つまるところ社会の構造は、男と女の関係から生まれてくる。
日本列島と西洋では、そこのところで決定的に違っていた。
氷河期明けの約一万年前以降、西洋では、爆発的に人口が増えた。
一方日本列島では、縄文時代8千年のあいだほとんど増えていない。人口爆発がおきたのは、2千年前の弥生時代になってからです。したがって日本列島における「共同体」の歴史は、2千年しかない。
ヨーロッパで早くから人口爆発が起きた原因はいろいろあるだろうが、ともかく彼らがネアンデルタール以来の多産系の民族だったからでしょう。氷河期においては、たくさん子供を生んでも、多くが乳幼児期に死んでしまっていた。しかし暖かくなれば、子供は死なないですむようになる。そうやって、どんどん人口が増えていった。子供が増えれば、男と女は協力して育てなければならない。
氷河期までは、集団で生活しながら子供を育てていたが、家をつくるようになってから、女と子供の「家族」という単位が生まれた。
家作りが本格化したのは、氷河期以降のことです。
氷河期においては、個人で子供を育てるということは、不可能だった。すぐ死んでしまうから、怖くてとてもできなかった。自分の生んだ子供が三人も四人も続けて死んでしまえば、女は発狂してしまう。悲しみは、集団で分けあった。それがネアンデルタールによる「埋葬」の起源であり、自分が生んだ子供でも、「自分の子供」という意識は希薄だった。乳離れした時点で、子供はもう母親から離れて集団の一員になった。
ヨーロッパ人は、子供を抱いて甘やかすという育て方をしない。それは、そういう伝統に由来しているのだろうと思える。ヨーロッパの女たちは、泣いている子供を抱き上げることに対する怖れと不安を無意識として持っている。氷河期のもとでは、子供に愛着や執着を持つことは許されなかった。いつ死んでしまってもあきらめがつくような育て方をした。
氷河期が明けて、ようやく女たちは「自分の子供」という意識を持てるようになった。そうしてそんな女たちの要請に沿って「家」が本格的につくられるようになっていった。
女たちは、たくさんの子供を抱えて「家」で暮らすようになった。
そして男たちは、家の外の存在として、不特定多数の女の家を訪ね歩いた。
そんな乱婚(フリーセックス)の形態に終止符を打って一夫一婦制に移行していったのは、農耕牧畜が本格化した6千年前以降のことだと言われている。
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ヨーロッパにおいて最初に「所有」という意識に目覚めたのは、女たちだった。氷河期明け以降、彼女らは、「子供」と「家」を所有した。そうして食料を確保するために、男を所有していった。
大型草食獣の狩は集団でするものだが、農耕牧畜は、家族単位で営むことができた。
それぞれの家族で、畑や家畜を所有していった。
しかし女はいつも妊娠して子育てをしているから、労働力として計算できない。
男の負担がどんどん大きくなっていった。
そこで男たちは、戦争をして奴隷を調達してくることをはじめた。
奴隷を使えば、もう働く必要はなかった。
働く必要がないから、ますます戦争にのめりこんでゆく。
もともとヨーロッパでは集団でマンモスなどの大型草食獣の狩をしていたから、チームワークや闘争心の伝統があった。
原始人にとっての戦争は、あくまで血湧き肉踊る狩猟行為の延長で、彼らは命のやり取りをすることに対する抵抗はあまりなかったらしい。
原始人の戦争は、おおらかだった。べつに「凶悪」な人間性が芽生えたとか、そういうことではない。
農耕牧畜社会は、石器時代の狩猟社会よりもはるかに狭いテリトリーで暮らせるようになる、ということです。つまり、農耕牧畜社会に移行したことによって、人類は土地を持て余すようになった。土地は有り余っていた。しかし原始的な農耕は、とてもたくさんの労働力を必要とする。
原始時代の戦争は、土地ではなく、労働力を調達するためになされた。あるいはおおらかに、戦うために戦った。
男たちは、戦いたがっていた。それは、ネアンデルタールいらいの狩猟社会の伝統であると同時に、何か男を戦争に駆り立てるような女との関係があったのだろうと思います。
現代のアメリカが、みずからの「金と力と正義」を誇示するためにいつもどこかで戦争をしていようとするのは、自国の女たちに「金と力と正義」を誇示しようとする衝動の上に成り立っているのだろうと思えます。アメリカには、そういう男と女の関係がある。これは、ジュディス・フェッタリーが指摘するように、アメリカのフェミニストの女たちがすでに気づいていることです。
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原始時代のヨーロッパの男たちは、多くの子供を抱える家族の主要な働き手として、その増大してゆく負担に喘いでいた。たくさんの子供を産ませたのは男だろうが、そのたくさんの子供を抱えた女たちが、男を戦争に追い立てていったともいえる。もはや、戦争をして労働力としての「奴隷」を調達してくることによってしか、生産力を上げるすべはなかった。
それにたぶん、女の「ヒステリー」や子供たちの「父殺しの衝動」から逃れたかった、ということもあろうかと思えます。
ヨーロッパ原始社会における男たちは、家族において君臨しつつ孤立していた。
家族の外のもうひとつの集団を持ちたかった。というか、もともと持っていた男だけの狩のチームという集団性を手離したくなかった。
その集団の結束力は、戦争によって強化されていった。男同士の集団の第一の仕事は、戦争だった。共同体の「政治」を覚えたから戦争をするようになったのではない。戦争を繰り返してさらに人口が増えたり、奴隷を支配するシステムを整備していった結果として、共同体としての「政治」が生まれてきたのだ。
「生産」は、あくまで家族単位でなされた。男同士の集団は、直接的には生産のための集団ではなかった。戦争をするための集団だった。戦うことや、結束することの喜びが止揚されていった。
ただ、狩の戦利品はそれぞれの口の中に入って消えてしまうだけだったが、戦争で得た奴隷は、家族の財産になった。奴隷を支配する能力の差が、家族の貧富の差になって現れてくる。
だから、むやみに縛り付けるだけの関係ではなかったはずです。たぶん「契約」という関係が取り交わされた。それはまず、奴隷になることと引き換えに命を取られることが免除される、というところから始まっている。
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氷河期以降、男が参加する「家族」という形態が定着し、「家族」単位で食料生産をするようになって「私有財産制」が生まれてきた。
「所有」という意識は「家族」から生まれてきた。
女たちは、それぞれ「家」を持った。そこからはじまった。人間が最初に所有した「財産」は「家」だった。女たちは、社会的に「所有」を主張したのではない。「家族」がひとつの完結した世界であることを実感したというだけだろう。
そうしてそれを、男たちが制度化していった。
たとえば、男は、女の不倫を許さない。
だから男同士は、よその人妻に手を出さないことを誓い合った。食料もセックスも安定的に確保しておきたい女たちは、ほかの家の男と関係することもいとわなかった。とくに「奴隷」を持つようになってから、男たちは、奴隷女とのセックスを優先しがちになったから、妻たちも、亭主のペニスだけを当てにして暮らしているわけにいかなかった。もともと一夫一婦制以前の女たちは、どの男ともセックスをしていたのだ。古代や原始時代の女に、セックスはひとりの男とだけするものだという意識は希薄だった。
奴隷とセックスする人妻もいたのかもしれない。
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古代(ギリシア・ローマ)時代の奴隷は、ほとんどが北東ヨーロッパのスラブ人だったらしい。奴隷を意味する「スレイブ」という言葉もそこからきている。だから、女たちにとっても、黒人を相手にするのと違って、人種的な抵抗はなかった。また男たちも、だからこそ若い奴隷女に耽溺しまいがちになる。
奴隷をもつことは、女にとっても男にとっても「不倫」の機会が多くなることであり、だからこそそれによって一夫一婦制がなお強化されていった。
北東ヨーロッパのスラブ地方では、小麦の自生地帯がなく、しかも氷河期が明けたあとも狩猟資源が多く残っていたために、農耕牧畜への移行が著しく遅れていた。つまり一夫一婦制の家族制度がまだあいまいで、氷河期の生活形態を多く残していたために、男たちの戦争に対する意欲も南に比べれば希薄だった。
とはいえ人口はそれなりに増えたのだから、男たちの生産活動に対する負担は大きく、それなりに困窮していた。しかも氷河期においてもっとも乳幼児の死亡率の高い地域だったから、伝統的に女の性欲やヒステリーが強く、おとこたちはそれに手を焼いていた。女を抑圧してしまえない地域では、戦争の技術や衝動は発達しない。
つまり、古代ギリシアやローマの男たちは、労働力としてのスラブ男やセックスの奴隷としてのスラブ女を欲しがっていた。スラブの若い女は、情熱的である上に、ことに肌が白く美しかった。そうしてスラブの男たちも、奴隷になることによって解放される何かがないわけではなかった。ギリシア・ローマの男たちは、スラブ男たちを厳重に束縛監禁したのではない、奴隷として「契約」を結んだのだ。
また、主人に寵愛されたスラブ女やその子供たちは、そのまま市民権を得るということもできたにちがいない。
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いずれにせよ「家=所有」という意識は、男と女の関係やそれぞれの貞操観念などと関わりながら生まれてきたのだろうと思える。
単純に貧富の差とかそういう「経済」の問題だけではなかったはずである。経済の問題はむしろ、所有という意識が定着したことの結果として起こってきたのだろう。貧富の差が生まれたから「所有」という意識を持つようになったのではなく、「所有」という意識を持ったから、貧富の差が生まれてきたのだ。
「所有」という意識の発生は、おそらく経済的な理由によるのではない。男と女の関係から生まれてきたのだ。
したがっていわゆる「下部(経済)構造決定論」は、疑うに値する。少なくとも貨幣経済が生まれる以前の歴史においては、男と女の関係のほうが、よほど大きな社会の構造を決定する要素になっていたのではないか。
人は、パンのみによって生きるにあらず・・・・・・。
ヨーロッパの男と女の関係は、その歴史の始まりから錯綜していた。そして「奴隷」というカードを持ったことによって、一夫一婦制が定着し、男社会が強化されていった。ギリシア・ローマ時代は、おそらくそうした社会構造が確立された時代だった。
それを考えると、西洋の女たちのフェミニズム運動も大変だなあ、と思わせられます。
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