感想・2018年9月8日

折口信夫『国文学の発生』>
折口信夫のこの著作の中には、有名な「まれびと論」がおさめられてある。
世評の高い作家だからちょっと期待して読みはじめたのだが、これはもう、書き出しのところからつまずいてしまった。
その論考はまず、折口の個人的な体験の回想からはじまる。
彼が志摩の大王崎に旅したとき、目の前に広がる海の水平線を眺めながら、とつぜん、あの向こうに「常世(とこよ)の国」がある、という想いがこみ上げてきたのだとか。
常世の国」とは、まあ理想郷とか神の国というような意味だが、彼はそれを「原初の記憶が自分の中によみがえった」という。
原初の記憶……原始人は果たしてそんなふうに思っていただろうか。
赤道直下のアフリカ中央部で誕生した原初の人類が地球の隅々まで拡散していったとき、新しい土地は、つねにもとの場所よりも住みにくいところだった。そりゃあ、そこでの暮らし方の経験知を持っていないのだから、住みにくいに決まっている。それでもそこにけんめいに住み着きながら、とうとう氷河期の北の果てまで拡散していった。その北ヨーロッパは、もともと南方種の猿であった人類にとってそのころの地球上でもっとも住みにくい土地だったのだが、それでもけんめいに住み着いていったのであり、それが原始時代の歴史だった。
原始人は、あの山の向こうとか、あの水平線や地平線の向こうとか、あの青い空の向こうとかには「何もない」と思っていた。そこに立って、見渡すことができるまわりの景色だけで世界は完結している、と思っていた。だからそこにけんめいに住み着こうとするし、拡散していったのは、その向こうによりよい土地があると思ったからではなく、その「何もない」というそのことに引き寄せられていったからだ。もともと「その向う」は知らないのだから、よりよい土地があるとなど思いようがない。
ほんとうに何もないのだろうか、と思いながら「あの山」を越えていったのであり、何もないことを確かめたくて越えていった。
人の心は「何もない」ということに引き寄せられる。それは、死と親密になってゆくことであると同時に、生まれる前に戻ってゆくことでもある。「原初の記憶」というのなら、そういうことではないだろうか。
女は、オルガスムスのときに体が消えてゆくような心地になる、ともいわれたりする。それもまた、ひとつの「原初の記憶」だろうか。
失恋の旅に出た女が海の水平線を眺めながら何を想うかといえば、折口のように「常世の国」なんかイメージしない。その「何もない」という気配から、ひとつの「断念」を汲み上げる。
男よりも女のほうが潔いし、思い切りがいい。少なくとも自分が捨てた男のことなんか、さっぱり忘れる。捨てられても、捨ててしまい返すことができる。それは、女のほうが「死」や「何もない」ということに対する親密な感慨をずっと深く豊かに持っているからだ。
水平線の向こうに「常世の国」という希望を見出す折口信夫よりも、そこに「世界の終わり」を見る絶望とともに断念を抱きすくめてゆく失恋した女のほうが、ずっと確かに「原初の記憶」を呼び覚ましている。
女は、存在そのものにおいて、男よりもずっと深く「絶望」や「かなしみ」や「断念」の心をそなえている。折口は女のそういうラディカルなところにうまくなじめなかったから、ゲイになったのかもしれない。もっと他愛なくありもしない妄想を紡いでいたかったのだろうか。男はそれを共有してくれるが、女の身もふたもないラディカリズムは、それを粉々に砕いてしまう。
常世の国がある」と思うことなど、「原初の記憶」でもなんでもなく、たんなる観念的な男のいじましさというか、共同体の制度的な幻想にすぎない。
というわけで折口は、「まれびと」とは常夜の国の住人である「神」のことだといっている。
「まれびと」は常世の国からやってくる旅人である、という。だからまあ、秋田の「なまはげ」なども神の部類で、神とは「精霊」であるのだとか。
つまり折口の「まれびと論」は、原始信仰(アニミズム)とは精霊信仰である、といういかにも通俗的な世界の常識の上に立って語られているわけだが、もともと宗教心の薄い日本列島に原始信仰などというものがあったかどうかということは、とても疑わしいのだ。「神」とか「霊魂」という概念はもしかしたら古代の仏教伝来のころに大陸から伝わってきたもので、その後に「なまはげ」などのさまざまな習俗として列島中の村社会に定着していったにせよ、それらはあくまで芸能的な祭りの行事であり、日本人のこの宗教心の薄さはいったいなんだろうという問題はいぜんとして残る。
日本列島の歴史を、「はじめに原始信仰(アニミズム)ありき」で考えてしまっていいのだろうか?
「旅人がやってくる」という習俗・文化は直立二足歩行の起源以来の人類普遍のもので、神や精霊という概念など持ちださなくてもいくらでも考えることができる。日本人はことに旅が好きで、縄文時代からさかんに山道を歩いて旅をしていた。その山道のことを「杣(そま)道」といい、山の中の木と木の間隔が比較的まばらな部分を縫って道ができていったからそういわれるようになった。
縄文時代に山道を旅していたのは男たちの小集団で、山の中には無数の女子供だけの小集落が点在していた。そういう男と女の「出会いのときめき」こそ日本列島の旅の文化の原点であり、精霊がどうのというような話ではない。
神とか精霊などというものはまあ「共同体」の制度的な文化であり、日本列島には大和朝廷以前に国家共同体というようなものは存在しなかったし、そのとき村という集落がはたして「共同体」のかたちになっていたかどうかはわからない。共同体の制度だって、日本列島では大陸から学んで整備されていったのであり、自然発生してきたわけではない。
また、現在の世界の未開社会で神や精霊を信仰しているからといって、彼らだって共同体の歴史を持っている現代人なのだ。
何はともあれそれは、「原初の記憶」ではない。
まあここではこれ以上詳しく書くことはしないが、日本列島の旅の文化は、今も昔も、神や精霊との出会いよりも、「男と女の出会いのときめき」のほうがずっと本質的で重要なテーマになってきたのであり、たとえば旅籠の「飯盛り女」という娼婦の習俗だってそういうことだ。
日本列島の民俗史を、神や精霊とのかかわりの歴史として語ってしまっていいのだろうか。それは、もっと切実な死者との親密な交わりの歴史だったのであり、折口の場合は、それすらも神や精霊の問題にしてしまっている。
吉本隆明はそれを政治すなわち共同体の制度の問題にしているし、折口は宗教の問題にしてしまっている。どちらも違うのではないだろうか。どちらでもないもうひとつの問題として探るのが、僕にとっての批評かもしれない。
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