閑話休題・大王崎

子供のころ僕は志摩半島の「和具」というところに住んでいたことがあって、波切(なきり)の大王崎に二度ほど父に連れられて行ったことがある。そこは志摩半島の真ん中あたりだが、ちょっと突き出た地形で、灯台があることで有名だった。
一度はバスで、二度目は小学校6年のときに和具を離れて九州の博多に引っ越す直前の晴れた日のことで、父は知り合いから漁船を借りてそこまでクルーズしてくれた。そのとき父の胸に、故郷を捨てる、というような感慨があったのかもしれない。
しかし父がなぜそんなにも波切の大王崎が好きだったのか、今ではもう確かめようもない。
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折口信夫は、若いころに大王崎に旅したとき、水平線の向こうに「魂のふるさと=母なるくに」があるような思いが湧いてきた、と述壊している。つまり、理想郷というか「常世(とこよ)の国」のイメージが浮かんできた、というわけだ。したがってそれは、古代人の誰もが抱いていた感慨でもある、という。
父にも、同じような思いがあったのだろうか。
しかし僕には、水平線の記憶などない。真っ青な海と白い波の記憶だけが鮮やかに残っている。
結論から先にいおう。
水平線の向こうの「常世の国」なんて、仏教によってもたらされたたんなる外来のイメージにすぎないのであり、日本列島の土着のイメージではない。つまり、そんなものは日本人の「魂のふるさと」でもなんでもない。あるいは、明治以後の「大陸進出」や「脱亜入欧」のスローガンによって、なんとなくそうやって水平線の向こうを思い描く心の動き(自意識)が日本人に植えつけられていったにすぎない。
戦前の人間は、多かれ少なかれそんな心の動きをもっていたらしい。しかしそんなものは、ただの「近代的自我」というスケベったらしい自意識にすぎないのであって、日本列島1万年の歴史の水脈でもなんでもない。
折口信夫は、子供のころ両親から離れて親戚の家に里子に出されていた。そこで、目の前にいない母のことをひたすら思いながら成長していったのだとか。それは、戦前の人間の「自意識」である。僕もまあ似たような体験をしたからその気持ちがまったくわからないというわけでもないが、それを自分の不幸だと思ったことはない。そのせいでいつだって「自分はここにいてはいけないのではないか」と思う人間になってしまったかもしれないが、「目の前にいない母(=魂のふるさと)を思う」というような自意識にまるごと浸された記憶はない。そんな感受性の豊かな子供ではなかった。
どうやら戦前の人間はそういう自意識を豊かにそなえているらしいが、戦後生まれの僕にはそういう「物語」をつむぐ能力はなかった。
太平洋戦争のみじめな敗戦によって日本列島の住民は、明治以来育ててきたみずからの「近代的自我」を清算した。僕は、そういう空気の中で生まれてきた。だから、目の前にいない母を慕うというような「近代的自我」が育たなかった。しかし悪いけどそれは、折口信夫や僕の父より僕のほうがずっと日本列島ほんらいの歴史の水脈を体にしみこませている、ということを意味する。
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日本列島の古代以前の人間は、死んだら何もない闇だらけの「黄泉の国」に行くと思っていた。それは、水平線の向こうに「常世の国」などという「魂のふるさと」を思い描いていなかったことを意味する。水平線の向こうは、「何もない」と思っていたのだ。
折口信夫のまれびと論では、「黄泉の国」というイメージはただの例外でしかない。それで「古代研究」が成り立つのか。「黄泉の国」に対する考察の底がじつに浅い。ただの「怖いところだ」というくらいにしか考えていない。そのていどですむものか。それは、日本列島の住民の根底にある世界観や死生観にかかわるイメージなのだ。
古事記には、水平線の向こうの世界のことなどいっさい書かれていない。彼ら古代人にとっては、見渡す世界が世界のすべてだったのであり、「魂のふるさと」としての神の国は天上にあった。
折口信夫は、人間の心の底にある海への「畏れ」に対する想像力がなさ過ぎる。大王崎に立って、水平線の向こうに「魂のふるさと=母なるくに」を思い描いていただなんて、何をのうてんきなことをほざいていやがる。そんなものは、近代の都会人の、ただのナルシスティックな感傷に過ぎない。お母ちゃんのおっぱいが、そんなに恋しいか。
僕は、折口信夫=釈超空という歌人は近代最高の歌人のひとりだと思っているし、折口信夫の「古代研究」は僕にとってのもっとも重要なテキストだ。
それでも、水平線の向こうに「魂のふるさと」があるだなんて、ただの近代人のスケベ根性だと思う。そこが、折口信夫の「古代研究」の限界だ。僕の父も含めて、戦前の人間なんて、どいつもこいつもスケベったらしい俗物ばかりだ。
僕にとっての波切の大王崎は、目にしみるような海の青さと波の白さしか記憶にない。
いずれ折口とは、「まつり=まつる」という言葉で決着をつけなければならない、と思っている。
山姥さん、ごめんなさい。弱い犬がキャンキャン吠えているだけだから、どうか大目に見てください。