「あいまい」の文化

この国の政府のコロナ対策は、いぜんとして迷走を続けている。民衆の態度だって、僕自身も含めて「なんだかなあ」という感じで、いまいちはっきりしない。日本人のダメなところが一挙に噴き出している、ということだろうか。

自粛のための補償など何もせずに自粛を「要請」してくる。従わない者には「同調圧力」を演出・醸成して脅しにかかる。うんざりするほど醜悪な景色だが、「空気」というあいまいなものだけで世の中が動いてしまう文化風土があり、政府も民衆も無意識のうちにそういう思考態度になってしまう。だれがどうだという以前に、権力社会も民衆社会も、みんな「空気」に動かされている。あんな愚劣な男に7年も8年も総理大臣にさせてきたこの国の「空気」がある。

決定してしまうよりも「あいまい」なままにしておきたい歴史風土がある。

「決定する」のは文明社会の文化で、原始社会には、そのための善悪とか正しいとかまちがっているというような基準はなかった。それはまあ宗教もなかったということで、人類は文明社会(国家)が生まれてくることによって、法制度とか宗教の教義とかを物差しにして善悪とか正しいかとか間違っているかというようなことを考えるようになった。

日本列島の精神風土の伝統においては、そういう基準がきわめて「あいまい」である。それは日本列島の文化の伝統が原始的であることと「神」という絶対的な基準を持っていないことを意味する。

原始時代に宗教などなかった。日本列島の縄文時代にも宗教はなかった。それは、縄文社会に都市集落などなかったし、文明国家の法制度も文字も戦争もなかった、ということが証明している。その1万年の歴史が伝統文化の基礎になっているから、いまだに宗教心の薄い民族のままなのであり、なのに今どきの歴史家たちはどうして縄文社会が原始宗教に支配されていたなどと語りたがるのだろう。この国の歴史家であろうと世界の歴史家であろうと、原始時代を原始宗教で語りたがるのは、ほんとに愚劣だ。

日本人は、歴史とともに宗教意識が薄くなってきたのではない。明治以降の国家神道に支配されていたときこそ、日本人が史上もっとも宗教的で迷信深い時代だったのだ。そうして太平洋戦争が終われば、憑き物が落ちたように元に戻ってしまった。日本人にとって宗教なんてたんなるおもちゃであり、おもちゃとしてどんな宗教でもかんたんに受け入れてしまうし、受け入れながらおもちゃとして骨抜きにしてしまう。

日本人は、縄文以来の伝統として、心の底には宗教意識を持っていない。日本列島に入ってきた宗教は、すべておもちゃとして「あいまい」なものになってしまう。

それに対して欧米人は「神」に対する意識を心の底に持っているから、「あいまい」なままにしておくことを許さないし、それを持たない日本人は「あいまい」なままにしておこうとする。

東京裁判A級戦犯になった戦時中の国の指導者たちは、口をそろえて「自分は積極的に戦争をしたかったわけではないが、そのときの会議や国民の声のなりゆきで賛成するしかなかった」というようなことをいっている。それはたぶん、彼らの率直な述懐で、それが日本人なのだ。

「あいまいさ」が伝統文化の民族に文明社会の善悪や正邪の物差しを持たせると、ろくなことにならない。そうやって「こんなときに営業をするパチンコ屋は許せない」とヒステリックに騒ぎ出す。

 

「あいまいさ」は、日本文化の伝統である。だからよくないということもあれば、だからこそ豊かなニュアンスが生まれてくる、ということもある。

この、日本文化の「あいまいさ」について考えてみたい。そしてそれは、日本文化の原始性について考えることでもある。

文明社会は「あいまいさ」を排除して、善悪や正邪や意味や価値を決定してゆく。そのための制度として、「法」が生まれ「宗教」が生まれ「文字」が生まれてきた。

すべてのものごとにはいい面もあれば悪い面もあるし表もあれば裏もある。文明社会は、「あいまいさ」を排除して意味や価値を決定してゆくことによって、そういうさまざまニュアンスを見失うことになっていった。

しかしわれわれは、親しい相手とは社会の決まりを超えた関係を持つことができるし、文字に支配されたり文字に頼ったりすることから離れて音声の言葉だけで会話をする習慣も持っている。そのときは、どんなありふれた言葉でも、その場の「空気」、すなわちその言葉や音声の「ニュアンス」だけで大きく相手の心を動かしたりする。つまりそれは、たとえ現代人であれ、だれもが原始的な部分を残している、ということだ。

とくに日本文化は、原始的な部分を色濃く残している。

西洋の知識人のほとんどは「日本文化は原始的である」という認識を持っているのだが、おそらくそれは当たっている。そこから「われわれが失ったものがこの国には残っている」と好意的に見てくれる人もいれば、侮蔑的な視線を投げかけてくる人もいる。

ロラン・バルトは、日本文化の印象を語った『表徴の帝国』という著書で、「日本人の視線は、他者を傷つけることも責めることもないとてもあいまいで空虚なもので、それによって集団の調和が保たれているのだろう」というようなことをいっている。そしてこれを読んだある日本人がヨーロッパに行って、知り合ったばかりの女性に「試しに私の顔を20秒間じっと見つめてみてくれないか」と頼んでみたところ、その視線のあまりの濃密さにどぎまぎして見つめ返すことができなくなってしまったのだとか。

僕は若いころ、女房から「どうして私のことをいつもそんな、物を見るような目で見るのか」となじられたことがある。そんなことをいわれてもこちらは日本人で、愛する視線も憎んだり怒ったりする視線も持ち合わせていない。

氷河期が明けて大陸から切り離されてしまった日本列島では、縄文時代の1万年を原始時代の「あいまいさ」の文化をそのまま洗練させてゆく歴史を歩んできたし、現在においてもなおその原始性を色濃く残している。

人類は、文明社会の法や宗教や文字を持ったことによって、何を獲得し、何を失ったか?

 

 

日本文化のあいまいさはいたるところに見つけることができるが、とりあえずここでは「言葉」の問題について考えてみよう。

「かみ」というやまとことばについて考えてみよう。この言葉ほどあいまいな日本語もないだろうと思えるし、だからこそ日本語=やまとことばの本質を考える上でのもっとも重要な言葉だともいえる。

もちろん世界中の人間が抱いている「神」のイメージそのものが千差万別で、限りなくあいまいだ。それは、たんなるフィクションにすぎない。真実であると信じられているフィクションにすぎない。それはともかくとして、キリスト教ユダヤ教イスラム教で語られる「神(ゴッド・エホバ・アラー)」という言葉は「神」以外の何ものも意味しないが、やまとことばの「かみ」は、「神」以外のさまざまな意味にも使われている。尻を拭くトイレットペーパーだって「紙=かみ」なのだ。われわれは「かみ」という言葉に対する畏れや執着などあまりない。平気で「<かみ>で尻を拭く」ということができる。

やまとことばの「かみ」は、もともとたんなる「言葉」にすぎない。べつに「神」をイメージして生まれてきた言葉ではない。そしてこのことは、仏教とともに「神」という概念が伝わってきた以前の日本列島には「神」も「宗教」も存在しなかったことの重要な状況証拠になっている。

縄文・弥生時代に「神」も「宗教」も存在しなかった。それでもおそらく「かみ」という言葉はあった。それだけのこと。

飛鳥時代のころに仏の弟子であるらしい「神(しん)」を知った民衆は、自分たちも仏教に対抗する「宗教(のようなもの))=「神道」をつくろうとして、とりあえず「神」を祀り上げることにした。

「神」とは、もともと「仏」に対抗していた存在だから、それがいいだろうということになった。そして、「仏(ぶつ)」を「ほとけ」と言い換えたように、「神(しん)」も「かみ」と言い換えることにした。

なぜそう言い換えたかといえば、「仏」も「神」も「天空=上(かみ)」の存在だからだろうか。原初の人類は二本の足で立ち上がったときに、頭上の青い空を見上げた。それ以来「天空=上(かみ)」に「遠いあこがれ」を抱く存在になった。つまりやまとことばの「上(かみ)」は、とても普遍的で原始的な感性が込められた言葉であり、その語源においては「遠いあこがれ」というようなニュアンスの感慨をあらわす言葉だった。

原初の言葉はすべて、「おや?」とか「へえ」とか「よう」とか「おい」とか「なあ」とか「あーあ」とか「ふーん」とか、感慨のニュアンスをあらわす音声だった。そこから進化発展して「かみ=遠いあこがれ」という言葉になった。したがってそれはもともと「感慨のニュアンス」をあらわすものだったから、何も「天空=上(かみ)」でなくとも、「遠いあこがれ」の対象であるのなら何でもよかった。

「懐かしい昔」のことも「上(かみ)」=「かみよ(上代・神代)」といったし、昔の人すなわち死んだ人のことも「かみ」といった。

古事記」とは「神の物語」であると同時に「昔の人=死んだ人=先祖」の物語でもある。そこでは、天皇や貴族の先祖を確定し記述している。とすれば、「かみ」とは「人」のことだ、ということになる。

まあ「かみ」はたんなる言葉なのだから、何でもいいのだ。「鰯の頭」だって「かみ・ほとけ」になる。

「おかみ」といえば、権力者のことだし、家の女房や旅館・料亭の女主人のこともいう。日本文化の伝統においては「女」は「かみ」である、ともいえる。男が家の中心であったとしても、女は隠れたところからその男を支配している。

自分の女房のことを「うちの山の神」などといったりもする。これは、連戦連勝のヤマトタケルが最後に侮っていた滋賀の伊吹山の神である白い猪に敗れて死んでしまった、という古事記の話からきていて、それくらい女房は強くて怖いし、粗末に扱ってはならない、という教訓も込められているのだろう。

「噛(か)む」ことは食べ物の「味=本質」に気づく体験である。だから「森羅万象の本質」のことも「かみ」という。そして「かむ」は「組み合わさる」ことでもある。上の歯と下の歯を組み合わせて「かむ」という行為が成り立っている。すなわち「かみ」は、山や森や石と「組み合わさる」ようにしてそこに宿っている。

そんなさまざまなニュアンスを思い浮かべながら、いつとはなしにそれを「かみ」というようになっていった。もう「かみ」というしかほかに名付けようがない、と思うようになっていった。そうしてもともとあいまいで多様なニュアンスの概念だから、そのなりゆきによって「神(しん・じん)」という読み方を使うのも、たいして抵抗がなかった。

 

ともあれ「神道(しんとう・じんどう)」という漢字読みの名称が生まれてきたのは平安時代のころからだし、それ以前には名称などなく、宗教として名乗ってもいなかった。ただそのような、それこそあいまいで混沌として原始的な「祭りの賑わい」のイベントがよく行われていた、というだけのことだ。

神道の「かみ」は、仏教伝来以後に編纂された「古事記」によって生み出されていったのであり、「それ以前に存在していた」といわれる「かみ」も、「それ以前に存在していた」という前提のもとに古事記によって生み出されていっただけのことだ。まあ仏教伝来から古事記の編纂を思い立つまでに150年くらいたっているのだから、そのあいだにさまざまな「かみ」が日本列島の各地で生み出されていった、ということはある。ともあれそれ以前には、「かみ」という言葉はあっても、「神」という宗教概念は存在しなかった。

日本列島はもともと神=宗教が存在しない土地柄で、外来のすべての宗教は「宗教ではない宗教」にして受け入れていった。現在のこの国の宗教なんて、おおむねたんなる習慣行事であって、ほとんどの人がキリスト教徒やユダヤ教徒イスラム教徒やヒンズー教徒ほどの本格的な信仰心を持っていない。

ただ人は、天空の向こうに対する「遠いあこがれ」とともに「超越的」な心の動きをする生きものであり、そのことが宗教に向かうこともあれば、そうでないこともある。たとえば、「死」というものを宗教的に考える人もいれば、哲学的に考える人もいれば、科学的に考える人もいる。また、何かに「ひらめく」とか、どんなにつまらない女(男)でも好きで好きでたまらなくなるとか、そういうことだって「超越的」な心の動きのひとつであり、猿にはない。

この国には、「かみ」はいても「神」はいない。ひらがなの「かみ」には、たとえ「超越的」な思考やイマジネーションが宿っているとしても、宗教=信仰などという文明社会の制度観念ははたらいていない。もっと別の、原始的で無原則的な「あいまいさ」の上に成り立っている言葉なのだ。

そして現在のヨーロッパの知識人の多くは、どうやって宗教を克服するかと模索し続けており、その先に「ポストモダン」があるという。彼らは、日本人の宗教心の薄さを不思議ともうらやましいとも感じており、この日本的な原始性は、宗教心がけっして普遍的な人間性ではないことの証しになっている。

今どきは政治も経済も、集団幻想という一種の「迷信」の上に成り立っている。

われわれ文明社会に生きる者たちは、だれもが避けがたく宗教的制度的な観念に縛られており、それによって社会に適合しているわけだが、無神論者は欧米にもいくらでもいるのだし、宗教的制度的な観念があいまいでいいかげんな社会不適合者という原始的人種がこの世にいることだって、まったく無意味というわけでもあるまい。

 

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