれてきたのだ。
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置換説の人類学者がいうアフリカのホモ・サピエンスが身につけた「未来を見通す計画性」とは、たとえば、いつごろオットセイの集団が海岸にやってくるかとか、いつごろ鮭が川を遡上してくるかとか、そういうことを予測する能力のことなのだとか。
しかしこんなことは、過去の「経験知=記憶」であって、げんみつには未来を予測しているのではない。そこに住み着いていれば、自然にわかってくる。そろそろ鮭がやってきそうだな、と。
たとえば、あの山の頂上に陽が沈むころになると鮭が遡上してくる、というような原始的な「暦(こよみ)」は、アフリカのホモ・サピエンスとヨーロッパのネアンデルタールのどちらが持っていたか。
熱帯のアフリカでは太陽から隠れて暮らしているから、太陽に対する関心が育たない。それに赤道直下は、太陽の動くコースが一年中あまり変わらない。したがって、そうした「暦」が生まれてくる契機が希薄である。
それに対して寒さに震えていたネアンデルタールは、つねに太陽を恋しがって暮らしていたし、北の地では太陽の動きは季節ごとに大きく変わる。もし原始人が「暦」を持っていたとしたら、それはネアンデルタールの方なのである。
もしも3万年前以降のクロマニヨンが暦を持っていたとしたら、それは、彼らがネアンデルタールの末裔だからだろう。
いずれにせよその文化は、「未来を見通す計画性」でもなんでもない、「経験知=記憶」なのだ。
明日も生きてある保証のなかった原始人は、今ここをけんめいに生きていたのであって、現代人のようにいじましく未来に対する夢や希望や計画性とやらを紡いで生きていたのではないし、そんなことが文化の発展の契機になったのではない。
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また、アフリカのホモ・サピエンスとヨーロッパのネアンデルタールとどちらが計画的な狩りをしていたかといえば、必ずしも前者の方だとはいえない。
家族的小集団で暮らしていたアフリカでは個人プレーで狩りをしていたし、食料の保存がきかない環境だったから、そのつど調達してゆくしかなかった。したがってそういう部分では、彼らはあまり計画性を持たなかった。
ネアンデルタールは寒さの中を生きるために脂肪分の多い大型草食獣の狩が中心で、植物や魚はあまり食べなかった。それに対してアフリカでは、植物や魚も少なからず摂取していた。だから人類学者は、アフリカのホモ・サピエンスの方が博物的な知能が発達していた、などというのだが、そんなことは関係ない。それだけその場その場であり合わせのものを食べていたということであり、寒くもないのだから無理に脂肪分を多く摂取する必要もなかったというだけのこと。
知能が発達していたからいろんなものを食べていたとか、そういう問題ではない。
また、ネアンデルタールの暮らしていた極寒の地域は、とうぜん植物資源は、アフリカに比べたらはるかに貧弱だった。べつに知能が劣っていたから植物や魚をあまり食べなかったのではない。
ネアンデルタールは、チームプレーで草食獣の群れを窪地に追い込み、まとめて仕留めるという狩をしていた。これは、まぎれもなく「計画性」を持った行為だといえるだろう。そして、極寒の地であれば食糧の保存もきくし、そのための洞窟を用意していたという遺跡も見つかっている。
また、獲物が大型草食獣なら、その肉をどのように切り分けるかという計画性も必要になる。彼らが、ひとつのスペースを細分化するというような模様を好んで洞窟に描いたりしたのも、そういう習慣が直接的な契機になっている部分もあるのかもしれない。
そしてたくさんの仲間と一緒に暮らしていれば、みんなが集まっているときに自分の場所をどこに見つけるか、ということはいつもしていただろうし、その中の誰と話すかという選択をしてゆくのも、ひとつの「細分化」であり「計画性」でもある。
したがって、ネアンデルタールは計画性がなかった、ということもあり得ない。そんな頭のはたらきくらい、アフリカのホモ・サピエンスよりもずっと豊かにそなえていたのだ。
しかしそれだって、「未来を見通す計画性」というより、根源的には「今ここを細分化してゆく感性」なのだ。
チームプレーは、「今ここを細分化してゆく感性」の上に成り立っているのであって、「未来を見通す計画性」によってではない。「みんな」という意識ではなく、細分化してみんなの中のひとりひとりにときめいてゆくことの上にチームプレーが成り立っているのだ。
何はともあれ、人類の文化は、人類学者のいうような「未来を見通す計画性」として生まれてきたのではない。
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原始人は、未来のスケジュールとか夢とか希望とか、そんなものを紡いで生きていたわけではない。ただもう、今ここを精一杯生きていただけである。
とくに、氷河期の北ヨーロッパを生きていたネアンデルタールに、明日も生きてある保証など何もなかった。
原始人の生き方や人生観を、現代人の物差しで測るべきではない。
ネアンデルタールだろうとクロマニヨンだろうと、氷河期の原始人に未来などなかった。明日も生きてある保証など、誰にもなかった。子供たちは、次々と寒さの中で死んでいった。それでも彼らは、そんな現実を受け入れ、今ここを精一杯生きた。すべての進化は、そうしたことの「結果」であって、未来に向かって計画し獲得されていったものではない。
人類の文化は5万年前のアフリカのホモ・サピエンスのところで爆発的に進化しただの、その文化を携えて彼らは世界中に拡散していっただのという愚劣な歴史解釈は、いいかげんやめてくれよ、と思う。文化とはそんなかんたんに変化するものでも進化するものでもない。人類の歴史は、文化だろうと身体の形質だろうと、長い歴史の時間を経て少しずつ少しずつ変わってきたのだ。
そして、どこに行っても通用するというような文化など、人類の歴史のおいてあったためしがない。よそからやってきた新しい文明の洗礼を受けることはあっても、心の動きとしての文化は、いつだってその土地に住み着くための、その土地の固有のものとして育ってくるのだ。
5万年前だって、アフリカには熱帯の暑さやサバンナに囲まれた森で生きてゆく文化があり、北ヨーロッパには凍てつく寒さに耐えて生きてゆく文化があっただけのこと。それらは、その土地の長い歴史によって熟成されてきたものだ。アフリカの文化はアフリカに住み着くために生まれてきたのであって、寒い北ヨーロッパの環境に適応できる要素などあるはずがない。
言葉がその土地でしか通用しないように、文化だってその土地の気候風土に育てられてゆくのだ。
氷河期の北ヨーロッパを生きることを可能にしたのは、その土地に50万年前から住み着いてきた人たちの50万年かけて育ててきた文化なのだ。
そこは、アフリカの熱帯文化が通用するようなところではなかった。アフリカの熱帯文化が通用する場所は、アフリカにしかなかったのだ。
原始人は今ここをけんめいに生きていたのだから、今ここを生きる文化しかもっていない。
人類学者はただ、結果論としてクロマニヨンが持っていた文化を、そのままアフリカから持ってきたものだと勝手に決めつけているだけである。クロマニヨンはこうだからアフリカのホモ・サピエンスもこうだった、と。
だから僕は前回の記事で、ヨーロッパの壁画文化にアフリカから持ち込まれた要素など何もない、と書いた。
アフリカのホモ・サピエンスが住み着ける場所は。アフリカにしかなかったのだ。
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700万年前の直立二足歩行の開始は、人類が最初に獲得した文化である。
それはとても不安定で危険な姿勢であり、生き物としての生き延びる力という「未来」を喪失する姿勢だった。
しかしそれによって、密集しすぎた群れの中で体をぶつけ合って行動するということからひとまず解放された。つまり、「今ここ」で体験されるよろこび(カタルシス)があった。これこそが人間の文化の根源的なかたちである。
そのとき人類は、「未来」を失ったのである。そうして「今ここで体験されるカタルシス」をくみ上げていった。
人生とは残酷なもので、あなたがいくら女を口説くテクニックを磨いたとしても、あなたが女とときめき合う体験をしてこなかったというルサンチマンはずっとついてまわる。いいかえれば、そういうルサンチマンがあるから、がんばって女を口説くテクニックを身につけようとする。
自分からときめいてゆくこともときめかれることも体験してこなかったから、そういうマニュアルを欲しがる。まあそういう世の中だからそういうものを欲しがる人間ばかりになってしまうのはしょうがないことかもしれないが、しかし原始人もそういう流儀で生きていたとはいえない。
人類学者のいう「未来を見通す計画性」とは、ただのマニュアルのことである。
人間の「文化」の根源にあるかたちとは、マニュアルのことなのか。その程度の底の浅い思考で「置換説」を語られても、誰が説得されるものか。
歴史は、「今ここ」の中にある。「今ここ」は、歴史の上に成り立っている。人間は「今ここ」を生きようとするから、歴史的な存在であるほかないのだ。
「今ここ」の下に歴史の水脈が流れている。人は、無意識のうちにそれをくみ上げながら生きてあることのカタルシスを体験してゆく。アフリカ人にはアフリカ人のよろこびがあるし、ヨーロッパ人にはヨーロッパ人のよろこびがある。
原始人は、うまく生きてゆく方法(マニュアル)を追求して暮らしていたのではない。そんなことが、彼らの生きるよろこびであったのではない。彼らを生かしていたのは「今ここで体験されるカタルシス」であり、それをくみ上げて生きていたのだ。そしてだからこそ、彼らだって、人類700万年の歴史的存在だったのだ。
うまく生きてゆく方法が人間を生かしているのではない、今ここの生きてあることのカタルシスが人間を生かしている。そこにおいては、原始時代も現代もなかろう。

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