まれびと論・41 古代人の信仰のかたち

川端康成は、「朝(あした)に道を問わば、夕べに死すとも可なり」という言葉が好きだったらしい。小説の中によく出てくるし、そういう揮毫もしばしばしていたのだとか。
もしもその朝に決定的な悟りを得られれば、夕方にはもう死んでしまってもかまわない、というような意味です。
これで私の人生は完結した、これで終わった、という感慨です。
べつにそんなごたいそうな「悟り」でなくとも、一日一日がそうやって新しく生まれ変わったような気分で過ごせれば、という願いは、誰の胸にもどこかしらにあるにちがいない。
子供は、一日にひとつ、何か新しい発見をし、朝になったら生まれ変わっている。
われわれだって、やっかいな仕事をかたづけたら、新しく生まれ変わったような解放感を覚える。この世界が、輝いて見えたりする。
川端康成は、生まれたばかりの子供のような視線で人間やこの世界を眺めつづけていた作家です。そういう視線に、われわれ読者は、はっとさせられる。
生まれたばかりの子供は、いつ死んでもかまわない存在です。彼は、明日という時間など知らない。しんどい思いをして産道を潜り抜けてきたという解放感があるだけです。これでひと仕事終わった、という解放感と、新しく出会った世界や他者に対する驚きやときめきで、そのつど生が完結している。
そういう視線を持って生きていた川端康成という人が、自殺をした。そのとき彼は、何を見たのだろう。すべては終わった、これでもう死んでもいい、と思える何かと彼は出会ったのだ。
生まれたばかりの子供のような純粋で根源的な視線を持った人は、いつか自殺するような宿命だったのでしょうかね。
「美しきものを見し人は、早や死の手にぞ渡されつ」という言葉があります。「すべては終わった」と思ったとき、世界は輝いて見える。
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「ねぎらう」という意味の「ねぐ」という言葉について、折口氏は、こう言っています。
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定期のものとして、(春の祭りの)次に生じたのは、おそらく「刈り上げ祭り」であろう。これは農村としての生活が目立ってきてからのことと思う。春の初めに「ほかい」せられた結果の現じたことに対する謝礼で、「ねぎ」という用語例に入る行事である。「ねぐ」という動詞の内容は、単に「労(ねぎ)らふ」にあるとするのでは、半分である。残部は、新しい努力を願う点にある。新しい「めぐみ」を依頼するために「ねぐ」のであった。「こふ」「のむ」とは違うゆえんである。刈り上げの「ねぎ」には、新しく収めた作物を、「まれびと」と共に喰う。すなわち、新嘗を行うのである。新嘗は、この秋の「まつり」の標準語であろう。そうして、宮廷では自家の「まれびと」を饗応することをこの語で呼び、地方に対しては「相嘗(あひむべ)」と称した。相新嘗の義である。しかもこの式は、地方の新嘗の予行の儀であって、同時に地方の村々に来る「まれびと」にとっては、宮廷と地方自体とから、「ねぎらはれる」ことになる。そのため、この重複を「あひ」を持って表したと見るのが一番適当であろう。
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どうしてこんな権威にへつらったようなことばかり言うのだろう。
収穫の時期なんて、日本列島の北と南ではずいぶん違うのだし、いちいち天皇家のスケジュールに合わせてなんかいられないでしょう。おそらく天皇家は、民衆とともに祝う、という意味で「相嘗」ともいっただけでしょう。
新嘗祭という言葉は、民衆のあいだから生まれたから標準語になったのであって、天皇家で生まれたのなら、民衆は別の言葉を使っていたはずです。畏れ多いですからね。それに、天皇を動かしている権力者たちが許さなかったでしょう。
それはともかく、ここで折口氏は、「ねぐ」は「願う」でもある、といっているのだが、この分析も粗雑です。両者はまったく別の言葉であり、語源的な意味も、むしろ正反対のニュアンスを持っている。
「ねぐ」は「ね・ぐ」、「ねがう」は「ねが・う」というように分節できるはずです。そして、両方とも後の音韻は、行為を意味している。
まず、「ねぐ」という言葉から。
「ね」という発声は、他の音韻よりも肺活量を必要とし、その息が発声と同時に体の中で溶けてしまうような心地がします。
「ね」とは、溶けてゆくさま。だから、意識も体も溶けてゆくときに「寝る」という。「根(ね)」は土に溶ける(同化する)ように先が細くなってゆく。
「ね」とは、「終息」「同化」「根源」などの表象。
「ねぐ」とは、終息の安堵を寿(ことほ)ぐ行為。もともとは、「ねほぐ」という言葉だったらしい。「ほぐ」は「ほぐす」。「ねぐ」とは、根=土をほぐして穢れを祓うこと。
日本列島の住民は、根(ね)=土の穢れをとても気にする伝統があった。縄文時代も初期の大和朝廷も、土が穢れてきたことを理由に集落の移動や遷都を繰り返してきた。
一方、「ねがう」の「ね」は、未来を指し示している。古代人にとっての未来は、現在の消失点です。現在という根の細くなっていった先に、未来がある。そういう意味の「ね」です。「ねぐ」の「ね」は、過去の終息を意味し、願うの「ね」は未来という消失点を意味している。そして「ねがう」の「か(が)」は、「かっ」と目を見開くの「か」。息が弾けてふくらむ発声の音韻です。であれば「ねがう」とは、その不確かな未来にあるかたちを与えようとする行為、ということになります。
ゆえに、「ねぐ」という言葉に「ねがう」という意味は含まれていない。両者は、矛盾した性格の異質な言葉なのだ、といえるはずです。
まあ、この国の伝統文化を語るのに、安っぽく「ねがう」などという言葉を使わないでいただきたい。
だいたい、春に向かって何を願うことがあるのですか。気ぜわしい労働の始まりがあるだけじゃないですか。そんなことより、この収穫の喜びに浸りきりたいと思うでしょう。
新嘗という秋祭りに、春に向けての「願い」も「予行」もない。そこで祝福されているのは、一年の労働から解放されたことのカタルシスです。そのとき古代人の意識は、まだ来ない春になど向いていない。つらい労働の日々であった過去がすでに消失したこと、すなわち現在における過去の「不在」に向いている。そんな先のスケジュールのことなど忘れて、しばらくはこの解放感を味わいたいと思うのが人情というものでしょう。
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この国の古代信仰は、終息を寿(ことほ)ぐこと、すなわち世界が「今ここ」において完結してあることを確認してゆくカタルシスにあるのであって、未来に向かって意識を拡張(肥大化)してゆくことにあるのではない。
神社の神官のことを、「禰宜(ねぎ)」ともいう。「ねぎ」とは、根=土をほぐす人のこと、すなわち土の穢れを祓う人のこと。「祓う」とは、すべてを終わらせること。終わることのカタルシスをもたらす人のことを「ねぎ」という。
土の穢れを祓う行事は、おそらくこの国において最も古い宗教行事にひとつだったのだろうと思えます。
この国の信仰のかたちは、あくまでも終息=完結を「ねぐ」ことにある。未来や遠いものを「願う」ことにあるのではない。過去が現在において「不在」であること、すなわち過去がすっかり洗い流されて「今ここ」が「今ここ」として完結してあることの寿(ことほ)ぎを、「ねぐ」という。
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折口氏は、「新室(にひむろ)のほかひ」というときの「ほかひ」は「神の来訪を祝う」というのが主たる意味である、と言います。
しかしわれわれは、字面のとおり「(地面の悪霊を)ほかのところに追い払う」という意味があるだけだろうと解釈します。
家や、冬季の作業場や貯蔵庫としての「室(むろ)」を新しく建てるときにお祓いをすることを、「吉事祓い」ともいうらしい。めでたいときのお祓い、ということです。
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(吉事祓いは)神に扮し、また、神を迎えるための人および家屋の斎戒や祓い除けをするのが元であった。神としての聖(きよ)さを得んがための人身離脱が、祓へ・禊ぎの根本観念であることを考えぬ人が多い。凶事祓へを原とする考え方は、祓への起源を神にあるとした、凶事祓へが主になった時代の古伝説に囚われているのである。吉事祓へは、つまるところ「タブー」の内的表現で、外的には、蔓・忌み衣などをもって、「しるし」とした。
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その「祓へ」をするために人が神に扮することを折口氏は、「神としての聖(きよ)さを得んがための人身離脱が、祓へ・禊ぎの根本観念である」という。
たしかにそうなのだろうが、神に扮するのは、ひとりまたは数人です。その神に扮した者のための祓いや禊ぎなのか。それはあくまで室の土(=とこ)が「神としての聖(きよ)さを得んがための祓へ・禊ぎ」であるはずです。
秋田の「なまはげ」は、神に扮した者の祓いや禊ぎのためになされるわけでもないでしょう。神になる準備のために払いや禊ぎをすることはあるが、神になったことで祓いや禊ぎをするというのでは言語矛盾です。神とは、すでに祓いや禊ぎを終えている存在です。神に扮するということは、そのときすでに祓いや禊ぎが終わっているということです。とにもかくにも、この国では、かんたんに神になれるのです。
人が神になることなんかたいして重要なことではない。その土の祓いをすることがいちばん大切なことであり、そのために神に扮するのだ。
「神に扮する」ことは、「すでに祓へが終わっている」ということであって、「祓へをする」ことではない。神に扮して祓へを終えたものが、新室の土の「祓へをする」のだ。
また、折口氏は「タブー」などというが、そうしないと神が許してくれないから「新室のほかひ」をするわけではないはずです。床の土をきれいにしておかないと貯蔵した食料が腐りやすいし、その上で作業をするのが落ち着かないからでしょう。それに、そうしないと、神と出会っているような気分になれない。
日本列島の住民の土に対する感慨は、折口氏が考えるよりもはるかに根深い。「穢れ」という意識の根源も、そこにある。
「穢れ」の意識は、たんなる「内的なタブー」の問題ではない。生きていれば誰の中にも起きてくる「実存感覚」の問題であり、日本列島においては、それが「土」の問題なのだ。
「穢れ」とは、どうしようもなく気になってしまうこと。その最たる対象が死体であり、気になって心が動かなくなってしまうことが「穢れ」です。
床の土が古いままだったら、どうしようもなく気になって落ち着かなくなってしまう。そこに新しい室を立てても、心安らかに暮らせない。貯蔵する食料も腐ってしまうだろう、と心配になる。だから、土にたまった「穢れ」を取り除いて一新したい。
まず、いったん床(とこ)の土を掘り起こして小動物や瓦礫を取り除き、水を撒いてまた固める。そういう作業を「ほかひする」というのではないのですか。そうして「神(に扮した人)」がやって来て「お祓い」をしてくれる。それはあくまで、「土」が一新されたことのカタルシスを体験する儀式なのだ。
新しく生まれ変わった気分になったときに、人は神と出会う。
そのとき人が神に扮するのは、扮する人の祓いや禊ぎをするためではなく、「ほかひ」に関わった人びとの「神と出会っている」という意識を視覚化するためになされる。これが根本観念でしょう。
「美しきものを見し人は、早や死の手にぞ渡されつ」です。美しくなった室(むろ)に立つことによって、人の心は「死=神」の手に渡される。すなわち、神と出会う。
「吉事祓い」は、それまでの生をすっきりと終わらせて新しく生まれ変わろうとする、人間の実存的な衝動の上に成り立っているのであって、共同体の「タブー」とはまた別の問題を含んでいる。
ひとつの終わりである「収穫」が「にひ」という「新しい」を意味する言葉で表現されるように、「吉事祓い」は、終わりの始まりです。「生まれ変わる」ということは、すっきりと終わった、というカタルシスのことです。それはまさしく「死」を体験するということでもあるはずです。