まれびと論・37 常世信仰の行方

「まれびと」という言葉は大切だと思っています。
ここまで折口信夫氏にずいぶんいちゃもんをつけてきたけど、ただもうそういう思いゆえのことです。
まだ足りないから、もう少し続けます。
書けるだけは書いてみることが、僕にとっての、せめてもの折口氏に対する礼節です。
文句がある人は、どなたでもどうぞ。
「異人論」の小松和彦氏や、諏訪春雄氏の「折口信夫を読み返す」の折口批判よりも、僕の方がずっとラディカル(根源的)だと思っています。
そうではないぞ、とお思いの方は、どうか遠慮なく指摘してください。
小松氏は、民俗資料をこつこつ集めて検討していけばそれがきっと折口信夫を攻略する突破口になるというが、たしかにそれも大切なことではあろうが、根源的に考えることができなければ、そんなことを何万回繰り返しても無駄なのだ。
ほんとに、折口氏の「まれびと論」がこんなにも粗雑でいけ好かないものだとは、思いもよらなかった。
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「よ」という言葉に、もう少しこだわってみます。
折口氏によれば、「常世の国」は、永遠の理想郷だから、たとえば竜宮城の乙姫様みたいな美女がたくさんいて、やりたい放題なんだとか。中国には、そんなことを綴ったエロ文学がたくさんあって、それが奈良時代以降続々入って来た。浦島太郎の話は、奈良朝の宮廷人がそういう文学を模倣してつくったのだそうです。だから、民衆もそれを伝え聞いたりして、常世の情事のイメージはこの国でもすでに広く流布していたはずだ、というわけです。
で、折口氏は、次のように言います。これは、聞き捨てならないせりふです。
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国語では、男女の交情・関係をも「よ」という音で表した。常世が恋愛の無何有郷という風に考えられた。
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昔の人はセックスのことを「よごと」と言ったらしい。それは、「常世」の「よ」からきているのだ、というわけです。
そうでしょうか。
「よ」と言うのなら、体を「寄(よ)せ合う」ことかもしれない。「横(よこ)になる=寝る」とか「夜(よ)」という言い方もある。
もともと「よごと」は、「賀正事」とか「寿事」と書いて、おめでたい行事のことを言っていたわけで、いまさら海の彼方の常世を持ち出す必要もなかったはずです。セックスなんて、お祭りみたいなものじゃないですか。
至福のセックスは、常世における神と貴人のセックスにある。そんなイメージが日本中の常識になっていたのだそうです。あほらしい。そんなものは、宮廷人のただの文学趣味であって、民衆が広くそう言い習わしていたからには、セックスそのものにそう言うほかないような体感があったからでしょう。セックスは、知識じゃない。「竹取物語」を民話に取り込むのとは、わけがちがう。民衆がそう言うからには、そう言うほかないようなセックスという体験に対する共有された「無意識」がはたらいているはずです。
「よ」という発声は、身体が一瞬点になってゆくような感覚です。つまり、そうやって身体が消えてゆく感覚。射精感覚もオルガスムスも、つまりはそういう感覚でしょう。
「よ」とは、カタルシスのことです。
たとえば、米のことを「よね」と言います。それは、多くの地名や人名になっている。「こめ」は米そのものを指すが、「よね」という言葉には、米をつくる暮らしのニュアンスが含まれている。
「よ」は、米を収穫してゆくことのカタルシス。「ね」は、根本。つまり、土地です。「よ」が人名になり、「ね」が地名になる。
「稲」の「い」は、「一番」とか「大切」とか「命」とか、そういう感慨。「稲」の大切さとか、懸命に育てる心意気とか、そういうものを表象している。それにたいして、「よね」の「よ」は、稲を収穫することの開放感やよろこびとしてのカタルシスを表している。
「よね」の「よ」は、「よごと」の「よ」です。
「よごと」の「よ」は、セックスのカタルシスのこと。「とこよ」の「よ」だなんて、民衆がそんな気取った文学趣味で「よごと」と言うものか。
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セックスの快楽は、身体の消失感覚にある。
そしてこれこそが、日本列島の住民の生命観・世界観と深く関わっている。
縄文人の男たちは山野をさすらい、女たちは、山間地に小さな集落をつくって男たちの来訪を迎え入れた。彼らは、食うことよりも、セックスが第一の暮らしをしていた。
山間地に女子供だけの、20人前後の小さな集落をつくって暮らすなんて、食うためならこんな非効率的な暮らしもないでしょう。山の高いところだから水の便も悪いし、本格的な共同作業も出来ない。縄文中期以降、彼らはすでに稲作をはじめとする農耕栽培を知っていた。それでも、山をさすらう男たちの通り道の狭い場所に小さな集落を構えるだけで、大きな集団をつくりながら広い原っぱに出て本格的な農耕生活をしようとはけっしてしなかった。
男たちも女たちも、10人前後以上の集団にはなりたがらなかった。それ以上の規模になると、男たちはさすらう旅の統制が取れなくなるし、女だけの集団は規模が大きくなるとすぐ分裂してしまう。
彼らは、男女が一緒に暮らそうとしなかったし、大きな集団をつくろうともしなかった。だから、農耕生活が発達しなかったし、それは、食うことなど二の次の暮らしをしていたということを意味する。
食うことより大事なことといえば、セックスしかない。
彼らは、30数年の寿命しかなく、しかも山間地の狭い場所を住処としていた。彼らは、時間的にも空間的にも、きわめて限定された条件の中を生きていた。しかたなくではない。あえてそういう条件を生きようとしたのだ。
山間地といっても、いくぶん広い「原(はら)」という場所がなかったわけではない。それでも、山あいの「そま道」近くの狭い場所に小さな集落をつくって暮らした。
氷河期が明けて日本列島が大陸から切り離されたとき、彼らは、自分たちはもう何処にも行けない、と悟った。ここで生きてここで死んでゆくしかない、と悟った。ここが世界のすべてだ、と思い定めた。
その「ここが世界のすべてだ」思い定める心の動きがたしかになってゆくにつれ、より狭い限定された時間と空間を生きようとする身振りになっていった。
彼らは、山あいのどんな狭い場所でも、「ここが世界のすべてだ」と思い定めて生きた。
そしてそれは、最終的には「今ここ」のこの瞬間だけを生きようとするところまで行くわけで、そうすればもう、セックスにおける「今ここ」の消失感覚にこの生を燃焼し尽くそうとする態度をとるしかなくなってしまう。
彼らの暮らしは、食い物がどうとかといっているような余裕や退屈などなかったのです。
いや、それなりにいろいろ食い物の文化も育てていたけれど、それでもそれよりさらに、男女が出会ってセックスすることの方が大事だった。
縄文人は、セックスのエキスパートだった。日本列島の住民は、「常世」の貴人や神たちに教えてもらうまでセックスの醍醐味を知らなかったわけではないのだ。たぶん「よごと」の文化は、古代において、すでに大陸よりも日本列島のほうが進んでいたのだと思います。江戸の性風俗や文化だって、いきなりそこであらわれたのではないはずです。
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「今ここ」の消失感覚を追求する身振りが、日本列島の伝統文化をつくってきた。
われわれの実存感覚はそこにこそあるわけで、良くも悪くも「よごと」の文化です。
消失感覚=「不在」の「かみ」との出会い。「もののあはれ」も「黄泉の国」も、つまりはそういうことだと思えます。
「黄泉の国」の「よみ」は、「やみ」でもある。たしかにそうでしょう。しかし、それでも「よみ」といったのはなぜか。
「よ」は、「消失」の概念を表す。「み」は、「身」。体が消えてゆくこと。死ぬとは、黄泉の闇に体が消えてゆくことだ・・・・・・古代人はそう思っていた。彼らは、そういう世界の感じ方、時間の感じ方、命の感じ方をしていた。
この世界のすべてのものは、「かみ」という空っぽ(不在)の容器に収められて存在している。時間は、一瞬一瞬生起し消えてゆく。「現在」は、「現在」という「かみ」の容器におさめられてある。「過去」は、この「現在」には存在しない。時間をそんなふうに感じるから、日本人は忘れっぽいのだ。そして命は、この生の中にしか存在しない。一瞬一瞬消えてゆく時間のように、死ねばこの命も消えてゆく。
生きることも死ぬこともこの世界のことも、すべて「不在」=「かみ」の現象である。そういう世界の「かたち」を、彼らは体ごと認識していた。
彼らは、セックスの恍惚とともに身体が空っぽの空間になってしまうことを知っていたから、空を飛ぶ鳥を見ても、その姿が、見えない「かみ」という容器に収まっているのを感じた。でなければ、空なんか飛べるはずがないじゃないか、と。
「よごと」の「よ」や、「よみのくに」の「よ」は、そういう根源的な感慨や、古代人の全存在を賭けた世界に対する認識がこもった言葉であって、かっこつけて「常世(とこよ)の国」を妄想する観念ゲームのことではない。
「よ」とは、「(ものの)あはれ」のことでもある。
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「体が消えてゆく」ということは、「消えてゆく体がある」、と認識することです。体が消えてゆくときにこそわれわれは、実存をつよく意識する。
それは、体が消えてゆくことであると同時に、消えてゆくことではない。すなわち、肉体としての身体が消えて、輪郭だけが空っぽの空間として残る。この輪郭こそ、実存を証明するものです。
稲を収穫すれば、田んぼは空っぽになって、田んぼの輪郭だけが残る。このようなことです。
身体が空っぽの空間になってしまっているときこそ、われわれはもっともたしかに身体と出会っている。なぜなら肉体としての身体は、苦痛の部分だけしか知らせてこないからです。腹が減れば腹だけを、背中がぞくぞくすれば背中だけを、傷を負えば傷の部分だけが知らされる。完全なかたちの身体は、空間としての輪郭にあるだけです。だから人は、衣装を着て、たえず身体の輪郭を確かめようとしている。衣装に輪郭を表象させようとしている。そのとき肉体としての身体が消失し、衣装という身体の輪郭だけが現れている。
われわれの身体は、衣装において完結している。
衣装は、身体の「かみ=輪郭」である。
身体が消失してゆくとき、人は、「ここが世界のすべてだ」という感覚にひたる。世界は、ここにおいて完結している・・・・・・それが、縄文人が体験していたセックスのカタルシスにほかならない。
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古代における日本列島の住民は、むやみに遠い世界を憧れなかった。
常世信仰」なんて、権力者や僧侶たちの観念ゲームに過ぎなかった。
ある限定された空間に身を置き、「ここにおいて世界は完結している」と思い定めること。それが、海に囲まれた日本列島の住民の生きる流儀だった。
日本列島は、この世界の「床(とこ)」だった。「とこ」とは、「ここにおいて世界は完結している」という認識の表象です。だから、死後の世界である常夜の「黄泉の国」にしても、この日本列島の地の底にあるとイメージしていた。「黄泉の国」は、「とこ」のそのまた「とこ」だったのだ。
蒲団のことを「とこ」というのも、そこでセックスする男と女のそういう気分を表している。ここが世界のすべてだと思い定めて抱き合う。
いや、ひとりで寝るときだって、そういう気分で眠りにつくのが、日本列島の住民の生のかたちだった。「寝るのは極楽」というじゃないですか。彼らにとって眠りにつくことは、たんなる一日の終わりではなく、この生の「完結」だったのだ。
中世の隠遁者による方丈の思想も、ひまな爺さんの盆栽いじりも、電車の中でギャルが化粧をすることも、誰もがその限定された空間を「床(とこ)」と思い定め、「ここにおいて世界は完結している」という感慨に入っていっている。
畳に座ることは、みずからの身体をコンパクトにしてこの世界に収めてゆく行為です。屈んで木戸をくぐることもしかり、できるだけ小さく限定された空間と和解してゆこうとする身振りです。
そういう世界観・生命観で生きていた人びとが、どうして「海の彼方の常世の国」などというイメージを自分たちの信仰の中心にすえることができよう。