内田樹という迷惑・あの人の薄汚いスケベ根性

原始時代からの男と女の関係の歴史について考えたいのに、内田樹氏がリアルタイムで次から次にくだらないことを言ってくるから、癇にさわってつい横道にそれてしまう。
彼がいうには、「歴史主義者」の悪いところは、過去がこうだったのだから未来はこうなるはずだと断を下したがることにあるのだそうです。そして、未来は予測不能であるのだから私のようにそのときごとの現在を「ああこうなるのね」と涼しい顔をして受け入れるのがよろしい、という。
まったく、目の色変えて「未来」の時間ばかりまさぐっているやつが、どうしてそんな口から出任せのかっこつけたことを言うのだ。
ニートやフリーターの末路は誰にも看取られずに孤独死してゆく老人になることであり、数十年後、この国のそういう老人は数百万人に達するだろう」といった安っぽい予言をしているのは内田さん、あなたですよ。
それは、あなたのいう歴史主義的態度ではないのか。未来の予測ばかりしているくせに、「予測不能である」などと、よくものうのうといえるものだ。
ニートやフリーターの若者の「先のことなんか俺の知ったこっちゃない」といえる愚かさと潔さは、あなたにはない。
内田氏が「ああこうなるのね」と涼しい顔をして受け入れるとすれば、ニーとやフリーターは、「へえ、こうなるのか」と驚きときめいている。「未来は予測不能である」という認識はそういうところにあるのであって、内田氏のようなスケベったらしい人間のところにあるのではない。
彼らがこれからどんな人生を歩むか、誰にもわからないのだ。生きていれば、いろんなことがある。まっとうな人生を歩んできてもなんらかの事情で淋しい老後を送らねばならない人もいるし、ニートやフリーターのままで結婚する人だってきっといる。しなくても、気の合う友人の何人かは、誰にだっている。そういう友人たちに囲まれながら一生貧しく自由な独身を通したっていいじゃないか。ニートやフリーターの問題を語るときあなたは、何かにつけて貧しい人間は誰にも愛されないみたいな言い方をするが、あなたより魅力的な貧しい人間は、この世の中にごまんといるのだ。
ニートやフリーターになることによってしかえられない人間的な魅力もある。それを持ち札にして結婚する人もいるかもしれないし、友情を深める人もいるだろう。内田氏をはじめとしてニートやフリーターではない人たちはそんなこと認めたくないだろうが、何が何でもやつらは人間のくずだということにしておきたいのだろうが、そうはいかないのですよ。彼らにだって、すてきな恋人や大切な友人はいる。いる人はいる。あなたたちより彼らのほうがセックスアピールや人間的魅力を持っていたりすることもあるんだぜ。
あなたたちの方がまっとうな人間であるからといって、あなたたちの方が魅力的だとはかぎらない。
「無用の人の輝き」というのがある。それはもう、歴史的な普遍性であり、内田氏はこのことをなんにもわかっていない。文学がわからないように、なんにもわかっていない。
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また、「街場の現代思想」では、こんなことを書いている。
「私が若い方々に勧奨することは、とりあえず一つだけである。それは、自分がどういうふうに老い、どういうふうに病み衰え、どんな場所で、どんな死にざまを示すことになるのか、それについて繰り返し想像することである。困難な想像であると思うけれど、君たちの今この場での人生を輝かすのは、尽きるところ、その想像力だけなのである。」
これだって、あなたのいう「歴史主義」の態度ではないのか。
こんなことを想像して、われわれの人生はその想像通りになるのか。「未来は予測不能である」といったのは、あなたではないか。「ああこうなるのね、と涼しい顔をして受け入れよ」といったのは、あなただろうが。
人間なんて、いつ死ぬかわからないんだぜ。そのことに深く気づいたものは、そんな愚劣で途方もない「想像」なんかしていられないのだ。
「未来」のことが気になってしょうがない強迫観念の旺盛な人間が、何をかっこつけたことほざいていやがる。80か90まで生きるつもでいるらしいそのスケベ根性を正当化していばり散らすことないじゃないか。
病気で明日死んでしまうかもしれない17歳だっているんだぞ。
その17歳のところに行って、きみの50年後60年後を想像しなさい、と言ってやれよ。
あなたは、二十歳の頃そんなことばかり想像して「おっとこうしちゃいられない」というのが口癖になったんでしょう。そういう自分がいかに正しい若者だったのかということを、のうてんきに自慢しているじゃないか。
その17歳が、もしもかつてのあなたのような若者なら、まちがいなく発狂している。
僕は、二十歳の頃、自分の老後のことなど夢にも思わなかった。来年のことすら考えなかった。いや、明日のこともわからない気分で生きていた。そして今、そんな生き方しかできなかったことの後悔も少なからずあるが、内田氏のように生きたかったとも生きるべきだったとも思ってはいない。
未来などないような生き方をして、得ることもあれば、失うこともある。それだけのことだ。
いいたかないけど、「未来」をまさぐってばかりいるあなたのそんな性向を軽蔑したり「セックスアピールがない」と思ったりする人間もこの世の中にはいるんだぜ。そういう「他者」を畏れるつつしみを少しはもてよ。
べつに誰がどう考えようと勝手だけど、老人になったときのことを想像している若者だけが正しい若者であるなんて、そんなことは誰にもいえないでしょう。今ここしか考えない愚かさによってしか気づくことのできない「世界の輝き」もあるでしょう。
ロックンローラーがかっこいいのは、「今ここ」しか考えていないからです。誰だって、できればそんなやけくその生き方というか体験もしてみたいからでしょう。
未来なんかどうでもいいと思えるくらいの「世界の輝き」を体験してみたくないですか。もうこれで死んでもいいと思える瞬間を持ちたくないですか。いっちゃなんだけど、僕じしんはそんな体験をしたことはないけど、女からそんなせりふを聞いたことはないわけではない。内田氏はどうか知らないが、たぶん、たいていの男が聞いたことがある。若者がそんな願いを持ったらいけないのですか。カミユの「異邦人」という小説がいまだに世界中の若者をひきつけてやまないのは、そんなところにあるのだと思いますよ。
内田さん、自分のそのみっともないスケベ根性を、ほかの若者にまで押し付けて正当化することもないでしょう。誰の人生もいまさら変えられないのであれば、少しは恥じて、隠しておきなさいよ。
「未来を侮蔑することによって乗り越えられぬ運命はない」といったのは、カミユです。この言葉の意味が、内田さん、あなたにわかりますか。明日死んでしまうかもしれない17歳を励ますのは、この言葉であって、あなたのスケベったらしいご託宣ではない。