まれびと論・27 語源の分析


「国文学の発生・まれびとの意義」における折口氏の「語源」についての分析がいかにいいかげんかという例を、もうひとつ上げておきます。
古代人にとって「鯖(さば)」は、とてもおめでたい魚だったらしい。
_________________________________
「おめでたごと」に、かならず、鯖を持参した例も、おそらく「さば」の同音連想から出た誤りではあるまいか。「さば」は「産飯」と当て字をするが、やはり語源不明の古語で、「お初穂」と同義のものらしい。打ち撒きの米にのみもっぱら言うのは、後世のことらしい。「さば」は他物の精霊という考えで撒かれるのであるが、なお古くは、やはり霊代ではなかったであろうか。とにもかくにも、霊代としての米の「さば」が、進物と考えられるようになって、鯖と変じたものではあるまいか。
_________________________________
神にお供えする米の飯(産飯)のことを「さば」と言っていたから、かわりに魚の「鯖」を進物にするようになった。だからなぜ「産飯(さば)」というようになったかは「語源不明」である、という。
そうでしょうか。われわれは、そんなふうには考えない。その神にお供えする米の飯が魚の鯖に似ていたから「産飯(さば)」というようになっただけでしょう。そうでなければ、神にお供えする米の飯のことを「さば」といわねばならない必然性など何もない。
必然性など何もないから「語源不明」ですか。「語源」などただの仮説です。文字が生まれる以前まで遡ることなのだから、誰も証明できないし、しなくてもいいのです。だから、そんなことをいってないで、ありったけの想像力をはたらかせて考えてみればいいじゃないか。
折口氏の語源の分析など、みずからの研究者としての知識の上にあぐらをかいて思考停止したあげくに、いかにも教えてあげるぞという口ぶりでいいかげんなこと言い散らしているだけです。
だから、平気で「語源不明」などという。
あなたが「語源不明」ですませるなら、僕が考えてさしあげる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その神にお供えする米の飯を進物にするとき、どうやって包装したのか。
おそらく、納豆のようにして、藁(わら)で包んだのでしょう。それは、鯖のかたちにそっくりじゃないですか。もしかしたら、もともと鯖はめでたい魚として、米の飯以前から進物に使われていたのかもしれない。米の飯のほうこそ、鯖の代用品だったのかもしれない。
鯖の体の模様は、しめ縄飾りに似ている。そういうところから、神聖な魚として進物に使われていったのだろうか。
鯖の体に似せる納豆のあの包みかたは、現在にも続いている。あの包みかたじたいが、おめでたい意味を持っているのではないだろうか。古代人は、鯖の体に似せてあの包みかたを考え出したのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
米を「霊代」とする場合は「くま」というそうです。たとえば「くましね」とか、そのような言い方はいくらでも例があるが、「さば」といっていた他の例は何もない。
とうぜんです。「さば」は、もともと米を意味しない言葉だったのだ。「さば」は「鯖」だったのだ。だから、「こめ」という意味に転化しなかった。「さば」とは、「こめ」のことではなく、包装のかたちのことだったのだ。「さば」という言葉が米の霊代として先にあったのなら、米のことを「さば」という例もいくらでも出てきているはずです。
「さば」という言葉の語源的な意味に、「こめ」を連想させる音韻は何もない。
「さ」は、「早い」という意味。「さっさ」とやれ、とか、「早苗」とか。
「さ」と発音するとき、息と声がすばやく切断されるような感覚がある。だから「裂く」「割く」というし、そのとき声だけが口の中に取り残されるから、「さあ」といって考え込んだりする。
原始人にとって「早い」というさまは、「裂ける」という感覚だったのではないだろうか。
「早い」とは、空間が「裂ける」さま。「早い」という言葉は、概念的なニュアンスがある。「裂く」という感覚の方が原始的であるように思えます。原始人は、そういう感慨で早く動くものを見ていたのではないだろうか。
鯖の体は、鉄砲の弾かミサイルのようなみごとな流線型をしている。だからとても泳ぎが速い魚です。水族館でほとんど鯖を見かけないのは、ひと泳ぎで水槽の端から端まで進んでしまい、すぐガラスにぶつかってしまうからだそうです。それくらい、速い。速いが、そのぶん小回りがきかない魚でもある。もう、水を裂くようにして泳ぐ。
鯖の「さ」は、そういう動きを見たときの感慨の表現であろうと思います。早いよりももっと早い「裂く」の「さ」。
ちなみに、花が「咲(さ)く」という言い方は、つぼみが裂けることから来ているのでしょう。
「笹(ささ)」の細い葉は、ひとつの葉がいくつにも裂けているように見える。だから「ささ」といったのではないだろうか。
「さば」の「ば」は、音のつながりの都合で「は」が転化したものでしょう。「さは」とは言いにくい。
「は」は、いちばん力が入らない発音です。だから、「はあ」とため息ついたり、問い返したりする。そして「走(はし)る」というときの、いきなりやって来てたちまち去ってゆくものに対する感慨としての「は」。つまり「さば」とは、あんまり早くてつかまえることのできない魚、という意味だったのではないか。
鯖は、底魚ではない。ぶつかるものの何もない途中のところを泳いでいる。だから、ときに小船から泳いでいるのが見えたりもする。しかし縄文時代は釣り針はなかったし、石の銛で突いても仕留めることのできない魚だった。追い込み網のような漁はしていたらしいが、底魚ではないからそういう浅瀬にはやってこない魚でもあった。
古代人には、鯖は、貴重な魚というイメージがあったのでしょう。それに、とても美しく、しめ縄飾りのような神々しい模様を持っていた。
以上が、僕の考えた「さば」の語源です。折口氏のえらそげな説明でやすやすと納得してしまうようなことはごめんです。