まれびと論・35 「おに」の来訪

折口氏が「国文学の発生・まれびとの意義」でいちばん言いたかったのは、海の彼方の「常世(とこよ)の国」から「神=まれびと」がやってくるということが古代人の信仰であった、ということらしい。
で、本来的な信仰の「神」は常世の国にいて、そこから仏教の影響を受けながら派生してきた「鬼」は恐ろしい「常闇(とこやみ)の国」にいるとイメージされていった、という図式を持ち出して来る。
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とにもかくにも最初は、死の常闇の国として畏怖せられていたのが、その国の住者なる祖先および眷族の霊のみが、村のために好意をもって、時あって来臨するのだから、怖いがしかし、感謝すべき「おに」のいる国ということになって、親しみを加えてくる。一方には畏しさの方面のみに傾いて、すさまじい形相を具えた魔物の来臨する元の国と思うたところもある。「にいるすく」はそれだ。奥羽地方の「なもみ」の類いの化け物、杵築の「ばんない」等をはじめとして、「おに」と言う説の内容推移に従うて、初春の「まれびと」を悪鬼・羅刹の姿で表している地方が多い。ところが、それらは年中の農作祝福に来るのであるから、仏説に導かれて変化した痕はありありと見える。節分に逐われる鬼すら、やはり春の鬼としての「まれびと」の姿を残している地方が段々ある。幸福は与えてくれるのだが、畏しいから早く去ってもらいたいと古代人の考えた「まれびと」観が、語意の展開と共に、これを逐うほうにもっぱらになって来たからである。
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古代人は、死んだら常闇の国の「おに」になると考えていたのだろうか。なんだかよくわからないこじつけのように思えます。
古代人にとっては、「村」がこの世界の「床(とこ)」だった。「在所」の「所」は、「ところ」=「床(とこ)」でもあります。われわれは「床(とこ)」の上に存在している、という意識があった。日本列島は、彼らにとってのもっとも大きな「床(とこ)」だった。それ以上の「床(とこ)」は、もうなかった。
「床(とこ)」を区切って、ひとまずみずからの存在を確認する。これが、日本列島の住民の生きる流儀です。中世の茶室や、隠遁者の方丈の庵も、つまりはこの感覚の上に成り立っている。
村びとにとっては、「村」がひとまずこの世界のすべてである「床(とこ)」だったのです。そして、村の外には、「おに」が住んでいる。「おに」がどこからやって来るのかといえば、どこということもない、とにかく「村の外」というしかないところからやって来る。村人にとって、「村の外」はすべて「異世界」であると同時に、存在しない場所でもあった。「おに」とは、「村の外」の存在であると同時に、いわば「不在」の象徴だった。だから、人間離れした姿をしている。「常闇の国」もへったくれもない。日本列島の住民は、その「外部の不在」のイメージと引き換えに「今ここ」の実存を確認しながら歴史を歩んできた。
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「お」と発声するとき、体の中で声が低く反響してゆく。すなわち畏怖の表象。
「に」は、声が弾けてふくらむような心地の発声。「出現」の表象。
「おに」とは、出現する強くて凶悪なもの。
「おに」は、どこからやってくるのでもない。「今ここ」において「出現」するのです。誰もそれを避けることはできない。しかし、かならずどこかに立ち去ってしまう。それは、どこかに存在すると同時にどこにも存在しないという、「不在」の対象である。
そのへんが、どこかにきっといる、とイメージされる妖怪や悪霊と、根源的に違うところです。
鬼は、どこにも存在しないから、あくまでそのときだけ畏怖を与えていなくなってしまう。
どこかにいるかもしれないけど、祭りのとき以外は、けっして姿をあらわさない。
「鬼」が持つその「不在性」が、人々に、そのときその場かぎりの根源的な「畏怖」を与える。
怖ければ小さくなって体を丸める。みずからの存在が凝縮されて感じられる。しまいに体の中身がなくなって輪郭だけになったような心地になる。それは、浄化作用です。
その畏怖の体験によって、村も人びともたちまち浄化される。そうやって村とみずからのアイデンティティを確認するために、人びとは、「おに」を行事の中に取り入れていった。
沖縄の「にいるすく」や「あんがまあ」の場合も、「やまとんちゅう」という侵略者から自分たちのアイデンティティを守ってゆくために、あえてそうしたその場かぎりの根源的な「畏怖」の体験を呼び戻そうとしたのかもしれない。つまり、彼らの中のいつまでも消えない侵略された体験の恐怖を、根源的な「畏怖」へと昇華してゆこうとしたのではないだろうか。彼らの侵略された恐怖は、いっとき浮かれ騒げばぬぐえるというようなものではなかったのだ。
「おに」は、穢れの浄化装置なのだ。
村びとは、「おに」と出会うことによって、村とみずからの実存を確認していった。「幸福を運んでくれるけど怖いから早く去ってくれ」などという茶番を演じるためにそうした村の行事が長く大切に引き継がれてきたのではない。
それは、「畏怖」することによって、村の暮らしの穢れを祓う行事なのだ。
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古代人の神に対する畏怖の感情は、「怖いから早く立ち去ってくれ」というようなものではない。畏怖それじたいが、ひとつのカタルシスだった。
神社の境内に立つと「身が引き締まる」という。それだって、畏怖の感情でしょう。それは、みずからの身体の輪郭がよりたしかになって、肉体としての身体の鬱陶しさから解放されるという体験です。身体が空っぽの透明な空間になること、それが「穢れを祓う」という体験です。
「おに」の、あのありえない形相は、「不在」を顕現している。どんな人間の顔も「おに」よりはましだと思えるレベルで形象化されている。「ありえない」から、その畏怖がカタルシスになる。
「ありえる」、と思ったら、その畏怖はあとを引いて心を縛ってしまう。妖怪や悪霊は、「ありえる」姿で出現する。そこが、「かみ」としての鬼と、「もの」としての妖怪との違いです。
まあ、「おに」の立場は、微妙です。神そのものではなく、神の「仮の姿」として現れる。だから、話の成り行きで、ありえない「かみ」にも、ありえる「もの」にもなってしまう。しかしもともとは、「かみ」の仮の姿だった。したがって、具体的にどこからやってくるとういう話はあまりない。ただもう村の「そと」なる存在として、突然現れ、村人を怖がらせる。そして村人は、その畏怖のカタルシスによって、みずからの身体の穢れ=忌みを祓うことができる。
べつにどこということではない、どこかに「おに=かみ」の住む国がある、というだけのことです。
「おに」は「かみ」ではないが、その向こうに「かみ」を感じることによって、その体験がその場のカタルシスになる。どこからともなく現れるからいっそう怖いのであり、しかも「かみ」の仮の姿であると了解することによって、その場かぎりの体験として完結する。
その祭りが毎年繰り返されているということは、つねにその場かぎりのカタルシスの体験になっている、ということです。
「おに」は「かみ」の仮の姿であるということ。かみは「不在」であると同時に出会う相手でもある。このコンセプトの上に日本列島の「おに」が成り立っている。したがって「不在」であるためには、どこにいると決めてしまうわけにはいかない。「どこかにいる」のであり、「どこにもいない」のです。そして「鬼」になってとつぜん現れるということは、それが「畏怖」を体験するための祭りだということです。
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折口氏は、神に対する畏怖は「忌み」の体験であるという。
そうじゃない、畏怖によって、日常生活に倦んでしまった身体の穢れが祓われるのだ。
海に囲まれてしまった島国の人間は、畏怖との関係を生きることを宿命づけられている。人間にとって海は、畏怖の対象なのだ。
死んだら常闇の黄泉の国に行くだけだと思うことはとても怖いことだが、それによってこの生の輪郭がよりはっきりと定まる。日本列島の古代人は他界に対する「畏怖」によってみずからの生に輪郭を与えて生きていたのであって、海の向こうの「常世の国」に対する憧れによってではない。
彼らは、怖い神との関係そのものをみずからの生のアイデンティティとして生きていた。
どこの村にも、村はずれには、怖い神を祀った社のひとつやふたつはあるものです。
古代の「かみ」は、「畏れ」の対象として発想された。
蛇に睨まれた蛙のもっとも理想的な逃れるすべは、「今ここ」で消えることです。畏怖は、「今ここ」で消えようとする衝動をもたらす。すなわち「不在」に向かう心の動き、これが古代人の「やまとごころ」であり、信仰のかたちだったのだ。
それに対して折口氏は、信仰は、ひたすら不死に憧れ、五穀豊穣と富を願うことにあり、それは「常世」の神によってもたらされると古代人は信じていた、という。一見もっともらしいが、そんなものは、じつは近代人の自意識に過ぎない。
生老病死」などというが、信仰とはつまるところ、自分が生きてあるということ死なねばならないということとどう和解し納得してゆくかという問題でしょう。古代人だからこそ、そういう問題をより切実に生きていたのだ。古代社会は、富や不死などというものをのんきに願って生きてゆけるような状況ではなかった。彼らは、現代人の半分もそんな欲望は持っていなかったはずです。