古代から近代合理主義に至る西洋の男社会の歴史のいびつなところは、日本列島の歴史との対比によって浮かび上がるのかもしれない。1万3千年前の氷河期明け以降、海に閉じ込められ孤立していった日本列島の歴史と、人の往来が活発になって戦争なども起きてきた西洋(大陸)との対比です。その地理的条件の違いによって、社会の構造も人々の観念の傾向も、そして男と女の関係も大きく違っていったはずです。本居宣長いうところの「やまとごころ」と「からごころ」の違いです。
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「女、三界に家なし」という。
日本列島では、女は、家の中の存在ではなかったらしい。
それは、男に従属していたわけではないことを意味している。
男や子供の「世話をする」存在だったのだ。この国には、そういう「サービスの文化」の伝統がある。「蝶々夫人」の話にしろ、外国の男たちは、この国の女が持っている「サービスの文化」にまいってしまう。
「世話(サービス)をする」ということは、従属することではない。そうやって相手と一体化してしまうことを拒絶している態度である。この国の父権制度は、女が家の外の存在になるというかたちで、女の拒絶反応を保証してきた。亭主や姑にかしずくことは、亭主や姑を拒絶することでもあった。
拒絶することは、拒絶している自分を確認することではない。拒絶の対象に憑依して、自分に対する意識が消えてしまうことである。自分を消すこと、これが「サービスの文化」なのだ。女は、家の中で自分を消している、だから、三界に家がない。
父権制度は、女にとって不都合な制度である。しかしその不都合を受け入れることによって、「自分を消す」ことができるのだ。「自分を消す」ことの恍惚、そこに女の官能がある。
一方ヨーロッパ社会では、女を家の中心に置き、女のわがままやヒステリーを認めるレディファーストの習俗の上に父権制度が成り立っている。それはつまり、それほど強い父権(男性中心)の社会であることを意味する。女のわがままを最大限に許すくらい、強固な父権(男性中心)社会なのだ。女をちやほやしながら、女のアイデンティティを奪ってしまっている。
日本列島では、女が男にかしずくことができるくらい、じつは父権があいまいな構造になっている。いばっているようで、じっさいには女にリードされている。
女が男の世話をすることは、女がリードしている関係なのだ。
古代の日本列島は、女がリードする社会だった。
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縄文時代の8千年間を、女は家の「ぬし」として暮らしてきた。
縄文人が野草をなんでも食べていたことや、集楽のまわりに落とし穴をつくって猟をしていたことや、縄文土器が女の手でつくられていたことや、大規模な農耕文化が起こらなかったことなど、これらはすべて、その集落の住人が女と子供だけだったことを意味する。
彼女らは、落とし穴にかかったタヌキの臭い肉でも平気で食べていた。
いっぽう山野をさすらって狩りをしていた男たちは、たとえ鹿や猪でも、脂の乗った秋にしか獲らなかった。
三内丸山遺跡は、縄文時代中期の集落だが、そこからは、ほとんど鹿や猪の骨がでてこない。それは、狩をしない女だけの集落だったことを意味する。男たちは、雪に閉じ込められる冬場だけ女の家に逗留した。逗留させてもらった礼として、大きな建物などをつくってやった。
縄文時代の女たちは、家を維持してゆくことの苦労が骨身にしみていた。
だから、弥生時代に入って男が家族として参加してきたとき、土器作りや料理などのほとんどの家事を男に譲った。
彼女らは、子育てと農耕などの生産活動に精を出した。
人口爆発が起きた弥生時代は、家の「ぬし」が、女から男に変わってゆく時代だった。
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とにかく、男と女がパートナーを決めて一緒に暮らすようになったのは、2千年前の弥生時代以降のことだった。
縄文後期、気候が寒冷化して雪に閉じ込められる冬が長くなり、それとともに男と女が一緒に暮らす期間も長くなった。それは、男女の関係が煮詰まってしまうことだった。男たちは、雪の少ない地域に移動していった。そして女たちの集落も、それとともに、しだいに西へと移動していった。
最初に人口爆発が起きたのは、近畿地方だった。
とくに奈良盆地周辺。
奈良盆地そのものは、湿地帯だった。そのころ、日本列島のほとんどの平地が湿地帯だったのだ。
だから人びとは、最初周辺の山で暮らしていたが、気候の寒冷乾燥化によって、奈良盆地がしだいに干上がっていった。
女たちはそこに下りていって、集落をつくり、農耕をはじめた。そこは、周囲のどの山からも見下ろすことができるから、男たちの来訪を受けるには、山の中の集落よりかえって有利だった。そうして、自分たちが育てた農作物でもてなした。
日本列島の水田耕作は、半湿地帯からはじまっている。奈良盆地は、最初に水田耕作が普及した地域だった。
やがて男たちも集落に居着き、その生産活動に参加していった。
男の労働力は、飛躍的に耕作地を拡大させた。
米という主食の味わいが、男たちを集落に居着かせた。
弥生時代の青銅器文化は、近畿地方を中心にした銅鐸の文化圏と、九州が中心の銅剣・銅矛の文化圏に分かれていた。銅鐸は農耕の祭祀に使われたものであり、このことは、いちはやく農耕文化に移行した近畿地方と、まだ狩猟文化を残していた九州地方との差を意味している。
男と女が一年中一緒に暮らすという家族形態は、おそらく農耕文化とともに近畿地方から広がっていった。
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男たちが集落に居着いて乱婚状態でいると、男たちの性的能力の差が明らかになったり、女たちの選り好みが生まれてきて、秩序が保てなくなる。女同士の男の奪い合いもはじまるし、男の嫉妬心も顕在化してくる。
そこで、自然に一夫一婦の制度になってゆく。
しかし、男と女が一緒に暮らすという文化を持たない民族がその暮らしに移行してゆくのは、けっしてかんたんなことではなかった。
男たちは、「家」で暮らすということじたいを知らなかった。だから、女に教えてもらうしかなかった。農耕のノウハウも、もちろん女に教えてもらった。女たちは、すでに縄文時代から農耕を知っていた。天候を読むという皮膚感覚や直観力も、女のほうが優れていた。
男が年上だったりセックスにおいて主導権を持っていたりすると、なかなか女から教えてもらうという態度が取れない。だから女が年上で主導権を持っている家のほうが、すべての面でうまくいった。
日本列島では、家に定住することも農耕もセックスのことも、すべて女から教えてもらうことからはじめた。
とくにセックスのことは、たいていの男が女に教えてもらいながら一人前になってゆく。
縄文時代の女たちは、不特定多数の男を相手にしていたから、いろんなセックスの仕方を知っていた。それに対して男たちは、自分の世界しか知らない。古代においては、女の方が、はるかにセックスのエキスパートだったのだ。
日本列島の一夫一婦制は、「姉さん女房」というかたちからはじまっている。
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古代の女たちは、男を家の「ぬし」として育てていった。この国の父権制度は、そこからはじまっている。
そのとき女は、全能の「かみ」になった。「おかみさん」の文化。
しかし「神」になるとは、どんなにやさしくても、男と一体化することを拒絶している態度にほかならない。
男と女が一緒に暮らせば、かならず桎梏が生まれてくる。どの夫婦も仲良く一体化している、などという社会はどこにもない。その関係の形態に、かならずある「落差」を持っている。それでちょうどよい。人と人の関係は、「拒絶反応」の上に成り立っている。
ヨーロッパ社会はその「落差」を否定しつつ、その裏により大きな「落差」をつくってきた。
日本列島では、先験的に「落差」があるところから出発している。そして女がリードするというかたちではじめたからこそ、女がかしずく(世話をする)という関係が可能になった。それは、女の拒絶反応が保証されていた、ということだ。
男を育てるとは、男の現在を否定(拒絶)することであり、育てることは拒絶反応を行使することでもある。世話(サービス)をすることは、一体化することを拒絶することだ。一体化してなれなれしく要求したり自分をさらけ出したりすることを断念することだ。
作物を育てるとき、種をまく時期を自分の都合で決めることはできない。引っぱったからといって苗が伸びるわけではない。ただもう待つしかない。日本列島の女たちは「育てる」ということをよく知っていた。
子供を育てることだって、縄文人は、女だけの集団をつくり、そこで育てた。
それに対してヨーロッパでは、男と女が別々に暮らすという体験を持っていない。よろこびも悲しみも共有し合い、一緒に子供を育て、なれなれしい関係になってゆくことこそ、氷河期以来の彼らの伝統文化になっている。
ヨーロッパの女たちは、女だけの社会というものを体験していない。
それに対して日本列島の縄文時代には、女だけの集落社会があった。そこで女だけの文化がつくられていった。ただそれは、男と女がなれなれしい関係になってゆく伝統文化がなかったということでもある。縄文時代は、男女別々の集団をつくって、つねに「別れ」を前提とした「出会い」を繰り返していただけだった。だからこそ、たとえばやまとことばを完成させたように、女だけの文化があった。
そうして弥生時代になって農耕社会が生まれると、女だけの文化の上に、男と女が一緒に暮らす新しい文化がつくられていった。
姉さん女房が若い夫を育ててゆく、これが古代の男と女の関係の文化だった。
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「女、三界に家なし」とは、裏を返せば、男を捨てている、ということでもある。縄文人の男と女が一緒に暮らさなかったことにしても、男が好き勝手に山野をさすらっていたということだけではなく、女が一緒に暮らすことを拒んだという面もあるにちがいない。
海に囲まれた島国である日本列島では、それほどに人と人がくっ付きあう関係に対する鬱陶しさに敏感だったのだ。
男に支配されている西洋の女が男を「裏切る」習性を持っているとすれば、男をリードしていた日本列島の古代の女たちは、男を「捨てる」存在だった。
古事記」に登場する女性神であるアマテラスもイザナミノミコトも、男に幻滅して男を捨てる女として表現されている。
アマテラスは、夫であり弟でもあるスサノオのあまりの粗暴さに嫌気がさして、「天岩戸(あまのいわと)」に隠れてしまう。これは、古代の家においては、女の許しがなければ男は入れてもらえなかったという習俗から来ているのかもしれない。
そうしてとにかくまあスサノオは、天上の神の国から地上の根の国へと追放される。
イザナミノミコトは、夫のイザナギに幻滅して、黄泉の国に旅立ってしまう。イザナギは必死に追いかけてゆき、入り口の外から、どうか戻ってくれ、と哀願する。根負けしたイザナミは、じゃあ黄泉の国の神に戻れるようにたのんでくるから、そのあいだこちらの世界はぜったいにのぞかないでくれ、と念を押す。しかしイザナギはのぞいてみたい誘惑に負けてついのぞいてしまう。すると、死者となったイザナミの体は腐敗し、うじ虫が湧いている。で、怖くなって逃げ出す。怒ったイザナミは、あなたなんかぜったい許さない、という言葉をイザナギの背中に投げつける。
この二つの神話には、姉である女がリードし女が男を捨てるという、当時の男と女の関係があらわれている。
古事記」に、この国の最初の天皇として登録されている神武天皇の祖母に当たるトヨタマヒメは、いわば竜宮の乙姫のような存在だが、竜宮から帰っていった山幸彦を追いかけてきて身ごもっている子供を産むことになる。そのとき夫に、産室はぜったいのぞかないでくれと懇願した。しかし夫は、ついのぞいてしまう。傷ついた彼女は、そのまま子供を置いて竜宮に帰っていってしまう。
で、自分の妹を子供の乳母として夫のもとに送り込んでくる。その妹がやがて成長した子供と結婚し、神武天皇を産んだ。
ここでも、前半は女の拒絶反応が、後半は姉さん女房が若い夫をリードするという関係が表現されている。
日本列島の男と女の関係の文化は、「姉の文化」なのだ。
姉は、弟を許し、弟の世話をするが、いつか捨ててほかの男のところに嫁に行く。というか、「弟=男」の世話をしつつ捨てている存在なのだ。
母に逆らっても、姉に対しては妙に従順なのが、世の弟のつねである。
相手の女が自分より年下であっても関係ない、おそらく日本の男たちは、胸の奥のどこかしらで女をそのような視線で見ている。だから、居酒屋で飲み会をすれば、「やんきい」みたいなギャルでもつい世話係になってしまうし、触ってもいいし射精もさせてあげるけど最後の一線だけは越えさせないわよ、というフーゾク産業が成り立つ。彼女らは、世話しつつ、拒絶している。
そのほか民話の「夕鶴」にせよ、日本列島には、こういう話がごまんとある。
日本の女は、男を捨てる。
西洋の女は、男を裏切る。
拒絶反応とともに男と向き合っている女は、捨てた(裏切った)男に未練を残さない。
男にかしずく女が男をひたむきに慕っているかといえば、とんでもない話で、そういう女がある日突然男を捨てるという例は、枚挙にいとまがない。
近ごろ流行りの、熟年離婚。女房にリスペクトされているとか、そんな手ごたえで一生連れ添ったと自慢したって、それはただ鈍感で女の底意地の悪さに気づかなかっただけのこと。一生連れ添うのも、明日捨てられるのも、紙一重なのだ。
女に、男を「慕う」などというカードはない。赦すか赦さないか、それだけのことだろう、たぶん。
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