まれびと論・31 「かみ」と「もの」

はじめに「聖」と「穢れ」があった、それが古代人の心である、というのが折口信夫歴史観です。だから、「まれびとの文化」の歴史は、聖なる存在である「神」や「貴人」をもてなすことから始まった、という認識になる。
まず原初的な聖なる心(魂)が発見され、それを「たま」といった。そこから清らかな聖である「かみ」と不浄の聖としての「もの」(古代人は妖怪や悪霊のことを「もの」といっていた)が分化していった・・・・・・これが、折口氏による古代人の「霊魂観」の分析です。
こういう差別的なものの考えというのは、不快です。
歴史をさかのぼればさかのぼるほど「聖=浄」とか「穢れ=不浄」などという意識は希薄になってゆくのだ。未分化、というより、そういうイメージそのものがなかったのだと思います。それは、共同体というものができて、人をあれこれ区別したり差別したりするようになってから生まれてきた観念でしょう。
「異人論序説」の赤坂憲雄氏は、その「たま」のことを「原初的な混沌としての〈聖〉」と解説してくれるのだが、「混沌」に聖も穢れもないじゃないですか。言語矛盾です。
原始人に「聖」などという意識はなかった。あるいは原始人にとっての「聖」という認識がどんな心の動きであったのかということを、赤坂氏も折口氏もとらえきれていない。
それは、折口氏の言うような「富や不死」だの「貴人のめでたさ」だのというような安直な説明で言い当てられるものでもないはずです。
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「たま」とか「かみ」とか「もの」という言葉は、おそらく共同体が生まれる前からあったにちがいない。
共同体などなくても、原始的な信仰はあったでしょう。
「たま」の「た」は、「立つ」の「た」。すなわち「存在」のかたち。
「ま」は、もっとも安定した気分の表象。「全(まった)き=完全」というように、身体がこの世界にぴったりとはめこまれてある感慨。
「たま」とは、根源的な存在のかたちのこと。あるいは、根源的な心とか魂のこと。
そして「かみ」の「か」は、声が弾けてふくらむような発声。「力」や「感動」の表象。「み」は「身」、身体=存在。
「かみ」とは、感動をもたらす対象のこと。
「も」は、息が口の中に滞る感じの発声。ゆえに、何かが気になって心が動いてゆかない状態を表象している。「もどかしい」「もたもたする」の「も」。
「の」は、「連続」「到達」の表象。「野原」「述べ」「乗る」「飲む」の「の」。
「もの」とは、何かが気になって心の動きがせき止められている状態。変なものに対する感慨、あるいは、変なものそのもののこと。「ものものしい」とか「ものぐるほしい」といえば感慨のことで、「にせもの」とか「げてもの」といえば、変なものそのものになる。とにかく、目の前に存在して気にかかっている対象のことが、最初の語義でしょう。
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ここまで考えてくると、われわれの中に、折口氏の分析というか、その歴史観に、どうしようもない違和感がくすぶっていることに気づかされます。
はじめに「世界」があった。そうしてそののちに世界と出会っている「私」に気づく。
「たま」とは、語源的には、世界と出会っている「私」の心=魂のことです。ちゃんと立っている根源的な心=魂。であれば、「たま」という言葉が生まれてくる前に、そういう体験をもたらす対象が名付けられていなければならない。それが「かみ」だったのではないか。
最初は、なんでもかんでも「かみ」といっていた。そして、「かみ」の心=魂のことを「たま」と呼んだ。「かみ」というイメージがなければ、「たま」という言葉も生まれてこない。
はじめに「かみ」という言葉があった。そして「たま」という言葉が生まれてきて、「かみ」の「依代(よりしろ=神を象徴するもの)」のことを「たま」というようにもなっていった。「かみ」の中に宿るものを「たま」と呼んだ。
「たま」とは「かみ」や「もの」の心=魂のことであって、「世界」の表象ではない。
おそらく、はじめに、世界の表象としての「かみ」という言葉があったのだ。
「たま」が最初にあったのなら、「たま」と「もの」に分かれるはずです。最初の言葉は、大切です。「たま」も「かみ」も「もの」も世界の表象をあらわす言葉であるのなら、「たま」と「かみ」は別の体験だということになる。「たま」がいきなり「かみ」という言葉になってしまうことなどありえないし、だんだん変わってゆくということもありえない。
「たま」が「かみ」になったのなら、「たま」という体験はいったいなんだったのか、ということになる。
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やまとことばには、かならずその発声にふさわしい感慨がこめられている。
「もの」というときの「の」は、横に広がる世界のイメージです。「たま」とは、心が「たつ」ことです。「もの」と出会ったときは心が「立つ」が、やがてその体験が気になって心が停滞してゆく。「もの」とは、心=魂を失わせる対象でもある。そうやって「関係」が生じている対象のことを「もの」と呼んだ。
だいたい妖怪や悪霊としての「もの」は、共同体が生まれて権力者たちが権力争いをするようになり、その強迫観念から生まれてきたイメージです。民衆は、「かみ」そのものを純粋に畏れていた。したがって、原始時代に「かみ」と区別する「もの」という妖怪や悪霊のイメージがあったとは思えない。しかし、「かみ」という言葉はあった。おそらく、まっさきにあった。
では「かみ」は、そういう驚きやときめきや畏れがいつまでも続く対象かといえば、そうではない。そのときにさっぱり消えて、あとを引かない。心の中からいなくなってしまう。だからこそ、せつなく思い起こして恋焦がれる。そういう「不在」の対象のことを「かみ」といった。
太陽が沈んでしまえば、太陽がもたらす明るい光に対する感動体験はもうできない。しかしだからこそ人は、その夜の闇の中で太陽に恋焦がれる。
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死体がなぜ穢れた「もの」として忌み嫌われたかといえば、動かないからでしょう。ほおって置けば、ずっとそこに居続ける。つまり「気になるもの」であり続ける。そうやって、関係を固着させてしまう。
日本列島においては、関係が固着してしまうことが「穢れる」ということなのです。
つねに出会いと別れを繰り返す「不在」の関係において、この国の暮らし=文化が成り立っていた。
おそらく「もの」という言葉は、宗教体験の用語ではなかった。ほんらいの語義は、目の前に存在して気にかかっている対象、ということであり、妖怪や悪霊を発見して、そこから「もの」という言葉が生まれてきたのではないはずです。折口氏も赤坂氏も、「聖」なるものを分類するために「かみ」という言葉と一緒に「もの」という言葉も生まれてきたようなことを言う。
たぶん、「もの」は、そういう宗教体験とはべつに、最初から生活の中にあった言葉のはずです。
目の前にあるものが、「もの」です。ちょいとそこにある「もの」をどかしてくれ・・・・・・そういう言い方くらい、原始人だってしていたでしょう。おかあさん、あそこにいる「もの」は何?と子供が聞く。「もの」なんて、ただの生活用語です。
「もの」とは、目の前に存在して気にかかっている対象のこと。
しかし原始人は、その「もの」の向こうに、見えない(=不在の)何かを感じた。それが「かみ」です。
空を飛ぶ鳥は「もの」に過ぎないが、「かみ」の「たま」が鳥に乗り移っているのかもしれない。でなければ、空なんか飛べるはずがない。鳥に対する感動ではない。鳥が空を飛ぶことに対する感動がある。それは、鳥に対してではなく、「かみ」にたいする感動なのだ。
この世界では、不思議なことが起きる。いや、何もかも、世界が存在することじたいが不思議だ。そういう感慨に浸って生きていた原始人は、その不思議に関与する見えない(不在の)何かに気づいた。
そのようにして「不在」の対象に向かって心が動く体験から、「かみ」という言葉が生まれてきた。
「不在」であるがゆえに「かみ」なのだ。すくなくとも、この日本列島においては。