まれびと論・29 日本人にとっての神

橋本治という人が、小林秀雄批判の本を出したそうです。
この本についてくわしく論評しているブログを見つけたので読んでみたのだけれど、まあ、なにを言ってるんだか、という感じです。論評が、ではない。橋本氏の小林秀雄批判そのものがです。
まず、当時62歳の小林秀雄が5年間連載を続けてきた「ベルグソン論」をほおり投げて「本居宣長」を書き始めた動機は、過去の大家として片付けられ忘れ去られようとしているみずからの社会的立場に抵抗するためなのだとか。
どうしてこんな卑しい想像をしてしまうのだろう。小林秀雄は、そんな目立ちたがりの俗物根性だけで生きていたのか。おめえのそのげすな根性を当てはめているだけじゃないか。
小林秀雄にすれば、生きているうちにどうしても書いておきたいことがあったからにちがいない。それが、もの書きの本能でしょう。62歳といえば、そういうことを意識する年ごろです。その長年あたためてきたモチーフが「本居宣長」であり、俺の人生ももう待ったなしのところまで来ている、という切羽詰ったものがあったからではないのですか。
たとえ長生きしても、今の思考力を70歳、80歳まで保ってゆける保証はない。たぶん保てないだろう。そう思ったら、いつまでも「ベルグソン論」にこだわっていられなかったのでしょう。
そして橋本氏は、「本居宣長」の書き始めが、宣長は自分の葬式の段取りをこと細かに指示する遺書を残して死んでいった、という「わけのわからない」行為のことを書いてそれについての分析をほとんどしていないのは、小林秀雄じしんもその意図がよくわからなかったからであり、見切り発車だったからだ、という。
これだって、おめえにとって「わけがわからない」行為であるだけの話じゃないか、というしかないことです。
小林秀雄じしんは、「わけがわからない」という感想など、ひとことも洩らしていない。いかにも宣長らしい決着のつけ方だ、と言っているだけです。そしてそれを事実だけ書いてあまりくわしい分析や感想を付け加えなかったのは、それをすると自分のいちばん言いたいことをばらしてしまって、連載を続ける意味がなくなってしまうからでしょう。
宣長は、なぜそんなことをしたのか。死んだら極楽浄土に行くとか、そんなことをいっさい思っていなかったからです。死んだら死にっきり、もう「黄泉の国」の闇に溶けてゆくだけだという、神道の生命観・世界観を腹の底から信じきっていたからでしょう。つまり、「今ここ」で消えてゆくだけだ、ということです。どこにもいかない、今ここで消えてゆくだけだ、というかたちを死にきるためには、「今ここ」の自分が「今ここ」で自分の葬式をしてしまうしかない、と深く納得した。
「たいしたものだぜ」という感想を自分だけの胸にしまって小林秀雄は、その連載を開始したのです。
そしてその思いは、最後の章の、古事記における「黄泉の国」の話まで持ち越されてゆくことになった。で、ここまで書いてきて「もうこれでおしまいにする」という言葉を残して完結するわけです。
橋本氏はこれを、いかにも書ききれなくて放り投げたような終わり方だと言うが、ちゃんと最初に隠していたことを吐き出して終わっているのです。
小林秀雄がなぜ最初に分析や感想をくだくだしく書かなかったかといえば、「生きるとは何か」とか「死ぬとはどういうことか」とか「学問のほんらいのかたち」とか、そういうことについて宣長がどう考えていたかということを読者に「教えてあげる」のではなく、「一緒に考えてゆこうとした」からです。考える材料を読者に提供したかったのです。最後にそういう思いをはにかみながら吐露してあの連載は終わっている。
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本居宣長」の後半部分は、古事記を中心に「日本人にとって神とは何か」というテーマで語られています。
そこで橋本氏も、彼独自の「神」についての分析を披歴しているらしい。
橋本氏によると、日本列島の歴史でもっとも「神」が健全に機能していたのは「近世」であるのだとか。つまり、古代人の暮らしは神に支配されていて、中世は神と共存し、近世に入ってからは、暮らしのことと神のことを分けて考えられるようになった、というわけです。
ステレオタイプでじつに安直な分析です。
たとえば、松尾芭蕉の「古池や 蛙とびこむ水の音」の「水の音」は「神」のメタファーである、と橋本氏はいう。そうやって暮らしに関係ないところでだけ彼らは神をイメージしていたのだとか。
そうでしょうか。もしかしたら、それが「神」のメタファーであると感じられるくらい彼らの暮らしには「神」という概念が深くしみとおっていた、ということかもしれない。
近世(江戸時代)の人びとは、とても迷信深かったのです。だから、傘おばけとか提灯おばけとかかまどや便所のおばけとか、生活のあらゆるものを妖怪や神にしてしまった。「狐つき」とか、庶民が悪霊のイメージに強迫されて精神に支障を来たすということがいちばん盛んだったのが、江戸時代です。「稲荷信仰」など、彼らの生活の一部だった。家中に神のお札を貼り付けた。そしてそのお札を配って歩く「乞食」という身分が本格化したのも近世からだし、そんな乞食や非人を徹底して差別していったのも、神に支配された意識の裏返しの信仰にほかならない。
近世ほど、人びとの暮らしが「神」に支配されていた時代もなかったのだ。
そして芭蕉は、そういう生活の「規範」としての神々に背を向け、「水の音」という根源的な「神」との出会いを求めて漂泊の旅に出た。
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橋本氏によれば、近世は「神」との距離がほどよく保たれ、「神」は人びとが生きてゆく上での支えやよりどころとなる「同伴者」であったのだとか。そして「神という同伴者」を喪失した「近代」においては、美や価値概念という「恋人」とともに生きようとしている、という。ただの思いつきのきざなレトリックです。中身なんか、何もありゃしない。本気で「日本人にとっての神とはいかなる存在であったのか」と考えているとはとても思えない。
日本人にとって「神」とは、ほんらい、「今ここ」において「生起するもの=発想されるもの=出会うもの」であって、根源的には、いついかなる時代においても「同伴者」であったことなどないのだ。
「同伴者」だろうと「恋人」だろうと、日本人に一緒に生きる相手などいない。「今ここ」において「他者=神」と出会いつづけているだけだ。それは、別れつづけていることと同義であり、したがって一緒に生きる相手などいない。
で、橋本氏はさらに、小林秀雄こそそうした近代主義に骨の髄まで浸された知識人であり、だから「桜」という美に耽溺した本居宣長西行が好きだったのだ、という。小林にしても西行にしても、「同伴者」が見えずに「自分」にこだわっていただけじゃないか、と。
しかし西行本居宣長は、桜が「恋人」だったのではない。ぱっと咲いてぱっと散る、「今ここ」において出会い別れる神の象徴として見ていただけです。彼らには、「同伴者」も「恋人」もいなかった。「今ここ」と出会いつづけていただけだ。「死」は、「今ここ」で消えてゆくこと。彼らにとって桜は、「今ここ」で現れ「今ここ」で消えてゆく「神」であったわけで、そういう桜とともに「今ここ」で消えてゆきたかったのでしょう。
近世は「同伴者」と生きていて近代は「恋人」と生きている・・・・・・そういうおためごかしのセンチメンタリズムは、この国の伝統にはないのだ。日本人は、いかなるものとも一緒に生きていない。ただ「出会い」続けているだけだ。この国では「公共心」が育たない、というのはそういうことではないだろうか。
つまり「同伴者」の心配をしている橋本氏より、「今ここ」に「自分」しかいないという事実と格闘ばかりして「公共心」を持たない西行小林秀雄の方が、ずっと豊かな「出会いのときめき」を体験していたにちがいない。
言わせていただくなら、橋本氏じしんが、近代的なうさんくさい思考を骨の髄まで染み込ませているのだ。
日本人は、つねに「今ここ」において神と出会いつづけ「今ここ」において別れつづけてきたがゆえに、根源的には、いかなる時代においても、神の恩恵にあずかったことも、神に煩わされた(支配された)こともないのだ。
古代人は神に支配されていたなんて、そんな分析など、思考停止したあげくのステレオタイプな思い込みに過ぎない。
古代人は、神を発想し、神と出会っていただけだ、と小林秀雄本居宣長もいっている。古代においても、「今ここ」において発想し出会う神のイメージがあっただけで、一緒に存在する神などイメージしていなかった。
中世は神と共存し、近世は神から解放されていただなんて、笑わせてくれる。
中世は、無数の神(宗教)が出現した時代です。それは、つねに神と出会いつづけ、つねに神と別れつづけていたからでしょう。共存なんかしていなかった。中世ほど、神もへったくれもない、と思っていた時代もなかった。だから、みんな平気で「人殺し」をした。そして近世は、歴史上もっとも「人殺し」が少なかった時代だとも言われています。つまり彼らの観念は、それほどに神に支配されていた、あるいは神と共存していた、ということです。
中世の「地獄双紙」における、餓えて死んでゆく人のリアルな描写は、神と共存していない人たちのものです。それに対して近世の浮世絵における、あのありえないペニスの誇張は、良くも悪くも神=絶対という概念に支配されていることの証しであろうと思えます。
浮世絵のペニスが無限に拡大された自我=神を表現するものだとすれば、芭蕉の「蛙とびこむ水の音」は、「今ここ」で出会って「今ここ」で消えてゆく神の表象です。芭蕉は、「反近世」を生きた人です。芭蕉の偉大さは、近世に棹をさしたことにあるのであって、近世に加担したことではない。
在原業平が自我の拡大を処理して見せた歌人だとすれば、西行は、処理しきれない自我と格闘して見せた。そして芭蕉は近世に抗して自我を処理してゆく俳句をつくり、小林秀雄は、近代人として処理しきれない自我を抱えた自分と格闘した。日本列島の住民は「やまとことば」を使う民族として、そういうことを繰り返しながら歴史を歩んできた。
「やまとことば」は、自我を処理する機能を持っている。
近松浄瑠璃」や「葉隠れ」に代表されるように、近世は、絶対の「規範」という神が模索されていった時代です。だから「人殺し」も少なかったのだが、しかし、おそらくそれこそが「近代」の始まりでもあったのではないでしょうか。
近世は、浮世絵のペニスに象徴されるように、自我の拡大が野放しにされた時代だった。それは、「貨幣経済」の定着と歩調を合わせた現象だったのではないだろうか。
「貨幣」は、自我の拡大をうながす機能を持っている。
「規範」とは、自我の拡大を保証する土台、ということでしょうか。たとえば「葉隠れ」に表現されているのは、きわめて近代的な自我の拡大のかたちであろうと思えます。だから、三島由紀夫という近代精神に乗り移った。
そして「近松浄瑠璃」は、「規範」に翻弄される人々の「時代の傷」を表現した。「心中」とは、そういう「規範という神」から逃れようとする行為にほかならない。
近世は、死ぬことによってしか「神」から自由になれなかったのだ。
「貨幣」とは、この世の中を動かしている「規範」です。マルクスだって、そう言っている。そしてそういう「規範」に人びとが目覚めていった近世こそ、まさに近代の幕開けだったのだろうと思う。
だから、橋本氏の「近世から近代を批判」するというスローガンなど、何をとんちんかんなこと、と思うだけです。