内田樹という迷惑・あきはばら6

原始人は、共同体の利益のために戦争という人殺しをはじめたのではない。
あくまで戦って命のやり取りをしたかったからだ。
こんなことは、「命の大切さ」などとほざいている現代人にできることではない。しかし、誰もがどこかしらにそんな衝動を抱えているから戦争をしてしまうのだし、生きてあることの鬱陶しさの真っ只中にある若者とは、そういうことができる能力を持った人種なのだと思う。
人間の中に潜む命のやりとりをしたいという衝動、それによって戦争が生まれてきた。
レヴィ=ストロースが、アマゾンの原始人であるナンビクワラ族の首長に「首長であることのいちばんの特権的よろこびとは何か」と質問したところ、「戦いのときに先頭に立って突っ込んでゆけることだ」と答えた。
イギリス貴族の「ジョンブル魂」というか「騎士道精神」だって同じだし、戦争の天才であるナポレオンだってそうしていた。べつに彼らの責任感や犠牲的精神が強いからではない。そこにこそ人間としての血湧き肉踊る興奮があるからだ。
そういう根源的な人間性が、戦争という人殺しの行為に駆り立てている。
「共同体」や「家族」という単位が個人の内面を追いつめる集団であるかぎり、人間の中のこの衝動はなくならない。
原始人は、共同体や家族の利益のために戦争をはじめたのではない。共同体や家族の鬱陶しさから逃れようとして戦ったのだ。現代人だって、つまるところ共同体や家族から受けるプレッシャーによって戦争という人殺しをしている。
共同体や家族のため、といっても、それじたいプレッシャーなのだ。
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まずは、共同体の起源から考えてみます。
内田氏は、「共同体」の歴史は数十万年前からはじまっている、と言う。彼が何を根拠にしているのかよく分からないが、われわれはそうは考えない。
その起源はたぶん、氷河期明けの1万年前くらいにあるのだろうと思う。
共同体の原初的な「制度」とはひとつの「禁制」のようなものだと考えるなら、そういう社会的合意が生まれてきたのは、氷河期が明けてから群れの中に家族が挿入されてからのことのはずです。
たとえば、男たちが、よその家の女房に手を出すのはもう止めようという取り決めをした。姦通罪は、もっとも古い法制度のひとつらしい。
支配者が共同体をつくったのではない。共同体のなかから支配者が現れてきたのだ。
家族が大きくなって群れになったのではない。チンパンジーのような猿であった時代から引き継いだ習性としてまず群れがあり、知能や生活技術の発達とともに、やがて家族という単位で独立するようになっていった。
それ以前の群れに、「家族」という単位はなかった。
家族が大きくなって親族になり、やがてそれらが集まって共同体になっていった、というのはあやまった俗説にすぎない、と僕は思っている。
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5万年前、アフリカの「ホモ・サピエンス」は、家族単位で移動生活をし、群れを持っていなかった。これは、250万年前に人類が森からサバンナに進出してきたときに、群れが解体して家族単位になったことによる。ライオンなどの大型肉食獣がまわりにいくらでもいるサバンナにおいて、人間のように逃げ足を持たない生き物が群れをつくって暮らしてゆくことは不可能だったからだ。
一方、ヨーロッパの「ネアンデルタール」は100人から150人くらいの群れをつくって定住していたらしいが、家族を持たなかった。子供は、群れで育てていた。極寒の氷河期に北の地で暮らす彼らにとっては、家族単位で独立することは、死を意味した。みんなで寄り集まって寒さをしのぎ、食料の狩も群れ単位のチームワークでなされていた。
1万3千年前以前の氷河期における北ヨーロッパネアンデルタール=クロマニヨンは、狩の獲物を分配していたのか。たぶん分配なんかしていなかったはずです。死と背中合わせの極寒の氷河期のことです。群れの広場(もしくは洞窟内)で調理された肉は、死にそうなものから順番に食べていった。男は狩で体が暖まっているが、待っていた女子供の体は凍えきっている。まず子供、そして女、最後に男たちが食べた。彼らは、まだ「家族」という単位も「共同体」の掟も「所有」という概念も持っていなかった。それは、たんなる自然な生活習慣だったのだ。そしてヨーロッパのレディファーストの伝統も、おそらくここからはじまっている。
家族という単位が挿入されている群れが生まれてきたのは、氷河期が明けた一万年前ころの、ヨーロッパとアフリカの中間の地域である中近東においてであり、そこからナイル文明やメソポタミア文明が生まれてきた。
気候が温暖になれば、家族単位で子供を育てることができるし、中近東には、小麦の自生地が広がっていたから、家族単位で収穫することもできた。そうやって、群れの中にまず女と子供だけの「家族」が生まれてきた。
群れの中に家族が挿入されれば、家族どうしのさまざまな利害関係や、家族と群れの関係も生まれてくる。そういう状況に秩序をもたらすために、あとから家族に参加していった男たちのネットワークによって「制度」がつくられていった。これが「共同体」の発生であろうと思えます。
中央アフリカのサバンナの民は群れを知らなかったし、北ヨーロッパには家族がなかった。両方のシステムを知ることができたのは、中間地域の中近東だった。
氷河期には、中近東からナイル川下流域あたりまでネアンデルタール的な「群れ」の暮らしをしていたらしい。
人類は、群れの中に「家族」を挿入することによって、より大きな群れ=共同体を持つことができるようになっていった。
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ちなみに、現代の人類学の常識では、四万年前の氷河期にアフリカの民がヨーロッパに進出してネアンデルタールを駆逐してしまったことになっているが、そのころアフリカの民は「群れ」を持っていなかったのだから、そんな群れごとの大移動なんかできるはずがないのです。それに氷河期の原始人がそんな旅をすることじたい、物理的に不可能です。
人類史において、最初にヨーロッパに進出していったのは、メソポタミア文明の末裔であるユダヤ人だろうと、僕は考えています。しかも、ごく小さな集団が五月雨式に散らばっていっただけです。これが、二千数百年前のローマ帝国の時代です。おそらく、それ以前に異民族がヨーロッパに進出してゆくということはいっさいなかったはずです。
すくなくとも戦闘能力においては、ネアンデルタールの時代から、ヨーロッパがいちばん進んでいた。
ネアンデルタールは、チームワークによって、マンモスなどの大型草食獣の狩をしていた。そういう群れの生活形態が1万3千年前までの氷河期を通じて中近東あたりにまで広がり、このチームワークとファイティングスピリットの伝統が、のちの戦争の能力につながっていった。
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原始時代の戦争は、たぶん、戦うことの血湧き肉踊る快楽のためになされていたのであって、領土を奪うとかそんなことではない。中学生の不良グループが街で他校の不良グループと出会い、集団の喧嘩になる。まあ、そんなようなことだったのだろうと思える。
氷河期が明けて、やがて人類は、狩猟生活から農耕牧畜の生活に移行していった。しかし男たちは、大型草食獣との血湧き肉踊る戦闘行為の興奮が忘れられなかった。その伝統が、人間どうしの「戦争」という行為につながっていったのだろうと思える。
原始人は、共同体の利害のために戦争をはじめたのではない。おそらく、「戦う」ということそれじたいがしたかったのであり、せずにいられなかったのだ。
戦いのための戦い、それが原始時代の戦争だったのではないだろうか。
彼らは、死ぬということを怖れなかった。この感覚は、現代人にはわからない。
彼らは、「未来のスケジュール」を持たない観念生活をしていた。つまり「人生」という意識が希薄だった。「未来」という時間を知らないわけではなかったはずだが、それでも意識の大部分は「今ここ」を生きていた。「未来」という時間を知っているからこそ、「人生」というものにうんざりしてしまう。
現代人だって、若ければ若いほど、「今ここ」を生きている。
「今ここ」を生きようとするものは、つねに共同体や家族からのプレッシャーにされされねばならない。というか、それを大切にするにせよ厭うにせよ、人間とは、つねに共同体や家族からプレッシャーを受けている存在なのだ。
正義の戦争だから賛美されるのではない。戦争をするということそれじたいが人間を昂揚させるのだ。
9千年前くらい(石器時代)の、石槍で戦争をしている群像の壁画が中近東で見つかっている。壁画として描くくらいだから、彼らに戦争は忌まわしいものだという意識は、おそらくなかった。
もちろん現代の地球上の未開人種だって、戦争を忌まわしいものだと思っている人種などひとつもない。彼らの多くは、戦争なんか血沸き肉踊るお祭りみたいなものだと思っている。戦争によって二つの部族に連帯感が生まれる。これが、文化人類学が教えてくれる根源的な人間の生態なのだ。
おそらく戦争の結果として、群れどうしが合流してゆくということにつながっていったのだろう。そうして、「共同体」という集団の膨張が本格化してきた。
命のやり取りをした者どうしの結束力は生半可なものじゃない。そういう結束力があってはじめて、人類にとって未知の領域であり、しかも生きものとしてきわめて不自然である数千人、数万人、数十万人、さらには数百万数千万規模の集団へと発展してゆくことができたのだろう。
戦争によって、人間の「共同性」が発展してきた。
原初の人類に戦争をはじめさせたのは、おそらく「家族」という単位のプレッシャーだったのだ。
ヨーロッパの男たちは、妻のヒステリーに手を焼きつつ、息子からは「父殺し」の衝動を向けられる。そして息子は、父と母の両方から抑圧されながら育ってゆく。ヨーロッパは、そういう「家族」という単位からのプレッシャーがきつい社会だったから、戦争が発達したのだ。
「家族」を持ってしまったから、人類は戦争をはじめた。
「家族」を持ってしまったから、人びとは「人生」を厭うようになった。「人生」という概念からプレッシャーを受けるようになった。それによって、戦争が生まれ、共同体が発展し、文明の発達が加速していった。
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内田氏は、こういう。家族を持たない社会などない。家族を持たない社会は滅び、家族を持った社会だけが生き延びてきた。家族は、人間の叡知の結晶である、と。
まったく、内田さん、あなたの考えることはほんとに下品で卑しい。
生き延びてきたからえらいというわけでも、正しいというわけでもないでしょう。家族を持たない社会は、正しく美しい社会だったからこそ滅んでゆくことを余儀なくされたのかもしれない。家族を持った社会は、下品で卑しい社会だったからこそ生き延びてきたのかもしれない。
「生き延びる」などということを、錦の御旗のような当然の正義のような言い方をするなよ。そんな下品で卑しい者の見方しかできないくせに、よく恥ずかしくないものだ。いや、恥ずかしさを知っている者は、けっしてそういう見方をしない。
この世にいつまでも生き延びることのできる人間なんかひとりもいないのだぞ。生き延びることなんかべつに美しくないし、正しくもない。生き延びることが正義のようなことを考えていたら、人は死んでゆくことができなくなってしまう。
死んでゆくことのできないスケベったらしい人間が、そんなことを考えるのだ。
それはともかくとしても、人間は、生き延びるために「家族」や「共同体」を持ったのではない。家族や共同体を持ってしまったのだ。
家族や共同体は、人間に多大の「ストレス」をもたらした。しかしそのストレスこそが、文明の発達の原動力になった。
内田さん、人間は幸せになるために家族をつくったのではないのですよ。「ストレス」を引き受けていった結果として、家族や共同体が生まれてきたのだ。
人間が家族や共同体をつくったのではない、家族や共同体が「人間」というかたちの観念をつくってきたのだ。
家族や共同体は、人間の歴史の運命(必然的な成り行き)として避けがたく生まれてきたのであって、人間の「叡知」とやらがつくったのではない。
幸せになろうとすることだけが人間のいとなみであるなんて、人間の歴史がそんなセンチなスケベ根性だけで動いてきたなんて、内田さん、あなたの考えることは、ひとむかし前の「夢見る女学生」レベルなのですよ。
人間は「ストレス」を引き受け、「ストレス」の中に飛び込んでいってしまう観念傾向を持っている。そういう性癖とともに家族や共同体が生まれてきたのだ。したがってそれは、つくろうとしてつくったものではない。つくりたくなんかなくて、いやだいやだと思いながら、だんだん確かなかたちになってゆくその「状況」を引き受けていったのだ。つくるまいとしながら、つくられていったのだ。
家族や共同体は、人間が背負ってしまったいわば「不条理」なのだ。
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僕のこの言い方は、ちょっと先を急ぎすぎている。それはわかっている。しかし、今僕が語ろうとしているのは、ただの歴史談義ではなく、あくまで秋葉原で事件を起こしたあの若者のことです。
彼は、傷ましいほどの率直さでみずからの「負の状況=ストレス」を引き受けていった。
それは、氷河期明けの時代に女と子供だけの空間である「家族」に参加していった原始人の男たちの精神と通じている。そのとき男たちは、家族というストレスを引き受けたのだ。
そうして、生きてあることにうんざりしつつ、戦争に熱中していった。
現代の若者たちもまた、生きてあることにうんざりしつつ、「どうして人を殺したらいけないのか」と問う。
彼らは、この社会の規範に染め上げられたうそくさい人間関係ではなく、命がけの、命のやり取りをするような関係を持ちたいと願っている。
人と人の関係は、ほんらいそういうものであるはずです。
抱きしめあうことは、命のやり取りをすることだ。自分の命なんか消えてしまって、相手の命ばかりを感じている。命=身体に対するおののき、それが抱きしめあうという行為だ。
相手の「命」を感じたい、と彼らは思う。しかしそのためのもっとも有効な方法が人を殺すことだなんて、それはたしかに正解なのだけれど、何かやりきれない。
命のやり取りをすることが生活の中にさまざまにあれば、何もそこまで思いつめることもない。
命のやり取りをするような会話、微笑みの交換、たぶんそんな手ごたえがあればいいのだ。
彼の両親は、彼に「生き延びる」能力を持つことばかり要求した。
彼が働く会社も、「生き延びる」ことばかり考えている。大人なんて、どいつもこいつも頭の中を「生き延びる」ことばかりいっぱいにして、「生きてある」ことの輝きなんかどこにもない。「生きてある」ことの交換(あるいは交歓)を体験させてくれる大人なんか、どこにもいない。
どいつもこいつも「夢見る女学生」みたいなうそくさいことばかり考えやがって・・・・・・そんなことは、女学生だけに許された特権なのだ。今の時代でいえば、彼が愛した「ロリコン・アニメ」の世界の中だけで通用する話であらねばならない。つまり彼は、そういうかたちで、大人たちのうそくささを許していたのだ。
彼は、そういう「うそくささ」に耽溺していったからこそ、その補償行為として「生きてある」ことの実感を得たいと切実に願った。そしてそれは、自分が「不細工な敗者」であると確認することにあった。彼にとってそれは、生々しい「ストレス」の中に飛び込んでゆくことだった。
人を殺すことの大いなるストレス・・・・・・行き着くところはもう、そこしかなかった。命のやり取りをする場はそこにしかない。平和ボケした大人たちが群がる現代社会に投げ込まれている若者は、そのように発想する。
「生き延びる」ことが正義だとほざくあほな大学教授がのさばっている世の中なのだもの、そういうところに追いつめられてしまうさ。
共同体は、「生き延びる」ために戦争をする。そして戦士は、「生き延びる」ことを断念して戦地に向かう。
「生き延びる」ことを断念した者によって、「人殺し」が実行される。
彼は、「生き延びる」ことを断念して、「今ここ」の「命のやり取り」をしようとしたのだ。もっとも不器用でもっともストレスフルな方法でそれを実行した。
携帯サイトの彼は、自分は不細工な嫌われ者だ、と言い募った。
しかし実際は、いじらしいほどの人恋しさをそなえた愛される若者だった。
彼は、とても後輩をかわいがった。
そして今、その残虐な殺戮行為がひとつの「殉教」として若者たちから評価され始めている。
それを「殉教」としてしまっていいのかどうか、僕にはわからない。
そりゃあ、むごたらしい事件ですよ。
しかしそれでも、内田樹とかいうあほな大学教授より彼のほうがずっと純潔な魂の持ち主だったという思いは、どうしても消せない。
人間は、ときに「人恋しさ」で「人殺し」をしてしまう。