まれびと論・32 「かみ」の不在

現代の若者は、感動する、という体験をとても大切に思っているらしい。
幸せにまどろむよりも、ときめきたい、と思っている。
いまや、「幸せ」なんて、たいして価値のある言葉ではない。そういう言葉に今なおしがみついているのは、感動したりときめいたりする心の動きを失った大人たちばかりだ。
若者たちの日々は、心が動く体験とともにある。
彼らの心は「鳥肌が立つ」という感動と「げろげろ」という幻滅のあいだを往還している。どちらも、過激で生々しい身体感覚として言い表されている。
そうやっていささかもてあまし気味に心が動くから、「癒されたい」とも思う。
癒してくれる「かみ」を求めている。
では、「かみ」はどこにいるのか。
どこにもいない。
そして、どこにもいる。
「げろげろ」が妖怪や悪霊としての「もの」との出会いだとすれば、「鳥肌が立つ」という体験は「かみ」との出会いです。
「かみ」は、「存在しない」のではない。「不在」なのだ。
つねにその体験の向こうがわにいて、けっして姿をあらわさない。
この世界が存在することを不思議だと思うのなら、それは、「かみ」と出会っているということだ。
あなたが出会っているその対象は、「不在」の「かみ」の「たま=依代(よりしろ)」なのだ・・・・・・すくなくとも古代人は、そう考えていた。
貴いから「かみ」なのではない。「不思議」だから「かみ」なのです。そこのところを、折口信夫という人は、なんにもわかっていない。
日本列島の歴史は、世界の不思議に鳥肌が立って感動することから始まっているのであって、むかし奈良盆地にいたえらい人をありがたがってひれ伏したことからではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「心が動いている」とは、心が過去から未来に向かって飴のように伸びている状態のことではない。一瞬一瞬生起しては消えていっている状態のことです。だから、現在において過去は「不在」になっている。そういう存在と不在のダイナミックな交換こそ、「心が動いている」状態にほかならない。
そして「心が動いていない」とは、過去のことが気になって現在まで引きずってしまっている状態です。過去に現在を占領されてしまっている状態。現在の喪失、それが「心が動いていない」状態です。
たとえば、何かに夢中になっているときというのは、もっともダイナミックに心が動いている状態でしょう。そのときわれわれは、過去のことも未来のことも忘れている。現在が一瞬一瞬生起しては消えていっている。「快楽」とは、過去も未来も「不在」にしてしまうことだ。
またそうやって夢中になっているとき、自分すらも忘れている。自分の「不在」こそ、もっともたしかなこの生の瞬間なのだ。そうやって何もかも忘れて夢中になってしまうような「快楽」を日常的に体験していれば、そのあとにいつも過去や未来や自分が「不在」であったことを思うようになり、「不在」こそがこの生のたしかさを保証するものだ、という認識が生まれてくる。
もののあはれ」に代表されるように、この国の古代において「不在」という概念が特権化してきたということは、そういう何もかも忘れて夢中になってしまう体験が日常的に蓄積されていったことを意味する。
たぶん、それは、セックスのことでしょう。縄文人はやりまくっていたし、古代人も、まあそんなような生き方をしていたのかもしれない。
セックスの消失感覚は、「不在」の概念を止揚する。というか、この国では、「不在」の概念が止揚されるようなセックスの仕方や感受性を持っていた。
古代の日本列島においては、「不在」こそがこの生の根源だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
折口氏は、「〈たま〉には善悪の二方面があると考えられるようになって、人間から見ての、善い部分が「神」になり、邪悪な方面が「もの」と考えられるようになった」といっています。
そんな単純なものじゃないでしょう。原始人をばかにしている。
彼らには彼らの世界観があり、実存意識があったのだ。
「かみ」とは、その「不在」を思うことのできる対象。
「もの」とは、その「出現=存在」を思わせられる対象。
日本列島の住民は、太陽が出ていない夜に太陽のことを思う。恋人が目の前にいなければ、淋しくて恋人のことばかり思ってしまう。そのようにして、「不在」のときに想起された対象が「かみ」になっていった。
日照りのときに、雨や雷を「かみ」として思い出した。
「かみ」とは、「不在」である対象のこと。
むかしは、財布の中に蛇の抜け殻を入れておくとお金がたまるといわれていた。これも、「不在」がもつ神性ゆえのことでしょう。
アマテラスは、天岩戸に隠れたときに、もっともたしかな神性を帯びた。
天皇は、政治のことなど何もしない。その「不在」性において、「かみ」になっている。
善とか悪とか、そんなことじゃない。そんなものは、近代人の観念なのだ。
折口氏にせよ小松和彦氏にせよ赤坂氏にせよ、どうして乞食や非人や遊行僧や芸能民などの「異人」を「もの=穢れ」の系譜に入れて説明したがるのだろう。そうした「異人」たちだって、村びとにとっての「不在」の対象だったのだから、その意味において「かみ」の系譜なのです。彼らは、「汚れて」はいたが、「穢れて」はいなかったのです。
「もの」とは、「存在=出現」して気にかかってしまう対象のこと。たとえば悪霊は出現することにおいて「もの」であるが、神社に祀り上げて出てこなくなれば「かみ」になる。化けて出た瞬間に「もの」になる。出てこなければ「かみ」なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
村びとにとって「もの」とは、村びとじしんのことだった。なぜなら、その存在が気にかかる対象だからです。彼らは自分たちのことを「もの」といっていた。「在所のもの」というじゃないですか。それがいつの間にか人間の総称になっていった。
古代以前においては、「異人」が「ひと」だったのです。
乞食のことは、「ほかいびと」とか「ほいと」と呼んでいた。
「ひと」の「ひ」は「秘」、すなわち「不在」。「と」は「対象」の概念、あるいは「戸(と)」の前に立つ対象。村の「戸」の向こうにいる相手だから、「と」です。「ひと」という言葉には「おとづれびと」という概念を含んでいる。それが、まず最初の「ひと」の概念だった。そういう「ひと=異人」が「まれびと」になったのだ。
村人どうしは、「おちょうしもの」とか「はくじょうもの」とか「あわてもの」とか、「川向こうもの」とか「坂下もの」とか、あくまで「もの」として呼び合っていたのです。
それに対して古代の「ひと」という言葉は、「特定の人」や「よその人」や「ひとりきりの人」など、そういう範囲で使われていた。
村人は「もの」だったのです。共同体の住民こそ「もの」としての存在だったのです。穢れた存在だからじゃないですよ。気にかかる相手、すなわち「出会い」の対象ではなく、「関係」につながれた相手だったからです。それが「もの」だったのだ。
「異人=穢れ」などという図式は成り立たないのです。ここのところで、折口氏も小松氏も赤坂氏も、決定的に錯誤している。だから折口氏は、「神・貴人=まれびと」というところから始めねばならなかったのだ。
語源的には「かみ」と「もの」のあいだに、聖=穢れ、清浄=不浄、善=悪などという区別はなかった。「不在(非関係)」と「存在(関係)」という違いがあっただけです。
日本列島の古代人・原始人においては、世界との関係において、「不在」であるか否か、それこそがもっとも気にかかることだったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その「不在」を嘆いて恋焦がれる対象が「かみ」だったのだ。
夜は、毎晩やってくる。古代人は、夜ごと太陽のことを思った。夜という「不在」の時間が、この国の太陽信仰(天照大神)を育てた。
また、雨を降らす「天神信仰」も、日照りの夏に雨のことを思いつづけた体験の上に成り立っている。
「かみ」は「不在」であることによって「かみ」であることを顕現する。
テレビに出ない歌手が、出ないがゆえにカリスマになってゆくようなものです。
古事記の神は、ありえない神ばかり登場してくる。そんな神々が人間の祖先であるはずがない。しかし、その「ありえない」という「不在性」こそがリアリティだった。
本居宣長は、古代人はそれをまるごと信じていた、といったが、きっとそうだろうと思います。古代の日本列島の住民にとっては、信じないほうが不可能だった。存在しない過去は、「ありえない」ことによってしか信じられない。「ありえない」から、「ある」と信じられる。彼らは「存在」を信じたのではない、その絶対的な「不在」を信じたのだ。
たとえば、茶碗にふたをして出され、この中にごはんが入っているといわれたら、いつ炊いたのだろうとか、嘘をつくためにふたをしているのではないかとか、ふたをしているのは嘘をついている証拠だ、などと、疑いはどんどんふくらんでくる。しかし、この中に金魚が入っている、といわれたら、見えないからこそ、どんどんほんとにそうだろうという気になってくる。そんなようなことです。
茶碗の中身は確かめることが出来るが、遠い祖先の話は確かめようがない。もう、信じるか信じないかしかない。そしたら、信じるしかない。信じることしかできない。
たぶん、話が荒唐無稽になってゆけばゆくほど、より深く信じられていったのだと思います。その「ありえなさ」こそ、真実なのだ。
われわれ現代人にとっては、どんな遠い過去の歴史も、発掘したりして確かめるものになってしまっているが、古代人にとってそれは、絶対的な「不在」だったのです。
あなただって、茶碗のふたが絶対開けられなかったら、しまいにはきっと金魚だと思ってしまう。
それは、「不在」に向かう心の動きによって信じられた。「かみ」は、その「不在性」によって「かみ」になる。古事記の神々は、その「ありえない」姿によって、現在には存在しない遠いむかしの存在であることを証明している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「もの」としての妖怪や悪霊が、「出現」することによってその存在を示すとすれば、「かみ」は、「不在」によって「かみ」であることを証明する。「かみ」は、けっして姿をあらわさない。あらわさないがゆえに、過去に姿をあらわしたという伝説を持っている。「神」は、伝説の向こうがわに存在している。
雨は「天神」が降らせているのだが、雨は、「天神」ではない。しかし、雨が降っているということは、「天神」と出会っている、ということでもある。
日本列島では、「不在のかみ」と出会う。来訪する「かみ」が鬼や乞食の姿をしているのは、それが「不在のかみ」であることを意味している。そのとき鬼や乞食は、いわば「雨」であって「天神」じたいではない。
「不在」であるがゆえに、「天神」の絵や伝説が必要なのであり、「不在」であるがゆえに、尊く清いのだ。
「かみ」は「不在」であるがゆえに、どこにもいないと同時にどこにでもいる。このへんが古代人の感性のすごいところで、彼らは、われわれ現代人のおよばない直截な想像力と実存意識を持っていた。