まれびと論・28 海の向こうの「常世(とこよ)の国」

「限界芸術」とは、サブカルチャーのことでしょうか。「限界」という言葉は、嫌いじゃない。「限界哲学」というのもあっていい。哲学の手前で哲学を考えること。宗教の手前で宗教を考えること。「悟り」なんかようわからんけど、「やけくそ」になることは大切だ、と考えること。俺には哲学の研究をしている時間も頭もない、でも今日のうちに決着をつけなきゃいけないんだ、と切羽つまること。それが、僕の考える「限界哲学」です。
舌なめずりして「常世の国」とやらのイメージをまさぐっている趣味はない。
まあ、最終的には、「古代人の信仰」の根源的なかたちというのはどんなものであったのか、というところで対決していかないといけないのだろうな、と思っています。
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折口信夫の「国文学の発生・まれびとの意義」は、「常世の国」の説明で締めくくられています。
僕は、どこからどう見てもただの日本人だが、「常世の国」といわれても、ちっともぴんと来ない。日本人として、僕の心の底にそんなイメージがあるとは、どうしても思えない。
たぶん、柳田国男だって、そう感じていたにちがいない。だから、折口氏の「まれびと論」を認めようとしなかった。
ある民俗学者は、「まれびとのイメージは折口信夫だけのもので、柳田国男にはついにそれが見えなかった」といっています。
そうじゃないと思う。柳田国男にも「まれびとの文化」は見えていたはずです。立場上、そういう言葉を使わなかっただけのことだ。彼はただ、「常世の国」のイメージが日本人の神観念の背骨になっているという分析が、どうしても許せなかったのだろうと思います。
折口氏は、日本列島の歴史は海辺の暮らしから始まったといい、だから海の向こうの「常世の国」のイメージを基礎に据えたのだが、柳田国男は、いや日本人はもともと山の民だったのだ、といっている。そこのところで、決定的な対立がある。そして僕は、柳田国男の説を支持します。
「異人論序説」の赤坂憲雄氏は、柳田氏の「<まつろわぬもの>としてのサンカをはじめとする山の民は、日本列島の原住民の末裔である」という説は強引過ぎるといっているのだが、縄文人のほとんどはまさしく山の民だったのです。
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まず、折口氏の「常世(とこよ)の国」についての説明を引用します。
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常夜往(とこよゆく)という古事記の用例は、まず一番古い姿であろう。「<とこよ>にも我が往かなくに」とある大伴ノ坂上ノ郎女の用法は、本居宣長によれば、黄泉の意となる。これは少し確かさが足らない。が、「とこよ」を楽土とは見ていないようで、旧用語例に近寄っている。常夜・常暗(とこやみ)などいう「とこ」は、永久よりも、恒常・不変・絶対などが、元に近い内容である。「ゆく」は、続行・不断絶などの用語例を持つ語だから、絶対の闇のありようで日を経るということであろう。しかも、記・紀には、そのすぐあとに海の彼方の異郷の生物を意味する「とこよ」の長鳴(ながなき)鳥を出しているから、一続きの物語にすら、用語例の変化した二つの時代を含んでいることが見られる。古事記にはなお、常世の二つの違うた用例を見せている。海龍の国を常世として、楽土を考えていること、浦島子の行った常世と違わない。これは新しい意味である。
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「常夜」を黄泉すなわち闇の世界だとするのは「旧用語例」だというのは、どんな意図があるのだろう。その「常夜」という「旧用語例」は、新しい「常世」という言葉が出てくる以前の何千年にもわたって使われていた言葉(意味)かもしれないでしょう。だとすれば、それこそが日本列島で暮らす者たちの根底にある「とこよ」のイメージかもしれない。
折口氏によれば、「常世の国」のイメージは飛鳥時代あたりに定着してきたのだとか。しかし、「とこよ」という言葉は、それ以前から日本列島に定着した「やまとことば」として存在していた。
常世の国」は、仏教とともにやって来たただの外来のイメージにすぎない。
「常夜往(とこよゆく)」とは「絶対の闇のありようで日を経る」という意味だと折口氏がいうのは、「常夜」が日本人の意識の根底にある他界観であるとは認めたくないからでしょう。しかしこの解釈こそ「確かさが足らない」と思う。自分の都合のいいように引き寄せているだけではないのか。
「ゆく」」は「続行・不断絶」のニュアンスだというが、たしかに日本人にとっての他界(死後の世界)のイメージに、断絶した「浄土」などというものはない。そのまま「黄泉(よみ)」という深い闇にまぎれて「ゆく」だけだと思っている。そういう意味の「ゆく」でしょう。
日本人は、死が「断絶」だと思っていない。水を煮れば「湯(ゆ)」になる。「ゆめ」は、眠りが煮えて湯(ゆ)になった映像(め)のことです。「常夜」が「絶対の闇のありよう」だとしても、「日を経る」という「日常」のことではない。それはそれで、あくまで「非日常」の他界なのだ。この場合の「ゆく」は、とうぜん「死んでゆく」という意味でしょう。
この「死んでゆく」という感性が、海に閉じ込められた日本列島の感性なのだ。「ゆく」の向こうがわは、「なにもない」のです。「死んでゆく」とは、水が煮えて「湯(ゆ)」になることです。「湯(ゆ)」という「黄泉の国」に「ゆく」のです。
黄泉の向こうの「常世の国」に行くのではない。すくなくとも古代人はそう思っていた。
折口氏流に言えば、「海」の「う」は「絶対的な断絶」です。「うっ」と息がつまる感覚。そして「み」は「身」であり、この世界の「実体」です。その向こうには「なにもない」という感慨(絶望)とともに、古代人は「海(うみ)」と発声していたのです。
「黄泉」の「よ」は、「消滅」。「身(み)」が消滅すること。「夜(よ)」は、光が消滅すること。古代人の感性は、じつにデリケートだと感心します。「よ」と発声するとき、たしかに息が消えてしまうような感覚がある。他の音韻では、ぜったい体験できない。試しに、声に出してみればいい。
すなわち、死んだら闇に溶けて消えてゆくだけだから、なんにも心配することはない、という生命観です。観念だけが残るとか、そんな心配は無用なのだ、と。心も体も、すべてのものを溶かしてしまう闇、そこに身をまかせようではないか、という感慨。「闇」を知らない現代人にはわかるまいが、古代人にとっての「闇」は、われわれがイメージするよりもっとねっとりしたものだったのです。
古代の庶民は、「海の向こうの常世の国」などという折口氏の観念的な文学趣味にそって生きていたのではない。
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「長鳴き鳥」なんて、うまいことを言うものだと思います。
物音ひとつしない人里離れた夜道を歩いていると、どこか遠いところでそんな鳥が鳴いているような気がして、それがいっそう闇の静寂の中にいることの心細さをかきたててくる。子供のころ、よくそんな体験をしました。
「長鳴き鳥」は、深い闇のメタファーなのだ。
本居宣長は、「嘆(なげ)き」とは、長く息をする「ながいき」からきている、といったが、おなじように「ながなきどり」もまた「なげきどり」のことでしょう。深い闇を嘆いて鳴いているのだ。
おそらく古事記を語り伝えた人びとは、そういう感慨で「長鳴き鳥」といったのであって、折口氏のいう「海の彼方の異郷の生物」をイメージしていたのではないはずです。「はるかに遠いところで鳴いている」というイメージはあっただろうが。
そして、海龍の国や、浦島太郎の竜宮城や、山幸彦の行った「わだつみのいろこのみや」など、古代人のイメージする「とこよのくに」は、みな「海の底」にあった。
海の底は、海の彼方ではない。目の前に見える海の、その底に「とこよのくに」があるとイメージした。海の底に憧れたわけではない。とても怖かったから、そういうイメージで装飾しようとしたにすぎない。そうやって海の底に沈んでいった人の霊や、残されたものの嘆きを慰めようとしたのだ。
古代人に、海の彼方の国、というイメージはなかった。水平線の向こうは「なにもない」と嘆くこと、それが日本列島の住民の心の動きだったのだ。
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「とこよ」の「とこ」。
「と」は、「とまる」「とめる」の「と」。「と」と発声するとき、体の力が中心の腹のあたりに収まってゆくような感覚がある。「とこよ」の「と」は、「行き止まり」の「と」。
「こ」は「これ」とか「ここ」というように、今ここの現実の世界のこと。「こ」と発声するとき、息がすばやく体の中心に消えてゆくような心地がする。
ゆえに、「とこ」は、かぎられた空間(時間)のこと。「どこ」と問うとき、あくまで限定された「この世界」がイメージされている。
「床(とこ)」といえば、蒲団、部屋の床、苗床、みな限定されたスペースのことです。そして、蒲団は体の下にあり、部屋の床も苗床も同じように底の平面です。つまり、「海の底」は「海の床」だということです。
やまとことばにおける「とこ」とは、限定された底のスペースのことであり、黄泉の闇は、地の底に広がっているとイメージされていた。だから、古事記イザナギは、千引石(せんびきいわ)で地の底に通じる穴(黄泉の国の入り口)をふさいだ。山の民であった日本列島の住民には、「海の彼方」というイメージなどなかった。
永遠とは、「とこしえ」のことでしょう。「とこしえ」=「とこすえ」。「しいん」と静かの「し」、「すーっ」と消えてゆくの「す」。そして「え」は、「ゆくえ」の「え」。ゆえに、「しえ=すえ(末)」は、静かに消えてゆく方向(カタストロフィー)のこと。「とこ(=この世界)」の向こうは何もないという感慨が、「とこしえ」という言葉になった。
日本列島の住民にとっては、「この世界」の向こうは「何もない」のです。したがって「とこしえの国」という言い方は言語矛盾であり、成り立たないのです。
日本列島の住民がイメージした「常世」の「とこ」に「とこしえ」という概念は含まれていない。やまとことばにおいては、含ませることが不可能なのです。「とこしえ」とは、「とこ」の向こうは何もない、という意味です。つまり折口氏のいうような「海の彼方に常世の国がある」というイメージは、日本列島の住民の身にしみたものにはなりえない、ということです。
常世信仰」など、仏教を輸入した権力者や僧侶たちの、たんなる観念ゲームだったのだ。