内田樹という迷惑・あきはばら5

人間は、いつごろからなぜ人殺しをするようになったのだろうか。
それは、氷河期明けの一万年前ころからのことだろうといわれています。
そろそろ「共同体」という集団ができ始めたころの話です。
人間は、共同体の利益のために「戦争」をはじめたのではない。共同体をつくって暮らすことの鬱陶しさや息苦しさのはけ口として戦争をするようになっていったのではないか、と僕は思っている。
9千年前くらい(石器時代)の、石槍で戦争をしている群像の壁画が中近東で見つかっている。壁画として描くくらいだから、彼らに戦争は忌まわしいものだという意識は、おそらくなかった。
原始人の世界に、「共同体の利益」などというものはなかったのだ。
もともと「群れ」という単位で暮らしていた人類が「家」という住居と集団の単位を持ったのは、氷河期明け以降のことです。
とくに農耕牧畜を覚えてからは、家単位で食料を調達してゆくようになった。その「家」の利益を守るために、共同体が生まれていった。
たとえば、「姦通をしてはならない」とか「盗みをしてはならない」とか、そういう「禁制」を持ったのが「共同体」の始まりであろうと思われます。
そしてそのような共同体の鬱陶しさから逃れようとして男たちは、戦争をはじめた。
原始時代の共同体とは「禁制」が機能する範囲の集団のことであって、それじたいとして利益を追求する集団ではなかった。
農耕をするようになれば、狩猟生活に比べてテリトリーはうんと狭くてすむ。土地は、あり余っていたのだ。
追求するべき「共同体の利益」などなかった。
「家族の利益」があっただけなのだ。
そして男たちは、「家族の利益」を守るために、多大のプレッシャーを受けていた。つまり彼らは、利益集団としての「家族」と、禁制を迫ってくる集団としての「共同体」とのあいだにはさまれて、息も絶え絶えに暮らしていたのだ。
だから、戦争をするとき、戦う者どうしの相寄る魂があった。
共同体の利益などなかったのだから、それは戦争をする理由にはならない。
あくまで、男たちは戦いたかったのだ。
彼らのカタルシスはそこにしかなかったし、ふだんから生きてあることの鬱陶しさや息苦しさを抱えていたのだから、べつに死んだってかまわないという思いも胸の底に定着していたにちがいない。
人類は、「憎しみ」を覚えたから戦争をはじめたのではない。べつに死んだってかまわないという生存のかたちを体験したから、戦争をはじめたのだ。「死んだってかまわない」という気持がなければ、戦争なんてできるものではない。
殺すために戦争をはじめたのではない。死んだってかまわないと思ったから戦争をはじめたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とすればそれは、秋葉原で通り魔事件を起こした若者の「ひとりぼっちの戦争」と、どこかで通じている。
彼が何を恨んでいたかとか、誰を憎んでいたかとか、そういうことはさしあたって二次的な問題でしょう。「べつに死んだってかまわない」という気持になるまで追いつめられていた、ということこそ、第一の問題なのだ。
たぶん彼は、人がいうほど社会を恨んでいなかった。親だって、それほど恨んではいなかった。彼は、自分に与えられた状況を誰よりも従順に受け入れてしまう若者だったのだ。
いや、いい意味でも悪い意味でも。
県下一の進学校に通うくらいの生徒なら、どんなに成績が悪くても、一年浪人して頑張れば、それなりの進路は開けるものだ。彼はなぜそういうトライをしないで誰でも入れるような大学を選んだのか。
落ちこぼれは落ちこぼれらしく生きてゆくさ、というあきらめ。なんだか気味悪くも傷ましいくらい、自分の状況に対して従順じゃないですか。ちょっとした謎です。
世間的には、「根性がない」ということになるのだろうが、この従順さは傷ましい。原始人みたいだ、と思う。
彼は、「べつに死んだってかまない」という気持になるくらい、みずからのネガティブな状況を味わい尽くしてしまった。
これは、ひとつの「才能」だと思う。誰にでもできることじゃない。誰にでもなれる心境じゃない。変な言い方だが、すごい、と思う。
青森的縄文的感性、のようなものを僕は感じる。この話をし始めると長くなってしまうから今は言わないけど、とにかく人類が戦争をはじめたときの感性が彼にはあったような気がする。
人類は、生きていたってしょうがないと思ったから、そしてその気持を誰かと分かち合おうとして戦争をはじめたのだ。
いまどきの若者たちが「どうして人を殺したらいけないのか」と問うとき、どこかで「べつに死んだってかまわない(=生きていてもしょうがない)」という気持ちと、その気持ちを誰かにぶつけたり交換し合ったりしたいという「人恋しさ」が疼いている。
大人たちが「命の大切さ」などという恩着せがましいことを言うから、余計そう思ってしまう。
彼らは、大人たちよりずっと純潔な原始人なのだ。